東京オリンピック
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| 東京オリンピック | |
|---|---|
| Games of the XVIII Olympiad 第18回夏季オリンピック | |
| 開催都市 | |
| 参加国・地域数 | 93 |
| 参加人数 | 5,133人 (男子4,457人、女子683人) |
| 競技種目数 | 20競技163種目 |
| 開会式 | 1964年10月10日(開会式詳細) |
| 閉会式 | 1964年10月24日(閉会式詳細) |
| 開会宣言 | 昭和天皇 |
| 選手宣誓 | 小野喬 |
| 最終聖火ランナー | 坂井義則 |
| 主競技場 | 国立霞ヶ丘陸上競技場 |
東京オリンピック(Games of the XVIII Olympiad)は、1964年に日本の東京で開かれた第18回夏季オリンピック。
目次 |
概要
日本で初めてのオリンピックである。また、アジア地域における初のオリンピックとなった。歴史的には、第二次世界大戦で敗戦した日本が、再び国際社会に復帰するシンボル的な意味を持った。
また、1940年代から1960年代にかけてヨーロッパ諸国やアメリカによる植民地支配を破り、次々と独立を成し遂げたアジアやアフリカ諸国による初出場が相次ぎ、過去最高の出場国数となった。
開会式は10月10日、閉会式は10月24日に行われた。開会宣言は昭和天皇、組織委員会会長は安川第五郎、準備委員長は新田純興であった。開会式の10月10日は、1966年以降体育の日として親しまれるようになった。体育の日は、2000年より10月の第2月曜日となっている。
大会開催までの経緯
当初、1960年のオリンピックに立候補したが1960年のオリンピック開催地投票でローマに敗れた。次に1964年の大会に立候補し1959年5月26日に西ドイツのミュンヘンにて開催されたIOC総会において欧米の3都市を破り開催地に選出された。得票数は東京34票、デトロイト10票、ウィーン9票、ブリュッセル5票だった。特に、総会での立候補趣意演説を行った平沢和重(外交官)や、中南米諸国の支持を集めるために奔走したロサンゼルスの実業家、フレッド・イサム・ワダ(和田勇)、当時都議であった北島義彦、「日本プロレスの父」といわれた八田一朗らの功績が大きかった。和田は育った御坊市で名誉市民第1号となっている。
| 1964年夏季オリンピック 開催地投票 | ||
|---|---|---|
| 都市 | 国 | 1回目 |
| 東京 | 34 | |
| デトロイト | 10 | |
| ウィーン | 9 | |
| ブリュッセル | 5 | |
開催の決定した日本では「東京オリンピック組織委員会」が組織され、国家予算として国立競技場をはじめとした施設整備に約164億円、大会運営費94億円、選手強化費用23億円を計上した国家プロジェクトとなった[1]。開催にあたり、組織委員会は巨大な東京オリンピック公式ポスターを都市部に設置、デザインは亀倉雄策が手掛けた。
実施競技と日程
各競技の詳細については、それぞれの競技のリンク先を参照のこと。
| 競技名 / 日付 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 開会式 | • | ||||||||||||||
| 陸上競技 | • | • | • | • | • | • | • | • | |||||||
| 競泳競技 東京オリンピックにおける飛込競技 | • | • | • | • | • | • | • | • | |||||||
| 水球 | • | • | • | • | • | • | • | ||||||||
| 東京オリンピックにおける体操競技 | • | • | • | • | • | • | |||||||||
| 柔道 | • | • | • | • | |||||||||||
| 東京オリンピックにおけるレスリング競技 | • | • | • | • | • | • | • | • | |||||||
| 自転車 | • | • | • | • | • | • | |||||||||
| バレーボール | • | • | • | • | • | • | • | • | • | • | • | ||||
