アニメーション映画

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アニメーション映画(アニメーションえいが)は劇場及び映画館等で公開されるアニメーションによる映像作品。略してアニメ映画とも言う。劇場での公開も考慮されて製作されたものは劇場用アニメーション映画または劇場版アニメとも言われる。また、映画館ではなく、上映会による劇場上映を念頭において製作されたものは親子映画を参照のこと。

目次

概要

「アニメーション映画」は、実写映画特撮映画などと対比させた言葉で、「劇場用アニメ映画」は、テレビアニメOVAなどと対比させた言葉である。1960年代にテレビアニメが登場するまではアニメーションの媒体といえば、映画しか存在せず、アニメーションといえば例外なくアニメーション映画であった。ただし、当時はアニメーション映画という呼称は一般的ではなく、漫画映画と呼ばれていた。

アニメーション映画は、映画館のみならず劇場、屋外劇場などで上映することを目的に作成されたものでもある。そのため、アニメ映画と劇場版アニメはほぼ同義語になっている。テレビアニメとして放映される作品の場合は、通常のテレビシリーズと区別するために、「劇場版」または「映画」とタイトルに付くことがある。テレビシリーズとは別に1本で完成された作品にするため、一部を除き、その殆どは映画用に作成されたオリジナルストーリーとなっている。

テレビが登場するまでは、アニメとはもっぱら映画館で上映されるものであり、アメリカではテレビ時代になってからも繰り返し劇場短編作品がテレビで放送されている。日本でも同じく1960年代にテレビアニメが量産されるまで、『トムとジェリー』『ポパイ』『スーパーマン』『ベティ・ブープ』などアメリカの劇場短編作品がテレビで放送されていた。

テレビが普及する以前には、ニュース映画とともに短編アニメが一般映画(本編)の前座として上映された。多くの短編劇場アニメはこの時代に製作されたものである。ディズニーが初の長編アニメ『白雪姫』を製作するまで、アニメと言えば、ストーリーを楽しむというより絵が動くことを楽しむアトラクション的な短編アニメが常識であった。

近年、映画館での公開終了後、地方の公共団体自治体に貸し出され、星空映画会などのイベントで無料公開されることが多くなった。

一方1980年代からは、ロードショー (映画)ミニシアターでの上映(興行映画作品)ではなく、各地の上映会団体が自主的に上映する親子映画用途で、戦争体験・いじめや差別(人権擁護)・伝記などをテーマとした児童書等を原作とした長編作品(うしろの正面だあれ、ハッピーバースデー いのち輝く瞬間、ガラスのうさぎ、「対馬丸 さようなら沖縄」など)が製作されるようになった。これらの作品は娯楽よりも道徳教育の要素が強く、各地域の上映会実施団体が上映作品の選定(基本的には新作)と上映会の開催を行っている。


アニメの歴史も参照

歴史

世界最初の純粋なアニメーション映画は、フランスの画家エミール・コールの製作した、『ファンタスマゴリー』(1908年、原題:Fantasmagorie)だと考えられている。コールはアメリカのブラックトン(後述)の用いていたコマ撮り実写映画の技法に着目し、そこから実写部分を排した完全なアニメーション作品を創作した。『ファンタスマゴリー』の動画は白い紙に黒インクで描かれ、ネガフィルムのまま黒地に白い線のアニメーション映画として上映された。世界初の長編アニメーション映画は、アルゼンチンキリーノ・クリスティアーニによって制作された『使徒』 (1917年)であった。

アジアでは1941年に中国において万籟鳴と万古蟾の監督で公開された『西遊記 鉄扇公主の巻』がアジア初の長編アニメーション映画とされる。1942年には戦時下の日本に輸出され、当時16歳の手塚治虫に影響を与えると共に、海軍省に長編アニメーション映画『桃太郎 海の神兵』(1945年)を制作させる動機となった。

