ジャパンカップ

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ジャパンカップ
開催地東京競馬場
施行日2010年11月28日
格付けGI
1着賞金2億5000万円
距離芝2400m
出走条件サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)
負担重量3歳55kg、4歳以上57kg
(牝馬2kg減)
第1回施行日1981年11月22日
 Template‐ノート:競馬の競走 
第27回ジャパンカップ(2007年11月25日 アドマイヤムーン優勝)
第27回ジャパンカップ(2007年11月25日 アドマイヤムーン優勝)

ジャパンカップとは日本中央競馬会(JRA)東京競馬場2400mで施行する中央競馬重賞GI競走(国際招待指定)である。

目次

概要

正賞は農林水産大臣賞、アイルランド大使賞、日本馬主協会連合会会長賞、東京馬主協会賞。また八大競走ではないものの、本競走は国際招待競走であるため、日本ダービー同様に副賞として高級車が提供される。

総額賞金は4億7600万円で、1着賞金は2億5000万円、2着賞金は1億円、3着賞金は6300万円、4着賞金は3800万円、5着賞金は2500万円と定められている[1]

外国から当競走に出走する場合には競走馬の輸送費、滞在に要する厩舎飼料にかかる費用、馬主調教師騎手厩務員(馬主、調教師、騎手についてはその配偶者も含む)の交通費や宿泊費はJRAが全額負担する。このような遠征に要する諸費用の負担を外国からの全出走馬に行う競走(招待競走)は日本ではこのほかに中山グランドジャンプジャパンカップダートがある。世界ではドバイミーティングドバイワールドカップなど)、香港国際競走がある。

この競走はグレード制導入以前の主要競走である八大競走ではないものの、国際招待競走であり、賞金額や開催規模などが八大競走に匹敵していたため、八大競走と同格に扱われることもあった。

歴史

1970年後半に「世界に通用する強い馬づくり」が提唱され[2]日本国外の調教馬を招待して国際競走を開催する計画も持ち上がっていたが、招待馬の選定にあたり日本国外の主要競走との日程競合が障害となり実現しなかった[3]経緯がある。当時の日本最強馬といわれたスピードシンボリが高齢になりながらも現役を続行したのはそれまでの海外遠征で負け続けた分、この国際競走で海外の馬を負かしたいという陣営の思惑が色濃く残っていたためだった。

1981年に記念すべき第1回ジャパンカップは開催された。優勝賞金は6500万円で天皇賞、有馬記念と同額。新設重賞としては破格の金額である。北アメリカアジアから招待馬が選出されアメリカカナダインドトルコ(来日後に故障し不出走)から出走馬が招待された。「日本の馬が外国の馬と対戦するレースが見たい」という第1回だったが、日本馬はサクラシンゲキが大逃げでスタンド(客席)を沸かせるも(後に同馬は「日の丸特攻隊」と呼ばれるようになる)ゴールドスペンサーの5着が最高だった。フジテレビで実況を担当した盛山毅アナウンサーは、日本の一流所が海外(ヨーロッパ除く)の決して一流とは言えない面々相手に日本勢が惨敗した様子を見て、「日本は完全に敗れました!!」と叫びしばし絶句。海外とのレベルの差を痛感する結果となる。

翌年からは招待範囲がヨーロッパオセアニアにも広げられ参加国の多さから「世界一の競走」、「競馬のオリンピック」と評されることもあった[2]。さらにその翌年(1983年)からは地方競馬の所属馬も招待対象に加えられた。その後も日本代表馬がことごとく敗れるばかりで、海外との差を痛感するレースにもなった。しかし第3回の1983年になってキョウエイプロミスが2着と好走を見せた。

1984年にはJRAのグレード制導入によりGIに格付けされた。この年、前哨戦の天皇賞(秋)を快勝したミスターシービー菊花賞を無敗で制したシンボリルドルフの新旧三冠馬2頭が参戦、日本勢初優勝の期待を大いに集めた。しかし、日本馬の初優勝という褒章を得たのは単勝10番人気と期待の薄かったカツラギエースであった。1992年には国際セリ名簿基準委員会(ICSC)により国際GIに指定されている。略称はJC(JはJAPAN、CはCUPのそれぞれの頭文字)。