| バスケットボール | • | • | • | • | • | • | • | • | • | • | • | ||||
| サッカー | • | • | • | • | • | • | • | • | • | ||||||
| 東京オリンピックにおけるボクシング競技 | • | • | • | • | • | • | • | • | • | • | • | • | |||
| 東京オリンピックにおけるボート競技 | • | • | • | • | • | ||||||||||
| 東京オリンピックにおけるヨット競技 | • | • | • | • | • | • | • | ||||||||
| 東京オリンピックにおけるカヌー競技 | • | • | • | ||||||||||||
| 東京オリンピックにおけるフェンシング競技 | • | • | • | • | • | • | • | • | • | • | • | ||||
| 東京オリンピックにおけるウエイトリフティング競技 | • | • | • | • | • | • | • | ||||||||
| ホッケー | • | • | • | • | • | • | • | • | • | • | • | • | |||
| 東京オリンピックにおける近代五種競技 | • | • | • | • | • | ||||||||||
| 東京オリンピックにおける馬術競技 | • | • | • | • | • | • | • | ||||||||
| 東京オリンピックにおける射撃競技 | • | • | • | • | • | ||||||||||
| 閉会式 | • |
公開競技
- 東京オリンピックにおける野球競技
ハイライト
- 開会式
- 女子バレーボール:東洋の魔女(全日本女子バレーボールチーム)
- マラソン:円谷幸吉の活躍(第3位)。アベベの優勝(連覇)。男子1万メートル走で、最下位となっても棄権せず完走した、セイロン (ドミニオン)代表のカルナナンダ(ピエール・ド・クーベルタンが唱えたオリンピック精神“重要なのは勝つ事ではなく参加する事”を体現したこのエピソードはのちに、背番号から『ゼッケン67』と題して小学校国語の教材になる)。
- 柔道:正式種目となる。無差別級でヘーシンクに押えこまれる神永。
- レスリング
- 重量あげ
- サッカー
- 閉会式
各国の獲得メダル
詳細は「東京オリンピックでの国・地域別メダル受賞数一覧」を参照
| 順位 | 国・地域 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 36 | 26 | 28 | 90 | |
| 2 | 画像:Flag of the Soviet Union 1955.svg 東京オリンピックソビエト連邦選手団 | 30 | 31 | 35 | 96 |
| 3 | 16 | 5 | 8 | 29 | |
| 4 | 10 | 22 | 18 | 50 | |
| 5 | 10 | 10 | 7 | 27 | |
| 6 | 10 | 7 | 5 | 22 | |
| 7 | 7 | 6 | 10 | 23 | |
| 8 | 6 | 2 | 10 | 18 | |
| 9 | 5 | 6 | 3 | 14 | |
| 10 | 4 | 12 | 2 | 18 |
主なメダリスト
金メダル- 桜井孝雄(日本、ボクシングバンタム級)
- 三宅義信(日本、ウエイトリフティングフェザー級)
- 市口政光(日本、レスリンググレコローマンバンタム級)
- 花原勉(日本、レスリンググレコローマンフライ級)
- 上武洋次郎(日本、レスリングフリースタイルバンタム級)
- 渡辺長武(日本、レスリングフリースタイルフェザー級)
- 吉田義勝(日本、レスリングフリースタイルフライ級)
- 中谷雄英(日本、柔道軽量級)
- 猪熊功(日本、柔道重量級)
- 岡野功(日本、柔道中量級)
- 早田卓次(日本、体操男子つり輪)
- 山下治広(日本、体操男子跳馬)
- 遠藤幸雄(日本、体操男子平行棒、体操男子個人総合)
- 遠藤幸雄・小野喬・鶴見修治・早田卓次・三栗崇・山下治広(日本、体操男子団体総合)
- 磯辺サダ・河西昌枝・近藤雅子・佐々木節子・篠崎洋子・渋木綾乃・谷田絹子・半田百合子・藤本佑子・松村勝美・松村好子・宮本恵美子(日本、バレーボール女子)
- ボブ・ヘイズ(アメリカ、陸上競技男子100m、4×100mリレー)
