皐月賞

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皐月賞
開催地中山競馬場
施行日2010年4月18日
格付けGI
1着賞金9700万円
距離芝2000m
出走条件サラブレッド系3歳牡・牝(国際)
負担重量牡馬57kg、牝馬55kg
第1回施行日1939年4月29日
特記上位4着までに東京優駿(日本ダービー)への優先出走権
 Template‐ノート:競馬の競走 

皐月賞(さつきしょう)とは日本中央競馬会(JRA)中山競馬場2000mで施行する中央競馬重賞GI競走である。正賞は内閣総理大臣賞日本馬主協会連合会会長賞、中山馬主協会賞。競走名は陰暦5月である皐月から。

「皐」の字が常用漢字外であるため一般紙、競馬中継以外のTV番組などではさつき賞と表記されることもある。

目次

概要

第68回皐月賞(2008年4月20日 キャプテントゥーレ優勝)
第68回皐月賞(2008年4月20日 キャプテントゥーレ優勝)

1939年イギリスクラシック競走である2000ギニーを範として4歳(現3歳)牡馬牝馬限定の定量の重賞競走横濱農林省賞典4歳呼馬として創設、第1回は現在とは違い横濱競馬場の芝1850mで施行され東京優駿競走阪神優駿牝馬京都農林省賞典4歳呼馬中山4歳牝馬特別と並び国営競馬の五大競走(五大クラシック競走)の1競走とされ、東京優駿競走と京都農林省賞典4歳呼馬と共に日本の牡馬クラシック三冠競走を確立した。

1943年からは横濱競馬場の閉鎖に伴い東京競馬場の芝1800mで施行、1944年のみ太平洋戦争(戦時中)の影響で能力検定競走として農商省賞典4歳の名称で施行、1945年1946年は太平洋戦争及び終戦におけるアメリカ進駐軍の競馬場の占領により開催中止、1947年からは施行距離を現在の芝2000mに変更、名称を農林省賞典に変更した。

1949年から施行場を現在の中山競馬場の芝1950mに変更、名称を現在の「皐月賞」に変更、1950年からは再び施行距離を芝2000mに戻し牡馬クラシック競走の第1戦として現在に至っている。

1963年ストライキの影響で5月12日に東京競馬場の芝2000mで順延開催、1964年は中山競馬場の改修工事により前年同様に東京競馬場の芝2000mで施行、1974年1976年は再度ストライキの影響により東京競馬場の芝2000mで施行、1984年からはグレード制施行によりGIに格付けされた。

1988年は中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2000mで施行、1995年からは指定交流競走となり皐月賞トライアルで優先出走権を得た地方所属の競走馬も出走できるようになった。さらに2002年からは外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環により総収得賞金額上位2頭の外国産馬が出走可能となり、2005年には上位4頭に、2006年からは更に上位5頭までに拡大された。

中央競馬が誇る八大競走の1競走で東京優駿(日本ダービー)・菊花賞とで中央競馬の牡馬三冠競走を構成し牡馬のクラシック三冠競走として東京優駿は「最も運のある馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と称されるのに対し、皐月賞は三冠競走のなかで一番早い時期に行われ、2000mという三冠競走の中で最も短い距離であることから「最もはやい馬が勝つ」と言われる。またNHKマイルカップ・東京優駿(日本ダービー)と合わせて変則三冠競走と呼ばれる場合もある。

このレースでは人気馬がそこそこ成績を残している一方で、2000年代に入ってからは荒れた決着になることが多い。特に三連複が導入されてからは2003年をのぞいては万馬券決着となっている。また馬複も2003年、2005年以外は万馬券決着となっている。

出走資格はサラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牡馬・牝馬の競走馬(総収得金額上位5頭又はスプリングステークスで優先出走権を得た外国産馬)および優先出走権を得た地方所属の牡馬・牝馬の競走馬(5頭まで)、最大出走頭数は18頭。ただし皐月賞優先出走権取得馬(最大8頭)が優先で出走でき残りの枠(最小10枠)は総収得金額上位馬が出走できるが、複数の同収得金額馬が残りの枠数より多い場合は抽選で出走馬を決定する。

