寺尾常史

寺尾 常史(てらお つねふみ、1963年2月2日 - )は、鹿児島県姶良郡加治木町(2010年3月23日より姶良市)出身(生まれは東京都墨田区)で井筒部屋所属の元大相撲力士。得意技は突っ張り、いなし。最高位は関脇。本名は福薗 好文(ふくぞの よしふみ)。身長186cm、体重117kg。現在は、年寄錣山として錣山部屋の指導にあたる。角界での愛称は「アビ」、血液型はA型、趣味はパチンコ、音楽鑑賞、ゴルフ。

目次

来歴

寺尾の手形
寺尾の手形

父はもろ差し名人として鳴らした元関脇鶴ヶ嶺、母は25代横綱2代西ノ海の孫娘、長兄は元十両鶴嶺山、次兄は元関脇逆鉾(現井筒)という力士の家系に生まれた(家系で詳述)。

安田学園高校2年生の時に最愛の母がで他界したことを契機に、高校を中退して兄達を追うようにして角界入りする(母・節子は死ぬ間際に「相撲取りになって」と寺尾に告げていた)。入門後は寺尾節男を名乗った。これは母(福薗節子)の旧姓・寺尾から取ったものである。1979年7月場所初土俵1984年7月場所新十両のとき源氏山力三郎と改名する。源氏山の四股名は同部屋に所属した30代横綱西ノ海が横綱昇進直後の場所まで名乗ったものである。この四股名は1場所限りで、翌場所から元の四股名に戻している(負け越したのでゲン直ししたともいわれる。また本人は『いつみても波瀾万丈』で、『源氏山』は横綱の名跡だから自分には重過ぎたとも語っていた)。1985年1月場所で十両優勝し翌場所新入幕。負け越して陥落するが2度目の十両優勝で1場所で返り咲く。1987年11月から名を常史(つねふみ)と改める。

長兄の鶴嶺山は十両止まりだったが、次兄の逆鉾は三役まで昇進しており、様々な兄弟記録を残している。1986年9月場所には同時三賞受賞、1989年3月場所には同時関脇を果たした。また1990年11月場所には千代の富士横綱土俵入り太刀持ち露払いを務めた。

1995年3月場所には新横綱貴乃花から初の供給となる金星を獲得した。1997年3月場所には旭鷲山戦で右足親指を骨折し途中休場。初土俵以来続いた連続出場記録が1359で途切れた。30代後半を迎えた寺尾の突っ張りはなお衰えを知らなかったが、力士の大型化が進んだこともあってか2000年7月にはついに十両陥落。周囲からは引退の声も囁かれたが寺尾は続行を決意。翌年3月場所、5場所ぶりに幕内復帰した。38歳であった。再陥落後は昇進のチャンスもあったが、十両上位の星運に泣いた。2002年9月場所千秋楽で勝利を決めて引退

現役時代は相撲界では珍しい甘いマスクとソップ型の体型で、女性ファンからの人気と声援が多かった。若い頃は回転の速い上突っ張りといなしで勝負しており、その敏捷な動きから海外公演で「タイフーン」の通称がついたほどだった。また右を差すこともあり、下手投げは強かった。晩年は突っ張りの後父・兄が得意としていた両差しの相撲を取るようになった。引退後は年寄・錣山を襲名、井筒部屋の部屋付き親方を経て2004年1月、錣山部屋を創設。同部屋からは2007年1月場所現在で前頭・豊真将を輩出しており、将来の大関昇進に期待が集まっている。

家系

西ノ海(25代横綱)の曾孫(養女の養女の子供)、加賀錦(元幕下)の孫、鶴ヶ嶺(元関脇)の三男、薩摩錦(元幕下)の従兄の孫。井筒3兄弟と言われ、長男が鶴嶺山(元十両)、次男が逆鉾(元関脇)、三男が寺尾。また、福薗洋一郎(元十両)は従弟に当たり、中日ドラゴンズ井上一樹打撃コーチは再従弟に当たる。長男(夫人と前夫との実子)は俳優寺尾由布樹