1999年に成立したワールドレーシング・チャンピオンシップに初年度から加えられており、この年以降にほとんど馬産の行われていない香港アラブ首長国連邦からも招待馬の選出がされている。また2000年から2006年までは外国馬がこの競走で優勝した場合に限り有馬記念の出走資格が与えられるようになった(2002年ファルブラヴ2005年アルカセットが該当)が、行使した外国馬はいなかった。

2008年からジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定される。

2008年4月24日フランスギャロ(フランス競馬統括団体)により凱旋門賞の1・2着馬がジャパンカップに優先招待されることが決まったと発表された。また、その他に3レースが同様の指定を受けている(後述)。

外国馬

かつてジャパンカップは日本馬の層が薄いことと賞金的な魅力もあり、数多くの外国馬が参戦しジャパンカップは外国馬の草刈り場のようになっていた。

しかし2000年代以降は検疫の厳しさや賞金的な魅力が相対的に薄れ、ジャパンカップに登録を済ませる欧州や北米などの各国一流馬は多いものの出走を回避する外国馬も少なくはない。また、欧州馬は日程間隔が殆ど無く賞金が上がってきていて地元馬の層の薄いブリーダーズカップの芝競走や香港国際競走に照準を向けることが多い。また、直航便の無くなったオセアニア勢の挑戦が少なくなったことも影響している。しかし2億5000万円という賞金は芝競走の賞金では国際的に見てもかなり高く、遠征費もJRAの全額負担となればかなりの厚遇である。

それでも外国馬の挑戦が減る理由としてはいくつかの例があげられるが、頻繁にあげられる理由が芝が主流の欧州のトップホースであっても速い時計に対応できない馬は日本の固い高速(時計の出る)馬場に適応できず惨敗することが多いからである。ジャパンカップが開催された当初はまだそれほど高速馬場化しておらず、加えて一部の日本馬を除いて日本馬と欧州馬のレベルに開きがあったために多少の不利でも勝利を挙げることはできた。しかしその後は日本のトップレベルの馬が欧州馬などとも互角になり近年は日本馬の全体のレベルが欧州と遜色なくなってきていること、そして日本の高速馬場で力を発揮する日本馬が増えたことで、その傾向はさらに顕著になり、日本の固い芝に対応するためスピードと瞬発力のある日本馬に、欧州の深い芝に対応するスタミナとパワーを重視されているといわれる欧州馬が日本馬に瞬発力勝負で競り負けることが多い。初期を除き欧州馬でジャパンカップで好走する馬はある程度速い時計に適応性がある馬であり、遠征する側もその点を踏まえて遠征する傾向がある。実際、このレースに勝った外国馬のファルブラヴロンシャン競馬場の深い芝が合わなかったためこのレースへの出走を決意したという前例がある。

このように、もはや現在では日本の競馬と欧州の競馬は同じ芝でありながら全く違うものと考えられるようになってきている。その傾向は種牡馬でも顕著に出ていてサドラーズウェルズなど欧州のリーディング上位に君臨する種牡馬を父に持つ競走馬が日本の競馬界ではあまり成功しておらず、サンデーサイレンスを筆頭にスピードのあるアメリカの種牡馬を父に持つ競走馬が多く活躍している。このような傾向もまた欧州勢のジャパンカップ回避に拍車をかけている可能性がある。

また種牡馬ビジネスが重要視される近年の欧米では一流馬の3歳の中には競走成績が非常に優秀であれば早期引退して種牡馬入りする場合も多く(特に欧州は多い)、無理に長距離遠征という過酷なことを強いその結果戦績を悪くすることは種牡馬入り後に響くためわざわざ勝ちにくいジャパンカップを選ぶことも少ない。よって、2億5000万円の賞金よりも種牡馬として買い取られるときに発生する遥かに高い金額を優先する。近年ではキングジョージ愛チャンピオンSを勝ったスウェインダービー馬ガリレオが種牡馬としての価値を高めようと凱旋門賞にすら出走せずダート競走の最高峰であるBCクラシックに出走するなど、種牡馬になった後のことを考えてレースを選ぶ傾向がある。また、上記で説明されている日本の固い芝でたとえ外国馬が勝利を収めても深い芝の欧州やダートが主流のアメリカにおいてはその勝利は種牡馬入りしてもあまり価値がない。そのため、近年ジャパンカップに勝った外国馬は日本の生産者団体に買い取られることが多い。