- ピーター・スネル(ニュージーランド、陸上競技男子800m)
- ピーター・スネル(ニュージーランド、陸上競技男子1500m)
- ビリー・ミルズ(アメリカ、陸上競技男子10000m)
- アベベ・ビキラ(エチオピア、陸上競技男子マラソン)
- アル・オーター(アメリカ合衆国、陸上競技男子円盤投)
- ベティ・カスバート(オーストラリア、陸上競技女子400m)
- マリー・ランド(イギリス、陸上競技女子走幅跳)
- ヨランダ・バラシュ(ルーマニア、陸上競技女子走高跳)
- アメリカ(陸上競技男子4×100リレー)
- ポーランド(陸上競技女子4×100リレー)
- ドン・ショランダー(アメリカ、競泳男子100m自由形)
- ドン・ショランダー(アメリカ、競泳男子400m自由形)
- アメリカ(競泳男子4×100mリレー)
- アメリカ(競泳男子4×200mリレー)
- ドーン・フレーザー(オーストラリア、競泳女子100m自由形)
- イングリッド・クレーマー(統一ドイツ、女子飛びこみ)
- ヴァチェスラフ・イワーノフ(ソビエト連邦、ボート競技男子シングルスカル)
- ボリス・シャハリン(ソビエト連邦、体操鉄棒)
- ベラ・チャスラフスカ(チェコスロバキア、体操女子平均台)
- ベラ・チャスラフスカ(チェコスロバキア、体操女子平均台)
- ベラ・チャスラフスカ(チェコスロバキア、体操女子跳馬)
- ラリサ・ラチニナ(ソビエト連邦、体操女子ゆか)
- ソビエト連邦(体操女子団体)
- ドイツ(馬術馬場馬術団体)
- アントン・ヘーシンク(オランダ、柔道男子無差別級)
- ジョー・フレージャー(アメリカ、ボクシング・ヘビー級、後にプロボクシングで世界ヘビー級王者)
銀メダル- 神永昭夫(日本、柔道無差別級)
- 鶴見修治(日本、体操男子あん馬、体操男子個人総合、体操男子平行棒)
- 遠藤幸雄(日本、体操男子床運動)
- モハメド・ガムーディ(チュニジア、陸上競技男子10000m)
- ベイジル・ヒートリー(イギリス、陸上競技男子マラソン)
- イレーナ・シェビンスカ(ポーランド、陸上競技女子200m)
- イレーナ・シェビンスカ(ポーランド、陸上競技女子走り幅跳)
- マリー・ランド(イギリス、陸上競技女子五種競技)
- オーストラリア(競泳女子4×100mリレー)
- ボリス・シャハリン(ソビエト連邦、体操男子個人総合)
- ソビエト連邦(体操男子団体)
- ラリサ・ラチニナ(ソビエト連邦、体操女子個人総合)
- ラリサ・ラチニナ(ソビエト連邦、体操女子跳馬)
銅メダル- 円谷幸吉(日本、陸上男子マラソン)
- 一ノ関史郎(日本、ウエイトリフティングバンタム級)
- 大内仁(日本、ウエイトリフティングミドル級)
- 堀内岩雄(日本、レスリングフリースタイルライト級)
- 吉川貴久(日本、ライフル射撃男子フリーピストル)
- 岩崎邦宏・岡部幸明・庄司敏夫・福井誠(日本、競泳男子800m自由形リレー)
- 相原俊子・池田敬子・小野清子・千葉吟子・辻宏子・中村多仁子(日本、体操女子団体)
- 池田尚弘・小瀬戸俊昭・小山勉・佐藤安孝・菅原貞敬・出町豊・猫田勝敏・南将之・森山輝久・中村祐造・樋口時彦(日本、バレーボール男子)
- ロン・クラーク(オーストラリア、陸上競技男子10000m)
- イギリス(陸上競技女子4×100mリレー)
- ボリス・シャハリン(ソビエト連邦、体操男子つり輪)
- ラリサ・ラチニナ(ソビエト連邦、体操女子平均台)
- ラリサ・ラチニナ(ソビエト連邦、体操女子段違い平行棒)
- ダニエル・モレロン(フランス、自転車競技トラックスプリント(当時はスクラッチ))
競技会場
東京23区内
- 国立霞ヶ丘陸上競技場(新宿区):開閉会式、陸上競技(マラソンと50km競歩は甲州街道折り返しコース、20km競歩は明治神宮聖徳記念絵画館周回コースをいずれも競技場発着として使用)、サッカー、馬術
- 東京体育館(渋谷区):体操
- 東京体育館屋内水泳場(渋谷区):水球
- 秩父宮ラグビー場(港区):サッカー
- 国立屋内総合競技場本館<国立代々木競技場第一体育館>(渋谷区):水泳、飛び込み、近代五種(水泳)
- 国立屋内総合競技場別館<国立代々木競技場第二体育館>(渋谷区):バスケットボール
- 渋谷公会堂(渋谷区):重量挙げ
- 駒沢陸上競技場(世田谷区):サッカー