日本

戦前・戦中

日本の劇場用アニメ映画の歴史は古く、研究者によると、大正期1916年から始まる下川凹天、北山清太郎、幸内純一の3人の漫画家画家が手がけたペーパーアニメーションと切紙アニメーションが日本の最初期に制作されたアニメーションとされている。これは1910年代に輸入されて好評を博した海外の短編アニメーションを受けて、日本の映画会社が依頼して制作された10分ほどの短編作品で、いずれも現存しない。セルアニメーションの導入が遅れた日本では切り紙アニメーションが発達し、この分野では大藤信郎賞にその名を残す大藤信郎が『鯨』(1927年)により『国際的な評価を得ている。1932年には後に「日本のアニメの父」とされる政岡憲三が日本初のトーキーアニメ映画『力と女の世の中』を松竹で制作している。続いて1933年に大石郁雄により動絵狐狸達引が制作される。1935年になると映画会社JOにて日本初の立体アニメーション撮影を用いた実写映画『かぐや姫』が制作される、演出田中喜次、撮影を円谷英二、人形を浅野孟府、アニメーションを政岡憲三が担当している。1943年に日本初のフルセルアニメーション『くもとちゅうりっぷ』が政岡憲三により制作される。第二次世界大戦を迎えると、それまで個人工房により乏しい予算で小規模に行なわれて来た日本のアニメーション制作に対して、軍部より予算が投下され、戦時色の強い国威発揚的な内容ながら、瀬尾光世の『桃太郎の海鷲』(1942年)、『桃太郎 海の神兵』(1944年)といった作品が制作された。後者は日本初の長編アニメーションと位置付けられている。

1960年代

白蛇伝』(1958年)を筆頭に、『安寿と厨子王丸』(1961年)、『わんわん忠臣蔵』(1963年)、『鉄腕アトム 宇宙の勇者』(1964年)、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)、『空飛ぶゆうれい船』(1969年)、『長靴をはいた猫』(1969年)、『海底3万マイル』(1970年)、『どうぶつ宝島』(1971年)など、東映動画虫プロダクションが長編アニメを世に送り出した。

これらのシリーズは「東映まんがまつり」などのようなお正月などの定番映画として低年齢層向け映画として普及することとなる。これらの映画の多くは映画館だけではなく、小学校の上映会などにも貸し出されて、多くの子供たちが観賞する機会を得ることになる。またこういった長編アニメ映画の小学校などでの無料公開は、後の星空映画会などへと引き継がれていくこととなる。

1963年に虫プロダクションが『鉄腕アトム』の制作を開始。これにより本格的テレビアニメ時代の幕開けとなった。翌年には日本初のテレビアニメからの映画化作品『鉄腕アトム 宇宙の勇者』(1964年)が制作される。これ以降、テレビアニメの映画化作品は大量に生み出され、日本におけるアニメーション映画の重要な位置を占めるようになる。

一方で、これまで長編アニメではフルアニメーションを基本として来た東映動画であった。しかしテレビアニメの影響を受け1966年の『サイボーグ009』からはリミテッド・アニメーションを応用した3コマ撮りによるテレビアニメとの中間的位置付けの「B作」と呼ぶ路線が開始となる。従来のフルアニメは「A作」と呼びとして区別されるようになった。

1969年公開の第一作『千夜一夜物語』から始まった虫プロダクションによる「アニメラマ三部作」が制作される。これらの作品は従来の子供向けアニメーション映画とは逆の位置にあり、大人向けとして作らたアニメーション映画である。1970年代には第二作『クレオパトラ』、第三作『哀しみのベラドンナ』が公開されている。

1970年代

この時代になって、ついに東映動画は劇場アニメでもフルアニメーションの制作を中止。「東映まんがまつり」は『マジンガーZ』などテレビで人気を得たアニメの劇場用新作という路線に転換した。また、この時期の「東映まんがまつり」は東宝の「東宝チャンピオンまつり」とともに、新作ではない既に放送済みのテレビアニメをそのまま劇場アニメとして上映していた。一方で、虫プロダクションが倒産して、劇場向け長編アニメといえば東映動画の独擅場だった日本アニメ界において、変化が起きるのは1970年代後半である。

1970年代後半になると、主にテレビアニメをオリジナルアニメ化した作品が登場する様になる。1974年にはテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』が放送される。テレビでの本放送時にはあまり人気が無かったが、再放送によりヒットすると、1977年にテレビ放送を編集した劇場版が公開され、初日から徹夜する客が出る等の大ヒットを記録する。翌1978年には『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が公開され空前の大ヒットを記録し、この2作品によって子供をターゲットとしていたアニメ映画というものが、年齢層を超えて楽しめるものであると認識される様になった。この後、劇場用アニメ映画が数多く作られることとなる。

『宇宙戦艦ヤマト』シリーズは2作目以降、オリジナル作品が制作されることとなるが、これらの続編ではテレビを意識してか、シネマスコープサイズではない比率の映画が作成されている。

