魁皇博之

魁皇博之
四股名魁皇 博之
本名古賀 博之
愛称キンタ
ゴリライモ
生年月日1972年7月24日(37歳)
出身福岡県直方市
身長185cm
体重169kg
BMI49.37
所属部屋友綱部屋
得意技左四つ・寄り・上手投げ・小手投げ
成績
現在の番付西大関2
最高位東大関
生涯戦歴983勝652敗154休(132場所)
幕内戦歴815勝533敗137休(99場所)
優勝幕内優勝5回
幕下優勝:1回
三段目優勝:1回
殊勲賞10回、敢闘賞5回
データ
初土俵1988年3月場所
入幕1993年5月場所
趣味ラジコン
備考
金星:6個(2個、貴乃花3個、若乃花1個)
2010年1月13日現在
 Template‐ノート:Infobox 力士 

魁皇 博之(かいおう ひろゆき、1972年7月24日 - )は、福岡県直方市出身で友綱部屋所属の現役大相撲力士。最高位は東大関。本名は古賀博之(こが ひろゆき)。血液型はA型。

目次

来歴

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

後の横綱、若乃花貴乃花兄弟及びとともに、「花の六三組」と呼ばれる1988年3月に初土俵を踏んだ。貴乃花とは同い年・同学年である。

大関昇進後は豪快な相撲で地力の高さを見せ付け、横綱候補の1番手だった時期もあった。2004年9月場所に5回目の優勝を遂げ、2003年3月場所から続く日本人横綱不在に終止符を打って欲しいという期待が集まり、翌11月場所は準優勝でも横綱昇進の気運が高まっていた。しかし12日目に3敗を喫し、優勝争いから脱落したことが災いして結局昇進は見送られた。翌場所までも綱取り場所とされたが、怪我で途中休場して失敗に終わった。

2005年以降、引退の危機を迎えたのも一度や二度のことではない。

2005年1月場所から2006年3月場所までは、途中休場により翌場所大関角番・角番脱出の繰り返しが続き、大関の地位を辛うじて維持するという状況だった。特に9回目の角番となった2006年3月場所には、序盤から本来の相撲が取れず、負けが先行すると引退を示唆して、師匠の友綱と相談し負け越したら引退する決意を固めた。しかし7敗してから踏ん張り、千秋楽に朝青龍と優勝争いをしていた白鵬を寄り切って勝ち越しを決めた。

2006年5月場所以降、千秋楽まで皆勤の出場場所は増えてはいるが、成績は10勝すらままならず勝ち越すのがやっとの状態(クンロク大関・ハチナナ大関状態)になっている。

2007年9月場所4日目の安馬(のち日馬富士)戦で、幕内通算706勝を達成。この記録は元横綱武蔵丸の706勝に並ぶもので、大関以下の力士としては1番、現役の力士としてももちろんダントツの記録である。しかし、その2日後、右太腿の負傷を悪化させまたしても途中休場。11月場所は、2006年同様再起をかける場所となったが、14日目で勝ち越して11度目の角番を脱出、引退の危機から免れた。勝ち越しが決まった瞬間には、観客はその日の結びの一番よりも大きな声援を魁皇に送った。

2008年11月場所前、大関琴欧洲との稽古で右足を痛め、休場が濃厚だったが強行出場。しかし、3日目、幕内若の里との取組み中に左腕まで痛めてしまい途中休場、翌2009年1月場所は千代大海と並んで1位タイとなる、12度目の大関角番となった。進退を賭けて場所入りし、12日目に前頭3枚目豪風を破って角番脱出、同時に引退危機も乗り越えた。その後3連敗したため場所を8勝7敗で終えた。その場所直後、虫垂炎で緊急入院。手術はせず薬で治療したが、協会の公式行事は休場した。

2009年11月場所で幕内在位が98場所となり、元関脇高見山の97場所を超える大相撲史上第1位の記録を達成。同場所の3日目把瑠都を破って史上3人目の通算800勝を果たし、九重親方(元横綱千代の富士)は「私の幕内807勝(史上1位)を超えて欲しい」とコメント。さらに同場所10日目、琴欧洲押し倒しての勝利で幕内805勝を達成、北の湖親方(元横綱北の湖)の804勝を超えて、幕内勝利数が単独第2位の記録となった。この年は2005年以降では最多となる年間48勝を記録した(2005年が39勝、2006年が40勝、2007年が44勝、2008年が43勝)。なおこの年はすべての場所で8勝7敗という記録も達成した。

