トンプソン・サブマシンガン

トンプソン・サブマシンガン
トンプソンM1928A1
トンプソン・サブマシンガン
種類サブマシンガン
製造国 アメリカ合衆国
設計・製造Auto-Ordnance社、他各社
年代1918年~現代
仕様
種別サブマシンガン
口径.45口径(約11.43mm)
銃身長267mm
使用弾薬.45ACP弾 ほか
装弾数20発/30発(箱型弾倉)
50発/100発(ドラム弾倉)
作動方式M1919~M1928A1:
ブリッシュ・ロック方式
M1/M1A1:
シンプル・ブローバック方式
全長813mm
重量4740g
発射速度

1,200~400発/分

(各モデルにより異なる)
銃口初速280m/秒(.45ACP弾
歴史
設計年1918年
製造期間1919年~現代
配備期間1918年~現代
配備先米国はじめ各国
関連戦争・紛争アイルランド独立戦争アイルランド内戦バナナ戦争日中戦争第二次大戦国共内戦第一次中東戦争朝鮮戦争第一次インドシナ戦争ベトナム戦争ボスニア紛争
バリエーションPersuader, Annihilator, M1921, M1921AC, M1921A, M1927, M1928, M1928A1, M1, M1A1
製造数約 1,700,000
 Template‐ノート:銃器 

トンプソン・サブマシンガンThompson submachine gun)とは、米国を代表する火器のひとつであり、トンプソン将軍が開発した短機関銃である。

トムソン銃”,“シカゴ・タイプライター”といった多数の通称・愛称を持つ事で知られるが、本記事中では“トミーガン”に統一して表記した。

トミーガンは、1920年代に形成された米国の大衆文化を構成する要素のひとつとして認識(後述)されており、1919年から170万挺以上が生産され、今日でも製造が続けられている長命な製品でもある。

頑丈な構造を持ち耐久性と信頼性に優れ、5kg近い重量のおかげでフルオート射撃を制御しやすい特性から、各国の様々な人々に愛用された。

目次

構造

トミーガンを特徴付けているのは、主要部品の多くが直角で構成されている点にあり、円形を基本に構成される事が多かった欧州の製品とは異質なデザインとなっている。 [1]

トミーガンは上下2つのレシーバ(機関部)によって構成されており、銃身は上部レシーバ先端にネジで固定され、弾倉が接触する部分はドラム型弾倉を装着するため大きく切り欠かれた形状となっているほか、内部はフライス加工によって大きくえぐられ、この空洞内をボルトが前後する。

弾倉は上部まで露出しているため、野戦では泥などが付着しやすいが、逆に拭い去る事も簡単な構造となっている。 箱型弾倉を装填する際には下側から、ドラム型弾倉を装填する際には横からスライドさせて装着し、どちらもレール溝によって支持されている。

M1/M1A1では横溝が省略されてドラム型弾倉が使用できないが、上部レシーバの切り欠きはそのままなので、後から横溝を刻むだけで使用できるようになる。

下部レシーバは複雑な形状ながら、機能的には上部レシーバの下部を塞ぎ、トリガーメカを保持するだけの単純な構造である。 上下のレシーバはレール溝によって嵌合し、分解する際に上部レシーバ後端にあるストッパを押し込んで下部レシーバを引き抜く形で分離できる。

セミ/フル・オートを切り替えるセレクターと、セフティ(安全装置)は別々のレバー状部品として存在しているが、弾倉を固定しているマガジン・キャッチを含めて、位置は全てグリップ上部左側面にあるため、右利きの射手であれば、グリップから手を離さず全て右手親指で操作する事が可能である。

開発の背景

1916年に米国軍人のJ.T.トンプソン将軍が設立した企業である“Auto-Ordnance Corporation”において、“小型機関銃”の試作が開始された。

この“小型機関銃”は、塹壕戦で膠着状態となった第一次大戦の状況を見て、これを打開できる個人装備の需要予測に基づいて開始され、その動機は純粋に商業的なものだった。 [2]

Persuader/Annihilator

塹壕戦用小型機関銃

トンプソン将軍の“小型機関銃”は1918年に試作されたPersuader(説得者/言うことを聞かせるものの意) によって初めて具体的な形となった。

Persuaderの給弾方式はベルト給弾式だったが、機関部が砂塵や泥汚れに弱く、これを箱型弾倉に改められたタイプが1919年に試作され、Annihilator(絶滅者/敵を打ち負かすものの意)と名付けられた。