- 駒沢体育館(世田谷区):レスリング
- 駒沢バレーボールコート(世田谷区):バレーボール
- 駒沢オリンピック公園(世田谷区):ホッケー
- 後楽園アイスパレス(文京区):ボクシング
- 早稲田大学記念会堂(新宿区):フェンシング、近代五種(フェンシング)
- 日本武道館(千代田区):柔道
- 馬事公苑(世田谷区):馬術
周辺地域
東京都 (23区を除く)
神奈川県
埼玉県
- 朝霞射撃場(北足立郡朝霞町、現:朝霞市):射撃、近代五種(射撃)
- 朝霞根津パーク(北足立郡朝霞町):近代五種(馬術)
- 戸田漕艇場(北足立郡戸田町、現:戸田市):ボート競技
- 大宮蹴球場(大宮市、現:さいたま市):サッカー
- 所沢クレー射撃場(所沢市):クレー射撃
千葉県
- 東京大学検見川総合運動場(千葉市):近代五種(クロスカントリー)
長野県
開催に向けての整備
この東京オリンピックの開催にむけて、競技用施設から選手村、公共交通機関などのインフラストラクチャーや観戦客を受け入れるためのホテルに至るまで、東京都内のみならず日本各地において種々の建設・整備がなされた。
競技場等の施設
- 国立競技場(国立霞ヶ丘陸上競技場、秩父宮ラグビー場、国立代々木競技場、国立西が丘サッカー場)
- 日本武道館
- 駒沢オリンピック公園
- 岸記念体育会館
- 織田フィールド(当時の選手練習場、現在は代々木公園陸上競技場)
- 選手村(その他内の記述を参照)
交通機関・道路等のインフラ
その他
聖火
- 1964年8月21日にギリシャのオリンピア・ヘラ神殿で採火式が行われた。その後、ビルマ(現:ミャンマー)、マレーシア、タイ、フィリピン、中華民国、沖縄(当時はアメリカ合衆国の占領下)など、第二次世界大戦で日本軍が戦場として戦った地域を通り、平和のための聖火リレーを印象づけた。本土までは東京オリンピックのオフィシャル・キャリアの日本航空のダグラスDC-6Bによって運搬され、鹿児島市、宮崎市、千歳市の3カ所からスタートしリレーされた。
- この聖火の国内における輸送には国産旅客機として名高い日本航空機製造YS-11が使用された。ちなみにその時の機体には「聖火号」と名づけられ、その後も聖火輸送を記念して全日空のYSには「オリンピア」の愛称が付けられていた。
- 聖火リレーには、輪島大士、三遊亭小遊三などもランナーとして参加・力走している。
- 聖火の最終ランナーは、1945年8月6日に広島県三次市で生まれた19歳の陸上選手・坂井義則(当時早稲田大学競走部所属、後にフジテレビ社員)であった。原爆投下の日に広島市に程近い場所で生を享けた若者が、青空の下、聖火台への163段の階段を駆け上る姿はまさに日本復興の象徴であった。なお、本来は陸上選手の後藤(後に東京海上火災の社員)が走る予定であったが、「原爆投下の日に生まれた」というエピソードからぎりぎりで坂井に変更された。
その他
- 新興国競技大会(GANEFO)への参加選手への資格停止処分をめぐり、国際陸上競技連盟と国際水泳連盟と対立していた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)とインドネシアは、直前まで参加予定で選手団も日本に来ており、組織委員会は両国の参加を実現すべく両者の間に入り調整を続けていたが対立関係は修復されず、両国とも開会式の前日(10月9日)に不参加届を組織委員会に提出して参加を取りやめた[2]。
- 中華民国と「中国を代表する国家」の地位をめぐって対立していた中華人民共和国は、独立したNOCとしてIOCに加盟していた中華民国の扱いへの反発から1958年にIOCを脱退していたため、当初より参加の予定はなかった(新興国競技大会の項目も参照)。また会期中の10月16日に同国初の原爆実験を行っている。
- 会期中に使用された選手村は、旧日本陸軍代々木練兵場跡地で、第二次世界大戦の敗戦後に連合国軍に接収され、連合国軍の1国である駐留アメリカ軍の宿舎敷地で通称「ワシントンハイツ」となっていた924,000m²もの広大な土地の返還を受けて、その中に国立代々木競技場などともに建設された。オリンピックのために新築された4階建ての中層共同住宅形式の宿舎は1965年以降国立オリンピック記念青少年総合センターとして利用された。また、ワシントンハイツ内にあった、いわゆる「米軍ハウス」といわれる低層木造のアメリカ軍宿舎も改修して宿舎として用いられ、その一部は代々木公園内に記念物として保存されている。[3][4]