2010年1月場所の2日目に豪栄道に勝ち、19年ぶりに千代の富士の持つ幕内通算白星807勝に並んだが、この一番は魁皇得意の左四つ右上手だった。 そして3日目には、奇しくも九重親方の愛弟子でかつ長年共に大関として支えあった千代大海(当時関脇)に対し、豪快な送り投げで勝利。ついに幕内通算808勝となり、史上単独1位になった。なお、この千代大海戦が幕内通算54回目の取組となり、史上2位の記録であったが(対戦成績は魁皇の34勝20敗。幕内対戦の史上1位は武蔵丸対貴ノ浪の58回)、この一番で千代大海は現役最後の相撲となり、翌4日目に引退を表明した。また13日目には、2006年3月場所以来23場所ぶりに横綱白鵬を破り、白鵬戦での連敗を17で止めて(日馬富士戦の連敗も止めている)、さらに14日目には稀勢の里上手投げで破って勝ち越し。そして千秋楽でも垣添送り倒しで勝利、8場所ぶりの9勝6敗で終えた。

初土俵以来20年以上に渡る現役生活、また2000年9月に大関に昇進して以来、9年以上に渡り関脇に一度も陥落する事無く大関の座を守り続けているなど、自身の年齢や若手力士との戦いに対しては大変定評がある。また2007年9月場所の番付において、35歳の大関となり戦後最高齢記録を更新。さらに2008年7月場所中には36歳の誕生日を迎え、横綱として35歳11ヶ月で引退した千代の富士の大関以上の最高齢記録をも超えた。そして2009年7月場所中に37歳となった。

1999年に結婚、子供はいない。5歳年上の妻・充子は元タレントだが、タレントになる以前はプロレスラーであった。そのためか、女子プロレス関係者の中にもファンを有する。

また現役力士の中では、現幕内の高見盛を凌ぐほどの、相変わらず人気の高い力士の一人である。福岡県出身だけに、福岡市で開催される九州場所での館内での声援は絶大で、対戦相手は「魁皇関にとってはホームゲーム、こちらはアウェーゲームみたいなものだ」と思うようである(現に青森県出身の音羽山親方(元大関貴ノ浪)がこのような発言をした)。2008年8月のモンゴル場所では、現横綱の朝青龍や白鵬らモンゴル出身力士以上の大人気ぶりだった。 [1] [2]

取り口

握力・腕力が非常に強く、中学時代の体力測定で握力100キロを超え、更に入幕した頃には既にリンゴを握りつぶせたほどであった。左四つが得意で腰をぶつけながら寄る型にも定評があるが、それ以上に魁皇を魁皇たらしめているのは右からの豪快な上手投げ小手投げである。特に怪力の右腕から放たれる上手投げは魁皇の代名詞と言え、横綱・をも破った豪快な上手投げは今でも語り草になっている。また、小手投げに関しては、数々の力士の腕を怪我させたことから、四股名をもじって「破壊王(魁皇)」と呼ばれた(浪之花栃乃洋琴龍栃東玉乃島豪栄道豊ノ島ら多くの力士がそれぞれ左の肩、肘を負傷した。特に玉乃島に関しては、この小手投げによって左腕が泣き所となってしまっている)。上手をとって引き付ければ十分だが、大関になってからは右上手がとれなくても右からおっつけて寄る形に進境を見せた。左四つ右上手という絶対的な型がある一方で、右四つになるとなにもできないため、立合いでは左脇を徹底して固めて右四つを避けるようにしてきた。力の面が目立つが技能面も優れている。特に突っ張りを手繰るのが上手い。このため比較的押し相撲には強いといえる。左四つの型の陰に隠れて目立たないが、突き押しの威力にも定評がある。

平成20年夏場所、六日目の千代大海-安馬戦において安馬が千代大海のお株を奪うかのごとき突き押しで一方的に千代大海を押し出しに破った。控えの土俵下で盟友の屈辱的な負かされっぷりを目の当たりにしたその翌七日目の安馬戦。西から立った魁皇は、普段の焦らすような立合いも左四つ右上手欲しがりもきっぱり封印、立合い一発添え手でもう一発、安馬を蔵前方面に吹き飛ばし、爆発的な突き押しの地力を満員御礼の観客の前にまざまざと見せつけた。が、これも封印技であり、その後の発動は現時点で確認されていない。

