金鵄勲章
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金鵄勲章(きんしくんしょう)は、日本の勲章の一つ。授与対象が大日本帝国陸軍・海軍の軍人軍属に限られた。金鵄章とも。
「金鵄」という名前の由来は、神武天皇の東征の際に神武天皇の弓の弭にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り輝き、ナガスネヒコの軍を迷眩せしめたという日本神話の伝説に基づく。
目次 |
概要
金鵄勲章は1890年2月11日(紀元節)に制定された。金鵄勲章は7等級に分けられ、「功一級」以下「功七級」までの功級に叙せられた上で勲章を受ける。 太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦により、GHQの指示により1947年5月3日公示の「昭和22年政令第四号」に依って廃止された。
戦前の日本においては階級がものをいう社会であったため、勲章の等級を並べて表示する事が多い。金鵄勲章も例に漏れず表示され、表示順は、1、職 2、階級 3、位階 4、勲等 5、功級 6、爵位 7、学位そして氏名となる。
意匠
金鵄勲章は神武天皇が東征のみぎりに金色の霊鵄が弓にとまり、長髄彦の軍勢がそれに目が眩んで降参したという逸話に基づいている。赤色七宝の旭光の上に金色の霊鵄を配し、下に大神宮の盾、矛、剣を配した物である。功級により金鍍金の範囲が異なるが、ほとんどの等級で意匠は同一。裏面の装飾は無い。功一級の副章及び功二級の正章のみ、斜めの旭光部分に黄色の七宝が用いられている。
綬は浅葱色と呼ばれる鮮やかな緑色を織地に白の双線が配されている。佩用式は旭日章などと変わらないが、功一級の大綬のみは左肩から右脇に垂れるという、日本の勲章では唯一逆向きの方向に佩用するものであった。
功級
金鵄勲章に付随して、叙せられた軍人の功績を示す等級。位階勲等といった栄典と並び天皇より与えられた栄誉の一つ。各級は正式には功一級金鵄勲章のように等級+金鵄勲章の形で呼ばれる。功二級金鵄勲章以下は副章が存在しない。また功級に合わせて年金が下賜された。
- 功一級:天皇直隷部隊の将官(親補職)たる司令官に対して特別詮議の上授与。
- 大綬を左肩から右脇に垂れ、副章を左肋に佩用する。
- 年金額900円
- 大綬を左肩から右脇に垂れ、副章を左肋に佩用する。
- 功二級:功労ある将官、佐官最高位の功級。
- 正章(功一級金鵄勲章の副章と同じ)を右肋に佩用する。
- 年金額650円
- 正章(功一級金鵄勲章の副章と同じ)を右肋に佩用する。
- 功三級:将官の初叙。功労ある佐官、尉官の最高位の功級。
- 中綬を首に佩用する。
- 年金額400円
- 中綬を首に佩用する。
- 功四級:佐官の初叙せられる功級。功労ある尉官、准士官、下士官の最高位の功級。
- 小綬を左胸に佩用する。
- 年金額210円
- 小綬を左胸に佩用する。
- 功五級:尉官の初叙せられる功級。准士官、下士官の中で功労を重ねた者の功級。また兵の最高位の功級。
- 小綬を左胸に佩用する。
- 年金額140円
- 小綬を左胸に佩用する。
- 功六級:准士官、下士官の初叙せられる功級。また功労ある兵の功級。
- 小綬を左胸に佩用する。
- 年金額90円
- 小綬を左胸に佩用する。
- 功七級:兵の初叙せられる功級。
- 小綬を左胸に佩用する。
- 年金額65円
- 小綬を左胸に佩用する。
運用
位階や旭日章・瑞宝章などのその他の勲章は仕官して公務員(当時は官吏)となれば勤続年数などの一定の条件で大抵誰でも受勲することができ、また官吏では無い兵や民間人でも対象となったが、金鵄勲章は軍人軍属のみでかつ相応の戦功がなくては授与されず、大将[1]や宮様[2]軍人といえども相応の武功がなければ授与されなかった。[3]
また、受章者には功一級で900円、功七級で65円の年金が支給された。昭和初期当時の二等兵の月給は8円80銭であり、かなりの高額であった。この年金は終身年金であったが、戦争の拡大に次ぐ拡大で受章者が急増し国庫の大きな負担になった。そのため1940年に一時金制に変更になり、国債の形で支給された。しかし、敗戦によりその国債は1円の価値もないものになった。また、生存者への授与は1940年を最後に戦争激化のため一時停止され、以後は戦功を挙げた戦没者に与えられるのみとなった。このため、前線部隊では勲功抜群なものに対しては「金鵄勲章の確約」として軍刀や感状、記念品などを与えたり、陸軍では陸軍武功章を制定するなどして対処していた。
金鵄勲章は日本の勲章の中で唯一、先に授与された功級の低い物と後に授与された功級の高い同じ勲章の併佩が許されていた勲章でもある。金鵄勲章併佩ニ関スル件(昭和16年勅令第726号)[4]。