外国馬の出走馬の中には、ジャパンカップで上位入賞した後に他のG1競走を勝つなどの活躍することで有名になった海外馬も少なからず存在する。代表例としては1982年の2着馬で翌年に凱旋門賞ロスマンズインターナショナル、ターフクラシック、ワシントンDCインターナショナル欧米のGI競走に多く勝利した牝馬オールアロング1996年の優勝馬で翌年のドバイワールドカップコロネーションカップインターナショナルステークスに優勝したシングスピール2000年の3着馬でジャパンカップ後にBCターフ愛チャンピオンSなどGI競走を5勝して欧州年度代表馬および米国最優秀芝牡馬に選ばれ2年連続でワールド・レーシング・チャンピオンシップのチャンピオンとなったファンタスティックライト2002年の優勝馬であり翌年エクリプスステークスやインターナショナルステークスなどのG1を勝ったファルブラヴが挙げられるだろう。

逆に、その年の凱旋門賞を勝利して来日した馬は勝っていない。それどころか複勝圏に入った馬も1996年に出走したエリシオのみで、その他のトニービンキャロルハウスアーバンシーモンジューらは馬券に絡むことすらできなかった。

国内馬

1990年代半ばには天皇賞(秋)や菊花賞などを勝ったGI優勝馬がこの後に一年の総決算とも言える有馬記念が控えていることもあって3戦連続のGI挑戦に慎重にならざるを得ないというローテーション上の問題もあり、早々とジャパンカップ回避を公言するなどしたこともあり日本の出走馬が小粒になるということもあった。この行動は八大競走時代の名残やジャパンカップの歴史がまだ浅いことから、目指す目標の違いが回避か挑戦かに現れているとも言われていた。しかし近年では賞金額が大幅に増額されたことや同一年に天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の全てに勝利した場合のボーナス制度ができたこと、さらに距離適性を尊重するようになってきた近代競馬では中距離の天皇賞(秋)を避けて中長距離のジャパンカップと有馬記念の2レースに照準を合わせる馬や逆に小回りの中山競馬場を嫌って天皇賞(秋)、ジャパンカップの2レースに照準を絞る陣営も増えてきている。その結果有力馬の回避は減少し、古馬に限っては故障以外の理由で回避することは皆無である。また、菊花賞が10月の第3週に開催されるようになってからは有力3歳馬の出走も増えてきている。なおクラシックに登録していない3歳(旧4歳)馬はクラシック競走への出走ができないため、三冠をあきらめる代わりに世界の強豪と対決することを目標とすることから本競走に照準を合わせる馬も少ないながらも存在する[4]

3歳馬

日本馬は優勝回数が12回と最も多いがその内3歳馬の勝利は1998年エルコンドルパサー2001年ジャングルポケットの2頭のみで1984年には牡馬クラシックを無敗で制した三冠馬シンボリルドルフが3着、1988年には元地方笠松所属のオグリキャップが3着、1993年には日本ダービー優勝馬ウイニングチケットが3着、1996年には秋華賞優勝馬ファビラスラフインが2着、1998年には日本ダービー優勝馬スペシャルウィークが3着、2002年には天皇賞(秋)優勝馬シンボリクリスエスが3着、2003年には菊花賞優勝馬ザッツザプレンティが2着、2004年には地方ホッカイドウ所属のコスモバルクが2着、菊花賞優勝馬デルタブルースが3着、2006年にはドリームパスポートが2着、2008年にはNHKマイルカップ&日本ダービー優勝馬ディープスカイが2着、2009年には秋華賞優勝馬レッドディザイアが3着とあと一歩のところで勝利できない馬も多い。

主な前走

以下はジャパンカップに出走する競走馬の主な前走。

競走名格付開催国・団体施行競馬場施行距離
1凱旋門賞G1フランスロンシャン競馬場芝2400m
2チャンピオンステークスG1イギリスニューマーケット競馬場直線芝10f
3菊花賞GIJRA京都競馬場芝3000m
4天皇賞(秋)GIJRA東京競馬場芝2000m
5ブリーダーズカップ・ターフG1アメリカ持ち回り芝12f
6アルゼンチン共和国杯GIIJRA東京競馬場芝2500m

