明石志賀之助

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明石志賀之助。月岡芳年「美勇水滸伝」(1867)より
明石志賀之助。月岡芳年「美勇水滸伝」(1867)より

明石 志賀之助(あかし しがのすけ、生没年不詳)は、江戸時代前期に存在したとされる、2010年1月現在に於いて財団法人日本相撲協会が初代横綱に認定している力士である。活躍期間は寛永年間【1624年(寛永元年) - 1644年(正保元年)】とされる。従来の力技だけでなく相撲の技に関して研究し、基本となる四十八手の技を考案した人物だとも云われる。

人物

宇都宮の出身で、宇都宮藩士・山内主膳の子で幼名は鹿之介と云われているが詳細は不明。身長は八(約251.5cm)、体重は185kgあったと言われる。又、上総国久留里城下(現在千葉県君津市)の生まれという説も存在する。

江戸長崎を始め、諸国で相撲を取り抜群の強さを誇った。京に上って大関・仁王仁太夫を倒し、朝廷から「日下開山」の称号を受けたとされ、これをもって初代横綱とされる。

1900年(明治33年)、横綱陣幕久五郎が引退後に東京府東京市深川区富岡八幡宮に建立された横綱力士碑に歴代横綱を列挙した時、初代横綱としてその四股名を刻んだ。

1624年(寛永元年)3月、江戸四谷塩町で初めて勧進相撲を興行したとされ江戸勧進相撲の創始者ともいわれる。その証拠となる番付があるとされたが後世偽物である(複数あって、うち1枚は陣幕が創作したとされる)として否定された。

実在の人物ではないともされ講談師が生み出した架空の人物、あるいは2人以上の明石という力士が混同されたものとも言われている。

関連項目

外部リンク


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