負担重量は定量で牡馬は57kg、牝馬は55kgである。

総額賞金は1億8470万円で1着賞金9700万円、2着賞金3900万円、3着賞金2400万円、4着賞金1500万円、5着賞金970万円となっている。

上位4着までに入賞した競走馬には東京優駿(日本ダービー)の優先出走権、2着までに入賞した地方所属馬にはNHKマイルカップの優先出走権が与えられる。

現在の優勝レイの配色は赤色地に金色文字となっている。

2009年度における、当競走当日の中山競馬場の開門時刻は午前8時30分であった(中央門の一時開門時刻は午前6時であった)。

2010年から国際競走となり、格付けもJpnIからGIに戻る予定。

トライアル競走

以下は皐月賞の優先出走権の得られる競走。

競走名格付施行競馬場施行距離競走条件
弥生賞GII中山競馬場芝2000m国際競走
若葉ステークスOP阪神競馬場芝2000m指定競走
スプリングステークスGII中山競馬場芝1800m牡馬牝馬限定・国際競走

弥生賞、スプリングステークスは上位3着まで(内国産馬・外国産馬問わず)、若葉ステークスは上位2着までの競走馬(外国産馬は若葉ステークスに出走できない)に優先出走権が与えられる。

地方馬は上記の3競走で優先出走権を得た場合の他、阪神ジュベナイルフィリーズ朝日杯フューチュリティステークスの1着馬に限り出走できる。

トライアル以外から

上記のトライアル以外では、毎日杯(GIII 阪神競馬場芝1800m)から向かう馬がいる。

まれに、2月に開催される共同通信杯(GIII 東京競馬場芝1800m)およびきさらぎ賞(GIII 京都競馬場芝1800m)から上記のトライアルを使わずに直行する馬がいる。

歴史

  • 1939年 - 横濱競馬場の芝1850mの4歳(現3歳)牡馬・牝馬の定量の重賞競走「横濱農林省賞典4歳呼馬」として創設。
  • 1942年 - 田中和一郎が調教師として史上初の連覇。
  • 1943年 - 施行場を東京競馬場の芝1800mに変更。
  • 1944年 - 名称を「農商省賞典4歳」に変更。
  • 1945年 - 太平洋戦争の影響で中止。
  • 1946年 - アメリカ進駐軍の競馬場占領により中止。
  • 1947年
    • 名称を「農林省賞典」に変更。
    • 施行距離を芝2000mに変更。
    • トキツカゼが牝馬として史上初の制覇。
  • 1948年 - ヒデヒカリが牝馬として史上2頭目の制覇。
  • 1949年
    • 施行場を中山競馬場の芝1950mに変更。
    • 名称を「皐月賞」に変更。
  • 1950年 - 施行距離を芝2000mに戻す。
  • 1956年 - 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2000mで施行。
  • 1959年 - 星川泉士が調教師として史上2人目の連覇。
  • 1960年
    • 渡辺正人騎手として史上初の3連覇。
    • 前年の9月1日から日本競馬の時計が変更になったのに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
  • 1963年 - ストライキにより東京競馬場の芝2000mで施行。
  • 1964年
    • 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2000mで施行。
    • 当競走で史上最多の24頭が出走[1]。なお出走登録は25頭で、当日、出走予定馬のサッポロホマレが騎手を振り落として逸走、競馬場外に逃げ出し競走除外となるアクシデントが発生。この時、馬は甲州街道の車返付近まで逃げた。
  • 1967年 - ストライキにより順延開催。桜花賞NHK杯と同日開催となる。
  • 1968年
  • 1972年 - 流行性の馬インフルエンザの影響で順延開催。
  • 1974年 - ストライキにより東京競馬場の芝2000mで施行。NHK杯と同日開催となる。
  • 1976年 - ストライキにより東京競馬場の芝2000mで施行。
  • 1984年 - グレード制施行によりGIに格付け。
  • 1988年
    • 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2000mで施行。
    • 7位入線のメイブレーブと15位入線のマイネルフリッセが両頭とも進路妨害により失格(降着制度施行前のGIで、2頭が失格となったレースはこのレースのみ)。
  • 1993年 - 3位入線のガレオンが進路妨害により8着降着。
  • 1994年 - 大久保正陽が調教師として史上3人目の連覇。
  • 1995年 - 指定交流競走となり、地方所属馬にも門戸が開放される。
  • 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳牡馬・牝馬」から「3歳牡馬・ 牝馬」に変更。
  • 2002年
    • 外国産馬の出走枠が制限付きで2頭まで出走可能となる。
    • ブレット・ドイルが外国人騎手として史上初制覇。
  • 2003年 - ミルコ・デムーロが外国人騎手として史上2人目の制覇。
  • 2005年 - 外国産馬の出走枠を最大4頭に拡大。
  • 2006年 - 外国産馬の出走枠を最大5頭に拡大。
  • 2007年
  • 2008年 - 外国産馬の出走枠を最大7頭に拡大。
  • 2010年 - 国際競走に指定され、重賞格付け表記をGIに戻す。