- 開会式ではブルーインパルスのF-86が上空で五輪のマークを描いたことで話題を呼んだ。
- 開会宣言の前にIOCのブランデージ会長が片言の日本語で「ここに、謹んで天皇陛下のお言葉を賜ります」と述べた後、昭和天皇が開会宣言を行った。
- 選手村においてブルガリア人選手同士が結婚式を挙げた。これは史上初のことであった。
- 折からガンで入院していた池田勇人首相は、10月10日の開会式には参加したが、閉会式翌日の10月25日に退陣を発表した。
- 日本のお家芸と言われた男子体操団体は、ローマ大会に続いて2連覇を果たしたが、前回のローマ大会と東京大会に限って団体総合では1つしかメダルが授与されていない。東京大会では女子も団体で銅メダルを獲得したが、1個のみである。他の団体競技では選手全員にメダルが授与されているので、このようなケースは珍しい[5]。
- 閉会式は誘導のトラブルからこれまでの慣例と違い国別の整然とした行進にならなかったが、そのために却って、各国の選手が入り混じり腕や肩を組み合って入場する感動的なものとなった。その後のオリンピックでは東京方式が採用されるようになった。ただし国別に選手が入場しなかったのはメルボルンオリンピックが先である。
- 案内や誘導、競技種目表示においてピクトグラムが採用されたのは東京オリンピックが最初である。制作にはアートディレクターを務めた勝見勝を中心に粟津潔ほか30名ほどのデザイナーが携わった。競技種目ピクトグラムを制作したのは山下芳郎1人である。
- 大会後の日本における祝勝会にはメダル取得者が呼ばれていたが、男子バレーボールチームは競技でメダルを取ったにも拘らず、連絡ミスにより参加できなかった。
- 公募で決まった公式標語は「世界は一つ東京オリンピック」。名古屋の中学生の作品。
- 柔道会場の日本武道館に敷かれていた柔道畳は日本古来の稲藁やシチトウの素材を使い日本職人により作らたものが使用される。その後のオリンピックの柔道ではビニール・プラスティック素材のマットに変わる。2008年非営利団体 柔道畳復元プロジェクト が当時の柔道畳や嘉納治五郎が研究に継ぐ研究した柔道創設時代の柔道畳を復元している。
東京オリンピック開催が日本にもたらした影響
- 東京オリンピックの開催期間には、1964年10月14日のソ連のニキータ・フルシチョフ首相解任、10月16日の中華人民共和国(上記の通り本大会には不参加)による初の核実験など国際的事件が次々と起こった。これにより、「世界の注目を奪われた面もある」と考えられる一方、激動の世界情勢を反映する場として注視の的になるという面もあったようである。この大会は第二次世界大戦後の「日本の復興」を象徴するのみならず、これらの事件とともに世界史の一つの転換点であった。
- 史上初の3人乗り宇宙船であるソ連のボスホート1号(1964年10月12日打ち上げ、10月13日帰還)は東京上空を飛行するにあたり、オリンピックに参加する「世界の青年に熱烈なあいさつを」送った。
- キング牧師のノーベル平和賞受賞が決定したのも、会期中の10月14日のことである(実際の受賞は12月10日)。
- イギリス領北ローデシアは閉会式の日にあたる1964年10月24日(日本時間では同日午前7時)にザンビアとして独立したため、開会式と閉会式とで異なる国名となった。選手村の国旗なども同日をもって新国旗に付け替えられた。
- 東京オリンピック招致に成功したことは、「先進国クラブ」あるいは「金持ちクラブ」とも呼ばれている経済協力開発機構(OECD)にアジアの国としては原加盟国のトルコに次いでの2番目であるが、同機構発足の理由となったマーシャル・プランに無関係の国としては初めて、オリンピック開催に先駆けて1964年4月28日に加盟が認められる大きな背景となった。
- 東京オリンピック開催を契機に競技施設や日本国内の交通網の整備に多額の建設投資が行われ、競技や施設を見る旅行需要が喚起され、カラー放送を見るためのテレビ購入の飛躍的増加などの消費も増えたため、日本経済に「オリンピック景気」といわれる好景気をもたらした。テレビ購入者が増えたため「テレビ番組」の視聴者も多くなった。その為、娯楽性の高い「バラエティ番組」が増えたといわれる。
- 特に開催地の東京では、開催に向けて競技施設のみならず地下鉄やモノレール、新幹線、ホテル、首都高速道路など様々なインフラストラクチャーの整備が行われ、これらの殆どは現在に至るまで改良を重ねながら利用されている。