若いころから強引な投げで鮮やかな勝ちを収めてきたが、その相撲スタイルの代償として大関昇進後は腰痛など怪我に悩まされることが多くなった。そのため場所ごとの好不調の波が激しく、好調な時は横綱をも負かしてしまうが、不調な時は平幕にあっけなく負けることもある。また、若いころには精神的に脆い面があり連敗癖があって、上位に定着しながら大関になかなか上がれなかった理由の一つでもある。「気が優しくて力持ち」と言われるが、「怪力だが気が弱い」「蚤の心臓」と揶揄されることもある。力士の中でも大柄な体格、さらに怪力である事も相まってしばしば重戦車と比喩される。

相撲平成20年6月号」のベタ記事の中で雅山が「魁皇関は自分にしか張ってこない。他の人にも張ればいいのに。」というコメントがあったせいか、直後の名古屋場所では奮起して誰かれ構わず張って出るという暴挙を敢行するものの、早速二日目豊ノ島には不慣れな右張り手を空振りしている最中に左に回り込まれて敗れる等、結果は散々であった。その後あらためて対雅山戦以外では再封印したようである。

近年は怪我や体力の衰えもあり立合いの鋭さ・重さに欠ける。左四つに組むことが難しくなり、組んでも左四つ得意の若手(稀勢の里琴奨菊など)には分が悪くなってきた。太ももの故障を抱えてからは左右の動きの対処できずあっけなく土俵を割ることが増え、また上手投げが難しくなり魁皇らしさが半減してしまった。最近では両差しから体格を利して一気に寄るという相撲も見せるようになった。また、立合いの駆け引きや変化・引き技などが増え、「勝っても自身が首を捻る相撲」が多くなってしまっている。それでも昔取った杵柄は健在で、守勢に回っても手繰りや小手投げでしのぎつつ時折左四つや突き押しで豪快な相撲を見せ続けている。