歴代優勝馬

回数施行日優勝馬性齢勝時計優勝騎手管理調教師馬主
第1回1939年4月29日ロツクパーク牡31:58 4/5稲葉幸夫稲葉秀男伊藤慶藏
第2回1940年5月5日ウアルドマイン牡32:03 0/5野平省三野平省三杉崎昇
第3回1941年3月30日セントライト牡31:59 1/5小西喜蔵田中和一郎加藤雄策
第4回1942年4月5日クリヒカリ牡31:58 0/5小西喜蔵田中和一郎坂本清五郎
第5回1943年4月11日ダイヱレク牡31:54 1/5中村広中村一雄大橋達雄
第6回1944年5月21日クリヤマト牡32:05 0/5境勝太郎清水茂次栗林友二
第7回1947年5月11日トキツカゼ牝32:11 1/5佐藤嘉秋大久保房松川口鷲太郎
第8回1948年5月16日ヒデヒカリ牝32:09 1/5蛯名武五郎藤本冨良木村福太郎
第9回1949年5月3日トサミドリ牡32:05 0/5浅野武志望月与一郎斎藤健二郎
第10回1950年5月5日クモノハナ牡32:11 1/5橋本輝雄鈴木勝太郎北竹清剛
第11回1951年5月13日トキノミノル牡32:03 0/5岩下密政田中和一郎永田雅一
第12回1952年4月27日クリノハナ牡32:06 2/5八木沢勝美尾形藤吉栗林友二
第13回1953年4月26日ボストニアン牡32:04 4/5蛯名武五郎増本勇岡本治一
第14回1954年4月18日ダイナナホウシユウ牡32:11 2/5上田三千夫上田武司 (調教師)上田清次郎
第15回1955年4月24日ケゴン牡32:04 0/5野平好男田中和一郎吉川英治
第16回1956年4月22日ヘキラク牡32:05 2/5蛯名武五郎藤本冨良浅井礼三
第17回1957年4月21日カズヨシ牡32:08 0/5山本勲 (騎手)柴田寛里和カツエ
第18回1958年4月20日タイセイホープ牡32:04 0/5渡辺正人星川泉士浅野国次郎
第19回1959年4月19日ウイルデイール牡32:03 3/5渡辺正人星川泉士浅野国次郎
第20回1960年4月17日コダマ牡32:05.9渡辺正人武田文吾伊藤由五郎
第21回1961年4月16日シンツバメ牡32:10.1野平好男松田由太郎伊藤由五郎
第22回1962年4月22日ヤマノオー牡32:04.8古山良司内藤潔山口米吉
第23回1963年5月12日メイズイ牡32:02.6森安重勝尾形藤吉千明康
第24回1964年4月19日シンザン牡32:04.1栗田勝武田文吾橋元幸吉
第25回1965年4月18日チトセオー牡32:05.1湯浅三郎加藤清一野間美治
第26回1966年4月17日ニホンピローエース牡32:07.6田所稔小川佐助小林保
第27回1967年4月30日リユウズキ牡32:06.6郷原洋行矢倉玉男福井章哉
第28回1968年5月19日マーチス牡32:06.3保田隆芳伊藤修司大久保常吉
第29回1969年4月20日ワイルドモア牡32:05.2森安重勝尾形藤吉吉原貞敏
第30回1970年4月12日タニノムーティエ牡32:07.9安田伊佐夫島崎宏谷水信夫
第31回1971年5月2日ヒカルイマイ牡32:03.7田島良保谷八郎岡達雄
第32回1972年5月28日ランドプリンス牡32:03.5川端義雄高橋直木村善一
第33回1973年4月15日ハイセイコー牡32:06.7増沢末夫鈴木勝太郎(株)ホースマンクラブ
第34回1974年5月3日キタノカチドキ牡32:01.7武邦彦服部正利初田豊
第35回1975年4月13日カブラヤオー牡32:02.5菅原泰夫茂木為二郎加藤よし子