1978年には実写とアニメを合成した映画作品『火の鳥』が公開されたが、この当時はSFブーム期だったため、大ヒットにはならなかった。同年には世界初のアニメビジョンの作品『ルパン三世 ルパンVS複製人間』が公開されるなど、1970年代後半には数多くの作品が公開された。1979年には宮崎駿が初めて監督にデビューした作品『ルパン三世 カリオストロの城』が公開される。本作はヒットにはならなかったもののアニメファンや業界関係者の評価は当時から高く、後のアニメーターたちに深い影響を与えた。

科学忍者隊ガッチャマン』『海のトリトン』『未来少年コナン』『アルプスの少女ハイジ』などアニメブームに乗って、テレビアニメを再編集した長編アニメが劇場で公開されたのもこの時期の特徴である。これはアニメブームを当て込んだものである一方で、東映動画以外の制作会社はそれまでもっぱらテレビアニメの制作を専門として劇場向け長編アニメを制作するノウハウが無く、急な需要に応えるだけの余力に欠けていたことが原因である。観客の側にとっても、ビデオデッキレンタルビデオ店の普及が1980年代の半ばだったこともあり、再放送以外では人気テレビアニメを再鑑賞できる唯一の機会という側面があった。

また、『宇宙戦艦ヤマト』の舛田利雄を始めとして、1980年代初めまでのアニメブームは実写畑の映画監督をアニメに起用した例が多い。恩地日出夫『地球へ…』(1980年)、浦山桐郎『龍の子太郎』(1979年)。これは一説には、当時アニメ映画に馴染みの無かった地方の映画館主を納得させるためだったと言われる。

1980年代

1980年代に入ると、『風の谷のナウシカ』(1984年)が大ヒットし、この後スタジオジブリを立ち上げた高畑勲や、宮崎駿らが2年に1本程度の間隔で『天空の城ラピュタ』(1986年)、『となりのトトロ』(1988年)などのオリジナル劇場用アニメ映画を公開し、好評を博した。

また、1980年から毎年春休みにドラえもんの映画作品が公開されている(2005年を除く)。このシリーズは例年20 - 35億円規模の興行収入を果している長寿人気シリーズとなり、2009年現在も高い集客を得て新作が上映され続けている。

機動戦士ガンダム(ファーストガンダム)』の劇場版三部作が1981年から1982年にかけて公開されたのが話題を呼んだ。当初、機動戦士ガンダムは1979年にテレビシリーズとして放映されたが、不人気となり打ち切られた。しかし、再放送などで人気をさらに集め、劇場版の公開、さらにはガンダムのテレビシリーズの続編である『機動戦士Ζガンダム(1985年)』の放映にまで至った。1988年には更に続編となるアニメ映画『逆襲のシャア』も上映され、観客動員数100万人を達成している。

サンリオ1979年の『星のオルフェウス』に引き続き、『シリウスの伝説』(1981年)などで、大予算をかけて、1970年代に入って途絶えていたフルアニメーションによるアニメ映画を制作、海外市場に打って出ようとしてした。他にも1989年には日本アニメの世界進出を見据えた日米合作作品、『リトル・ニモ』が公開される。巨費を投じた意欲作であったが、興行的には全くの失敗であった。

1980年代半ばのビデオデッキレンタルビデオ店の普及は、アニメ映画の製作にも変化をもたらした。オリジナルビデオアニメ(OVA)の興隆は、OVAを劇場アニメとして単館系で公開したり、逆にマニア向けの企画を一旦劇場アニメとして公開して、後のビデオ販売でも製作費の回収を計るというビジネスモデルが成立させた。その受け皿として短命に終わったものの、1989年に東京ではアニメを専門に上映する映画館「テアトル池袋」[1]と「新宿・ANIMECCA」[2]の2館が誕生。これまで劇場アニメとして通用しなかった企画が、ビデオ販売を前提として通るようになる。また、OVAの存在は、これまでテレビアニメで下請け的立場に甘んじていた中小のアニメ制作会社がOVAの制作に乗り出すことで、徐々に製作能力を高めることを可能とした。Production I.Gもそんなスタジオの一つで、1980年代に出発してOVAの制作とテレビの下請けをこなしながら、1990年代以降は劇場映画の制作で飛躍したのである。

1990年代

1990年代には劇場用アニメ映画は大きく飛躍し、数多くの作品が作られている。1993年には映画『クレヨンしんちゃん』シリーズの第1作『クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王』が、1997年に映画『名探偵コナン』シリーズの第1作『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』が、1998年に『劇場版ポケットモンスター』シリーズの第1作『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』が公開された。3作とも『ドラえもん』シリーズと並び、現在まで毎年制作され続けている人気シリーズとなった。

