大山のぶ代

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おおやま のぶよ
大山 のぶ代
プロフィール
本名山下 羨代
やました のぶよ
配偶者砂川啓介
出生地 日本東京府東京市渋谷区
(現:東京都渋谷区)
血液型O型
生年月日1936年10月16日
現年齢73歳
所属アクターズ・セブン
活動
活動時期1956年 -
声優テンプレート|カテゴリ

大山 のぶ代(おおやま のぶよ、1936年10月16日 - )は、日本の女優声優。アクターズ・セブン所属。東京府東京市渋谷区(現在の東京都渋谷区)出身。本名は山下 羨代(やました のぶよ)。東京都立三田高等学校卒業。

テレビ朝日版『ドラえもん』において、ドラえもん役を長年担当していた。その他代表作は『無敵超人ザンボット3』(神勝平役)、『ハリスの旋風/国松さまのお通りだい』(石田国松役)、人形劇『ブーフーウー』(ブー役)など。

血液型はO型。夫はタレントで『おかあさんといっしょ』初代体操のお兄さんでもある砂川啓介

目次

来歴

戦時中は母方の実家がある宮城県古川市(現大崎市)で過ごしていた。

1956年NHKドラマ『この鐘』でデビュー。冨士眞奈美も大山と俳優座養成所の同期で同ドラマでデビューしている。富士とはとても仲が良かったそうで、富士が大山のアパートに転がり込んで4年半ほど一緒に同居していたそう。声優としての印象が強いが、本業は女優である。主として『ドラえもん』における声優業および、そのネームバリューを生かしたタレント・ゲストコメンテーターの印象が強いが、いわゆる俳優業から声優業への転向組ではなく、声優業と並行してドラマなどのテレビ番組に多数出演している。

声優業では、かつては『ハリスの旋風』の石田国松のように、男の子のようなガラガラ声でやんちゃな喋り方をする演技が特徴だった。しかし、『ドラえもん』の放送開始後、キャラクターの作画デザインが変わるに連れ、1986年後半ごろから、演技も徐々に低音でゆったりと喋る演技に変化。最終的にはこちらの演技が世間に定着し、ものまねでドラえもんの声が真似されるときも、後者の演技である。

『ドラえもん』のドラえもん役は1979年4月から2004年一杯まで26年間演じた。番組リニューアルにより、2005年3月18日放送分の『ドラえもん!オールキャラクター夢の大集合スペシャル!!』をもって降板となった。

その後、2006年11月、第11回アニメーション神戸では、その功績が称えられ、小原乃梨子ほかオリジナルレギュラー陣(テレビ朝日版)4人と共に特別賞を受賞。そして翌2007年3月にも、東京国際アニメフェア2007より、第3回功労賞を(4人と共に)受賞した。同年4月からは東京都港区西新橋(御成門)にある音響芸術専門学校の校長として勤務を始めた。現在、同校において昼間部・夜間部の両方で毎週授業を担当し、直接学生の指導に当たっている。

アニメ歌手としても活躍。1980年には、EP『ドラえもん音頭』等大山が歌ったドラえもん関連のレコード売り上げが100万枚を突破し、日本コロムビアのゴールドディスクを受賞した[1]

料理研究家としても活動し、著書に『大山のぶ代のおもしろ酒肴』(主婦の友社1981年)、『おかずのアイディア180』(小学館1995年)、『大山のぶ代の毎日のおかず』(グラフ社、2000年)などがある。中でも『大山のぶ代のおもしろ酒肴』は136万部のミリオンセラーを記録した[1]

現在は講演やタレントとしてのテレビ・ラジオ出演を中心に活動している。『元祖!でぶや』などのナレーション活動にて、声優としての活動も続けている。

2008年4月24日に、心筋梗塞脳梗塞を併発して緊急入院したが、投薬治療を行い、同年8月17日に退院。自宅療養とリハビリにより、日常生活の不安はないまでに回復し、活動を再開している[2]

