アリクブケ
アリクブケ(Arïq Buka, ? - 1266年)はチンギス・ハーンの四男トルイとソルカクタニ・ベキ妃の間の四男(末子)。モンケ、クビライ、フレグの弟。漢字表記では阿里不哥、ペルシア語表記では اريغ بوكا Arīgh Būkā と書かれた。
末子として本拠地を守る任に就くことが多かったため、戦場経験は乏しかった。1259年に長兄で第4代大ハーンであったモンケが死ぬと、末子相続の慣習に従い、その後継者として大ハーンに即位するが、そのために傘下の南征軍を解体せずに保持していた次兄のクビライと、大ハーン位をめぐって争いを始める(アリクブケの乱)。
この争いでは、没落したオゴデイ家から独力で大勢力を構築したハイドゥや、その傘下で同盟を組むチャガタイ家を味方につけたアリクブケが当初は優位であったが、旧金朝治下の中国を押さえ、華北農耕地帯の豊かな物資を背景としたクビライの反攻と、飢饉による自軍の壊滅など不運も重なり、1264年に降伏する。弟ということで一命は助けられたが、わずか2年後に病死した。
しかし、アリクブケの子孫であるイェスデルが1388年、北元と明との抗争の混乱下、クビライの子孫を殺害して大ハーン位を奪う事で、百年目の復讐を果たしている。また、フレグの立てたイルハン朝において、アリクブケの子孫がハン位に就いたことがある。
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