天竜三郎
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天竜 三郎(てんりゅう さぶろう、1903年(明治36年)11月1日 - 1989年(平成元年)8月10日)は、静岡県浜名郡三方原村(現在の浜松市)出身で大日本関西角力協会(入門時は出羽海部屋)所属の元大相撲力士。本名和久田三郎(わくた さぶろう)。身長187cm、体重116kg。得意手は右四つ、吊り。最高位は関脇。春秋園事件の主導者として大相撲史に名をとどめる。
俳優・和久田龍は息子。また、別の息子は東京・大森の名古書店「天誠書林」の店主。
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来歴
農家の三男として生まれ、学問を志していたがその体躯が話題となって、常陸山の出羽ノ海親方の勧誘を受けて入門。1920年(大正9年)1月場所で初土俵を踏む。士族出身で力士の地位向上に心をくだいた常陸山に師事したことは、彼の相撲観やその後の行く末に多大な影響を与えた。常陸山の死後は常ノ花、6代出羽海(元小結両國)の付き人を務めた。
1928年(昭和3年)5月場所に新入幕、同部屋で6歳年下の武藏山とは激しく出世を争い、1930年5月小結を飛び越して関脇に昇進。1931年(昭和6年)7月の満州巡業では、最終日に組まれた両者の対戦が水入り取り直しの大一番となり、その決着のために興行を一日延長したほどだった。のちに「松翁」となる20代庄之助が、自分が裁いた中で最も記憶に残る一番はと問われて、この相撲をあげたという逸話がある。しかし大関争いでは後輩の武藏山に先を越された。
1932年(昭和7年)1月場所を前に、大関大ノ里以下、出羽海部屋の西方全関取が中国料理店「春秋園」に立てこもり、天竜が主謀者となり相撲協会の体質の改善、力士の待遇の向上などを要求し、大日本新興力士団を結成、いわゆる「春秋園事件」を起こす。またこれに呼応して朝潮(男女ノ川)、鏡岩ら東方の有志も脱退して革新力士団を結成、大相撲界に激震が走った。天竜ら新興力士団が同年2月に根岸で旗揚げ興行を挙行したときは多くの観衆で賑わった。一方、残留組は2月になって急遽、改正番付を発行して国技館で2月場所を開催したが閑古鳥が鳴く有様だった。両力士団はその後合併したが、その年の暮れ、力士団のうち半数はが協会帰参を決め、大ノ里、天竜らは関西角力協会を設立して、関西を拠点に独自に興行し協会に対抗した。しかし、玉錦、双葉山らの台頭で東京の相撲協会が隆盛を取り戻すと、帰参を希望する力士も増え、1937年(昭和12年)に関西角力協会を解散した。
関西角力協会の解散後は、満州に渡って満洲国武道会の常務理事・角道部委員長として相撲の普及、育成に尽力し、1938年(昭和13年)には満州角道会を結成した。1948年(昭和23年)11月、その功績によって吉田司家からも故実門人免許を授与されている。戦後帰国してからは、東京都京橋区銀座でスポーツ用品店、中国料理店「天龍」を経営した。のちに請われて、ラジオ東京(略称KRT、現在のTBSラジオ)の大相撲実況放送などで解説者を務めた。あまりに守旧的な相撲協会の体質が問題視され、国会でも取り上げられた1957年(昭和32年)には、衆議院文教委員会に参考人として出席、往年の主張を公にくりかえす機会を得た。
相撲解説者として、同時代の玉ノ海梅吉や神風正一と並んで人気があったが、その反面極端な毒舌であり角界きっての名力士として名高い貴ノ花に対しても「あれは兄(初代若乃花)の人気の上に乗っかっているだけだ」と吐き捨てたほどである。だが、ただ一人富士櫻に関しては「あれほどの力士はいない」と終始絶賛していた。1957年の特別国会で相撲協会を公に批判した後、KRTが自主的な配慮から彼を降板させた時には、「協会からの圧力か?」といった抗議が聴取者から多く寄せられた。KRTとしては、急遽聴取者からの質問に天竜が答える特別番組を放送して対応した。
春秋園事件の発生直後には、ライバル武藏山に大関昇進を先んじられた逆恨みや、当時実質相撲界の全権を掌握していた元小結・両国の出羽海親方が武蔵山ら自身の直弟子を優遇して、自分たち常陸山直系の力士を冷遇していると見ての反発など、私怨からの行動と見る向きが強かった。戦後まで彼に好意的な評者でも、その主張の正しさは認めながらも、ことを起こした時期のために誤解を招いたという見方が主流だった。しかし、協会に対して突きつけた10ヶ条の要求の多くはその当時の角界が抱えていた問題や体質を鋭く捉えており、また要求の幾つかは後世の改革で実現する事となり、現在では近代的感覚をもった先見的力士として再評価されている。
文字を書けない相撲取りもまだ当たり前にいた時代にあって達筆で知られ、昭和の「角界三筆」のひとりにも数えられる。富岡八幡宮の〈出羽海一門友愛之碑〉の碑銘は彼の揮毫による。
主な成績
- 幕内在位:14場所(うち関脇6場所)
- 幕内成績:98勝44敗1分11休 勝率.690
著書
- 「相撲風雲録」 池田書店 1955年
関連著作物
火野葦平「王者の座」 弥生書房 1958年00月