逸話

  • 特に地元福岡県では絶大な人気があり、11月場所(九州場所)での声援は他の力士を圧倒している。
    • その人気はとどまることを知らず、2001年10月に登場した博多直方間の特急列車の名前「かいおう」にもなった(力士の四股名に限らず、人名、しかも存命中の人物の名前が特急列車の名前に採用されるのは極めて異例である)。
    • そのかいおうの出発式に魁皇本人も出席し、テープカットも行った。かいおうの運行が決まったのが、魁皇が3度目の優勝をした2001年7月場所後、翌9月場所で横綱昇進を決めて派手に運行開始!、といきたいところだったが、自身は9月場所途中休場。11月場所での角番が決定していたこともあり、出発式は盛り上がらなかった。
    • また、地元の直方市では魁皇が勝利した場合、取り組みが終わった直後に花火が上がっている。直方市の銘菓「成金饅頭」でも地元出身の力士である魁皇を応援するため、11月場所のころ魁皇の焼印を押したものが販売されるときもある。
    • 福岡県の久留米ラーメンチェーン店「魁龍(かいりゅう)」のネーミングの由来も、二代目店主が魁皇関の熱狂的なファンであることから付けられた(初代店名は「珍宝軒」)ものである。ちなみに魁龍のマスコットキャラクターは、とんこつを象徴する豚が廻しを締めた姿である。
    • 高砂部屋の弓取り力士に、「弓取り関取」で話題となった皇牙(元十両、2007年5月場所直前に引退。十両昇進後も引退直前まで弓取り式を務めた)がいたが、皇牙も直方市出身であり、四股名は魁皇から一字拝借したものである。
    • 更に、鳴戸部屋出身の元前頭・力櫻が、プロレス転向後「力皇」と改名したのも、大相撲では同期入門だった魁皇にあやかったものだと言われる。
    • 俳優の堺雅人は同じ九州出身ということで、好きな力士に「魁皇」を挙げており、NHK大相撲中継にゲストで呼ばれた際にも「魁皇を応援している」とコメントしている。
  • 明治以降では横綱に昇進していない力士の中で最多の幕内最高優勝5回を誇る(横綱昇進力士の大関以下での幕内最高優勝は、同期の貴乃花が優勝22回中7回、同期の若乃花が5回(横綱では優勝なし)、武蔵丸が優勝12回中5回記録しており、同世代の横綱に多い。なお、これは双羽黒が優勝回数0のまま廃業して以降、横綱昇進の規定が厳密に適用され2場所連続優勝した者しか横綱に昇進していないためである)。優勝力士からの白星も最も多く、地力の高さを示している。
  • 中学時代に柔道をしていたところその巨体から、顧問の教師に相撲を勧められる。その魁皇のためにわざわざ「柔道・相撲部」を作った(それまでは柔道部のみだった)。またその顧問の教師と相撲を取ったところ、教師は片手で体を持ち上げられ非常に驚かされたという。
  • またその相撲部時代にはほかの生徒たちが飲んだスチール缶の空き缶を片手で潰して片づけていた。
  • 入幕前、水道の蛇口が硬くて廻らないのを無理に回そうとした所怪力のあまり壊してしまったことがある。
  • 大関昇進前、優勝決定戦にも2度出場(いずれも敗退)しているが、滅多に見られない5人の決定戦(1996年(平成8年)11月場所、当時西関脇で11勝4敗、優勝は西大関1の武蔵丸、他の相手は西横綱の、東大関1の若乃花、東大関2の貴ノ浪であった。東横綱貴乃花の休場のために乱戦になった)と、4人の決定戦(1997年(平成9年)3月場所、当時東前頭筆頭で12勝3敗、優勝は東横綱の貴乃花、他の相手は西横綱の曙、西大関の武蔵丸)であった。ここに記した貴乃花、曙、武蔵丸、若乃花、貴ノ浪という横綱大関陣は古今有数の強力布陣との評価もあり、千代大海がチャンスをうまく掴んで大関に昇進したが、魁皇・武双山栃東らはこの5人衆+千代大海の影響で大関昇進に苦労した。