また、ほぼ毎年のようにアニメ映画が日本映画興行成績のトップに輝いている。1989年の『魔女の宅急便』を始めとして、1991年は『おもひでぽろぽろ』、1992年は『紅の豚』、1994年は『平成狸合戦ぽんぽこ』、1995年は『耳をすませば』、1997年は『もののけ姫』、1999年は『劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕』と、その年の日本映画の興行成績のトップを記録している。1997年には他にも『新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に』が25億円近い興行成績を上げた。

2000年代

1998年以降から2000年代初期の頃は、2000年は『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI』、2001年は『千と千尋の神隠し』など、劇場用アニメ映画が日本映画の興行成績の上位をほぼ独占している[3]。これらの作品からは『ポケットモンスター』等数多くのヒット作品が誕生し、全米を含めて海外でも大きく公開されるようになる。1999年にアメリカで公開された『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』(米題は"Pokemon: The First Movie")は、日本映画としては初めて「全米ナンバー1ヒット」となり全米年間映画興行成績トップ20にランキング入りを果した。同シリーズは2作目の『劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕』(2000年)も、興行収入4376万ドルを記録している[4]。他にも『ドラえもん』『名探偵コナン』『ポケットモンスター』のファミリー向け長寿シリーズは安定期に入っており例年2、30億円規模の興行収入、週刊少年ジャンプの連載作品を原作としたアニメ『ONE PIECE』シリーズなども、平均20億円規模の興行収入を挙げている。

また宮崎駿監督の『もののけ姫』(1997年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)は2作続けて日本映画の興行成績の記録を更新し、またアカデミー賞オスカーを受賞したり、ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞するなど世界的にも認められ、アニメーション映画は現在の日本映画を代表する存在となっている。

日本のアニメーション映画はヨーロッパやアジア各国では次々にヒットを飛ばしているが、アメリカでは現在のところ、日本の劇場用アニメ映画が興行的に成功した例は少ない。日本映画の全米興行で空前のヒット作といわれた先述の『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』でもアメリカでの興行収入は8574万ドルであり、アメリカにおいて大ヒットの基準とされる興行収入1億ドルには及ばず、日本国内で最高の成績を記録している『千と千尋の神隠し』でも、アメリカでの興行収入は1006万ドルである[4][5]。またアメリカでの日本アニメ映画は公開される数がまだまだ圧倒的に少ない上、1作あたりの公開される劇場数も、『ポケットモンスター』『遊☆戯☆王』などの例外を除き、一般的に少ない。一方で日本映画の全米展開として見た場合、アニメは実写や特撮と比較して規模が大きく、期待されるコンテンツ需要としての見方もある[6]。実例として、実写作品では『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)が唯一アメリカで1000万ドルの興行収入を果たした最高記録であるのに対して、アニメ映画は5作品がアメリカで1000万ドルを突破している[4]

2002年に『Pia♥キャロットへようこそ!! -さやかの恋物語-』が公開された。これは史上初のアダルトゲームを原作とする劇場用アニメである。2004年には、押井守(『イノセンス』)、大友克洋(『スチームボーイ』)、宮崎駿(『ハウルの動く城』)と巨匠たちの作品が続いた。また、『APPLESEED』が公開前から続篇製作が決定するなど全体的に話題の多い年であった。ただ、このいずれの作品も国内のアニメ賞を獲得することは出来ず、その年の文化庁メディア芸術祭大賞作は『マインド・ゲーム』であった(毎日映画コンクールの大藤信郎賞も受賞、アニメーション映画賞は『雲のむこう、約束の場所』)。

2007年に、1995年にTVアニメで放送された『新世紀エヴァンゲリオン』の再構築作品である、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』が上映された。製作方式や宣伝活動が自主制作映画のそれに近く、興行形態は単館系中心のものであったが、初日上映84館からのスタートで週間興行ランキングで1位を獲得している(スクリーン数100以下の映画では史上初)[7]2008年には蛙男商会、初の劇場最新作『秘密結社鷹の爪_THE_MOVIE_総統は二度死ぬ』がNY国際インデペンデント映画祭で、アニメーション部門_最優秀賞作品と国際アニメーション_最優秀監督賞の2部門を受賞した。

