タイガー・ウッズ
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| タイガー・ウッズ Tiger Woods | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 生年月日 | 1975年12月30日(34歳) |
| 出身地 | アメリカ・カリフォルニア州サイプレス |
| 身長 | 185cm |
| 体重 | 84kg |
| 利き手 | 右 |
| プロ転向 | 1996年 |
| 成績 | |
| 優勝回数 | メジャー:14勝 アメリカ男子:71勝 |
| 初優勝 | 1996年ラスベガス招待選手権 |
| 賞金王獲得年 | 1997年・1999年-2002年・ 2005年-2007年 |
| 世界ランク最高位 | 1位 |
| 賞金ランク最高位 | 米国ツアー・1位(8度) |
タイガー・ウッズ(Eldrick Tiger Woods, 1975年12月30日 - )は、アメリカ・カリフォルニア州サイプレス出身のプロゴルファーである。身長185cm、体重84kg。スタンフォード大学中退。
目次 |
人物
元陸軍特殊部隊「グリーン・ベレー」の将校で、スクラッチ・プレーヤー[1]でもあった父親アール・ウッズの手ほどきを受け、生後9か月からゴルフを始めた。
2歳の頃には南カリフォルニアで著名な幼児ゴルファーとなり、4歳になるとSCJGA(南カリフォルニア・ジュニアゴルフ協会)に加盟、すぐに「10歳以下」クラスの9ホールの試合で10歳児を破る。8歳で70台のスコアが出せるようになり、13歳で全国規模のトーナメントに初出場。当時はまだ無名のジョン・デーリーと同組でラウンド、結局1打差で敗れはしたものの、残り4ホール時点では2打リードする実力を持っていた。この間、技術面で4歳の時からゴルフ・インストラクターのルーディ・デュラン(Rudy Duran)の指導を受け、10歳から17歳まではジョン・アンセルモ(John Anselmo)に師事した。
名門スタンフォード大学に進む。アマチュア時代に全米ジュニア・アマチュア選手権、全米アマチュア選手権にそれぞれ前人未踏の3連覇を達成後、1996年8月27日にプロ転向。チャーリー・シフォード[2]やリー・エルダー[3]、テディー・ローズなどに続く黒人ゴルファーとされ、転向後わずか10か月余りでマスターズを含む7大会で優勝、21歳にしてPGAツアーの史上最年少賞金王に輝いた。2000年全米オープンから2001年マスターズまで、メジャー大会4連覇を達成。メジャー競技で優勝した黒人選手はウッズが最初である。
自身では人種的ルーツについてほとんど語らなかった彼だが、プロ転向後契約したナイキ社のCM“Hello World”[4]に出演し、その「この国(アメリカ)には肌の色のため僕がラウンドできないコースがある。プロになった僕に対する“準備”は出来ているかい?」という内容が全米に衝撃を与えた。また、NHK『クローズアップ現代』の単独インタビューにおいては、「あなたは“何”人か」との質問に対し、両親の血筋から白人でもあり、黒人でもあり、アジア人でもあるという意味で“コーカネイジアン”[5]と答え、人種による区分に対しての問題性と否定的見解を示した。 このCMに対して、青木功は 準備は出来ているかいと、ゴルフに人種を絡ませるのは 好ましくはないと苦言を呈した。
初来日は、エキビジションの タイガーウッズインビテーショナル 笑っていいともにも 生出演をした。 大会には著名人 プロゴルファーなどが参加した。 所ジョージからは エアジョーダンをリメイクした ゴルフシューズを ウッズにプレゼントした。
ソニーオープンインハワイで、出場を打診した際に ウッズ側が多額の出場料約100万ドルを要求したため、ソニー側が今後出場してもらわなくても構わないとウッズ側に伝えた。
ただ、日本の試合に出場した際には 優勝賞金とは別に 招待料として 約100万ドルを貰ったと報道された。