両製品は、ともにブリッシュ・ロック方式と呼ばれる遅延式ブローバック閉鎖機構を持ち、後のトミーガンの基本構成要素を備えていた。

バリエーション

M1919

最初の“サブマシンガン”

Annihilatorが完成する前年に第一次大戦は終結していたが、トンプソン将軍は念願の製品化に着手し、精密機器メーカのWarner & Swasey社が製作を担当した。 [3]

このモデルは後年M1919と呼ばれているが、発売に際して付けられた製品名は“Thompson submachine gun”であり、サブマシンガンの名称が初めて使用された。

サブマシンガンは“小型機関銃”を意味する製品名だったが、後に拳銃弾を使用するフルオート火器を総称する呼称として、世界的に使用されるようになった。

M1919は.45ACP.22LR.32 ACP.38 ACP9x19mmなど各種の弾薬用に製造され、照星や銃床を持たないなど、デモンストレーション用/テスト用としての色彩が強い製品だった。 トミーガンの特徴となった垂直フォアグリップは銃身下部に装着され、安定したフルオート射撃が可能だったが、連射レートは1,000発/分程度と高速だった。

1920年4月に行われた軍の採用テストでは、2,000発の発射に対し動作不良は2回のみ、という好成績を残したが、当時の米陸軍は既に兵力の大幅削減に向かっており、M1919が採用される事はなかった。 軍用としての見込みが無くなった事から、トンプソン将軍は販売先を警察に切り替え、40挺ほどがニューヨーク市警察によって購入された。

M1921

民間市場での成功と知名度の獲得
トンプソン自動小銃(上)とM1921
トンプソン自動小銃(上)とM1921
「強盗が一番恐れる銃」と記された1920年代の広告
「強盗が一番恐れる銃」と記された1920年代の広告

M1921は、M1919に改良を加えた量産タイプの製品であり、民間市場向けに「手軽にフルオート射撃を楽しめる“スポーツ用途”の銃」として販売が開始された。

1921年当時の販売価格は20発箱型弾倉付きで$225(現在の価格に換算[4]して$2,600程度)であり、製造はコルト社が担当し、15,000挺ほどが生産された[3]

富裕層向けの高級玩具としての色彩が強い製品であり、木部は美しく仕上げられ、各部品は高精度な切削加工で製造されていた。 弾倉は20発/30発箱形弾倉のほかに50発用ドラム弾倉が用意され、連射レートは800発/分程度まで落とされていた。

1926年からは銃口部に“Cuts Compensator”と呼ばれるマズル・ブレーキの一種がオプションで装着できるようになり、フルオート射撃時のコントロールはより安定した [5]

尚、最初にM1921の大口顧客となったのは、米国のアイルランド系移民の独立運動支持者達と考えられており、製造番号が1,000番未満の初期生産品が英領アイルランドで発見されている。 これらのM1921は“Irish Sword”と呼ばれ、後のアイルランド内戦では主に反条約派によって使用された。 [6]

また、当時頻発していた郵便強盗対策のために、米国郵便公社もM1921を400挺購入した。 同公社が購入したM1921は、郵便警護を分担した海兵隊にも供与されたが、海兵隊はこれをバナナ戦争での軍事行動に転用した。

しかし、当時のM1921は民間人(この中にはトミーガンを有名にしたマフィア達も含まれていた・後述)を主な購入者としており、1934年に規制されるまで購入に何らの制約も無く、通信販売でも購入できたため、交戦相手のサンディーノ軍ニカラグア)も、海兵隊と同様にM1921を装備していた。

M1923

強装弾薬の試行

トンプソン将軍が想定していた小型機関銃のコンセプトは小銃弾を使用するものであり、M1921に使用された.45ACP弾(480J)のパワーと、有効射程が50ヤードしかなかったM1921の射程は、軍用として力不足なものだった。

しかし、ブリッシュ・ロック方式の閉鎖機構は、その主要部品に真鍮製のロッキング・ピースを用いており、強烈な腔圧を発生させる当時のフルサイズ小銃弾には不向きな事が判明していたため、.45ACP弾の薬莢長を3mm延長して威力を増大した.45 Remington-Thompson弾(1,590J)が新規に開発され、これを用いるM1923が試作された。

.45 Remington-Thompson弾は.45ACP弾の3倍ものエネルギーを持ち、後に開発された.44 Magnum弾に近いパワーを有し、至近距離で杉板15枚、300ヤードで8枚を貫通したとされる [5]。 .45 Remington-Thompson弾はテストの結果.45ACP弾よりも精度が悪い事が判明し、市販されずに終わった。

