辛子明太子
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辛子明太子(からしめんたいこ)とはスケトウダラの卵巣を唐辛子等を使った調味液で味付けしたもので、食材および食品の一種である。明太子とはそもそも同じくスケトウダラの卵巣を材料とする食品たらこの別称であるが、近年では辛子明太子の略称として「明太子」と表記される事が多い。
博多(福岡県福岡市)の名産品で、広く九州・山口地方の土産物としても知られる。しかし近年では一般化し、全国の食料品店でも容易に入手が可能である。
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名称
語源は中国語にまでさかのぼることが可能であるが、直接には朝鮮語でスケトウダラのことを「ミョンテ」(明太)と言ったのが始まりである。17世紀の朝鮮時代、明川地方で太という漁師が漁獲したことから明太と名づけられた旨の文献が残っている(松南雑識巻十四魚鳥篇より)。
朝鮮半島で作られたスケトウダラの塩漬けは、17世紀に北部九州・山口地方へ伝わった。このためこの地方では江戸時代から、スケトウダラを「めんたい」と呼んだ。漢字表記「明太」は朝鮮半島でミョンテを「明太魚」、「明太」と書いたことからきている。つまり「明太」とは「タラ」のことであり、「明太子」とは「タラコ」という意味になる。朝鮮半島では辛子明太という食べ物があるが、これは唐辛子で味付けした「タラ」である。
なお、日本では「鱈」の字が文書に現れるのは寛永10年(1670年)であり、そもそもはスケトという呼び名であった。
歴史
2009年現在、明太子(辛子明太子とたらこ)の歴史は明太子業者や関係者に伝わる諸説が存在する。しかし2008年8月、今西一・中谷三男共著により「明太子開発史」が出版され、歴史的資料に基づいた明太子の歴史が明らかになったものである。
たらこ
そもそも明太子の最古の資料として「世界実録」に「1424年、韓国の監司がタラの卵の塩辛を献上した」との記述が残っている。その後スケトウダラを加工して食べる食文化は、朝鮮半島で広まっていき、日本に伝わったのは江戸時代である。
国内においても古くからスケトウダラは漁獲されており、1903年頃から北海道においてスケトウダラ漁が本格化して、スケソウダラの卵の塩漬け(たらこ)が盛んに食べられるようになった。そして1910年から1921年にかけてスケトウダラの卵巣に食塩と食紅を添加した「紅葉子」が開発され、樽詰めにして北海道各地、山形、新潟、東京、名古屋、大阪、下関等に出荷された。
朝鮮半島での辛子明太子
朝鮮半島では上述のように、古くからスケトウダラの卵が塩漬けにされ食されていた。1800年代には誰が考案したということもなく、韓国の明太子は刻んだ唐辛子とともに塩漬けする方法が定着していた。
1900年頃、その歴史的背景から韓国には多数の日本人が居住していた。1907年、日本人の樋口伊都羽が漁民の自家消費となっていた明太子(辛子明太子)を商品化し、大々的に販売した。翌年、樋口は店舗を釜山に移動し明太子の製造元祖の商標で販売した(ただし1907年当時の有力な歴史資料はその多くが樋口伊都羽及びその関係者による資料である)。
この時の明太子は後述の唐辛子をまぶしたものでも、調味液に漬け込んだものでもなく、唐辛子入りの塩漬けである。
その後樋口商店は数々の重鎮・名将の支援をうけ隆盛を極めるが、終戦後、その財産の一切を失い引揚船で帰港。以後、樋口は農業に従事し、戦後の明太子の中心は下関に移っていった。
まぶし型辛子明太子
日露戦争直後から太平洋戦争中にかけて、鉄道省(後の日本国有鉄道→現・JRグループ)は下関と当時日本領であった朝鮮(現・大韓民国)の釜山との間に関釜連絡船を運航していた。この連絡船を経由して、明太の卵巣の辛子漬け(「明卵漬(ミョンナッジョ)」)が下関へ輸入された。この当時は唐辛子やニンニクで漬け込んだ「キムチ」に近いものであった。
戦前において下関は朝鮮に近かったせいか、北海道産の紅葉子が大量に集まっていた。そして鉄道の整備とともにその取扱い量も増えていったが、戦争の影響で全国の紅葉子の取扱いがとまった。
1947年、終戦後下関の油政商店の山根孝三がいち早く紅葉子の仕入れを行った。さらに1947年から1949年の間、妻の実家である北海道から紅葉子を仕入れ唐辛子等を散布した明太子を研究して少量ながら独自に販売していた高井英一郎が、山根の支援をうけて海産物販売の傍ら、宮本商店の前田一男とともに辛子明太子を販売した。その結果、1954年高井が前田を取締役に迎え、登記簿に残る限り日本最初の辛子明太子専門店を下関に立ち上げた。