現在パターは、スコッティーキャメロンを使用しているが、グリップは アマチュア時代から使用している PING パターグリップ ピストルを使用している。契約上の問題から ロゴをマジックで塗りつぶしてプレーをしている。 ウッズがツアーで使用していたのが、話題になり それが きっかけで PING社から ロゴが黒く塗りつぶされた ブラックアウトが発売された。
その後、アメリカPGAツアー46勝[6]、国際試合で9勝[7]、を上げ、総計55勝を20歳代で記録し、他の世界的活躍をみせるプロゴルファーと比較しても抜きん出た才能を見せた。その存在は、一流スポーツ選手としてゴルフに関心はなくともその名を知らない人はいないと言い切れる水準にあるといえ、2000年には日本の高校3年生用英語教科書に自伝が掲載されるほどの社会的な有名人であることを実証している。
常にトップクラスの飛距離や、高いG.I.R[8]を誇り、無敵とも思える強さは30代を迎えてすぐの不調時でさえ、他の選手に対し精神的な重圧を与え続けるほどの名選手である。トーナメントの最終日に赤系のシャツを着る姿が有名だが、これは赤が彼の「ラッキー・カラー」であるためであり、母親クルティダの勧めで始めた習慣である。
“タイガー”というニックネームは、タイガー・ストライプの迷彩服を好んで着ていたことから「タイガー」の異名を持つ南ベトナム軍の将校で父親の戦友であったグエン・T・フォング大佐(Nguyen T Phong)に由来する。ベトナム戦争でMIA(戦闘中行方不明)となった彼に対する生還の期待と再会の実現という願いを息子の名前に託したい、との想いをアールが込めたという。1996年12月30日の21歳の誕生日を機に改名申請を行い、“タイガー”を正式なミドルネームとした。 2009年11月不倫が発覚し、妻から車で逃げる途中、交通事故を起こして負傷した。以後、無期限のツアー欠場を表明した。
メジャー大会優勝
- マスターズ・トーナメント:4勝(1997年・2001年・2002年・2005年)
- 全米オープン:3勝(2000年・2002年・2008年)
- 全英オープン:3勝(2000年・2005年・2006年)
- 全米プロゴルフ選手権:4勝(1999年・2000年・2006年・2007年)
現時点では通算14勝、単独2位につけている。マスターズ4勝は大会歴代2位タイ。全米プロ4勝は大会歴代3位タイ。2005年の全英オープンにて、すべてのメジャー大会に2勝を挙げる「ダブル・グランドスラム」を達成。これはジャック・ニクラス以来2人目の偉業となり、先人ニクラスの31歳7か月よりも若い「29歳6か月」での達成となった。2008年の全米オープンで、すべてのメジャー大会に3勝を挙げる「トリプル・グランドスラム」を「32歳6ヶ月」で達成。これも先人ニクラスの38歳を大幅に更新した。
略歴
- 1975年 12月30日、アメリカ・カリフォルニア州サイプレスに生まれる。父親アールは米陸軍特殊部隊「グリーン・ベレー」の退役軍人で、母親クンティダーはタイ人である。
- 1991年-1993年 全米ジュニア・アマチュア選手権に3連覇を達成。
- 1994年-1996年 全米アマチュア選手権に3連覇を達成。“タイガーズ・トリプル”と呼ばれる。
- 1994年 スタンフォード大学入学。同大学は彼の入学にあたり学部を新設した。
- 1995年 マスターズ・トーナメント初出場。予選を通過し、第3ラウンドを日本の尾崎将司選手と同組で回る。
- 1996年 大学を2年で中退し、8月27日にプロ転向。10月にいきなり2勝を挙げ、世界ランキング33位に躍進。12月30日、21歳の誕生日に“Eldrick Tiger Woods”に正式に改名する。
- 1997年 4月13日、史上最年少の21歳3ヶ月でマスターズ・トーナメント初優勝。6月に初の世界ランキング1位になる。9月からアサヒ飲料の缶コーヒー「ワンダ」のTVCMに出演し始める。(ワンダCMは2001年まで)
- 1998年 11月に「カシオ・ワールド・オープン」で日本ツアー初出場。15位に終わる。
- 1999年 8月15日、全米プロゴルフ選手権で初優勝。メジャー2冠を獲得する。。