テレビアニメで人気を博した作品が映画化されるのは現在も主流だが、『ラーゼフォン 多元変奏曲』(2003年)、『劇場版灼眼のシャナ』(2007年)のようにメディアミックスの一環として映画化される作品も現れている。

日本国内の歴代アニメ映画収入ランキング(2009年現在)

作品配給会社公開年度配給収入興行収入
千と千尋の神隠し東宝2001年 304億円
ハウルの動く城東宝2004年 196億円
もののけ姫東宝1997年113億円193億円
崖の上のポニョ東宝2008年 155億円
ファインディング・ニモブエナビスタ2003年 110億円
モンスターズ・インクブエナビスタ2002年 93.7億円
ゲド戦記東宝2006年 76.5億円
劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲東宝1998年41.5億円75.4億円
猫の恩返し東宝2002年 64.6億円
劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕東宝1999年36億円63.6億円
紅の豚東宝1992年28億円50.9億円
劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール ディアルガVSパルキアVSダークライ東宝2007年 50.2億円
劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI東宝2000年 48.5億円
劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール ギラティナと氷空の花束 シェイミ東宝2008年48億円
平成狸合戦ぽんぽこ東宝1994年26.3億円47.8億円
アラジンブエナビスタ1993年25億円 
劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール アルセウス 超克の時空へ東宝2009年 45.2億円
劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 七夜の願い星 ジラーチ東宝2003年 45億円
劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 裂空の訪問者 デオキシス東宝2004年 43.8億円
劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション ミュウと波導の勇者 ルカリオ東宝2005年 43億円
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち東映1978年21.1億円43億円
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破クロックワークスカラー2009年 40億円
劇場版ポケットモンスター セレビィ 時を超えた遭遇東宝2001年 39億円
レミーのおいしいレストランウォルト・ディズニー・カンパニー2007年 39億円
ドラえもん のび太の南海大冒険東宝1998年21億円38.2億円
ドラえもん のび太の日本誕生東宝1989年20.2億円36.5億円
ドラえもん のび太の宇宙漂流記東宝1999年20億円36.5億円
ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記東宝1997年20億円36.5億円
ライオン・キングブエナビスタ1994年19.6億円 
ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜東宝2007年 35.4億円
名探偵コナン 漆黒の追跡者東宝2009年 34.9億円
ドラえもん のび太とアニマル惑星東宝1990年19.1億円34.7億円
トイ・ストーリー2ブエナビスタ2000年 34.5億円
劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション ポケモンレンジャーと蒼海の王子 マナフィ東宝2006年 34億円
名探偵コナン ベイカー街の亡霊東宝2002年 34億円
ドラえもん のび太と緑の巨人伝東宝2008年 33.7億円
ドラえもん のび太の恐竜2006東宝2006年 32.8億円
魔女の宅急便東映1989年21.5億円32.6億円
名探偵コナン 迷宮の十字路東宝2003年 32億円
ドラえもん のび太の太陽王伝説東宝2000年 30.5億円
名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌東宝2006年 30.3億円
ONE PIECE ねじまき島の冒険 / ジャンゴのダンスカーニバル東映2001年 30億円
ドラえもん のび太と翼の勇者たち東宝2001年 30億円
名探偵コナン 天国へのカウントダウン東宝2001年 29億円
名探偵コナン 銀翼の奇術師東宝2004年 28.5億円
ターザンブエナビスタ2000年 28億円
おもひでぽろぽろ東宝1991年18.7億円28億円
耳をすませば東宝1995年18.5億円27.8億円
ドラえもん のび太のドラビアンナイト東宝1991年18億円 
ドラえもん のび太の宇宙開拓史東宝1981年17.5億円 
ドラえもん のび太の魔界大冒険東宝1984年17億円 
ドラえもん のび太と雲の王国東宝1992年16.8億円 
ドラえもん のび太とブリキの迷宮東宝1993年16.5億円 
銀河鉄道999東映1979年16.5億円 
ドラえもん のび太と銀河超特急東宝1996年16億円 
美女と野獣ブエナビスタ1991年16億円 
ドラえもん のび太の恐竜東宝1980年15.5億円 
劇場版ポケットモンスター 水の都の護神 ラティアスとラティオス東宝2002年 26.7億円
名探偵コナン 世紀末の魔術師東宝1999年 26億円
ドラえもん のび太とふしぎ風使い東宝2003年 25.4億円
名探偵コナン 紺碧の棺東宝2007年 25.3億円
名探偵コナン 瞳の中の暗殺者東宝2000年 25億円
新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に東映1997年14.5億円24.7億円
名探偵コナン 戦慄の楽譜東映2008年 24.2億円
ドラえもん のび太とロボット王国東宝2002年 23.1億円
ONE PIECE東映2000年 21.6億円
名探偵コナン 水平線上の陰謀東宝2005年 21.5億円
ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険東映2003年 20億円
ONE PIECE 珍獣島のチョッパー王国 / 夢のサッカー王東映2002年 20億円
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序クロックワークスカラー2007年 20億円
ブレイブ ストーリーワーナー・ブラザーズ2006年 20億円

