朝日新聞

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朝日新聞
種類日刊紙

事業者朝日新聞社
本社東京大阪愛知福岡
創刊1879年
言語日本語
ウェブサイトhttp://www.asahi.com/
 Template‐ノート:基礎情報 新聞 

朝日新聞(あさひしんぶん、英語:Asahi Shimbun)は朝日新聞社が編集・発行する新聞の一つであり、朝日新聞社のメイン新聞である。発行部数は朝刊が約803万部、夕刊が約336万部[1]であり、読売新聞に次ぐ業界2位[2]

目次

沿革

朝日新聞社に関する沿革は朝日新聞社#沿革を参照

紙面・論調

読者層

朝日新聞の読者は読売新聞とともに関東地方首都圏)で多く、読者の政治的革新性、大卒院卒および上層ホワイトカラーの割合[1]、読者の平均世帯年収[28]一部上場企業課長部長クラスへの到達率[29]等の要素について、全国紙の中で日本経済新聞読者に次ぐ水準であるという調査結果が存在する。

歴史

歴史的に見れば、朝日新聞の論調はその時々の時代・状況などに応じて変化し、一定ではなかった。

注目を集めた報道

疑義が持たれた報道、スキャンダル

朝日新聞社員の不祥事は朝日新聞社#不祥事を参照

  • 1923年9月、大阪朝日新聞関東大震災時に「不逞鮮人の一派は随所に蜂起せんとするの模樣あり、中には爆彈を持って市内を密行し、又石油鑵を持ち運び混雜に紛れて大建築物に放火せんとするの模樣あり」と報道。
  • 1950年9月27日、潜行中の日本共産党幹部伊藤律との単独会見記事を掲載。後にこれが担当記者により捏造されたものであることが判明する。

    詳細は「伊藤律会見報道事件」を参照

  • 1975年4月19日の夕刊2面において、クメール・ルージュプノンペン制圧では、武力開放のわりには流血の跡がほとんど見られなかったと述べ、「敵を遇するうえで、きわめてアジア的な優しさにあふれているようにみえる」という文章を掲載した。しかし、実際にはポルポト派はプノンペン入城後、すぐに民衆を農村に強制移住させ、逆らう物は容赦なく殺戮していたことが明らかとなる。
  • 1989年4月20日付の夕刊において、沖縄自然環境保全地域指定海域にある世界一の大きさを誇るアザミサンゴ[40]に傷が付けられていることを取り上げ、その象徴として「K・Y」というイニシャルが刻まれた珊瑚の写真と共にモラル低下を嘆く記事を掲載する。しかし、疑問を抱いた地元ダイバーらの調査の結果、カメラマン自身によって無傷の状態であった珊瑚に「K・Y」というイニシャルが刻まれたという事実が発覚し、記事捏造事件に発展[41][42]。当時の社長が引責辞任に追い込まれる事態となった。これにより、朝日新聞はリクルート事件という一大スクープを放ったにもかかわらず、その年の新聞協会賞受賞を逃すことになる。

    詳細は「朝日新聞珊瑚記事捏造事件」を参照

  • 1991年から翌年にかけて「従軍慰安婦」問題の連載キャンペーンを展開。吉田清治著の『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』にある「昭和18年(1943年)に軍の命令で韓国の済州島で女性を強制連行して慰安婦にした」という体験談を、4回にわたり報道した。この「体験談」は現代史家秦郁彦の調査により嘘であることが判明し[43]、吉田清治本人も一部がフィクションであることを認め[44]、朝日新聞も「確認できない」という事実上の訂正記事を出した。また、1991年8月11日付の朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日中戦争第二次大戦の際、女子挺身隊として戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と報じた(記者は植村隆)。この朝鮮人慰安婦の「女子挺身隊として戦場に連行され」たという話にも、「当時、女子挺身隊という制度自体が無いばかりか彼女は親により公娼として売られたことを語っており、全くの捏造である」との反対意見が出されたが[45]、朝日新聞は反応を示していない。
  • 2002年4月20日の朝刊に掲載された有事法制に関するFAQの中で、「ミサイルが飛んできたら?」という問いに対して「武力攻撃事態ということになるだろうけど、1発だけなら、誤射かもしれない」と回答した。
  • 2002年6月、FIFAワールドカップに関連して、「日本代表での最後のW杯。国の名誉という鎧を着せられた試合は楽しめない。中田英寿選手が周囲に語る」との記事を掲載した。その後、中田選手が否定して抗議したにもかかわらず謝罪しなかった。4ヵ月後、中田選手が再び日本代表になったときも、「記事内容と異なる結果になったことをお詫びします」と謝罪しつつ、あくまで報道自体は正しかったと主張した。
  • 2005年1月12日、自民党の安倍晋三中川昭一両議員から2001年1月30日放送のNHK番組の編集について、NHK上層部に圧力があったのではないかとする報道を行った。同年7月、朝日新聞は上記報道の検証記事を掲載した。8月に社内関係者が番組改変の証拠とされる録音テープを魚住昭にリークして講談社の月刊誌『現代』に書かせた。9月30日、朝日新聞がNHK番組改変疑惑の信憑性の検証を委託した第三者機関『NHK報道』委員会は「(記者が疑惑を)真実と信じた相当の理由はあるにせよ、取材が十分であったとは言えない」(委員会の見解より引用)という見解を出す。これを受けて朝日新聞は取材の不十分さを認めたが、記事の訂正・謝罪は無かった。委員会の見解でも、朝日新聞は検証が十分ではないと指摘されている。番組改変の記事を執筆した記者は激しい批判を受け、2006年に異動になった。