加賀錦は廃業後に国技館サービス株式会社の常務取締役を務めた。その妻・寺尾文子は相撲茶屋「吉可和」(よしかわ、相撲案内所 四番)を経営し、その経営権は寺尾の親族へと引き継がれた。

主な成績

寺尾常史
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1985年
(昭和60年)
(十両)西 前頭 #14
6–9
 
(十両)西 前頭 #12
10–5
 
西 前頭 #2
6–9
 
西 前頭 #5
7–8
 
1986年
(昭和61年)
東 前頭 #7
7–8
 
西 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #4
4–11
 
東 前頭 #12
8–7
 
東 前頭 #8
9–6
東 前頭 #1
6–9
 
1987年
(昭和62年)
西 前頭 #4
6–9
 
東 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #2
5–10
 
東 前頭 #5
7–8
 
東 前頭 #6
6–9
 
西 前頭 #9
8–7
 
1988年
(昭和63年)
東 前頭 #3
7–8
西 前頭 #3
6–9
 
西 前頭 #6
8–7
 
西 前頭 #1
6–9
 
西 前頭 #4
7–8
 
東 前頭 #6
8–7
 
1989年
(平成元年)
西 前頭 #1
8–7
西 関脇
5–10
 
東 前頭 #3
7–8
 
西 前頭 #3
10–5
西 関脇
8–7
西 関脇
8–7
 
1990年
(平成2年)
東 張出関脇
7–8
 
西 小結
8–7
 
東 関脇
7–8
 
西 小結
8–7
 
西 関脇
9–6
 
東 関脇
5–10
 
1991年
(平成3年)
東 前頭 #2
8–7
西 小結
8–7
 
東 小結
5–10
 
西 前頭 #3
6–9
 
東 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #4
6–9
1992年
(平成4年)
東 前頭 #8
8–7
 
西 前頭 #4
8–7
 
東 前頭 #2
2–13
 
東 前頭 #13
9–6
 
東 前頭 #8
9–6
 
東 前頭 #2
7–8
 
1993年
(平成5年)
東 前頭 #5
6–9
 
西 前頭 #9
8–7
 
東 前頭 #5
5–10
 
東 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #4
6–9
 
西 前頭 #6
7–8
 
1994年
(平成6年)
東 前頭 #8
8–7
 
西 前頭 #2
9–6
西 小結
8–7
西 小結
4–11
 
東 前頭 #3
4–11
 
西 前頭 #9
9–6
 
1995年
(平成7年)
西 前頭 #2
5–10
 
東 前頭 #6
8–7
東 前頭 #1
5–10
 
西 前頭 #5
5–10
 
西 前頭 #9
8–7
 
東 前頭 #3
5–10
 
1996年
(平成8年)
東 前頭 #7
6–9
 
東 前頭 #11
9–6
 
東 前頭 #3
5–10
 
西 前頭 #6
5–10
 
西 前頭 #10
9–6
 
東 前頭 #3
4–11
 
1997年
(平成9年)
西 前頭 #8
8–7
 
東 前頭 #3
2–12–1
 

休場
0–0–15
東 前頭 #13
9–6
 
西 前頭 #8
7–8
 
西 前頭 #9
6–9
 
1998年
(平成10年)
西 前頭 #13
9–6
 
東 前頭 #8
5–10
 
西 前頭 #12
9–6
 
東 前頭 #9
4–11
 
東 前頭 #16
9–6
 
西 前頭 #11
8–7
 
1999年
(平成11年)
東 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #3
5–10
 
西 前頭 #7
6–9
 
西 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #4
5–10
2000年
(平成12年)
東 前頭 #7
5–10
 