この他オグリキャップマイルチャンピオンシップから移動を伴う連闘でレースに出走するなどの例外も存在する(オグリキャップ以外ではバンブーメモリーイクノディクタスタイキフォーチュンが連闘で出走したことがある)。

出走権

日本馬の出走権

  • レーティング上位5頭に優先出走権が与えられる。
  • 前年のジャパンカップ以降にGIで1着になった地方馬の内、収得賞金の多い馬1頭が出走できる。

1998年より2009年まで出馬投票締切前日までのGI、GII、GIII競走の1着馬、または出馬投票締切前日までの1年間での中央競馬のGI競走(ただし2歳馬の競走を除く)3着以内馬に限られていた。この規定は、1997年にスノーエンデバー(前走ハンデキャップ戦であるアルゼンチン共和国杯に50kgの軽斤量を活かし2着)がジャパンカップの登録馬が少なかった事により出走できた事が物議を醸した為と考えられている(参考:大阪スポーツ)。

外国馬の出走権

ジャパンカップの招待決定は例年10月下旬から11月上旬に行われるため、招待が決定してもブリーダーズカップや香港国際レースに出走するため受諾できないケースがあった。そこで2008年より指定レースの優勝馬(レースによっては2着馬も)に対し優先出走権を与えることとし、早期に招待を出すことができるようになった[5]。2008年にキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス2着のペイパルブルが初めて優先出走権を行使して出走している。

開催国・競走名格付施行競馬場施行距離優先出走権対象馬
1イギリスの旗キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスG1アスコット芝12f1着馬・2着馬
2ドイツの旗バーデン大賞G1バーデンバーデン芝2400m1着馬
3アイルランドの旗アイリッシュチャンピオンステークスG1レパーズタウン芝10f1着馬
4フランスの旗凱旋門賞G1ロンシャン芝2400m1着馬・2着馬
5アメリカ合衆国の旗アーリントンミリオンG1アーリントンパーク芝10f1着馬

褒賞金制度

2000年から天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の3つのレースを同一年に制した場合に褒賞金が1億円贈られるようになった。現在は内国産馬2億円、外国産馬1億円に増額されており秋古馬三冠を達成したテイエムオペラオーゼンノロブロイはこの褒賞金を獲得している。

2003年より外国調教馬に対して指定競走の当年優勝馬(レースによっては2着馬も)がジャパンカップ優勝した場合、褒賞金を交付している。指定競走・金額は以下の通り。制度導入後に褒賞金を獲得した事例はない。

2009年よりその範囲が拡大され、以下の条件に該当すればジャパンカップにおいて3着までに入れば規定の褒賞金を交付することとなった。

開催国・競走名格付施行競馬場施行距離褒賞金
1イギリスの旗ダービーステークスG1エプソム芝12f10y当該競走の当年優勝馬
1着1億3000万円、2着5200万円、3着3250万円
当該競走の当年2着馬
1着5000万円、2着2000万円、3着1250万円
当該競走の前年優勝馬
1着1億円、2着4000万円、3着2500万円
2フランスの旗ジョッケクルブ賞G1シャンティイ競馬場芝2100m
3アイルランドの旗アイリッシュダービーG1カラ競馬場芝12f
4イギリスの旗キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスG1アスコット競馬場芝12f
5フランスの旗凱旋門賞G1ロンシャン競馬場芝2400m
6アメリカ合衆国の旗ブリーダーズカップ・ターフG1持ち回り芝12f
7アメリカ合衆国の旗ブリーダーズカップ・クラシックG1持ち回りダート10f
AW10f
8アメリカ合衆国の旗アーリントンミリオンG1アーリントンパーク競馬場芝10f当該競走の当年優勝馬
1着1億円、2着4000万円、3着2500万円
9アイルランドの旗アイリッシュチャンピオンステークスG1レパーズタウン競馬場芝10f
10ドイツの旗バーデン大賞G1バーデンバーデン競馬場芝2400m
11カナダの旗カナディアンインターナショナルステークスG1ウッドバイン芝12f
12オーストラリアの旗コックスプレートG1ムーニーヴァレー芝2040m
13フランスの旗パリ大賞典G1ロンシャン競馬場芝2400m
14日本の旗ジャパンカップGI東京競馬場芝2400m前年優勝馬(日本調教馬を除く)
1着1億円、2着4000万円、3着2500万円