宮中席次に於いて、功級は同じ数字の勲等よりも上位にあったため、その運用中は最も上位に佩用するものとされていた。功一級に関しては勲一等旭日桐花大綬章よりも下位であったが、陸軍の正装に於いては、両方の勲章を受章している場合、功一級の方を佩用するのが正式とされていた。
後年の金鵄勲章復権運動
太平洋戦争の敗戦後、一旦停止されていた生存者叙勲制度が1963年に再開され、菊花章・旭日章・瑞宝章・宝冠章が復活したが、金鵄勲章は廃止されたままで公の場での佩用も禁止された。その為金鵄勲章叙勲者達は名誉と年金の復活を求めて「金鵄連盟」をつくり、運動を始めた。1985年には「旧勲章名誉回復に関する懇談会」という国会議員の集まりがつくられ、当時の中曽根首相に同様の要請をしている。叙勲者の高齢化等により活動は下火になったが、佩用は翌1986年に認められた。
金鵄勲章受章者数(概数)
功一級金鵄勲章受章者(爵位・階級は最高位のもの)
陸軍軍人
日露戦争の功
- 奥保鞏:元帥陸軍大将伯爵;1906年4月1日
- 大山巌:元帥陸軍大将公爵;1906年4月1日
- 川村景明:元帥陸軍大将子爵;1906年4月1日
- 黒木為楨:陸軍大将伯爵;1906年4月1日
- 児玉源太郎:陸軍大将伯爵;1906年4月1日
- 寺内正毅:元帥陸軍大将伯爵:1906年4月1日
- 西寛二郎:陸軍大将子爵;1906年4月1日
- 野津道貫:元帥陸軍大将侯爵;1906年4月1日
- 乃木希典:陸軍大将伯爵;1906年4月1日
- 長谷川好道:元帥陸軍大将伯爵;1906年4月1日
- 山縣有朋:元帥陸軍大将公爵;1906年4月1日
第一次世界大戦の功
満州事変の功
支那事変の功
- 岡村寧次:陸軍大将;1942年3月21日
- 寺内寿一:元帥陸軍大将伯爵;1942年3月21日
- 畑俊六:元帥陸軍大将;1942年3月21日
- 朝香宮鳩彦王:陸軍大将;1942年4月4日
- 閑院宮載仁親王:元帥陸軍大将;1942年4月4日
- 西尾寿造:陸軍大将;1942年4月4日
- 東久邇宮稔彦王:陸軍大将;1942年4月4日
- 松井石根:陸軍大将;1942年4月4日
- 杉山元:元帥陸軍大将;1942年4月13日
- 塚田攻:陸軍大将;1943年1月17日
大東亜戦争の功
海軍軍人
日露戦争の功
- 伊集院五郎:元帥海軍大将男爵;1906年4月1日
- 伊東祐亨:元帥海軍大将伯爵;1906年4月1日
- 片岡七郎:海軍大将男爵;1906年4月1日
- 上村彦之丞:海軍大将男爵;1906年4月1日
- 東郷平八郎:元帥海軍大将侯爵;1906年4月1日
- 山本権兵衛:海軍大将伯爵;1906年4月1日
支那事変の功
大東亜戦争の功
- 山口多聞:海軍中将;1942年6月5日
- 山本五十六:元帥海軍大将;1943年4月18日
- 古賀峯一:元帥海軍大将;1944年5月5日
- 南雲忠一:海軍大将;1944年7月8日
- 有馬正文:海軍中将;1944年10月15日
※功一級は陸海軍少将に対して授与の前例がなかったが、山口多聞・有馬正文の両少将(死後中将に特進)は特旨を以って授与された。
脚注
- ^ 例として、陸大恩賜の軍刀組で帝国陸軍内の各要職は勿論、軍務官僚として内閣総理大臣まで歴任した阿部信行陸軍大将が居る。
- ^ 皇族は自身が迎える年齢によって自動的に大勲位菊花大綬章や勲一等旭日桐花大綬章といった最高位の勲章が叙勲されるが(皇族身位令、皇族#叙勲・身位)、金鵄勲章に関しては例外とされていた。
- ^ また、将軍や提督の身であり旭日章や瑞宝章は勲一等や二等を受勲しているにもかかわらず、金鵄章に関しては若い頃に受けた功五級や四級のみという軍人ももちろんいた。
- ^ 1 金鵄勲章ヲ有スル者更ニ同級ノ金鵄勲章ヲ賜ハリタルトキハ之ヲ併佩スベシ
2 金鵄勲章ヲ有スル者更ニ上級ノ金鵄勲章ヲ賜ハリタルトキハ前ニ賜ハリタル金鵄勲章ヲ併佩スルコトヲ得
関連項目
| 日本の勲章 | |
|---|---|
| 大勲位菊花章 | 大勲位菊花章頸飾 - 大勲位菊花大綬章 |
| 桐花章 | 桐花大綬章(勲一等旭日桐花大綬章) |
| 旭日章 | 旭日大綬章(勲一等旭日大綬章) - 旭日重光章 - 旭日中綬章 - 旭日小綬章 - 旭日双光章 - 旭日単光章 |
| 瑞宝章 | 瑞宝大綬章 - 瑞宝重光章 - 瑞宝中綬章 - 瑞宝小綬章 - 瑞宝双光章 - 瑞宝単光章 |
| 宝冠章 | 宝冠大綬章 - 宝冠牡丹章 - 宝冠白蝶章 - 宝冠藤花章 - 宝冠杏葉章 - 宝冠波光章 |
| その他 | 文化勲章 - (金鵄勲章) |
| 関連項目:勲章 - 位階 - 褒章 - 賞杯 - 危険業務従事者叙勲 | |
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