  • 更に、2007年(平成19年)1月場所で、小結以上在位71場所の新記録(当該場所終了時の在位場所数は大関39、関脇21、小結11。それまでの最高記録は横綱北の湖(前日本相撲協会理事長)と、横綱武蔵丸の2人が達成した小結以上在位70場所。北の湖は横綱63、大関3、関脇2、小結2で、武蔵丸は横綱27、大関32、関脇9、小結2)を樹立した(出典=読売新聞東京本社発行・大相撲・2007年2月号、pp. 134-135)。これも魁皇の実力を裏打ちするものであり、「もしタイムマシーンがあれば、魁皇を、江戸時代の古今無双大関雷電爲右エ門長野県小県郡東部町(現・東御市)出身)と対戦させてみたい」という声も聞かれたことがある。
  • 三賞受賞回数は15回(歴代3位)と多いが、技能賞は1度も受賞していない。魁皇以外で三賞受賞回数の多い力士は、殊勲賞、敢闘賞、技能賞の全てを満遍なく受賞している。
  • 朝青龍には12勝25敗と相性がやや悪かったが、朝青龍戦の12勝は白鵬(13勝)に次ぐ勝星であった。そのうち朝青龍に2回2連勝していた。
  • 白鵬には全く歯が立たず、2010年1月現在5勝22敗と大きく負け越しており、2009年11月場所まで17連敗中であった。しかし、2010年1月場所は平成18年3月場所以来、23場所ぶりに勝っている。
  • 平成15年名古屋場所八日目、東方結びの朝青龍(●)と同結び前の旭鷲山(●)、かねて因縁の二人が取組後の風呂場であわや乱闘勃発かという修羅場に、ニッコリ笑いつつ腕ずくで二人を分けたのは同じく当日東方から上がっていた怪力無双の湯上り魁皇(○)その人であった。さすがの両雄も魁皇の仲裁には二の言を持たず、これを機に両者の遺恨も終息に向かった。しかし他人の喧嘩は分けられるが「酔っ払った魁皇関を止められる一般人は誰もいない」との武双山の証言が「大相撲中継H21年7月号」において藤井アナによって報告されている。
  • 現在の大相撲の一大勢力となりつつあるモンゴルでも人気が高く、特にジグジドゥ・ムンフバト(横綱白鵬の父)が魁皇の大ファンらしく、白鵬を通じて魁皇に薬膳料理の食材を贈ろうとしたことがあるらしい(魁皇は、仕切り中に咳をすることが多いが、それを見た白鵬の父が魁皇を心配してのことらしい。白鵬は、それを託された当時はまだ関脇で、白鵬は「大関の魁皇関に対して、ワシが関脇の分際でそんなことをすれば失礼になる」と言って、その当時難色を示したそうである)。
  • 2009年6月2日に日本外国特派員協会に招かれ、いつ引退するのかとの質問に「いつそういう時がきてもおかしくない状況だけど、自分は相撲が大好き。死ぬまで現役にこだわりたい」と答えた。
  • 2009年11月9日に自伝「怪力」(ベースボール・マガジン社)が発売された。発売前々日の7日には紀伊国屋書店福岡本店でサイン会が行われた。
  • 2009年11月場所(魁皇の「ご当所」に当たる福岡開催)で、高見山が樹立した、一時は「絶対に破られない記録」とまで言われた「幕内在位97場所」の記録を更新する「幕内在位98場所」の記録に到達した。その後も幕内在位が継続すれば、2010年3月場所に、空前の「幕内在位100場所」の大記録に到達し得る。
    •  魁皇は新入幕直後に十両に陥落しているため、幕内連続在位100場所は、2010年5月場所まで幕内に在位すれば達成可能。
  • 戦後に大関昇進を果たした力士のうち、十両での休場と、幕内からの十両以下への陥落の双方を経験したのは大麒麟[3]旭國[4]琴風[5]、魁皇[6]の4人のみ(大麒麟と琴風は幕下までの陥落を経験)。
  • 2009年12月18日、文化放送の正月特番「新春スポーツスペシャル 工藤公康・魁皇 新春ビッグ対談~生涯現役!」で、埼玉西武ライオンズに復帰した工藤公康との対談に臨み、「生涯現役」にこだわることを宣言。魁皇と工藤はこのとき初対面だった。対談の様子は翌年1月2日に放送された。