人物像

  • 太陽にほえろ!』の脚本を担当したこともある。主婦の立場で書いた脚本は評判であったといい、5本(共同作品)書いている。
  • 声優界の中で著書がずば抜けて多く、自伝『ぼく、ドラえもんでした』(小学館)以外は、ほぼ全てが料理・栄養といった食関連の本で、夫らとの共著も入れると20数冊ある。かつては主婦向けのテレビ番組で、料理コーナーを持っていた。
  • 夫の砂川啓介とは1963年(昭和38年)8月に舞台『孫悟空』での共演で知り合い、翌64年(昭和39年)に結婚した。NHKの『おかあさんといっしょ』でも共演していたが、お互いに面識はなく会うことはなかったため、楽屋に挨拶に来た砂川を出前のそば屋だと勘違いしたという。その後一緒にドライブに行った際、不良に絡まれている中学生を見つけ、お互い相談もしていないにもかかわらずとっさに田舎から出てきた夫婦を演じ、その不良に道を尋ねるふりをして、その隙に中学生を逃がしてあげたといい、それをきっかけに結婚を考えるようになったという。また、その際とても丁寧に道を教えてくれたといい「不良とはいえみんな優しい心を持っているんだと思った」と語っている。夫の回想記『カミさんはドラえもん』(双葉社、2001年)に詳しい。
  • 第1子の早産、第2子の先天性心臓疾患による生後3か月での早世を経験し、それ以降は子を設けなかった。近年の自伝などでは「子供に自分のガラガラ声が遺伝していじめられたらかわいそうだ」という葛藤があったことも明かしている。
  • 無類の麻雀好きとしても知られ、美空ひばりとも麻雀友達だったという。きっかけは、子を失って苦しんでいるのを気遣った仲間たちが毎日執拗に麻雀に誘っていた事である。親交が深く、自分の弟のように可愛がっていた水谷豊おりも政夫とは毎日の様に麻雀をしていたと大山本人がTV番組で語っていた。
  • 優れた味覚・嗅覚を持っており、水を一口飲めばそれがどこの水かを言い当てることが出来るという。そのため、水の研究家としても名の通った存在であり、旧厚生省「おいしい水研究会」、旧国土庁「水を語る女性の会」の委員も務めている。健康・カルチャー番組にもよく出演している。特に『ためしてガッテン』での出演頻度は高く、1クールに1度は必ず出演している。
  • 食べ物や健康には人一倍気を使っていて、大病を患ったが元々ヘビースモーカーでたばこだけはどうしても止められないとのこと。
  • サザエさん』の初代磯野カツオ役は番組開始後3ヶ月ほどで降板しており、公式には体調不良を理由にしている。しかし、後にラジオ番組TOKYO FM恵俊彰のディア・フレンズ』に出演した際、「あれだけは自分で降りた」と吐露している。そのため大山がカツオ役だった事はほとんど知られておらず、むしろ2代目である高橋和枝が初代だったと思っているものが多い。
  • ワイドショーや料理番組では物腰のやわらかい喋りだが、フジテレビで放映された『快進撃TVうたえモン』で、声優オーデションのゲスト審査員として神谷明野沢雅子らと参加した際は、辛辣なコメントを連発。辛口なコメントの数々に驚いた今田耕司から「ブラック・ドラえもん」と呼ばれる一幕もあった。
  • 演技に対する姿勢は非常に厳しく、大山のダメ出しの罵倒を食らい泣かされた新人声優、さらには料理番組における大平雅美等数多いという。
  • 黒柳徹子とはNHKブーフーウーなどで共演して50年来の大親友で、「徹子の部屋」にも定期的に出演している。大病を患った時も、黒柳などの親友や友人が見舞いに訪れようとしたが、大山の体が思うように動かなかったのと、迷惑をかけたくなかったとの理由で敢えて面会等は拒否した(のちに「徹子の部屋」で大山が語った)。