その頃の辛子明太子は通称散布型・まぶし型明太子と呼ばれている。従来の紅葉子に唐辛子や酒粕を散布したものである。
また当時は原料を貨物列車により運搬しており、まぶし型の明太子が唐辛子や酒粕などをまぶすのには日数経過による品質劣化を改善する側面もあった。当時を知る者はこの明太子を「改造明太子と呼んでいた」と説明する。また油政商店ではこれらの明太子をどんぶりにいれ、酒を注ぎ、2-3日寝かせるとさらにおいしくなるという実験も行っていたという。
なお高井商店は1960年に倒産し、1961年同社に勤務していた前田一男が前田海産を設立する。さらに1980年高井商店に勤務していた山本剛がはねうお食品を設立、同年高井英一郎の次男高井秀樹がイリイチ食品を設立などして今日に至る。
漬け込み型辛子明太子
現在では明太子といえば博多のイメージがあるが、戦前の明太子取扱量は下関のほうが圧倒的に多かった(例.1923年の朝鮮半島からの明太子輸出量:84%が下関、0.1%が博多)。
そして戦後の1948年10月、朝鮮半島で海産物店の次男として生まれ、明太子についてもなじみが深かった川原俊夫が、博多中洲市場に入居して食料品店ふくやを設立、翌1949年1月10日から、「たらこ」を発売した(これにちなみ毎年1月10日が「明太子の日」とされている)。当時、店頭に並んだのは唐辛子を含まないたらこであり、北海道や下関等(諸説がある)で製造されたものであった。しかし、このたらこの商品名は釜山のものにのっとり「メンタイ」であった。サンマ一尾が10円であった時代にひと腹120円もしたという。この時を起点とし、ふくやの川原俊夫が現在の調味料に漬け込む辛子明太子のスタイルを研究していった。
実に10年の熟慮の結果、1960年に改良された辛子明太子が「味の明太子」の名前で発売され、レシピの無料配布等で博多中に広まった(福岡では1949年以前にまぶし型の明太子業者があったといわれるが、2008年現在文献も複数の証言者も見当たらないといわれている)。
このふくやの辛子明太子が辛子明太子業者急増のきっかけとなり、1960年代に多くの辛子明太子業者が設立された。その後も1966年に鳴海屋、1974年に山本物産(のちのやまや)、1977年にかねふくが創業と次々に辛子明太子業者が創業していき、1980年頃大手業者によってパック品が製造され全国的に広められていった。また近年では料亭や老舗醤油メーカーなども明太子を扱うようになり、良質の原材料を贅沢に使用した高級品の研究も進んでいる。
こういった背景から、今日全国の辛子明太子業者の70~80%が福岡市に集中している。
明太子の普及
1975年に山陽新幹線が博多駅まで開業した際、博多名産・辛子明太子のほうが広く世間に広まった影響から急速に全国へ波及した。このために下関のまぶし製法よりも博多で盛んであった漬け込み製法が主流となり、現在でも量販向けで広く流通している。また、まぶし製法も少数ながら生産されており市場向けの高級品として流通し、棲み分けがなされている。
1980年代には土産物の販売ルート以外にも、百貨店・量販店で広く販売されるようになり、全国でおにぎり・パスタの具として広く利用・販売されている。2007年には、おにぎりなどの加工用辛子明太子の出荷量が、ついに土産用の辛子明太子の出荷量を逆転した。
今日明太子は全国に知れ渡り、その普及の裏で誰が明太子の元祖か、つまり辛子明太子の元祖は誰かと言われている。
これはかつて各業者がそれぞれ自分だと名乗っていたから混乱が起きたのであり、日本統治時代の朝鮮で現地の辛子漬け明太子を初めて販売した樋口伊都羽、戦後のパイオニアを育てた山根考三、まぶし型の始祖高井英一郎、現在の辛子明太子の直系を造った川原俊夫の労があって今日に至っている。またもともと明太子は日韓の地元漁師が食べていたものであり、突発的に生まれたものでもなく、多くの支援と努力により進化したものである。
販売形態と産地
卵巣の形を保ったままの高価なものは贈答や接待に用いられ比較的安価な形の崩れたものは家庭用として好まれるが、品質には特に違いはない。皮が切れたものを「きれこ」と称し、安く販売している。さらにまったく形がなく粒のみのものを「ばらこ」という。ばらこは業務用に使用されたりチューブにいれたりして販売されている。きれこには少し切れただけのものから、ほとんどばらこに近いようなものまで多種が存在する。
また、安価な商品の中には「未熟子」を使用したものがある。未熟子は原料卵が完全に成熟する前のものであり、粒だちが弱く生食するとやや苦味を伴う。ただし未熟子は火を通すと苦味が和らぎ、成熟卵よりもむしろ風味が際立つものが多い。なお未熟子の選別には厳密な規定がないため、市場で表記されることはない。よって苦味のあるものを購入した場合、焼いて食べると意外な味を楽しめることがある。