    詳細は「NHK番組改変問題」を参照

  • 2005年8月21日の朝刊にて、亀井静香田中康夫長野県内で会談を行なったという記事が掲載された。この記事は取材を伴わない虚偽のメモをもとに作成されたもので、実際は東京都内で会談が行なわれていた。この事件などをきっかけとして朝日新聞の取材体制の改革が行なわれた。

    詳細は「朝日新聞の新党日本に関する捏造事件」を参照

  • 2006年2月2日の社説にて、皇室典範改正問題に関連して女系天皇に反対を表明した寛仁親王に対し、発言を控えるよう忠告したが、昭和天皇の靖国に関する発言(いわゆる富田メモ)が報じられた後の7月21日の社説では「重く受け止めたい」とし、皇族の発言の政治利用について日和見主義が見られた。
  • 2006年から2007年にかけて、当時の首相である安倍晋三に対する朝日新聞の報道がネガティブ・キャンペーンであると批判された。2007年9月14日東海新報では「朝日新聞の安倍政権に対するネガティブキャンペーンはすさまじかった」とし、産経新聞の古森義久は「全国紙がここまで特定の政治家や政権に非難を浴びせ、その打倒を図るという政治的キャンペーンは、日本のジャーナリズムの歴史にも異様な一章として特記されるかもしれない」と指摘した[46]。特に、第168回国会所信表明演説直後に安倍首相が辞任した際、2007年9月24日に掲載したコラムで「アベする」という言葉が流行しているとしたが、逆にインターネット上で「アサヒる」という言葉が朝日新聞による捏造報道の呼称として流行し、やがて朝日新聞への批判やパロディ化の一形態として使用されるようになった。この言葉は現代用語の基礎知識2008年版に採用された。

    詳細は「アサヒる問題」を参照

  • 2007年1月6日の夕刊にて、「スポーツ総合誌 苦境」という記事が掲載された。この記事はスポーツ総合誌を「冬の時代に入った」と評する内容であったが、『Number』(文藝春秋社)に関して事実と反する部分が存在した[47]
  • 2007年2月1日、同年1月30日の夕刊で掲載された富山県のかんもち作りに関する記事で、朝日新聞東京本社編集局の駐在員が、読売新聞のインターネット版に1月27日に掲載された「寒風で育つかんもち」という記事を盗用していたことが判明。問題の駐在員は「読売新聞のホームページの記事を参考にしながら自分の原稿を書き直した」と述べ、朝日新聞東京本社は2月1日午後に読売新聞に謝罪した。その後、他の2件の記事も同じく読売新聞のホームページ記事から引用されていることが判明し、記事を書いた記者は解雇された。
  • 2008年6月18日夕刊のコラム「素粒子」において、同月17日に死刑執行を指示した鳩山邦夫法務大臣に対し、「永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」と表現した。これに対して鳩山法相は強く抗議し[48]、また「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」など1800件あまりの抗議文が朝日新聞に送られた。同紙に対して特に強い批判を続けたのが全国犯罪被害者の会であり、同会の三度に渡る公開質問状により、朝日新聞はコラムの表現が不適切であったことを認めた[49][50]
  • 2009年4月25日、朝日新聞は同年1月11日号に掲載した奈良県川上村の元森林組合長が「選挙区は民主、比例は共産」と、共産党への「選挙協力」を主導しているという記事について、事実でない部分があったとして紙面で「おわび」を掲載した。元森林組合長からの申し立てにより、朝日新聞社の「報道と人権委員会」が調査を行った結果、「記述の一部は事実として認めることができなかった」とする見解を出した[51][52][53]
  • 2010年1月19日永住外国人に対する地方参政権付与問題に関する世論調査で、その調査の対象とされた母集団が、asahi.com上の紙面で「全国[2]名護市[3]→全国[4]」と変遷したため、その理由と背景に疑義が持たれた[54]産経新聞の取材に対し、朝日新聞社広報部は「誤って(1月24日投開票の)名護市長選情勢調査の調査方法の内容を掲載してしまった」と説明している[54]

