林泉寺 (米沢市)

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林泉寺(りんせんじ)
山門
所在地山形県米沢市
山号春日山
宗旨曹洞宗
創建年1496年(明応5年)(越後の林泉寺
開基長尾能景(越後の林泉寺)
中興年1617年(元和3年)(米沢に移転建立)
中興仙洞院(中興開基)
 Template‐ノート:日本の寺院 

林泉寺(りんせんじ)は山形県米沢市林泉寺1丁目にある米沢藩上杉氏菩提寺である曹洞宗寺院直江兼続菩提寺でもある。山号春日山(かすがさん)。

目次

歴史

上杉氏の本拠地があった春日山城(現在の新潟県上越市)の山麓に建立された林泉寺を元としている。関ヶ原の戦いの後に米沢に移った上杉景勝の実母(上杉謙信の姉、長尾政景の妻)仙洞院(仙桃院とも呼ばれる)が元和3年(1617年)に林泉寺14世万安大悦を招聘して同号の寺を建立された。

上杉氏の転封にともない謙信の遺骸、上杉氏関係の文書、重宝の大半が米沢に移された。通説では林泉寺もこれに従って移転したとされる[1]。その後、越後林泉寺は新領主となった堀氏、後には徳川将軍家からも寺領を安堵加増されている。このため、以後米沢と春日山(上越)双方にそれぞれ「春日山林泉寺」が存在することになった。

謙信の遺骸は1612年(慶長17年)に米沢城本丸内に設けられた堂に安置され城内に建立された真言宗寺院21か寺によって守護されたため林泉寺は謙信廟所ではなくなったが、藩主上杉氏の菩提寺として尊崇された。また、歴代藩主の墓は廟所が別個に造営されたために寺内には設けられなかったものの、藩主の正室や子女の墓が安置されるとともに上杉氏代々の菩提寺であったことから米沢藩内では大きな影響力を持ち、寛文4年(1664年)には当時米沢藩を構成していた3郡(置賜信夫伊達郡)の僧録に任じられた。僧録の役割はあくまでも曹洞宗の諸寺に対する統制であったが、実際には藩内の全ての宗派・寺院に対して統制を加えることが可能であったと言われている。

寛永14年(1637年)、絶家となっていた重臣直江氏の菩提寺であった徳昌寺と僧録の地位をめぐって争った結果、徳昌寺は廃絶となり住職は与板(現在の、新潟県長岡市)に追放された。徳昌寺の寺域は林泉寺に併合され、米沢藩は徳昌寺にあった直江兼続夫妻の墓を林泉寺が管理することと決めた。このため、林泉寺は兼続夫妻の墓を林泉寺内に改葬した。正徳元年(1711年)には春日山城跡地にあった春日社を寺内に移して「明神堂」を建立している。現在でも庭園は「米沢三名園」の1つに数えられている。

伽藍は越後林泉寺の古規にしたがい1619年(元和5年)に境内整備を完了した。1732年(享保17年)の火災により伽藍の大半が焼失したが、その後1740年(元文5年)に再建され現在に至っている。

現在の林泉寺境内には仙洞院、武田信玄の娘で景勝正室の菊姫をはじめとする歴代藩主の夫人、菊姫の弟で上杉氏に仕えた武田信清などの上杉氏の子女・縁者や、分家である米沢新田藩の歴代藩主、米沢藩重臣の墓がある。また上杉治憲(鷹山)側室お豊の方の墓も林泉寺境内に設けられ、景勝側室の墓も寛永6年4月(1629年)米沢極楽寺に移葬されるまでは林泉寺にあった。

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ ただし、移転の事実を示す信頼すべき1次資料は現存していない。また移転説が広く流布されるようになったのは明治以降であり、明治45年(1912年)刊行の布施秀治『謙信公と林泉寺』(謙信文庫)によるところが大きい。

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