- ゴミ都市と呼ばれていた東京に、都の主導でゴミ収集車が250台導入され、また、積水化学製のポリバケツが普及した。
- 東京オリンピックで初めてコンピュータによるリアルタイムでの記録管理が行われたことも、地味ではあるが特筆すべき事項である。それ以前のオリンピックでもコンピュータは使われていたが、あくまで記録管理はバッチ処理により行われており、最終的な公式記録の確定・レコードブックの作成には大会終了後数ヶ月を要していたのに対し、東京オリンピックではプレスセンターのある日本青年館に設置されたコンピュータによりリアルタイムで記録が管理され、全競技会場に置かれた端末で入力された各競技の記録が集められただけでなく、端末では他会場の競技結果も参照することができたという。また公式記録の確定も速やかに行われ、大会最終日の閉会式において全競技の記録を記したレコードブックが当時のアベリー・ブランデージIOC会長に渡された。同システムの構築は日本アイ・ビー・エムが約2年半がかりで行ったもので、プロジェクトリーダーを務めた竹下亨(後に中部大学大学院経営情報学研究科教授)はこのシステム構築に関する論文をまとめた功績で、1988年に山内業績賞を受賞している。本システムの成功は、日本においてリアルタイムシステムが普及する大きな契機となり、同プロジェクトのメンバーはその後三井銀行の第一次オンラインシステム、マツダの生産管理システムなど多くのリアルタイムシステムを手がけていくことになる[6]。
「テレビ・オリンピック」
東京オリンピックは、ベルリンオリンピックで初お目見えしたオリンピックのテレビ中継技術が格段に向上したことを印象づける大会となった。衛星放送技術を始め、カラー写真・小型のコンパクトカメラの開発などもその特徴である。
日本では1959年のミッチー・ブーム以降テレビ受像機(白黒)の普及が急速に進み、1959年に23.6%だった普及率は1964年には87.8%に達した。当時非常に高価だったカラーテレビ受像機は、東京オリンピックを契機に各メーカーが宣伝に力を入れ始めた。メディアでの昭和世相史に関する記事等で「東京オリンピックの時期にカラーテレビが普及した」という趣旨の記述が見られることがあるが、1965年まではカラーテレビの普及率は数字に現れていない。メキシコオリンピックが行われた1968年の調査でも5.4%で、カラーテレビの普及率が白黒テレビを上回ったのは1973年である。
記録映画
| 東京オリンピック Tokyo Olympiad | |
|---|---|
| 監督 | 市川崑 |
| 製作 | 田口助太郎 |
| 脚本 | 市川崑 和田夏十 白坂依志夫 谷川俊太郎 |
| 音楽 | 黛敏郎 |
| 撮影 | 宮川一夫 林田重男 中村謹司 田中正 |
| 編集 | 江原義夫 |
| 配給 | 東宝 |
| 公開 | |
| 上映時間 | 170分 |
| 製作国 | |
| 言語 | 日本語 |
| 興行収入 | 12億2321万円 |
| allcinema | |
| キネマ旬報 | |
| allmovie | |
| IMDb | |
市川崑が総監督を務めて制作された『東京オリンピック』。日本国内での配給収入は12億2321万円を記録。アスリートの心情の表現を重視した演出や、超望遠レンズをはじめとする複数のカメラを使った多角的な描写など、従来の「記録映画」とは全く性質の異なる極めて芸術性の高い作品に仕上げた。
しかし、オリンピック担当大臣の河野一郎が「記録性に欠ける」とこれを批判したことから、「記録か芸術か」という論争を呼び起こすことになった。この時の騒動について市川は「要するに河野さんは、馬とかマラソンにうんちくのある方だったんですが、その辺の競技を映画で見たかったのにそれが十分入っていないのが気に食わなかった。作品を全面否定されたわけでも何でもないんです。今から言えば笑い話ですがね」と後のインタビューで語っている(出典:1985年8月27日『朝日新聞』)。
その影響もあってか、英語版では大会組織委員会が再編集を施し、上映時間が日本語版より40分短い作品に仕上げている。一方市川自身も、オリンピック開催40周年を記念して2004年に発売されたDVDには、本人が再編集したディレクターズカットを原版とともに収録している。このディレクターズカット版も、公開当時に全体のバランスから入れざるを得なかった競技や、やや創作に偏り過ぎたというチャドのアスリートのエピソードがカットされたため、公開版より22分短い。