略歴

  • 1988年3月場所 - 初土俵。同期には貴乃花若乃花和歌乃山力櫻らがおり「花の六三組」とも言われた。
  • 1992年1月場所 - 新十両四股名を本名の古賀から魁皇(読みは最初「かいこう」とする予定だったが、師匠に力強さが無いと言われ、「かいおう」)に改名。
  • 1993年5月場所 - 同期のにやや出遅れたが20歳の若さで新入幕。
  • 1993年11月場所 - 再入幕。
  • 1994年3月場所 - 初金星を曙から挙げる、初の三賞は殊勲賞。
  • 1994年5月場所 - 新三役小結)。
  • 1995年1月場所 - 新関脇。以降、13場所連続して関脇の地位に付く。
  • 1999年 - 元女子プロレスラーの充子夫人と結婚。
  • 2000年2月21日 - 年寄名跡浅香山を取得。
  • 2000年5月場所 - 初の幕内最高優勝(14勝1敗)。
  • 2000年7月場所 - 11勝4敗で、10回目の殊勲賞受賞(歴代1位タイ)、大関昇進を決めた。大関推挙伝達式での口上は「大関の地位を汚さぬよう稽古に精進します」。1988年3月場所初土俵組では曙、貴乃花、若乃花に次ぐ4人目の大関。
  • 2000年9月場所 - 新大関。直前の稽古で親指を骨折しながらも、終盤まで優勝を争い11勝4敗。
  • 2000年11月場所 - 大関として九州に凱旋(11勝4敗)。武蔵丸との一番で珍しい「一本背負い」を決めた(ちなみに魁皇は中学時代まで柔道も経験が有る)。
  • 2001年3月場所 - 2度目の幕内最高優勝(13勝2敗)。この場所は、武双山との千秋楽ライバル対決であったが、千秋楽に二人が優勝をかけて対戦するのは、最初で最後である。
  • 2001年5月場所 - 初の綱取り場所、腰椎椎間板ヘルニア及び左腰神経根麻痺のため9日目から途中休場。
  • 2001年7月場所 - 初の角番、3度目の幕内最高優勝(13勝2敗)。
  • 2001年9月場所 - 2度目の綱取り場所、腰椎椎間板ヘルニア及び左腰神経根麻痺が再発のため4日目から途中休場。
  • 2001年10月 - 福北ゆたか線電化開業。特急かいおうの運行が開始。
  • 2001年11月場所 - 2度目の角番。千秋楽結びで、武蔵丸に勝利した際、会場から祝福の座布団が舞った。
  • 2002年7月場所 - 左上腕二頭筋長頭及び短頭断裂のため4日目から途中休場。
  • 2002年9月場所 - 3度目の角番。
  • 2002年11月場所 - 右上腕二頭筋長頭腱断裂のため4日目から途中休場。
  • 2003年1月場所 - 公傷で全休。
  • 2003年3月場所 - 4度目の角番。
  • 2003年7月場所 - 千代大海との相星決戦を制し、4度目の幕内最高優勝(12勝3敗)。
  • 2003年9月場所 - 3度目の綱取り場所、15日間皆勤するも負け越し(7勝8敗)。
  • 2003年11月場所 - 5度目の角番、坐骨骨折に悩むも、10勝5敗。
  • 2004年9月場所 - 5度目の幕内最高優勝(13勝2敗)。
  • 2004年11月場所 - 千秋楽で朝青龍を寄り切って優勝次点の12勝を挙げるも、横綱昇進を見送られる。
  • 2005年1月場所 - 再び綱取り場所であったが、左肩腱板炎のため10日目から途中休場。
  • 2005年3月場所 - 6度目の角番、左肩と左上腕の怪我に苦しんだが、10勝5敗。
  • 2005年5月場所 - 初日から5連勝するも、左腰部筋筋膜炎のため6日目から途中休場。
  • 2005年7月場所 - 7度目の角番は小錦と並ぶ史上2位タイ(当時)、10勝5敗で角番脱出。
  • 2005年9月場所 - 右大腿屈筋筋繊維断裂のため4日目から途中休場。
  • 2005年11月場所 - 8度目の角番、地元の声援もあって、10勝5敗。またこの場所の琴ノ若の引退により幕内最古参力士に。
  • 2006年1月場所 - 2日目に通算800勝を達成するも、腰椎椎間板症のため9日目から途中休場。
  • 2006年3月場所 - 9度目の角番。12日目までに5勝7敗と引退の瀬戸際に追い込まれるも、13日目からの3連勝で千秋楽に勝ち越しを決めて、8勝7敗。
  • 2006年5月場所 - 初日から2連敗して再び引退が騒がれていたが、3日目から8連勝して10日目に勝ち越し。引退説を弾き飛ばした。
  • 2006年9月場所 - 戦後初の34歳大関。本年2度目の腰椎椎間板症のため7日目から途中休場。
  • 2006年11月場所 - 10度目の角番。初日から勝ち続け、8日目に勝ち越して角番脱出。途中まで優勝争いにも入ったが、投げ主体の取り口で内容に乏しく後半戦は失速し10勝5敗に終わったものの、1年ぶりの2桁勝利。全日程終了後、「来年も、九州に現役で戻って来られるように頑張ります。」と、力強く話した。
  • 2007年5月場所 - 6日目、初日から6連勝で通算861勝を達成。寺尾の通算860勝を抜いて歴代単独5位に。13日目に朝青龍を2004年11月以来、15場所ぶりに破り、連敗を8で止める。
  • 2007年7月場所 - 4日目、史上6人目の幕内700勝を達成。11日目に勝ち越したがその後に左大腿屈筋損傷のため13日目から途中休場。
  • 2007年9月場所 - 3日目、戦後最年長の大関となる。6日目から左大腿屈筋損傷のため途中休場。
  • 2007年11月場所 ‐ 大関在位44場所となり北天佑と並んで史上3位タイに。又11度目の角番だったが、14日目に勝ち越して角番脱出。取り組み後に現役続行への意欲も示し「とことん、飽きられるまでやるのも‥」と熱い想いを語った。
  • 2008年5月場所 - 初日に史上4人目の通算900勝を達成。13日目、2年連続夏場所に朝青龍を破る(同じ決まり手「上手出し投げ」で勝っている)。
  • 2008年7月場所 - 12日目、36歳の誕生日に幕内747勝を達成。大鵬の幕内746勝を抜いて歴代単独3位に。
  • 2008年11月場所 - 大関在位50場所となり貴ノ花と並んで史上2位タイに。4日目から右下腿三頭筋筋挫傷と左上腕三頭筋筋挫傷のため途中休場。
  • 2009年1月場所 - 大関在位51場所となり史上単独2位に。また幕内在位93場所となり、高見山に次ぎ、寺尾と並んで歴代2位タイとなる。さらに12度目の角番、千代大海と並ぶワースト史上1位タイだったが、12日目に勝ち越して角番脱出。
  • 2009年3月場所 - 幕内在位94場所となり、寺尾を抜いて歴代単独2位となる。
  • 2009年7月場所 - 3日目に通算952勝を達成、北の湖の通算951勝を抜いて歴代単独3位に。13日目に37歳の誕生日を迎えた。
  • 2009年9月場所 - 幕内在位97場所となり、高見山と並んで歴代1位タイとなる。10日目に通算965勝を達成、大潮を抜いて歴代単独2位に。
  • 2009年11月場所 - 幕内在位98場所となり、歴代単独1位になる。3日目に史上3人目の幕内800勝を達成。10日目に幕内805勝を達成、北の湖の幕内804勝を抜いて歴代単独2位に。なお同場所も、千秋楽の給金相撲で琴光喜に勝利し8勝7敗で終える。これにより、大相撲で1958年より始まった年6場所制度では、52年の歴史で幕内史上初となる「年6場所全て8勝7敗」という珍記録を残したため現在は、「ハチナナ大関」状態になっている。
  • 2010年1月場所 - 2日目に豪栄道に勝ち、19年ぶりに千代の富士の持つ幕内通算807勝に並ぶ。この1番は魁皇得意の左四つ右上手だった。そして3日目には長年共に支えあってきた千代大海に豪快な送り投げで勝ち、ついに幕内通算808勝となり、史上単独1位になった。この場所は9勝6敗の成績で終わったが、9勝以上は8場所ぶりである。