歴史

歴代優勝馬

回数施行日調教国・優勝馬性齢勝時計優勝騎手管理調教師馬主
第1回1981年11月22日アメリカ合衆国の旗メアジードーツ牝52:25.3C.アスムッセンジョン・フルトンA.D.シェフラー
第2回1982年11月28日アメリカ合衆国の旗ハーフアイスト牡32:27.1ドン・マクベススタンリー・ホッフB.R.F.ストーン
第3回1983年11月27日アイルランドの旗スタネーラ牝52:27.6ブライアン・ラウスフランク・ダンF.ダン
第4回1984年11月25日日本の旗カツラギエース牡42:26.3西浦勝一土門一美野出一三
第5回1985年11月24日日本の旗シンボリルドルフ牡42:28.8岡部幸雄野平祐二和田農林(有)
第6回1986年11月23日イギリスの旗ジュピターアイランド牡72:25.0P.エデリーC.ブリテンタビストック侯爵
第7回1987年11月29日フランスの旗ルグロリュー牡32:24.9アラン・ルクーロベール・コレS.ウォルフ
第8回1988年11月27日アメリカ合衆国の旗ペイザバトラー牡42:25.5C.マッキャロンR.フランケルE.ガン
第9回1989年11月26日ニュージーランドの旗ホーリックス牝62:22.2L.オサリバンデイブ・オサリバンG.W.ド・グルシー
第10回1990年11月25日オーストラリアの旗ベタールースンアップ52:23.2マイケル・クラーク (騎手)デイヴィッド・ヘイズG.ファラー
第11回1991年11月24日アメリカ合衆国の旗ゴールデンフェザント牡52:24.7G.スティーヴンスC.ウィッティンガムB.マクノール
第12回1992年11月29日日本の旗トウカイテイオー牡42:24.6岡部幸雄松元省一内村正則
第13回1993年11月28日日本の旗レガシーワールド騸42:24.4河内洋森秀行(株)ホースタジマ
第14回1994年11月27日日本の旗マーベラスクラウン騸42:23.6南井克巳大沢真笹原貞生
第15回1995年11月26日ドイツの旗ランド牡52:24.6M.ロバーツハインツ・イエンチイットリンゲン牧場
第16回1996年11月24日イギリスの旗シングスピール牡42:23.8L.デットーリM.スタウトシェイク・モハメド
第17回1997年11月23日イギリスの旗ピルサドスキー牡52:25.8M.キネーンM.スタウトウェインストック卿
第18回1998年11月29日日本の旗エルコンドルパサー牡32:25.9蛯名正義二ノ宮敬宇渡邊隆
第19回1999年11月28日日本の旗スペシャルウィーク牡42:25.5武豊白井寿昭臼田浩義
第20回2000年11月26日日本の旗テイエムオペラオー牡42:26.1和田竜二岩元市三竹園正繼
第21回2001年11月25日日本の旗ジャングルポケット牡32:23.8O.ペリエ渡辺栄齊藤四方司
第22回2002年11月24日イタリアの旗ファルブラヴ牡42:12.2L.デットーリルチアーノ・ダウリアスクデリーア・ランカティ
第23回2003年11月30日日本の旗タップダンスシチー牡62:28.7佐藤哲三佐々木晶三(株)友駿ホースクラブ
第24回2004年11月28日日本の旗ゼンノロブロイ牡42:24.2O.ペリエ藤沢和雄大迫忍
第25回2005年11月27日イギリスの旗アルカセット牡52:22.1L.デットーリルカ・クマーニM.R.チャールトン
第26回2006年11月26日日本の旗ディープインパクト牡42:25.1武豊池江泰郎金子真人ホールディングス(株)
第27回2007年11月25日日本の旗アドマイヤムーン牡42:24.7岩田康誠松田博資ダーレー・ジャパン・ファーム(有)
第28回2008年11月30日日本の旗スクリーンヒーロー牡42:25.5M.デムーロ鹿戸雄一吉田照哉
第29回2009年11月29日日本の旗ウオッカ牝52:22.4C.ルメール角居勝彦谷水雄三