さまざまな波紋を広げながらも、『東京オリンピック』は同年度のカンヌ国際映画祭国際批評家賞受賞。また映画館の他にも日本各地の学校や公民館で上映会が開かれたことから、その観客動員数は事実上日本映画史上最多であるといわれている。
使用されたフィルムの長さは、富士山の標高の約40倍に及ぶといい、編集には莫大な労力を費やした。効果音はほとんどが後付けであり、富士山をバックに聖火を走るシーンなども別撮りである。最初に話を受けたのは黒澤明だったが予算の関係から断り、次に今村昌平ら複数の監督に話が流れ、最終的に市川が引き受けた。撮影スタッフの一人に山本晋也が居り、市川に「選手の癖を撮れ」と言われ、非常に困ったと後に話している。
- 『東京オリンピック』
英題:Tokyo Olympiad
イーストマンカラー、35mm ワイドスクリーン (2.35 : 1)
170分
- *黛は開会式冒頭のテープ音楽『オリンピック・カンパノロジー』の作曲も担当している。
レコード
- 『東京五輪音頭』については東京五輪音頭を参照。
※上記のレコード(VSー693)の2曲は公募当選歌で、選定は日本体育協会、オリンピック東京大会組織委員会、東京都が行い、日本体育協会、オリンピック東京大会組織委員会、東京都、文部省、日本放送協会(NHK)、日本民間放送連盟(民放連)の後援によって1962年に制作された。
記念発行物
2016年東京オリンピック招致運動
2005年に東京都の石原慎太郎知事は、2016年の夏季オリンピック開催地に立候補する意向を表明した。2009年のIOC総会による投票で2016年のオリンピックはブラジルのリオデジャネイロで開催されることが決定された。
詳細は「2016年東京オリンピック構想」を参照
注釈
- ^ 当時の大卒初任給は国家公務員Ⅰ種で23,300円であった。
- ^ なお、北朝鮮がオリンピック記念切手を最初に発行したのも東京オリンピックのときである(内藤陽介『北朝鮮事典―切手で読み解く朝鮮民主主義人民共和国』雄山閣 2001年 ISBN 9784803503166)。
- ^ 代々木競技場の歴史/国立代々木競技場 - 独立行政法人日本スポーツ振興センター
- ^ 東京オリンピック選手村宿舎 - 武蔵野・多摩 MTB散歩
- ^ 2006年10月19日、国際オリンピック委員会ロゲ会長が来日レセプションの会場にて、東京五輪日本代表男子チーム・女子チームの選手全員に対して「シンボル・オブ・リコグニッション」を贈呈。
- ^ NHKスペシャル『新・電子立国』第5巻「驚異の巨大システム」(相田洋著、日本放送出版協会、1997年)pp.48 - 95
関連項目
- Wikipedia:ウィキプロジェクト オリンピック
外部リンク
| 東京オリンピック実施競技 |
|---|
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| 近代オリンピック | |
|---|---|
| オリンピック競技 - 各国メダル獲得数 - IOCコード メダリスト - シンボル | |
| 夏季大会 | 1896年 - 1900年 - 1904年 - 1906年※ - 1908年 - 1912年 - 1916年× - 1920年 - 1924年 - 1928年 - 1932年 - 1936年 - 1940年× - 1944年× - 1948年 - 1952年 - 1956年 - 1960年 - 1964年 - 1968年 - 1972年 - 1976年 - 1980年 - 1984年 - 1988年 - 1992年 - 1996年 - 2000年 - 2004年 - 2008年 - (2012年) - (2016年) - (2020年) |
| 冬季大会 | 1924年 - 1928年 - 1932年 - 1936年 - 1940年× - 1944年× - 1948年 - 1952年 - 1956年 - 1960年 - 1964年 - 1968年 - 1972年 - 1976年 - 1980年 - 1984年 - 1988年 - 1992年 - 1994年 - 1998年 - 2002年 - 2006年 - 2010年 - (2014年) - (2018年) |