- 2000年 全米オープン、全英オープン、全米プロゴルフ選手権でメジャー大会連続優勝記録会3連覇。これは1953年のベン・ホーガン以来47年ぶりの快挙。PGAツアーで自己最高の年間9勝を記録。第1回「ローレウス・スポーツ賞」の男子最優秀選手賞など、多数のスポーツ賞を受賞する。前年8月末の「NEC招待選手権」から年2月の「AT&Tペブルビーチ・ナショナル・プロアマ選手権」まで、PGAツアー出場大会連続優勝記録6を達成。
- 2001年 4月8日、マスターズ・トーナメントで4年ぶり2度目の優勝。メジャー大会4連覇を達成するが、2年にまたがる記録であるため“タイガー・スラム”と呼ばれた。11月15日-18日に日本の「太平洋クラブ御殿場コース」(静岡県御殿場市)で開催された世界ゴルフ選手権の「EMCワールドカップ」に、デビッド・デュバルとのコンビで出場。(この来日を機会に、ウッズの公式サイトが日本語版で読めるようになった。)
- 2002年 マスターズと全米オープンで優勝。マスターズでの大会連覇は、1989年&1990年の大会を連覇したニック・ファルド以来12年ぶり、大会史上3人目となる。11月に「ダンロップ・フェニックス選手権」で4年ぶり2度目の日本ツアー出場。
- 2003年 世界ゴルフ選手権の「アクセンチュア・マッチプレー選手権」で初優勝。
- 2004年 「アクセンチュア・マッチプレー選手権」2連覇。9月7日、それまで「264週」連続で守った世界ランキング1位の座を41歳のビジェイ・シンに譲る。10月5日にスウェーデン人元モデルのエリン・ノルデグレンと結婚。11月に「ダンロップ・フェニックス選手権」2年ぶり2度目の出場で日本ツアー初優勝。
- 2005年 マスターズで4度目、全英オープンで2度目の優勝。全英オープン優勝により「ダブル・グランドスラム」を達成する。11月の「ダンロップ・フェニックス選手権」で横尾要とのプレーオフ(4ホール)を制して大会2連覇。5月第2週の「バイロン・ネルソン・クラシック」で予選落ちを喫し、連続予選通過の歴代1位記録が「142」で止まる不運もあった。
- 2006年 5月3日、父親アールが前立腺癌のため74歳で死去。6月の全米オープンで予選落ちを喫し、(プロ転向後)1997年のマスターズ以来続けてきたメジャー大会の連続予選通過記録が「37」で止まった。7月23日、全英オープンで2年連続3度目の優勝。全英オープンでの大会連覇は、1982年&1983年の大会を連覇したトム・ワトソン以来23年ぶりとなる。8月6日の「ビュイック・オープン」優勝により、30歳7ヶ月でPGAツアー通算「50勝」を達成。8月20日、全米プロゴルフ選手権で6年ぶり3度目の優勝。メジャー大会12勝目を挙げ、ウォルター・ヘーゲンを抜いて単独2位になった。
- 2007年 アクセンチュア・マッチプレー選手権3回戦でニック・オハーン(オーストラリア)に敗れ、前年の全英オープンからの連勝は7で止まったが、自己の持つPGAツアー出場大会連続優勝記録は更新。6月18日に第1子の長女が誕生。7月、自ら主催者となった公式戦(AT&Tナショナル)を開催する。8月の全米プロゴルフ選手権で2年連続4度目の優勝。この年から始まったフェデックスカッププレーオフ第3戦の「BMW選手権」でツアー60勝目を達成し、フェデックスカップの初代王者になる。
- 2008年 アクセンチュア・マッチプレー選手権で4年ぶり3度目の優勝。マスターズ2位の直後、2007年の全英オープン前から痛めていた左膝の手術を行う。復帰戦となった全米オープンでロッコ・ミーディエートとの死闘(72ホール+18ホールのプレーオフ+1ホールのサドンデス=計91ホール)を制し、32歳6ヶ月で「トリプル・グランドスラム」を達成。これでPGAツアー優勝回数も「65勝」になり、ベン・ホーガンを抜いて単独3位になる。その後左膝の再手術に踏み切り、残りの試合をすべて欠場することになった。