大山とドラえもん

ドラえもんの特徴的な声はほぼ地声だが、若い頃は自分の声に対しかなり思い悩んでいたという。結果的にはその声がドラえもん役に繋がることになり、またテレビ朝日版『ドラえもん』のパイロット版「勉強べやのつりぼり」アフレコ時には、原作者の藤子・F・不二雄が「ドラえもんはこういう声をしてたんですね」と励ましもこめて絶賛したというエピソードもある。この声のコンプレックスを克服したエピソードは公立小学校の道徳の教科書にも取り上げられた。

『ハリスの旋風』などの演出者から、ドラえもんの声をやらないかと誘われ、当時8巻まで出ていた単行本を買って、一晩で読んだという。「ぼくドラえもんです」のセリフや独特の「フフフフ」、「シシシシシシシ」などの笑い声は、ドラえもんの物真似ではほぼ必ず使われる浸透ぶりだが、これらは実は原作では存在せず大山がアドリブで演じたものである。特に初期の原作のドラえもんはかなりガサツでぶっきらぼうな口調なことが多いが、「子供が見るものだから」という大山の配慮で、一人称を「ぼく」にするなど丁寧で温かみのある口調でドラえもんを演じた。

大長編第2作「ドラえもん のび太の宇宙開拓史」を映画発表する前後から、他の声優の仕事で「ドラえもんらしい声」というオファーを受けていたが全て断り、いつの間にか声だけでドラえもん以外の役で出演することはなくなった(別に専属契約を結んでいたわけではない)。2005年に『スーパーロボット大戦シリーズ』のオファーが来た際には、1977年当時に声優出演していたアニメ『無敵超人ザンボット3』の主人公の声優のオファーを断っている。但し、ドラえもんを現役でやっていた頃、ラジオドラマ封神演義』で白鶴童子の役を演じていたこともある。

自宅には家中にドラえもんグッズがそろっており(「ドラえもんボックス」という箱に入れている)、1999年に『徹子の部屋』に出演した際は、毎朝自分の声のドラえもん目覚まし時計で起床していると語っていた。ドラえもんの金のブローチ(腹の部分には時計つき)をつけていたこともある。ただし目覚まし時計は、勇退後に「ドラえもんの卒業」を理由にオークションに出していた。『大山のぶ代の毎日のおかず』では、表紙に大山がドラえもんのエプロンを着ている写真が載っている。

また諸事情により企画が通らなかったが、実写版『ドラえもん』でも役に選ばれていた。

また同年6月の『徹子の部屋』出演時にも、打ち明け話と共に黒柳徹子の前でドラえもんの声を披露している。その他、2007年2月15日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』内の「ムダ・ベストテン」のコーナーでは久々にゴールデンタイムでドラえもんの声を披露している。この他、『大沢悠里のゆうゆうワイド』には、ドラえもん声でのサウンドステッカーが存在する。

T・K・Oパラシュート部隊林家たい平石塚英彦など、大山のドラえもんの物真似にしていた芸人も多い。勇退後はその頻度が下がっているが、現在でも物真似をしている人物もいる。

2006年5月に、26年間のドラえもん声優時代を見つめ直した自伝エッセイ『ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話』(小学館)を上梓した。

『ドラえもん』卒業の際のインタビューに対して、「ドラえもんはいつも私の中にいます。もちろん、新しいドラえもんも見ますよ」と笑顔で語っていた。

アルカノイド

ブロックくずしゲームの『アルカノイド』(タイトー)が大のお気に入りで、自身の別荘にアルカノイドの筐体を置いているほどである。自己記録の「およそ120万点」は、公式2位の記録に匹敵する。空港の待ち時間等で暇つぶしとして始めたのがきっかけで、それ以降ゲームセンター等を巡り回ったという。

その腕前は『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)のコーナー「ムダベストテン」や『トリビアの泉』(フジテレビ系)などのバラエティー番組でも紹介し披露された。『中井正広のブラックバラエティ』(日本テレビ系)では助っ人として400インチの巨大画面でブロック崩し(アルカノイドではなく、任天堂1979年に発売した家庭用「ブロック崩し」)をプレイした。

2006年に新宿にあるセガのアミューズメント施設で一日店長を務めた際には、イベントとして多くの来客の前でアルカノイドの実力を披露し[3]、2007年には『アルカノイドDS』発売記念イベントに招かれ、マスコミやゲーマー達を前にその腕前を披露した。