アメリカ合衆国

20世紀初頭のアメリカ合衆国では、ジェームズ・スチュアート・ブラックトンが、アニメーション映画の先駆的作品とも言える、黒板に描かれたチョークの絵を用いた『愉快な百面相』(1906年、原題:Humorous Phases of Funny Faces)や、幽霊屋敷の怪奇現象をトリックにより再現した『幽霊ホテル』(1907年、原題:The Haunted Hotel)などのコマ撮り実写映画を撮影していた。

アニメーションの父ウィンザー・マッケイはブラックトンに触発され、寄席でのヴォードヴィル公演に使用する目的で、『リトル・ニモ』(1911年、原題:Little Nemo)等の短編アニメーション映画を製作した。これらの作品は映画館でも上映され、アニメーションの商業的利用に対する先鞭を付けた(しかしながら、マッケイ自身は商業アニメーションに対しては否定的であった)。また、マッケイの『恐竜ガーティ』(1914年、原題:Gertie the Dinosaur)に登場するガーティは、世界最初の個性を備えたアニメーションキャラクターとして評価されている。

前述のように、テレビが大衆化する以前にはニュース映画の前座として短篇アニメが大量に作られた。これらの短編から、世界中で広く知れ渡っているディズニーミッキーマウスドナルドダックメトロ・ゴールドウィン・メイヤートムとジェリーフライシャー・スタジオベティ・ブープワーナー・ブラザースバッグス・バニーなどの人気キャラクターが生まれた。

映画史上に残る偉業を数多く成し遂げた『白雪姫』(1937年)は世界初の長編アニメーション映画となった(ただし、アルゼンチンでは1931年キリーノ・クリスティアーニにより長編アニメーション『ペルードポリス』が公開されている)。またディズニーは以降も名作の長編アニメーションを作りつづけた。

これらの詳細はアメリカン・アニメーションの黄金時代を参照のこと。

1980年代からはコンピュータグラフィックスによるアニメ製作が模索され始めた。ピクサー社トイ・ストーリー1995年)を皮切りに、3次元コンピュータグラフィックスによる劇場用アニメーションが数多く制作され始め、現在ではむしろ主流になりつつある。

ウォルト・ディズニー以外にアメリカにおけるアニメーションに大きな影響を与えた人物にテックス・アヴェリー(本名フレデリック・ビーン・アヴェリー)がいる。テックス・アヴェリー派というトレンドを作り上げ、エキセントリックなキャラクター、動きを得意とした。創作した代表的なキャラクターにドルーピーなどがあり、ジム・キャリー主演の映画『マスク』など後のアメリカ映画、アメリカン・コミックスに大きな影響を与えた。

ロシア

ソ連時代に長編アニメ映画で「せむしの仔馬」等が製作されている。ソ連ではスターリンの指示によりディズニーのようなアニメを作ることが求められていた。スターリンの死後、ロマン・カチャーノフが児童向け物語であるチェブラーシカをアニメーション化するなど、ロシアアニメ界に貢献し高い評価を得ている。

チェコ

チェコは、伝統的に人形劇が盛んであり、経済的理由からセルを使うことが困難であった。従って人形アニメーションが盛んである。代表的な作家にイジー・トルンカ1912年-1969年)などがいる。トルンカの代表作は『真夏の夜の夢』(1959年)、『手』(1965年)などがあり、とくに『手』は1968年ソ連介入を予見させるものだとして高い評価を受けている。

中国

中国では1941年に、アジア初の長編アニメーション映画『鐡扇公主』が、万籟鳴と万古蟾兄弟により制作された。

その他

  • アニメーション映画は作画に力が入れられることが多く、テレビアニメから映画化された作品では見違えるような作画になることもある。
  • 一般への宣伝として有名芸能人が声優に起用されることが多い(声優#声優と芸能界も参照のこと)。

脚注・出典

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関連項目

アニメーション映画


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