- 2009年 2月8日に第2子の長男が誕生。アクセンチュア・マッチプレー選手権で8か月ぶりにツアー復帰し、3月末の「アーノルド・パーマー招待選手権」で優勝。7月の全英オープンで予選落ちし、彼にとっては2006年全米オープン以来3年ぶり、プロ生活5度目の予選落ちとなったが、その2週間後のビュイック・オープン、3週間後のWGCブリヂストンインビテーショナルで連続優勝を飾りPGAツアー通算「70」勝を達成。その翌週の全米プロゴルフ選手権では2位に終わり5年振りのメジャー無冠となるとともに、過去のメジャーで3日目の時点で首位に立っていた場合の勝率は100%だったが、初めて勝利を逃す結果になった。
不倫スキャンダル
2009年11月27日午前2時ごろ、自動車事故を起こし負傷、自身が主催する大会への出場が取り止めとなった[9]。事故自体は不注意運転として164ドルの反則切符を切ったのみで終結したが、夫人が説明した「夫を助けるためにゴルフクラブで窓を叩き割った」との事故の経緯に不自然な点があったためさまざまな憶測が飛び交い、複数の女性との愛人疑惑が報道される事態となり、自身のホームページで家族への謝罪声明を掲載するまでに至った[10]。この一連の騒動が原因で無期限の休止を宣言、アクセンチュアやP&G、AT&Tをはじめとする多くのスポンサー契約も解消となった。
2010年2月19日には、フロリダ州TPCソーグラスのクラブハウスで取材陣をシャットアウトした上で謝罪会見が行われ、 複数の女性との不倫を認めたことや性依存症と診断されセラピーを受けている事などを告白している[11][12]。
スポンサー企業
不倫騒動で、タイガー・ウッズの主要スポンサー企業の株主価値が最大120億ドル(約2.3%)損なわれた可能性があるとの調査結果が発表された[13]。
現スポンサー
- AT&T - 契約解除
- P&G(ジレット) - 契約解除
- タグ・ホイヤー - 広告自粛
- ナイキ - 広告自粛
- EA Sports
- エレクトロニック・アーツ
- ペプシコ(ゲータレード)- ゲータレード社は契約解除
- ゴルフ・ダイジェスト
- ネット・ジェッツ
- アッパー・デック
- PGAツアー
- TLCレーザー・アイ・センター
- タトウィール(The Tiger Woods Dubai)
- アクセンチュア - 2009年12月13日に契約を完全解除発表
関連項目
- ゴルフ
- グランドスラム (ゴルフ)
- 加賀崎航太-リトルタイガーと呼ばれている小学生
- バイセクシュアル
著書・関連文献
- 『私のゴルフ論』 原題:“How I Play Golf”(2001年テレビ朝日/上巻:ISBN 4-88131-252-9、下巻:ISBN 4-88131-253-7) 初めての自著で、レッスン中心の内容。
- 『タイガー』 ジョン・ストリージ著(1997年) 原題:“TIGER- A Biography of Tiger Woods” 21歳でマスターズ最年少優勝者になるまでをまとめた、若き日のウッズがわかる一冊。日本語訳の存在は不明。
- 『タイガー・ウッズ父子のゴルフ&教育革命』 原題:“TRAINING A TIGER” アール・ウッズ著 大前研一監訳 (1997年6月小学館/ ISBN 4-09-356081-1)
脚註
外部リンク
| 男子ゴルフメジャー大会優勝記録 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 順位 | 優勝回数 | 選手名 | マスターズ | 全米オープン | 全英オープン | 全米プロゴルフ |
| 1位 | 18勝 | 6 | 4 | 3 | 5 | |
| 2位 | 14勝 | * | 4 | 3 | 3 | 4 |
| 3位 | 11勝 | # -- | 2 | 4 | 5 | |
| 4位 | 9勝 | 2 | 4 | 1 | 2 | |
| タイ | 9勝 | 3 | 1 | 3 | 2 | |
| 6位 | 8勝 | * | 2 | 1 | 5 | 0 |
| 7位 | 7勝 | # -- | 1 | 6 | # -- | |
| タイ | 7勝 | # -- | 4 | 3 | # -- | |
| タイ | 7勝 | 1 | 2 | 1 | 3 | |
| タイ | 7勝 | 3 | 0 | 1 | 3 | |
| タイ | 7勝 | 4 | 1 | 2 | 0 | |
