上野国

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令制国一覧 > 東山道 > 上野国

上野国(こうずけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だったの一つで、東山道に属する。上州(じょうしゅう)または上毛(じょうもう)とも呼ぶこともある。延喜式での格は大国、遠国。811年(弘仁2年)からは親王任国となる。

領域は現在の群馬県とほぼ同じだが、群馬県桐生市のうち桐生川以東は含まれない。かつては群馬県は上野国と同じ範囲だったが、1959年1968年に栃木県の一部が桐生市に越境合併されたため、異なるようになった。

目次

沿革

古代の毛野国けぬのくに)のうちの、上毛野国造かみつけぬのくにのみやつこ)の領域が、令制国の 上毛野国として成立した。その後、713年和銅6年)の諸国郡郷名著好字令(好字二字令)により、上野国との表記になった。当初、碓井以下13郡であったが、711年(和銅4年)に14郡となった。もと上国であったが、811年(弘仁2年)に大国に変更になり、間もなく、上総国常陸国とともに親王が国司の長官を務める親王任国となった(天長3年(826年)旧暦9月6日後より)。そこで、吉良義央が名乗ったように、国司の実質的長官は次官(すけ)の上野介であった。良馬の産地として勅旨牧がおかれた。

全国に10余りしか現存しない奈良時代以前の石碑のうち、3つが多胡郡にある。

藤原宮木簡には、上毛野国と表記。

国府は群馬郡にあった。現在の前橋市元総社町付近と推定されている。

江戸時代には、沼田藩前橋藩安中藩高崎藩伊勢崎藩七日市藩吉井藩小幡藩、および館林藩が置かれた。この他、明治維新まで実質的に命運を保つことができなかった藩として総社藩那波藩板鼻藩矢田藩上野豊岡藩大胡藩白井藩青柳藩上里見藩および 篠塚藩がある。

国分寺・国分尼寺・安国寺・利生塔・一宮以下・総社

国分寺国分尼寺の法燈を伝承する寺院は現存しない。高崎市東国分町あたりと思われる。安国寺は高崎市通町の浄土宗慈光山常昭院安国寺(本尊:阿弥陀如来)が伝承し、利生塔は未詳である。

延喜式神名帳には大社3座3社、小社9座9社の計12座12社が記載されている。大社3社は以下の通りで、全て名神大社である。

一宮は、富岡市一ノ宮の貫前神社である。以下、十二宮まで定められている。

社名鎮座地
(複数記載のものは論社)
二宮赤城神社前橋市三夜沢町
前橋市富士見町赤城山
前橋市二之宮町
三宮伊香保神社渋川市伊香保町伊香保
四宮甲波宿禰神社渋川市川島
五宮大国神社伊勢崎市境下渕名
若伊香保神社渋川市有馬宮前
六宮榛名神社高崎市榛名山町
七宮小祝神社高崎市石原町
八宮火雷神社玉村町下之宮
九宮倭文神社伊勢崎市東上之町
十宮美和神社桐生市宮本町
十一宮賀茂神社桐生市広沢町
十二宮宇芸神社富岡市神成

総社は、前橋市元総社町の総社神社である。

守護

鎌倉幕府

室町幕府

国司

上野介

上野掾

人口

  • 1721年(享保6年) - 56万9550人
  • 1750年(寛延3年) - 57万6075人
  • 1756年(宝暦6年) - 57万9987人
  • 1786年(天明6年) - 52万2869人
  • 1792年(寛政4年) - 51万3915人
  • 1798年(寛政10年)- 51万4172人
  • 1804年(文化元年)- 49万7034人
  • 1822年(文政5年) - 45万6950人
  • 1828年(文政11年)- 46万4226人
  • 1834年(天保5年) - 45万1830人
  • 1840年(天保11年)- 42万6073人
  • 1846年(弘化3年) - 42万8092人
  • 1872年(明治5年) - 50万7235人

出典: 内閣統計局・編、速水融・復刻版監修解題、『国勢調査以前日本人口統計集成』巻1(1992年)及び別巻1(1993年)、東洋書林

関連項目

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