M1923はM1921より約10cm銃身が延長され、軍用に適した水平フォアグリップが装着されていたほか、強くなった反動を制御するために連射速度は400発/分程度まで遅延されていた(参照画像)。 着剣装置が付けられたタイプや、2脚を付けたSAWタイプも試作されて米軍向けのプレゼンが行われたが、既にBARが採用されていた事もあり、採用には至らなかった。そのスタイルは後の軍用モデルであるM1928A1やM1/M1A1へ継承された。

M1927

セミオート・バージョン

M1921は当時数少ないフルオート火器だったため、慣れない射手が引き鉄を引き続けて銃口が跳ね上がり、制御不能となって意図せぬ方向を撃ってしまう事故が発生する事があった。 このためM1921からフルオート射撃の機能を削除し、セミオート・カービンとした製品が要望され、M1927が製造された。

M1927はM1921を改造して製造されたため、M1921の刻印である“Thompson Submachine Gun”を一部削り取り、“Thompson Semi-Automatic Carbine”と改めて打刻し直されている。

M1927はM1921とほとんど同じ製品であるため、簡単にフルオート射撃の機能を復活させる事ができたが、1934年の連邦法改正によるフルオート火器の所持規制以降も民間人が無許可で購入できるトミーガンとして製造され続けた。 [7]

また、トミーガン用の100連ドラム弾倉はM1927の販売開始と同時に販売されるようになった。

M1928

トンプソンM1928を持つイギリス兵(1940年)
トンプソンM1928を持つイギリス兵(1940年
正規軍に採用された軍用モデル

マスコミへの露出(後述)でM1921は実態以上に有名となったが、製造メーカの“Auto-Ordnance Corporation”社の経営は悪化し、破産の危機に直面していた。 これを救ったのは、M1921の連射レートを700発/分まで下げた軍用モデルのM1928であり、500挺ほどが製造され米海軍・海兵隊に採用された[3]

その後、第二次大戦が勃発すると同モデルは仏軍・英軍・スウェーデン軍に採用され、仏軍は3,750挺のM1928と3,000万発の弾薬を発注した。 英軍ではコマンド部隊などがこれを使用し、英兵に由来する“トミーガン”の愛称が付き、以降の代名詞となった [8]

M1928の納入価格は1939年頃で$209(現在の価格で$3,100程度[4]・希少品となった現在では$20,000前後で取り引きされている)だったとされ、“Auto-Ordnance Corporation”社の経営状態は好転した。

M1928A1

米軍向け改良モデル

欧州で第二次世界大戦が始まるまで、米陸軍で使用されていたトミーガンは400挺にも満たなかったが、大戦勃発と共に当時は未だ参戦していなかった米軍もM1928の大量調達を図り、軍用として試作されたM1923に近いフォルムを持つM1928A1が製造された。

M1928A1は米軍および英・仏・中といった諸国への援助兵器として総計562,511挺が生産され、量産効果により1942年春には$70(現在の価格で$880程度[4])まで調達コストは下がった。

M1/M1A1

戦時省力生産モデル
M1A1
M1A1
M1を射撃するアメリカ海兵隊員 1945年5月、沖縄戦での撮影
M1を射撃するアメリカ海兵隊員 1945年5月沖縄戦での撮影

トミーガンは切削加工を前提としたデザインであり、プレス加工を活用した大量生産には再設計が必要[1]だったが、大幅な構造の変更はなされないまま、省力化と操作性向上のために幾つかの改良が施されたM1型が1942年に採用され(ステンガンタイプの鋼板プレス製M3グリースガンも同年に採用された)、1943年末からSavage Arms社で大量生産が開始された[3]

M1に採用された簡易化は、

  • 工数がかかり信頼性も低かったブリッシュ・ロック式閉鎖機構の替わりに、ボルトの重量を増やしてシンプル・ブローバック方式に変更された。
  • 銃身に装着されていたコンペンセイターや放熱フィンが廃止された。
  • ストックの固定法が直接ネジで止める方式に変更された
  • ドラム弾倉装着用の横スリット溝が廃止された
  • コッキングハンドルを上面から右側面にずらした。

といったもので、M1はM1928A1の半分の時間で製造され、調達コストは$45まで低下した。しかし、当初は供給が追いつかなかったため、レイジングM50など他のSMGで不足分を間に合わせていた。

1944年には簡素化が更に進められて撃針をボルトに固定し、照門(リアサイト)の側面に三角形の保護板を付けたM1A1が採用された。

M1/M1A1は累計で138万挺製造され、第二次大戦を通じて米軍でもっとも多く使用されたサブマシンガンとなり、主に下士官や戦車兵、空挺兵に対して供給された。 米軍内では1976年頃まで予備兵器としてトミーガンが装備されていたほか、現代に至るまで様々な地域紛争で使用されているのが確認されており、その堅牢さから今後も使用され続けるものと考えられている。