| * は現役選手 | # -- は現行制度前(大会が存在しない) | |||||
| 生涯グランドスラム達成者 |
|---|
| 1930 ボビー・ジョーンズ | 1935 ジーン・サラゼン | 1953 ベン・ホーガン | 1966 ジャック・ニクラス | 1968 ゲーリー・プレーヤー | 1971 ジャック・ニクラス(2) | 1978 ジャック・ニクラス(3) | 2000 タイガー・ウッズ | 2005 タイガー・ウッズ(2) | 2008 タイガー・ウッズ(3) |
| 括弧内の数字はダブル・トリプルグランドスラム |
| 男子ゴルフ世界ゴルフランキング1位(1986年以後) |
|---|
| イアン・ウーズナム | タイガー・ウッズ | アーニー・エルス | フレッド・カプルス | ビジェイ・シン | デビッド・デュバル | グレグ・ノーマン | セベ・バレステロス | ニック・ファルド | ニック・プライス | ベルンハルト・ランガー | トム・レーマン |
| アメリカ男子ゴルフ歴代賞金王 | |
|---|---|
| 1930年代 | 34 ポール・ラニアン | 35 ジョニー・レボルタ | 36 ホートン・スミス | 37 ハリー・クーパー | 38 サム・スニード | 39 ヘンリー・ピカード |
| 1940年代 | 40 ベン・ホーガン | 41 ベン・ホーガン | 42 ベン・ホーガン | 43 残存記録なし | 44 バイロン・ネルソン | 45 バイロン・ネルソン | 46 ベン・ホーガン | 47 ジミー・デマレット | 48 ベン・ホーガン | 49 サム・スニード |
| 1950年代 | 50 サム・スニード | 51 ロイド・マングラム | 52 ジュリアス・ボロス | 53 ルー・ウォーシャム | 54 ボブ・トスキー | 55 ジュリアス・ボロス | 56 テッド・クロール | 57 ディック・メイヤー | 58 アーノルド・パーマー | 59 アート・ウォール・ジュニア |
| 1960年代 | 60 アーノルド・パーマー | 61 ゲーリー・プレーヤー | 62 アーノルド・パーマー | 63 アーノルド・パーマー | 64 ジャック・ニクラス | 65 ジャック・ニクラス | 66 ビリー・キャスパー | 67 ジャック・ニクラス | 68 ビリー・キャスパー | 69 フランク・ベアード |
| 1970年代 | 70 リー・トレビノ | 71 ジャック・ニクラス | 72 ジャック・ニクラス | 73 ジャック・ニクラス | 74 ジョニー・ミラー | 75 ジャック・ニクラス | 76 ジャック・ニクラス | 77 トム・ワトソン | 78 トム・ワトソン | 79 トム・ワトソン |
| 1980年代 | 80 トム・ワトソン | 81 トム・カイト | 82 クレイグ・スタドラー | 83 ハル・サットン | 84 トム・ワトソン | 85 カーチス・ストレンジ | 86 グレグ・ノーマン | 87 カーチス・ストレンジ | 88 カーチス・ストレンジ | 89 トム・カイト |
| 1990年代 | 90 グレグ・ノーマン | 91 コリー・ペイビン | 92 フレッド・カプルス | 93 ニック・プライス | 94 ニック・プライス | 95 グレグ・ノーマン | 96 トム・レーマン | 97 タイガー・ウッズ | 98 デビッド・デュバル | 99 タイガー・ウッズ |
| 2000年代 | 00 タイガー・ウッズ | 01 タイガー・ウッズ | 02 タイガー・ウッズ | 03 ビジェイ・シン | 04 ビジェイ・シン | 05 タイガー・ウッズ | 06 タイガー・ウッズ | 07 タイガー・ウッズ | 08 ビジェイ・シン | 09 タイガー・ウッズ |
| プレジデンツカップ米国選抜 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
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