本庄長房

凡例
本庄長房
時代安土桃山時代 - 江戸時代
生誕天正8年(1580年
死没寛永20年1月17日1643年3月7日
改名直江与次郎→本庄長房
別名市兵衛、主馬、如雲
主君上杉景勝前田利常上杉定勝
出羽米沢藩加賀藩:鉄砲組頭
→出羽米沢藩
氏族本庄氏直江氏→本庄氏
父母父:本庄繁長
養父:直江兼続
兄弟顕長充長(武藤義勝)、長房久長重長
篠原一孝の娘
鮎川信重、本庄吉秀、女子(武田勝信室)
 Template‐ノート:基礎情報 武士 

本庄 長房(ほんじょう ながふさ)は、安土桃山時代江戸時代初期の武将。

天正8年(1580年)、上杉氏家臣・本庄繁長の三男として生まれる。

文禄2年(1593年)、14歳で上杉家家老・直江兼続の養子となり直江与次郎と名乗ったが、翌年兼続に実子・景明が生まれると離縁の上で実家に戻された。慶長17年(1612年)、兼続の婿養子になっていた本多政重が上杉家を出奔して加賀の前田利常の下に帰参すると、政重夫人・阿虎らと共に政重を頼って加賀へと出奔する(景明が兼続に先立って死去し、長房・政重の2人が加賀へと去ったことで、後継者を失った直江氏は断絶することになる)。加賀藩では鉄砲組頭を務め、禄高1800石を領した。慶長20年(1615年)、大坂の役の戦功でさらに500石を加増された。

寛永14年(1637年)、兼続の正室・お船の方が死去すると、第2代米沢藩主上杉定勝の求めに応じ、妻子を連れて上杉家に帰参した。途上武蔵国品川で落飾し如雲と号した。帰参した長房は、家督を継いでいた弟・重長が城代を務める福島城に身を寄せ、60人扶持を受けた。 寛永20年(1643年)1月17日没。享年64。

長女は武田勝信上杉景勝正室・菊姫の甥)に嫁いだ。長男鮎川信重は500石で仕え、後に鮎川氏の名跡を相続する。次男の本庄吉秀も300石で仕えた。


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