場所別成績

  • 幕内通算成績(2010年(平成22年)1月場所終了現在)
815勝 - 533敗 - 137休場
優勝5回、殊勲賞10回、敢闘賞5回、金星6個[1]
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主な力士との幕内対戦成績

2010年1月場所終了現在

魁皇博之
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1988年
(昭和63年)
x(前相撲)西 序ノ口 #15
3–4
 
西 序ノ口 #12
5–2
 
東 序二段 #118
3–4
 
西 序二段 #133
6–1
 
中略
1992年
(平成4年)
西 十両 #10
7–8
 
西 十両 #11
8–5–2
 
西 十両 #8
0–0–15
 
西 十両 #8
9–6
 
東 十両 #3
7–8
 
東 十両 #5
8–7
 
1993年
(平成5年)
東 十両 #3
8–7
 
西 十両 #1
9–6
 
西 前頭 #15
4–11
 
西 十両 #6
10–5
 
西 十両 #1
10–5
 
西 前頭 #15
10–5
 
1994年
(平成6年)
西 前頭 #6
8–7
 
西 前頭 #1
9–6
東 小結
8–7
 
東 小結
5–10
 
東 前頭 #2
9–6
 
東 小結
8–7
 
1995年
(平成7年)
東 関脇
8–7
東 関脇
8–7
 
西 関脇
9–6
 
東 関脇
9–6
 
西 関脇
11–4
東 関脇
9–6
1996年
(平成8年)
東 関脇
10–5
 
東 関脇
9–6
 
西 関脇
11–4
 
東 関脇
10–5
 
東 関脇
9–6
 
西 関脇
11–4[2]
1997年
(平成9年)
東 関脇
6–9
 
東 前頭 #1
12–3[3]
東 関脇
7–5–3[4]
 
西 小結
休場[5]
0–0–15
西 小結
3–8–4[4]
 
東 前頭 #3
8–7
 
1998年
(平成10年)
東 小結
8–7
 
西 小結
8–7
西 関脇
7–8
 
西 小結
7–8
 
東 前頭 #1
7–8
西 前頭 #1
8–7
1999年
(平成11年)
東 前頭 #1
9–6
 
西 小結 #2
10–5
 
西 関脇
12–3
東 関脇
8–7
 
東 関脇
9–6
 
東 関脇
11–4
2000年
(平成12年)
東 関脇
7–8
 
西 小結
8–7
 
西 小結
14–1
東 関脇
11–4
東 大関 #2
11–4
 
東 大関
11–4
 
2001年
(平成13年)
東 大関
10–5
 
東 大関
13–2
 
東 大関
4–5–6[4]
 
東 大関 #3
13–2[6]
 
東 大関
0–4–11[4]
 
東 大関 #2
10–5[6]
 
2002年
(平成14年)
東 大関
9–6
 
西 大関 #2
12–3
 
東 大関
11–4
 
東 大関
0–4–11[4]
 
東 大関 #2
12–3[6]
 