しかし、本人によると実はアルカノイド以外のゲームは一切苦手で、機械オンチである。

主な出演作品

太字名は主役、メインキャラクター

テレビアニメ

劇場版アニメ

ゲーム

  • 『エコーナイト2』(ロッカーの中に隠れて眠っている少年の亡霊)
  • 『ドラえもん』シリーズ(ドラえもん)

すべてドラえもんの声で出演している(ただし前述で表記されているとおり例外もある)。

吹き替え

ラジオ

CD

  • 以下、ドラえもんの声で担当
    • ドラえもんのうた - 作詞・楠部工、補作詞・はばすすむ、作曲編曲・菊池俊輔、うた・大杉久美子、セリフ・大山のぶ代
    • ドラえもん・えかきうた - 作詞・楠部工、作曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代
    • ドラえもん音頭 - 作詞・藤子不二雄、作曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代 こおろぎ'73
    • ぼくドラえもん - 作詞・藤子・F・不二雄、作曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代 こおろぎ'73
    • ドラえもん数えうた - 作詞・はばすすむ、作曲編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代 こおろぎ'73
    • ドラえもんじゃあニィ - 作詞・喜多條忠、作曲編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代
    • ドラえもんにゅうイヤー - 作詞・喜多條忠、作曲編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代
    • まる顔のうた - 作詞・高田ひろお、作曲編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代
    • サンタクロースはどこのひと - 作詞・高田ひろお、作曲・菊池俊輔、編曲・青木望、うた・大山のぶ代
    • ドラえもんのクリスマス - 作詞・はばすすむ、作曲・菊池俊輔、編曲・青木望、うた・大山のぶ代
    • 浪曲ドラえもん - 作詞・小谷夏、作曲編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代
    • ドラえもんのうた - 作詞・楠部工、補作詞・はばすすむ、作曲編曲・菊池俊輔、うた・山野さと子、セリフ・大山のぶ代
    • ぼくドラえもん2112 - 作詞・藤子・F・不二雄、作曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代 こおろぎ'73
    • ドラえもんのうた - 作詞・楠部工、補作詞・はばすすむ、作曲・菊池俊輔、編曲・岩戸崇、うた・東京プリン、セリフ・大山のぶ代
    • ポケットの中に - 作詞・武田鉄矢、作曲編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代 ヤング・フレッシュ
    • 友達だから - 作詞・武田鉄矢、作曲・山木康世、編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代 森の木児童合唱団
    • ドラえもん・九九のうた

テレビドラマ

第6部(1975年)第15話「丁半花むしろ・倉敷」お静役
第7部(1976年)第24話「仇討ち角兵衛獅子・長岡」お亀役
第129話「今日も街に陽が昇る」(1975年、小川英田波靖男との共作)
第154話「自首」(1975年、小川英との共作)
第189話「人形の部屋」(1976年、小川英・四十物光男との共作)
第289話「殿下と少年」(1978年、小川英との共作)
第319話「年上の女」(1978年、小川英との共作)

人形劇

CM

ドラえもんの声で出演、※は2005年4月を以って水田わさびに交代。

など

ドラえもんの以外

  • デサント(スリープウェア)(終了)
  • 白鶴(サケパック)(終了)
  • なとり(みがきにしん)(終了)

その他

ドラえもんの声で出演

ドラえもんの声以外

マスクプレイ人形劇

ラジオドラマ

その他

  • 学研の「学習ずかん百科」15巻「たのしいレコード」のラジオ形式ドラマ「三匹の子ぶた

脚注

  1. ^ a b 『ぼく、ドラえもんでした。』
  2. ^ 大山のぶ代 脳梗塞発症…言葉出ない デイリースポーツオンライン・2009年4月30日
  3. ^ 「クラブ セガ 新宿西口」オープン記念イベント 大山のぶ代1日店長、「アルカノイド」の腕前を披露 (Impress GAME Watch)

関連項目

大山のぶ代


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