古木克明
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オリックス時代(2008年9月27日、阪神鳴尾浜球場) | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 三重県松阪市 |
| 生年月日 | 1980年11月10日(29歳) |
| 身長 体重 | 182cm 85kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 外野手、三塁手 |
| プロ入り | 1998年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 1999年7月15日 |
| 最終出場 | 2009年6月8日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
| |
この表について | |
古木 克明(ふるき かつあき、1980年11月10日 - )は、三重県松阪市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。現在は総合格闘技の選手。
目次 |
経歴
プロ入り前
豊田大谷高校2年時の選手権、長崎南山高校戦で2打席連続本塁打で頭角を現し、3年時の第80回全国高等学校野球選手権大会ではベスト4にまで進出。1回戦では後のチームメイトとなる村田修一率いる東福岡高と対戦し6対4で勝利。2回戦では上本達之擁する宇部商高と対戦、延長戦を制し3対2で勝利。準々決勝では和田毅がエースの浜田高と対戦、延長を制し4対3で勝利。準決勝では吉見太一擁する京都成章高と対戦するが4三振と精彩を欠きチームも1対6で敗退。
高校時代は練習の虫で、甲子園の中継でバットを抱いて寝る、グローブなどの道具を大切にする選手として紹介された[1]。レフト方向にもホームランが打てるスラッガーだった。
1998年のドラフト会議において、松坂大輔の外れ1位指名で横浜ベイスターズに指名され入団。指名当日、ダイエー(現・ソフトバンク)志望だった古木に権藤博監督が直接挨拶に出向いた。
プロ入り後
1999年から2001年、一軍の出場は数試合だったが、二軍では1999年にフレッシュオールスターゲームMVP、2000年に打率.305・10本塁打、2001年には打率.272・12本塁打と長打力を発揮していた。2000年6月6日、イースタン・リーグの日本ハム戦で同点で迎えた9回裏1死満塁の場面で左翼を守っていた古木は、捕らなくてもよい外野ファールフライを背面キャッチし、犠飛でホームインを許し、観客から爆笑されるなど、その頃から守備面が懸念されていた。
背番号3を石井浩郎に譲り33に変更。二軍でチームトップの打率.285、13本塁打を打ち、シーズン後半に若手起用の方針から一軍で積極的に起用された。9月7日に川尻哲郎からプロ入り初ホームランを打つと、その後1ヶ月半で桑田真澄、山本昌、岩瀬仁紀などエース級投手から次々に本塁打を放ち、最終的に9本塁打を記録。打率も.320を記録した。また黒江透修監督代行によって9月後半から13試合で4番として起用された。シーズンオフに開催された第15回IBAFインターコンチネンタルカップでは日本代表に選出され、4本塁打を放ち、本塁打王とベストナインに輝いた。
6番・三塁で開幕スタメンで起用されるなど大きな期待が掛けられる。本塁打は22本と量産したが、打率は.208と低く、131三振はリーグワーストのタイロン・ウッズの132三振に次ぐ記録だった。左投手やチャンスに弱く(打点はわずか37)、守備ではリーグ最多の20失策を記録し(三塁で18失策、外野で2失策)、打撃でも守備でも粗い面が目立った。シーズン後半からは外野手として出場。7月5日の横浜スタジアムで開催された広島戦では三塁ゴロを捕球し一塁へ送球しようとした時に、踏み込んだ左足を踏み外して大暴投するという珍プレーをしてしまう。そのプレーを、清原正博アナウンサーは「古木あーーーーっと!」と実況し、解説の斉藤明夫からは「自分のお庭ですよ!お願いしますよ」と言われてしまう[2]。シーズンオフに失策王になった古木の守備を何とかするために、親会社はダンストレーニングを課した(沖縄アクターズスクールに入れられる)。
この年から正式に外野にコンバートされた。しかし多村仁、佐伯貴弘、金城龍彦が揃って3割に到達し、外野のレギュラーが固定されていたため、主に代打として出場。打率は.290と上向き、出塁率が.365と打撃面では向上。5月4日の巨人戦(横浜スタジアム)で決勝本塁打を放ちお立ち台にあがったが、そのときのヒーローインタビューで「こどもの日に打ててうれしいです!」と発言し、一緒にインタビューを受けていた佐々木主浩に指摘され、アナウンサーにも「今日がこどもの日と間違えるくらい興奮しているんですか?」と突っ込まれ苦笑いをした。
新監督の牛島和彦が守備力を重視していたこともあり、安定した守備力を持つ小池正晃との定位置争いに敗れ、出場機会が減少。オフに他球団へのトレードを志願したが、球団側の説得やファンの声援もありトレード志願を取り下げた。
多村の故障や小池の打撃不振により、3年ぶりの100試合出場と出場機会を得たものの、打率.252と結果が残せず、小池の復調や吉村裕基の台頭後は再び控えに回るようになった。外野守備においても打球判断の拙さから平凡なフライを三塁打にしてしまうなど、外野手ではリーグ最多の8失策を記録した。4月25日の阪神戦では、左翼の守備で慣れぬ地方球場(草薙球場)の風や試合序盤の薄暮のためか、矢野輝弘のフライを、ほぼ落下点に入りながらグラブにも当てられず「バンザイ」してしまった。シーズン終了後、右ひじ骨棘除去手術をした。