大衆文化とトミーガン

禁酒法の恩恵で急成長を遂げていた米国のマフィアが、襲撃兵器としても防御用兵器としても優れていたトミーガンに注目して購入し、抗争などで使用した事がトミーガンの知名度を飛躍的に高めた。

ギャング間の抗争事件は当時のマスコミの格好の題材であり、こうした事件が“再現フィルム”的に映像化されたハリウッド製作のギャング映画によって、トミーガンの存在は“マシンガン”の呼称とともに世界中に知れ渡り、トミーガン=機関銃という認識が広く定着するなど、実態以上に強い印象をもって記憶されており、“Roaring Twenties”(狂騒の20年代)を演出した歴史上重要なアイテムとして認識されている。

一方で、マフィアなど犯罪者達を取り締まってきたFBIにおいては、トミーガンが草創期の重要な火器だった事もあって、現在でも象徴的な意味を含めて継続して使用されており、同局舎における見学者向けのデモンストレーションでは、射撃教官によるトミーガンを用いた射撃が披露され、教官が標的上に自分の名前を弾痕で刻んで見せるのが通例となっている。

アジアにおけるトンプソンサブマシンガン

軍閥間の内戦が続いていた中国では軍民ともにM1921の人気が高く、山西省を支配した閻錫山の軍閥ではM1921のコピー品が生産され、モーゼル軍用拳銃をM1921の弾薬に合わせて.45ACP弾化した独自製品まで出現した。 また、各地で跋扈する匪賊の襲撃を撃退する効果的な兵器として、富裕な地主や帰国華僑 [9] なども、手頃な価格で強力な防御能力を発揮できるトンプソンサブマシンガンを用いていた。

中国に大量に存在したトンプソンサブマシンガンとコピー工廠は、国共内戦の終結と共に中国共産党の手に渡り、朝鮮戦争では米軍も中国軍も共にトミーガンを装備して戦っていた。その後のインドシナ戦争においてもベトミン/ベトコン勢力やビン・スエン派などがトンプソンサブマシンガンを使用していた事が知られているほか、南ベトナムではこれをコピー生産していた勢力があった事も知られている[3]

日本においては、トンプソンサブマシンガンの存在は米国の映画を通じて広く知られており、海軍陸戦隊の近接戦闘用兵器としてMP18と比較検討 [10] されていたほか、陸軍の兵士達も中国各地で多数のM1921/M1928を鹵獲 [11] し、シンガポール占領で英軍から鹵獲されたトンプソンサブマシンガン600丁が、パレンバン作戦後に陸軍落下傘部隊に支給されたとも伝えられている[12]

また、フィリピン占領時にはトンプソンサブマシンガンやM1ライフルを始めとする各種の米製兵器が大量に鹵獲され、現地の日本兵達はこうした米製兵器を好んで使用していた事が伝えられているほか、日本内地でこれら鹵獲火器に対する性能試験が実施され、その一部は準制式とされている [13]

敗戦後の1950年に発足した警察予備隊に対しては、米国からトンプソンサブマシンガンおよびM3サブマシンガンが供与され、“サブマシンガン”の訳語として短機関銃という言葉が作られ、M1短機関銃、M3短機関銃として制式化された。現在でも海上自衛隊では一部の基地の警備でM1短機関銃が使用され続けている。

登場作品

第二次世界大戦やギャングを題材とした作品によく登場する。

テレビ・映画

アニメ

漫画

  • ジョジョの奇妙な冒険 - Part2戦闘潮流でジョセフがストレイツォに対し使用。
  • HELLSING - 外伝において吸血鬼アーカードが使用。使われたのはM1928と思われる。
  • ワイルド7 - ユキ、飛葉が使用。M1928。モデルガンと見せかけて実は実銃。実写版では最終的にメインアームになっている。
  • クロノクルセイド - ロゼット・クリストファが特殊弾「聖火弾」を装填したドラムマガジンを装着して使用。
  • 鉄人28号 - 原作と原作が元の派生作品の悪漢達がM1928のドラムマガジン装着型に類似した銃を使用しているシーンがある。

小説

  • スティーヴン・ハンター悪徳の都 - 主人公のアール・スワガーがトミーガンの名手で、スワガーが率いる違法カジノ摘発部隊の標準装備がコルト・ガバメントとトミーガンである。

ゲーム

脚注

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関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

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