第36回1976年4月25日トウショウボーイ牡32:01.6池上昌弘保田隆芳トウショウ産業(株)
第37回1977年4月17日ハードバージ牡32:05.1福永洋一伊藤雄二吉嶺一徳
第38回1978年4月16日ファンタスト牡32:04.3柴田政人高松三太伊達秀和
第39回1979年4月15日ビンゴガルー牡32:02.3小島太久保田彦之(有)芦屋
第40回1980年4月13日ハワイアンイメージ牡32:10.2増沢末夫鈴木勝太郎(株)大関
第41回1981年4月12日カツトップエース牡32:04.9大崎昭一菊池一雄勝本正男
第42回1982年4月18日アズマハンター牡32:02.5中島啓之仲住芳雄(株)東牧場
第43回1983年4月17日ミスターシービー牡32:08.3吉永正人松山康久(株)丸沼温泉ホテル
第44回1984年4月15日シンボリルドルフ牡32:01.1岡部幸雄野平祐二和田農林(有)
第45回1985年4月14日ミホシンザン牡32:02.1柴田政人田中朋次郎堤勘時
第46回1986年4月13日ダイナコスモス牡32:02.1岡部幸雄沢峰次(有)社台レースホース
第47回1987年4月19日サクラスターオー牡32:01.9東信二平井雄二(株)さくらコマース
第48回1988年4月17日ヤエノムテキ牡32:01.3西浦勝一荻野光男(有)富士
第49回1989年4月16日ドクタースパート牡32:05.2的場均柄崎孝松岡悟
第50回1990年4月15日ハクタイセイ牡32:02.2南井克巳布施正渡辺重夫
第51回1991年4月14日トウカイテイオー牡32:01.8安田隆行松元省一内村正則
第52回1992年4月19日ミホノブルボン牡32:01.4小島貞博戸山為夫(有)ミホノインターナショナル
第53回1993年4月18日ナリタタイシン牡32:00.2武豊大久保正陽山路秀則
第54回1994年4月17日ナリタブライアン牡31:59.0南井克巳大久保正陽山路秀則
第55回1995年4月16日ジェニュイン牡32:02.5岡部幸雄松山康久(有)社台レースホース
第56回1996年4月14日イシノサンデー牡32:00.7四位洋文山内研二(株)イシジマ
第57回1997年4月13日サニーブライアン牡32:02.0大西直宏中尾銑治宮崎守保
第58回1998年4月19日セイウンスカイ牡32:01.3横山典弘保田一隆西山牧場
第59回1999年4月18日テイエムオペラオー牡32:00.7和田竜二岩元市三竹園正繼
第60回2000年4月16日エアシャカール牡32:01.8武豊森秀行(株)ラッキーフィールド
第61回2001年4月15日アグネスタキオン牡32:00.3河内洋長浜博之渡辺孝男
第62回2002年4月14日ノーリーズン牡31:58.5B.ドイル池江泰郎前田晋二
第63回2003年4月20日ネオユニヴァース牡32:01.2M.デムーロ瀬戸口勉(有)社台レースホース
第64回2004年4月18日ダイワメジャー牡31:58.6M.デムーロ上原博之大城敬三
第65回2005年4月17日ディープインパクト牡31:59.2武豊池江泰郎金子真人
第66回2006年4月16日メイショウサムソン牡31:59.9石橋守瀬戸口勉松本好雄
第67回2007年4月15日ヴィクトリー牡31:59.9田中勝春音無秀孝近藤英子
第68回2008年4月20日キャプテントゥーレ牡32:01.7川田将雅森秀行(有)社台レースホース
第69回2009年4月19日アンライバルド牡31:58:7岩田康誠友道康夫(有)サンデーレーシング