批判

  • 主に朝日新聞の特定の記者への批判がなされている。
  • いわゆる保守派からは左翼的、自虐史観的と批判されている。特に産経新聞正論WiLLSAPIO日本文化チャンネル桜などの一部保守陣営からは厳しい論調で批判されることが多い。
  • 朝日新聞の社会主義陣営に対する報道姿勢(近年は主に対中国)が批判されることが多い。

    詳細は「朝日新聞の中国報道問題」を参照

  • 2008年10月3日山口県光市の母子殺害事件に対する橋下徹大阪府知事のタレント弁護士時代のテレビ発言について「橋下TV発言、弁護士資格を返上しては」との社説を掲載。これについて橋下は同月19日の兵庫県伊丹市陸上自衛隊伊丹駐屯地で開かれた「中部方面隊創隊48周年記念行事」の祝辞の中で、「人の悪口ばっかり言ってるような朝日新聞のような大人が増えると日本はダメになります」と批判し[55]、翌20日には「朝日新聞は事実誤認があったら廃業するのか。(朝日新聞は)無くなったほうが世の中のためになる。全く愚かな言論機関。すぐさま廃業した方がいい。権力の悪口を言っていればいいと思っているのではないか」と批判した[56]10月19日、橋下知事は先の発言の真意について、「命がけで頑張っている自衛隊に敬意を表さないといけない場で、その対極にいる愚かな朝日を批判するのが最適だと思った」と説明。テレビでの発言をもとに弁護士資格の返上を提案した社説については「朝日はからかい半分で、事実誤認もあり今すぐ廃業すべきだ」と述べた[56]

題字と地紋

  • 朝日新聞の題字は、書家である欧陽詢の『宗聖観記』の中の筆跡から作字したもので、1879年の創刊から使われている。題字の「新」の中の「木」の部分は「未」となっている。これは古い字体であり、この文字が書かれた当時は誤字ではなかった。また、その「新」の字が『宗聖観記』の中に無かったことから、「親」の偏と「柝」の旁から点を取り除いたものを組み合わせて「新」を作字した[57]
    • なお、「木」が「未」となっている「新」の字が題字に使われている(使われていた)新聞は、他にも神戸新聞名古屋新聞1942年新愛知との合併まで)、中国新聞(旧題字)、中日新聞(「中部日本新聞」時代)などがある(この内、名古屋新聞は全く同じ書体である)。
  • 題字の地紋は、東日本静岡県以東)と西日本愛知県以西)で異なっている。東京本社と北海道支社の地紋は、1888年に「東京朝日新聞」として東京に進出した頃から使用している「サクラ」であり、「朝日ににほふ山桜花」の古歌の意味を表わしている。大阪本社と西部本社、名古屋本社の地紋は「浪速(なにわのあし)」で、大阪で生まれた新聞であることを表わしている。なお、社旗も東日本と西日本で異なっており、東日本では朝の字が左端にあって旭光が右に向かっているのに対し、西日本ではその逆となっている。それぞれ朝日が東日本・西日本を照らしている意味からきている。

文字表記

  • 1950年代から、当用漢字表外の漢字の表記について朝日新聞社が独自に簡略化した通称朝日文字と呼ばれる字体が使用されていたが、2007年1月15日に約900の漢字について康熙字典体に基づく字体に改められ、紙面から姿を消した。
  • 日付欄は2009年(平成21年)1月1日(木曜日)のように西暦と月日が太字で、元号と曜日が普通の字で表記されている。