前年の手術の影響でキャンプは二軍スタート。開幕第2戦で門倉健からチーム第1号となる決勝本塁打を放つなど、前半戦はそれなりの活躍を見せていたが、夏には再び二軍落ちを経験するなどシーズン通しての活躍はできなかった。同年オフに大西宏明との交換トレードでオリックス・バファローズに移籍。
開幕は二軍スタートだったが、4月に一軍に昇格するとまずまずの打撃を見せた。しかし5月は月間打率が1割台と打撃不振で6月上旬に二軍降格。その後二軍ではチーム2位の7本塁打、打率.279の成績を残したが、一軍昇格することなくシーズンを終えた。出場機会は2002年以降では最少で、一軍で本塁打なしに終わるのは7年ぶりだった。
開幕は二軍スタート。二軍では打率が3割を超えるなど好調な打撃を見せ、5月に一軍昇格。対右投手時のスタメン及び左の代打要員として起用されたが結果を残せず、1ヶ月ほどで二軍降格。その後二軍では打率は.310と好成績を残していたが、同時に三振王(74個)にもなり、一軍に昇格することなくシーズン終了。10月3日に戦力外通告を受けた[1]。その後、12球団合同トライアウトに2度参加したが獲得球団はなく、現役を引退。
格闘家へ転向
2009年12月8日、格闘技の新団体「スマッシュ」に入団することが発表された[2]。「野球に未練はない、世界を代表する格闘家を目指したい」と意気込みを語った。2010年春頃の格闘家デビューを目指している。12月20日に行われたプロ野球55年会が企画したチャリティーマッチに参加、9回に代打で出場しレフトフライに終わった。試合後、古木にとっては最後の試合ということで両チームの選手による胴上げが行われた。尚、格闘家転身については2009年12月30日に放送されたTBSのドキュメント番組、『壮絶人生ドキュメント 俺たちはプロ野球選手だった』でも紹介された。
プレースタイル
高校通算52本塁打を記録した天性の長打力を持つが、通算打率は.250未満と荒削りな打撃だった。2003年は規定打席に未到達にも関わらずリーグ2位の三振数を記録している。長打力ばかりが強調されるが足の速い選手でもあり、打数に対する併殺打の割合は低い。
守備力は三塁、外野ともに低く、2003年に三塁手ではリーグ最多の18失策、2006年に外野手ではリーグ最多の8失策を記録している。
エピソード
- 2005年7月1日に元グラビアアイドルで現在モデルの池端忍と結婚。2006年1月に第一子となる長女が誕生。
- 豊田大谷高等学校時代の恩師、後藤篤監督は元読売ジャイアンツの後藤孝志の兄である。
- 二軍の湘南シーレックスの優勝争いの時「一軍に上がりたくない」と発言。
- 小学校の文集で「将来はプロ野球選手になりたい。しかし大洋(ホエールズ・横浜の旧名)とロッテには入りたくない」と書いていた過去があり、そのネタが『トリビアの泉』で取り上げられ、投稿者が金の脳を獲得した。
- 2004年古木が打球を見失い二塁打にしてしまったとき、「ボールが見えない」と発言。技術以前の問題と西岡良洋守備走塁コーチを嘆かせた。
- 2004年出版の「ベースボールポポロ」(麻布台出版社)には、横浜のキャンプ地・沖縄県宜野湾市での取材時に、上半身裸の肉体美を披露する写真を撮影、掲載された。古木の体に魅せられたカメラマンが上半身裸になって欲しいと依頼すると、古木は「マジっすか!ボク裸になるんッスか!恥ずかしいッス~」とテレながらも、笑顔でリクエストに応じたという。
- 2005年、試合前に古木が牛島監督(当時)が軽食として食べていたウインナーを横取りしてしまい、「すいませんでした!」と必死に謝った。どうやら牛島監督を片平保彦コーチと間違えてしまったらしい。
- 2006年の正月、当時のチームメートだった石井琢朗(2009年に広島東洋カープへ移籍)に年賀状を書いて送ったまではよかったが、宛名書きを「石井琢朗」ではなく、「石井豚朗」と書いて年賀状を送ってしまった。しかも「石井琢朗」は本名ではない(本名は「石井忠徳」)。2009年も同じことをやってしまった。
- 2007年6月8日、対ロッテ戦(横浜スタジアム)で、あまりにお粗末な守備を連発したため、外野席からペットボトルが投げ込まれ、そのペットボトルを蹴っ飛ばすことがあった。
- オリックスへのトレードは、球団の通告より先に大西がかけてきた電話で知った(大西は「(トレード相手が)お前かい!」と言ってきたという。なお球団からトレード通告があったのはその翌日)。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1999 | 横浜 | 3 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 2001 | 4 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 2002 | 34 | 106 | 100 | 15 | 32 | 6 | 0 | 9 | 65 | 22 | 2 | 0 | 1 | 1 | 4 | 0 | 0 | 25 | 2 | .320 | .343 | .650 | .993 | |
| 2003 | 125 | 389 | 351 | 46 | 73 | 12 | 0 | 22 | 151 | 37 | 2 | 4 | 0 | 0 | 25 | 1 | 13 | 131 | 3 | .208 | .285 | .430 | .716 | |
| 2004 | 94 | 208 | 186 | 26 | 54 | 3 | 0 | 11 | 90 | 27 | 3 | 0 | 0 | 0 | 19 | 1 | 3 | 57 | 1 | .290 | .365 | .484 | .849 | |