最近は見た目に美しい見栄えのする「着色タイプ」と健康志向に対応した「無着色タイプ」が選べる店が多くなっている。さらにスケトウダラの卵にシシャモの卵等をまぜた商品も存在するが、これは商品名に「明太子」と表記することができず「明太子風」とされている。
さらに、明太子の原料は戦前の頃に比べはるかに細く痩せてしまったといわれるが、細い明太子に別のばらこを注入する技法も生み出された。中には安価なマダラの卵を注入し、それを明太子とうたって問題となった例もある。
明太子の産地について、原料となるスケトウダラの卵は日本近海、アメリカアラスカ、ロシアなどで獲れたものが中心であり、スーパーで見かけるものの多くがアメリカ産・ロシア産となっている。近年比較的安価で売り出されている「原産地 中国」と表記されたものを見かけるが、これは上述の卵を中国で加工した中国加工製品であり、中国産の原料卵を日本で加工しているわけではない。
なお2009年現在、不況や中国をめぐる食品問題のあおりを受け、中国に工場を構え加工を行っている業者の多くが撤退を開始ししているのが現状である。
明太子製造と添加物
今日の明太子は日本近海、アメリカ、ロシアなどで獲れた原料卵を加工して製造するが、明太子はその過程において多くの食品添加物を使用する。着色料、発色剤、グルタミン酸ソーダ(いわゆる味の素)などがその代表的なものである。
なかでも発色剤として広く使用される亜硝酸ナトリウムは発癌性物質としての疑いが強く、使用量も法律で規制されている。ただし亜硝酸ナトリウムは「身体に悪そう」という側面だけでなく、その殺菌効果からアメリカ等では保存料として一般的に使用されている面も留意すべきである。
現在辛子明太子は着色料を使用しない「無着色タイプ」をよく目にするが、これらの多くには発色剤やグルタミン酸ソーダ等が添加されている。そこで亜硝酸ナトリウム等を使用しない、さらに健康志向の「無添加タイプ」も作られている。
無添加商品は発色剤を使用しないため色合いが悪く、また製造が難しいことから、一般市場で見かけることは少ない。また無添加商品に明確な基準はなく、発色剤のみ不使用のものから合成添加物一切不使用のものまである。現時点では商品の品質表示を確認するしか見分けることはできない。
食べ方
副菜としてそのまま、もしくは好みにより軽く焼いて食卓に供する。また酒肴やおにぎり、お茶漬けの具材としても好まれる。
マヨネーズと和えて「めんたいマヨネーズ」としたり生クリームやチーズ、マヨネーズを加えたソースをパスタの上にかけて「たらこスパゲティ」(明太スパゲティとも)とすることもある。単純にほぐした明太子とバターをゆでたパスタとあえ、もみ海苔を降りかけたものも同名で呼ばれることがある。
マーガリンと合わせペースト状にしフランスパンなどに塗った「明太子フランス」が、パン屋でよく販売されている。
なお、お茶漬けの具材としては奈良漬と合わせ、一部のお茶漬け愛好家達の間で「緑茶漬けに合うゴールデンコンビ」とされている[要出典]。
辛子明太子と明太子
「明太子」という言葉は全国的に見れば辛子明太子のことを指す言葉として使われる場合が多いが博多をはじめとした西日本の一部地域では唐辛子を使わない、いわゆる「たらこ」を示す言葉として辛子明太子とは明確に使い分けられるため注意が必要である。
前述の通り明太子とは「スケトウダラの子」という意味であり「たらこ」を示す言葉として使う方が本来正しいのだが、元々たらこを示す言葉としての「明太子」が使われない地域にお土産としてメジャーになった「辛子明太子」がもたらされるうちにその「辛子明太子」の略称としての「明太子」が全国的に広がっていった物と考えられる。
料理名等に使われる時には上記の「明太スパゲティー」の様に、さらに略した「明太」(めんたい)が「辛子明太子」を示す言葉として使われることもしばしば見受けられる。
関連項目
参考文献
- 平井明夫著・社団法人日本水産学会監修 『魚の卵のはなし』 成山堂書店、ISBN 978-4425851614 2003年。
- 今西一・中谷 三男著 『明太子開発史 - そのルーツを探る』 成山堂書店、ISBN 978-4425883714 2008年。
外部リンク
- 辛子明太子の話(全国辛子めんたいこ食品公正取引協議会)
カテゴリ: 出典を必要とする記事/2009年3月 | 食文化関連のスタブ項目 | 水産物 | 水産加工品 | 日本の食文化 | 辛子明太子