広告

  • かつては大学教員や学校教師の愛読者が多く、「天声人語」などのコラムが入試問題になることも多かったため、受験勉強の一環として購読を勧められていた時期もある[58]。そのため、現在も就職情報などの広告が他紙に比べて多い(特集記事として「朝日求人」が掲載されることもある)。
  • 週刊新潮』などが自社に批判的な記事を載せた場合にもその広告掲載を原則的に拒否しないとされるが、何度か拒否した事例もある(2005年12月15日2006年10月4日)。
  • 近年はさまざまな理由で広告収入減の傾向にある。そのためかどうかは不明だが、従来は受け入れない方針の創価学会[59]の広告も受け入れるようになった。

関連著名人

朝日新聞社#関係者・出身者を参照のこと。

提携通信社・新聞社

朝日新聞社#契約通信社および朝日新聞社#特約海外新聞を参照のこと。

番組表

1972年7月までは、番組表は東京本社と大阪本社の朝刊で中面に掲載(最終面は地方版)されていたが、最近では新聞休刊日を除き最終面に掲載。

1992年4月より、Gコード番組表を日本の新聞社として初めて掲載した。

  • 当初は、東京版では夕刊の番組表を本編から切り離して別冊『Gセクション』として掲載。1面に在京キー局の翌日の放送開始から終了時(24時間放送の局は翌日基点時間~翌々日の基点時間)の番組表、最終面には当日夕方17時から放送終了時(または翌日基点時)の番組表をフルサイズで掲載。その他、中面にはエンターテインメント関連の記事や、関東地方の独立UHF放送局衛星放送ラジオの番組表が掲載されていた。
  • 大阪など他地区では夕刊にジャンル別のGコード番組表を掲載。夕刊のない地域では土曜日に1週間のジャンル別番組表を載せた。
  • その後、他の新聞にも掲載されるようになり、朝日新聞東京版夕刊の別冊記事は廃止され、夕刊・朝刊とも原則として最終面(休刊日は2日分を中面)にGコード番組表が載る様になった。

テレビ欄の掲載の特徴として、関東地方近畿2府4県と系列放送局のない地域(山梨県富山県鳥取県島根県徳島県高知県佐賀県)、および加盟局がありながらもクロスネットである福井県宮崎県を除いて、テレビ朝日系列(ANN)を日本放送協会の地上波の2チャンネルの次に載せている。(関東・近畿はチャンネル順で、その他は開局順)また、NHK教育テレビジョンのデジタル別編成番組については別欄とせず、その日の深夜放送の番組の下(番組表の末尾)に載せている。なお、1996年ごろから、東京本社発行分では個別のラジオ番組の解説がなくなり、現在ではラジオ欄そのものを除いたラジオに関係する記事は、社会面などに掲載される場合を除くと、週1回掲載される「ラジオアングル」だけになっている(ただし、大阪本社発行分は、関西地方のグループ企業に朝日放送ABCラジオ)があるためか、現在でもラジオ番組の解説がある)。

2009年3月30日付からは、関東地方向けのテレビ欄がテレビ放送開始以来長年続いたアナログチャンネル番号の小さい順から地上デジタル放送リモコン番号の小さい順に再編[60]され、中面に掲載されていたBSデジタル放送の番組表が最終面での掲載に変更された[61]。名古屋本社版では、およそ20年ぶりにテレビ愛知の番組表が在名他社より縮小され、ぎふチャン(岐阜放送)三重テレビのサイズに近付いた[62]。また、ラジオ欄の局名表記は2009年3月30日付から東京本社版・名古屋本社版・北海道支社版では、長年掲載されていた周波数の表記が省略され、局名と問い合わせ電話番号のみの表記になった。しかし、関東版では不評だったのか、同年5月頃に周波数表記が再開された(左端の「ラジオ」コーナー表記の下に全局一括掲載)。

番組表は朝日新聞グループの日刊スポーツ新聞社の関連会社である日刊編集センターから配信されたものを掲載している。ただし、BSデジタル放送の番組表は「朝日マリオン」からの配信である。

また大阪本社版(1面掲載)を除いて、最終面のテレビ面には全国の発行日付の天気予報が収録されている。

4コマ漫画

朝刊

夕刊

ネット事業

冠ニュース番組

脚注

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参考文献

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

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