| 2005 | 65 | 116 | 105 | 10 | 26 | 5 | 1 | 2 | 39 | 10 | 1 | 2 | 0 | 0 | 8 | 0 | 3 | 35 | 1 | .248 | .319 | .371 | .690 | |
| 2006 | 110 | 321 | 298 | 32 | 75 | 18 | 1 | 10 | 125 | 35 | 3 | 4 | 0 | 3 | 15 | 1 | 5 | 72 | 3 | .252 | .296 | .419 | .715 | |
| 2007 | 72 | 168 | 158 | 13 | 39 | 11 | 1 | 4 | 64 | 14 | 1 | 2 | 1 | 2 | 6 | 0 | 1 | 43 | 0 | .247 | .275 | .405 | .681 | |
| 2008 | オリックス | 21 | 50 | 45 | 4 | 10 | 2 | 1 | 0 | 14 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 8 | 2 | .222 | .300 | .311 | .611 |
| 2009 | 9 | 14 | 13 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | .231 | .286 | .308 | .593 | |
| 通算:10年 | 537 | 1380 | 1263 | 196 | 312 | 58 | 4 | 58 | 552 | 150 | 12 | 13 | 2 | 7 | 81 | 3 | 27 | 377 | 12 | .247 | .305 | .437 | .742 | |
年度別守備成績
| 年 | 一塁 | 三塁 | 外野 | |||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2001 | - | - | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
| 2002 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 27 | 11 | 47 | 5 | 5 | .921 | - | |||||
| 2003 | - | 86 | 49 | 128 | 18 | 7 | .908 | 24 | 26 | 0 | 2 | 0 | .929 | |||||
| 2004 | - | - | 44 | 41 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
| 2005 | - | - | 17 | 18 | 0 | 1 | 0 | .947 | ||||||||||
| 2006 | - | - | 77 | 121 | 6 | 8 | 0 | .941 | ||||||||||
| 2007 | - | - | 48 | 64 | 2 | 2 | 0 | .971 | ||||||||||
| 2008 | - | - | 8 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
| 通算 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 113 | 60 | 175 | 23 | 12 | .911 | 219 | 282 | 8 | 13 | 0 | .957 |
背番号
- 3 (1999年 - 2001年)
- 33 (2002年 - 2007年)
- 46 (2008年 - 2009年)
個人記録
- 初出場:1999年7月15日、対阪神タイガース16回戦(阪神甲子園球場) - 9回表に斎藤隆の代打で出場、伊藤敦の前に二塁ゴロ
- 初打点:2001年9月29日、対広島東洋カープ26回戦(横浜スタジアム) - 5回裏黒田博樹から犠飛
- 初安打:2002年9月4日、対中日ドラゴンズ22回戦(横浜スタジアム) - 10回裏に落合英二から中前安打
- 初本塁打:2002年9月7日、対阪神タイガース24回戦(阪神甲子園球場) - 2回表に川尻哲郎から
- 初盗塁:2002年9月16日、対読売ジャイアンツ25回戦(東京ドーム) - 4回表に二盗
- フレッシュオールスターゲームMVP:1999年
高校時代の戦績・記録
- 1997年 - 第79回全国高等学校野球選手権大会
- 1998年 - 第80回全国高等学校野球選手権大会
- 高校通算52本塁打
国際大会での成績
- 2002年 - インターコンチネンタル杯日本代表、本塁打王・ベストナイン
関連項目
脚注
- ^ “川越ら7選手が戦力外 オリックス”. NIKKEI NET (日経新聞社). (2009-10-03) 2009-10-03 閲覧。
- ^ 元オリ古木が総合転向、新団体に所属
外部リンク
| 横浜ベイスターズ 1998年ドラフト指名選手 |
|---|
| 1位:古木克明 / 2位:矢野英司 / 3位:金川直樹 / 4位:福本誠 / 5位:金城龍彦 / 6位:小池正晃 |
カテゴリ: 雑多な内容を箇条書きした節のある記事 - 2009年12月 | 日本の野球選手 | 横浜ベイスターズ及びその前身球団の選手 | オリックス・バファローズの選手 | 日本の総合格闘家 | 複数のスポーツで活躍した選手 | 三重県出身の人物 | 1980年生 | 存命人物