東 前頭 #12
7–8
 
西 前頭 #13
5–10
 
西 十両 #3
6–9
 
東 十両 #6
8–7
 
東 十両 #5
8–7
 
2001年
(平成13年)
西 十両 #2
8–7
 
西 前頭 #12
8–7
 
東 前頭 #9
2–13
 
西 十両 #3
9–6
 
西 十両 #1
7–8
 
西 十両 #2
0–0–15[1]
 
2002年
(平成14年)
西 十両 #2
5–10
 
西 十両 #6
8–7
 
西 十両 #2
2–3–10
 
東 十両 #11
0–0–15[2]
 
東 十両 #11
引退
5–8–2
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下

三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口

幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 通算成績:860勝938敗58休 勝率.478
通算勝星860は歴代6位、通算負星938は歴代1位
  • 通算出場:1795回(歴代2位)
  • 通算連続出場:1359回(歴代6位)
  • 幕内成績:626勝753敗16休 勝率.454
  • 幕内在位:93場所(歴代2位)
  • 幕内出場:1378回(歴代2位)
  • 幕内連続出場:1063回(歴代4位)
  • 三役在位:13場所(関脇7場所、小結6場所)
  • 三賞:7回
    殊勲賞:3回(1989年1月場所、1994年5月場所、1995年3月場所)
    敢闘賞:3回(1986年9月場所、1989年9月場所、1994年3月場所)
    技能賞:1回(1989年7月場所)
  • 金星:7個(千代の富士1個、北勝海1個、大乃国3個、貴乃花1個、武蔵丸1個)
  • 各段優勝:十両2回(1985年1月場所・5月場所)

改名歴

  • 寺尾 節男(てらお せつお)1979年7月場所 - 1984年5月場所
  • 源氏山 力三郎(げんじやま りきさぶろう)1984年7月場所
  • 寺尾 節男(てらお せつお)1984年9月場所 - 1987年9月場所
  • 寺尾 常史( - つねふみ)1987年11月場所 - 2002年9月場所

年寄変遷

  • 錣山 常史(しころやま つねふみ)2002年9月 - 2002年11月
  • 錣山 矩幸( - つねゆき)2002年11月 -

エピソード

1991年3月場所、18歳の貴花田に敗れ、さがりを叩きつけるなど悔しさを露にした(引退直後の会見で「今まで一番悔しかった取組」としてこの一番を挙げた)。それでも寺尾は引退後に「あの悔しさがあったから長く相撲が取れた」と語っている。

寺尾と同じ昭和38年(1963年)生まれの「花のサンパチ組」で良きライバルだった、元横綱北勝海・元大関小錦・元関脇琴ヶ梅引退相撲では、異例とも言える最後の取組相手として指名され、寺尾はそれぞれ3人の力士と土俵に上がり勝負していた。

高所恐怖症で(兄の逆鉾も同様)、飛行機に乗るのも苦手だった。しかし部屋設立後は新弟子集めの移動のために飛行機嫌いを克服。今や航空会社のマイレージ集めが趣味となっているらしい。阪神タイガースファンとして知られ、野球中継のゲストを務めたこともある。プロレスラー高田延彦との親交が深い。

マスコミに対して好意的であり、普段は寡黙ながらユニークな人柄を買われ、現在でもテレビのバラエティ番組に度々出演している。

最後の場所となった2002年9月場所の12日目、貴闘力と対戦し、敗れた貴闘力がその日限りで引退したが、この取り組み後に寺尾が土俵上で貴闘力の肩をそっと叩き、互いの労をねぎらうシーンが見られた。同じ関脇同士ながら栃司には圧倒的に強く幕内昇進前も含め13戦全勝と一方的に勝っている。

2009年現在、関取在位110場所(昭和59年7月~平成14年9月)は史上単独1位。また幕内在位93場所も魁皇の98場所(現役中)、高見山の97場所に次ぐ史上3位(現在。寺尾の引退直後は当時史上2位)の記録である。

ファミコンゲームソフトに『寺尾のどすこい大相撲』(ジャレコ、1989年)がある。

脚注

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関連項目

外部リンク


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