休場
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休場(きゅうじょう)
大相撲における休場
本場所の途中等で休場が生じた場合、休場当該力士は不戦敗として1敗が記録され、対戦相手の力士は不戦勝として1勝が記録される。但し、横綱が休場となった場合、三役(大関・関脇・小結)以下のいわゆる前頭の力士が不戦勝となっても金星扱いとはならない。
かつては、既に取組が発表されたあとで、一方の力士が休場した場合には、単に星取表に「や」がつくだけで、相手方にも「や」がつき、勝敗には算入しなかった。しかし、個人の成績を重んじる優勝制度が導入されるにあたって、自分に責任のない相手の休場で勝ち星をあげる機会が失われるのは不公平であるとして、1926年10月の東京と大阪の相撲協会の合同にともなう実力認定の合併相撲から不戦勝の制度が導入されることになった。しかし、最初は制度への認識も薄く、また場所終盤のみの適用であったこともあって、1928年1月場所に優勝をめぐって騒動もおきた。(詳細は三杦磯善七の項目を参照のこと)
また、現在では休場は負けとみなして番付が編成されるが、この形が定着したのは戦後のことである。それまでは、全休の場合は番付を下げるが、途中休場の場合は、出場したときの勝敗で番付の昇降をおこなった。また、公傷制度が存在していたときには、公傷が認定された翌場所は全休しても番付は下がらないという扱いもあった。
また、全休した場所は、退職金の計算などでは場所数に数えないことになっている。
将棋における休場
将棋界では、病気などの理由で対局不能の状態が長期にわたる際に、本人の届出により休場の扱いとなる。年度当初からの休場の場合、順位戦は不戦敗にならず、翌年度は同じクラスで張出となる。二年連続休場の場合は、A級・B級1組では降級、B級2組以下では降級点がつく。升田幸三の晩年は休場が多く、結局A級のまま引退したが、当時二年連続休場で陥落の規定はなかった。
休場の理由は病気によるものがほとんどであるが、飯田弘之のように「対局以外の仕事(コンピューター将棋ソフトの開発等)に専念するため」という変わったものもある。また、村山聖・真部一男など、病気が重くなって休場届を出し、そのまま現役中に死去した例も多い。
女流棋士の場合は将棋だけで生活できる収入を得られない場合もあり、「就職先を対局日に休めそうにないから」という休場理由もある。