| 「×」は中止となった大会 - 「※」は非公認の特別大会 - 「()」は開催予定の大会 | |
| 市川崑 | |
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| 1947年 - 1949年 | 東宝千一夜 (1947年) - -「眞知子」より- 花ひらく (1948年) - 三百六十五夜 東京篇・大阪篇 (1948年) - 人間模様 (1949年) - 果てしなき情熱 (1949年) |
| 1950年代 | 銀座三四郎 (1950年) - 熱泥地 (1950年) - 暁の追跡 (1950年) - 夜来香 (映画) (1951年) - 恋人 (1951年) - 無国籍者 (映画) (1951年) - 盗まれた恋 (1951年) - ブンガワンソロ (1951年) - 結婚行進曲 (映画) (1951年) - ラッキーさん (1952年) - 若い人 (1952年) - 足にさわった女 (1952年) - あの手この手 (1952年) - プーサン (1953年) - 青色革命 (1953年) - 天晴れ一番手柄 青春銭形平次 (1953年) - 愛人 (映画) (1953年) - わたしの凡てを (1954年) - 億万長者 (1954年) - 女性に関する十二章 (1954年) - 青春怪談 (1955年) - こころ (1955年) - ビルマの竪琴(第一部・第二部) (1956年) - 処刑の部屋 (1956年) - 日本橋 (1956年) - 満員電車 (1957年) - 東北の神武たち (1957年) - 穴 (映画) (1957年) - 炎上 (1958年) - あなたと私の合言葉・さようなら、今日は (1959年) - 鍵 (小説) (1959年) - 野火 (1959年) |
| 1960年代 | 女経(第2話「物を高く売り付ける女」) (1960年) - ぼんち (1960年) - おとうと (1960年) - 黒い十人の女 (1961年) - 破戒 (1962年) - 私は二歳 (1962年) - 雪之丞変化 (1963年) - 太平洋ひとりぼっち (1963年) - ど根性物語 銭の踊り (1964年) - 東京オリンピック (1965年) - トッポ・ジージョのボタン戦争 (1967年) - 青春 第50回全国高校野球選手権大会 (1968年・総監督) |
| 1970年代 | 愛ふたたび (映画) (1971年) - 時よとまれ 君は美しい -最も早く- (1973年) - 股旅 (映画) (1973年) - 吾輩は猫である (1975年) - 妻と女の間 (1976年) - 犬神家の一族 (1976年) - 悪魔の手毬唄 (1977年) - 獄門島 (1977年) - 女王蜂 (1978年) - 火の鳥 (1978年) - 病院坂の首縊りの家 (1979年) |
| 1980年代 | 古都 (1980年) - 幸福 (1981年) - 細雪 (1983年) - おはん (1984年) - ビルマの竪琴 (1985年) - 鹿鳴館 (1986年) - 映画女優 (1987年) - 竹取物語 (1987年) - つる -鶴- (1988年) |
| 1990年代 | 天河伝説殺人事件 (1991年) - 帰ってきた木枯し紋次郎 (1993年) - 忠臣蔵 四十七人の刺客 (1994年) - 八つ墓村 (1996年) |
| 2000年代 | どら平太 (2000年) - 新選組 (2000年の映画) (2000年) - かあちゃん (2001年) - 犬神家の一族 (2006年) - ユメ十夜(第二夜) (2007年) |
| 企画・監修作品 | 銀河鉄道999 (The Galaxy Express 999) (1979年) - 長江 (1981年) - 子猫物語 (1986年) |
| テレビドラマ | 木枯し紋次郎 (1972年 - 1973年) - 刑事追う! (1996年) - 盤嶽の一生 (2002年) |
| 関連人物・項目 | 和田夏十 - 長谷川清 - 長田千鶴子 - 久里子亭 - 石坂浩二の金田一耕助シリーズ |
Mhr:Кеҥеж Олимпий модмаш - Токио 1964
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