東 大関
2–2–11[4]
 
2003年
(平成15年)
西 大関 #2
休場[5]
0–0–15
西 大関 #2
10–5[6]
 
西 大関
11–4
 
東 大関
12–3
 
東 大関
7–8
 
東 大関 #2
10–5[6]
 
2004年
(平成16年)
東 大関 #2
10–5
 
西 大関
13–2
 
西 大関
10–5
 
東 大関
11–4
 
東 大関
13–2
 
東 大関
12–3
 
2005年
(平成17年)
東 大関
4–6–5[4]
 
西 大関
10–5[6]
 
東 大関
5–1–9[4]
 
西 大関 #2
10–5[6]
 
東 大関
0–4–11[4]
 
西 大関 #2
10–5[6]
 
2006年
(平成18年)
西 大関
3–6–6[4]
 
西 大関 #2
8–7[6]
 
西 大関 #2
9–6
 
東 大関 #2
9–6
 
東 大関 #2
1–6–8[4]
 
西 大関 #3
10–5[6]
 
2007年
(平成19年)
東 大関 #2
8–7
 
西 大関 #2
8–7
 
東 大関 #2
10–5
 
東 大関
8–5–2[4]
 
東 大関 #2
1–5–9[4]
 
西 大関 #2
9–6[6]
 
2008年
(平成20年)
東 大関 #2
8–7
 
東 大関 #2
8–7
 
西 大関
8–7
 
東 大関 #2
9–6
 
東 大関 #2
9–6
 
西 大関
1–3–11[4]
 
2009年
(平成21年)
西 大関 #2
8–7[6]
 
東 大関 #2
8–7
 
東 大関 #2
8–7
 
東 大関 #2
8–7
 
西 大関 #2
8–7
 
西 大関 #2
8–7
 
2010年
(平成22年)
西 大関 #2
9–6
 
x
力士名勝数負数力士名勝数負数力士名勝数負数力士名勝数負数
舞の海32貴闘力2110時津海41千代天山5(1)0
蒼樹山41寺尾72安美錦126敷島5(1)0
濱ノ嶋51三杉里51高見盛63(1)豪栄道44
浪ノ花50土佐ノ海3010霜鳳41若ノ鵬21
琴別府61旭豊72北勝力92把瑠都53
琴稲妻81玉春日94朝赤龍95嘉風10
水戸泉51旭鷲山163岩木山110栃煌山40
小城錦62琴龍90垣添102阿覧10
湊富士51出島2515黒海68(1)豊響10
肥後ノ海94追風海31(1)栃東22(1)13(1)白鵬5(1)22(1)
栃乃和歌54(1)栃乃洋2512(1)露鵬54翔天狼10
武双山30(2)17千代大海34(1)20琴欧洲1012栃ノ心10
剣晃65若の里1813普天王31
若乃花14(1)15闘牙93稀勢の里813
琴ノ若228雅山30(1)15(1)日馬富士912
琴錦1217隆乃若81時天空64(1)
貴ノ浪2427和歌乃山70豪風52
貴乃花1227旭天鵬325(1)琴奨菊127(1)
武蔵丸2026琴光喜16(1)24(1)豊ノ島44
625玉乃島195(2)豊真将41
安芸乃島256朝青龍1225鶴竜45

(カッコ内は勝数・負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字の力士は現役。)

主な成績

平成22年1月場所現在

  • 通算成績:983勝652敗154休(通算勝利数歴代2位、132場所)
  • 幕内成績:815勝533敗137休(幕内勝利数歴代1位)
  • 幕内在位:99場所(歴代1位)
  • 大関在位:57場所(歴代2位)
  • 非大関三役在位:32場所(歴代2位、関脇21場所、小結11場所)

各段優勝

  • 幕内最高優勝:5回(最高位が大関以下の力士の中では優勝制度導入後史上1位)
  • 幕下優勝:1回
  • 三段目優勝:1回

三賞・金星

  • 三賞:15回(歴代3位)
  • 殊勲賞:10回(歴代1位タイ)
  • 敢闘賞:5回
  • 金星:6個(2個、貴乃花3個、若乃花1個)

改名歴

  • 古賀 博之(こが ひろゆき)1988年3月場所-1991年11月場所
  • 魁皇 博之(かいおう -)1992年1月場所-

脚注

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関連項目

外部リンク

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魁皇博之


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