皐月賞の記録

  • レースレコード - 1:58.5(第62回優勝馬ノーリーズン)
  • 2着との最大着差 - 8馬身(第14回優勝馬ダイナナホウシユウ)
  • 最多優勝騎手 - 3勝 渡辺正人(第18~20回) 岡部幸雄(第44、46、55回) 武豊(第53、60、65回)
  • 最多連続優勝騎手 - 渡辺正人 3連覇(第18~20回)
  • 最多勝調教師 - 田中和一郎 4勝(第3、4、11、15回)
  • 同一クラシック最多連続騎乗 - 加賀武見

父仔制覇

過去に6組の父仔制覇の例がある。

父馬名優勝回仔馬名優勝回
1組目シンザン第24回ミホシンザン第45回
2組目ハイセイコー第33回ハクタイセイ第50回
3組目トウショウボーイ第36回ミスターシービー第43回
4組目シンボリルドルフ第44回トウカイテイオー第51回
5組目アグネスタキオン第61回キャプテントゥーレ第68回
6組目ネオユニヴァース第63回アンライバルド第69回

兄弟制覇

過去に3組の兄弟制覇の例があり、フリツパンシーの子、セントライト・アルバイト(のちにクリヒカリと改名)、トサミドリは3兄弟制覇を成し遂げている。以下は母馬から見た兄弟に限る。

兄馬名優勝回弟馬名優勝回母馬名
1組目セントライト第3回アルバイト第4回フリツパンシー
2組目トサミドリ第9回
3組目コダマ第20回シンツバメ第21回シラオキ

本競走からの東京優駿(日本ダービー)の制覇

日本の牡馬二冠馬を参照。

地方競馬の「皐月賞」

地方競馬でも皐月賞を範した競走がある。地区内での中央競馬の皐月賞と同等の機能を持った競走に設定されている。以下は2009年現在施行されている競走のみ。

なお、2000年から2007年まで荒尾競馬場荒尾ダービー九州皐月賞の副題が付けられていたが、2008年以降は外されている。

また皐月賞の名前は冠していないが、南関東地方競馬では大井競馬場羽田盃が中央競馬の皐月賞に相当する競走として位置づけられている。

エピソード

ゲート内で尻もち競走中止
2000年の第60回では佐藤哲三騎乗のラガーレグルスがゲートが開いたと同時に尻もちをつき、ゲートから出られなくなるというハプニングがあった。ルール上「ゲートから出なかった(これを「膠着」と表現する)馬は競走中止として扱う」ため競走は成立し、同馬は競走中止となり馬券の返還もなかった。しかも同馬は3番人気(単勝オッズ7.0倍)だったため単勝売上だけで約10%がスタートと同時に紙屑となってしまった。
また前年の1999年の第59回では幸英明騎乗のワンダーファングが競走前にゲート内で立ち上がり、外傷を追った結果、競走除外になっている。この両馬は1枠1番で、2年連続1枠1番の馬がレース直前で出走できないという珍事になった。

脚注

  1. ^ 中山競馬場の芝2000mにおいての最多出走では1966年の23頭。但し出走登録は24頭で、1頭が出走を取り消した。

関連項目

皐月賞


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