ジャパンカップの記録

  • レースレコードタイム - 2分22秒1(第25回優勝馬アルカセット)
  • 2着との最大着差 - 9馬身(第23回優勝馬タップダンスシチー)
  • 最多勝騎手 - 3勝 L.デットーリ(第16、22、25回)
  • 最多勝調教師 - 2勝 M.スタウト(第16、17回)
  • 最多出走 - 6回 コスモバルク(第24~29回)

特記事項

  • 馬番ゼッケン馬名(片サイドに片仮名馬名、もう片サイドには英文馬名を記述)が入っているものを使用するのはこの競走の特徴である。第1回と第2回は従来の番号のみのゼッケンであったが、第3回からこの特別仕様のゼッケンを使用している。馬番ゼッケンに馬名を入れたのはこのジャパンカップがはじめてであった。また第6回までは馬名入りゼッケンはこのジャパンカップのみでしか使用していなかった(当時は日本ダービーなどの八大競走でも使用されていなかったが1985年の有馬記念では試験的に使用されていた)。このゼッケンは1987年秋以降順次他のGI競走やその他の競走にも拡大され、現在は中央競馬全場及び大井競馬場において一般競走を含む全競走に馬名入りのゼッケンを使用している(ただし英文馬名入りのゼッケンは一部の国際競走(外国馬の出走がある場合)でしか使用されない。なお、馬体の左側が英文と固定されている)。また本競走とジャパンカップダートでは2002年から、片仮名馬名の面にその馬の調教国の国旗があしらわれるようになった(2006年からは英文馬名側にも国旗を記載)。
  • 国際競走らしく第3回においては5着までの調教国が全て異なる結果となった[6]
  • 本競走の正式名称はあくまでジャパンカップであるが2000年のジャパンカップダート創設以降、混同を避けるためかジャパンカップターフと称するファンや関係者もいる。
  • 当日の東京競馬場は全11競走制であり、本競走は第10競走として施行される(2004年のゴールデンジュビリーデーについては最終第11競走(この時も全11競走制)としておこなわれた)。よって勝馬投票券購入に際しては競走番号を間違えないよう注意する必要がある(当日は東京競馬場をはじめとする各発売所、及び在宅投票システムでもこの旨注意喚起がされている)。
  • 1993年ブリーダーズカップターフ優勝馬コタシャーンが単勝1番人気で出走したが、残り100m時点で鞍上のケント・デザーモが残り100mを示すハロン棒をゴール板と勘違いし立ち上がって追うのを止めた。その後慌てて追い出したものの結果2着に終わったという事件があった(この時の優勝馬はレガシーワールド、日本のせん馬として最初のGI優勝)。この事件をきっかけとしてその後徐々に各競馬場の残り100mのハロン棒が撤去され、代わりに残り100mを示す表示が柵に表示されるようになっている。
  • 1985年シンボリルドルフロッキータイガー船橋競馬所属)による初の日本馬同士のワン・ツー・フィニッシュ(1・2着独占)が達成された。中央所属馬同士のワンツーは1998年(優勝:エルコンドルパサー・2着:エアグルーヴ)が最初で、以降中央所属馬同士のワンツーはこれまでの26回中5回ある。
  • 日本馬が掲示板を独占(1~5着)したのはこれまでに4回あるが(下記)、外国馬が掲示板を独占したことは初開催以来1度も無い。
  • 国際競走ではあるが、東京優駿で行われている国歌独唱はジャパンカップでは行われていない。
  • 第7回ジャパンカップではディック・フランシスも視察に訪れている。

脚注

  1. ^ ジャパンカップの賞金総額4億7600万円は日本国内の全競走の中で最高額である
  2. ^ a b 「レーシングプログラム」(日本中央競馬会) 2006年11月26日
  3. ^ 日本中央競馬会『優駿』1970年10月号、p.49
  4. ^ 皐月賞東京優駿・菊花賞の場合は、現状では規定によりクラシックに登録していない3歳馬の参加ができない。一方ジャパンカップにはこの登録の必要がない。
  5. ^ ジャパンカップへの優先出走について(JRAホームページ、JRAニュース)
  6. ^ 1着スタネーラ(アイルランド)、2着キョウエイプロミス日本)、3着エスプリデュノール(フランス)、4着ハーファイスト(アメリカ)、5着マクギンティ(ニュージーランド

関連項目


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