朝井秀樹

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朝井 秀樹
東北楽天ゴールデンイーグルス #36
基本情報
国籍 日本
出身地大阪府大阪市東住吉区
生年月日1984年1月1日(26歳)
身長
体重
177cm
82kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2001年 ドラフト1巡目
初出場2003年9月24日
経歴(括弧内は在籍年)

朝井 秀樹(あさい ひでき、1984年1月1日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手投手)。

目次

経歴

プロ入り前

幼稚園のころ、父親と野球(キャッチボール)を始める。小学3年ぐらいから野球少年チームに入る。ポジションは投手と捕手。中学時代、ボーイズリーグ「大阪平野富士」でプレー。入団当初は背の高い上手な投手がいたために捕手にまわっていた。中学3年時にボーイズリーグの日本選抜に投手として選出され、世界一を経験する。

1999年PL学園高等学校に入学。後にプロ入りする今江敏晃桜井広大小斉祐輔らと同期。2年時に背番号10をつけ、実質的にエースとして2000年の夏の甲子園に出場する(捕手は加藤領健、二塁手は中尾敏浩)が、3回戦で智弁和歌山の強打の前に崩れ、甲子園を去る(ベスト16)。3年時は朝井がエース、3番桜井、4番今江というオーダーで再び甲子園を目指していたが、同野球部の暴力事件が発覚。3年時の夏の甲子園には出場できなかった。 2001年、PL学園高からドラフト1巡目で大阪近鉄バファローズに入団。ドラフト時には打者としての素質も高く評価されていた。上背があまりないが強気なピッチングでバッティングも得意だったPL学園の先輩・桑田真澄になぞらえて、「桑田2世」と呼ぶ声もあった。

近鉄時代

ドラフト1位入団ながら、近鉄時代は二軍での育成が中心で、3年間で5試合の登板にとどまった。2004年オフ、選手分配ドラフト東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。

楽天時代

2005年
5月26日中日戦(ナゴヤ)でプロ初先発・初勝利。球団初の三連勝に貢献した。8月31日日本ハム戦、155球を投げ、プロ初完投勝利をあげた。この試合の勝利により、プロ野球史上ワーストのチーム月間借金20(2勝22敗)を逃れることができた。白星はこの2試合だけとなったが、岩隈久志に次ぐ先発の柱として期待された。
2006年
エース岩隈や、先発要員として期待されたセドリック・バワーズの両投手を欠く苦しいチーム状況においてかかる期待は大きく、開幕からローテーション入りを果たした。しかし四球からの自滅癖が改善できずに開幕3連敗となり、5月末には二軍落ちし、そのまま昇格はならず。ローテーション定着の機会を逸してしまった。
昨年と同じ2勝止まりであったが、防御率は6点台から3点台へと改善した。ハワイ・ウィンターリーグにチームメイトの有銘兼久河田寿司らと共に参加した。
2007年
後述のように走り込みを入念に行った成果で制球力が向上し、四球が大幅に減った。シーズン初登板の4月19日ソフトバンク戦は、先発の牧野塁に打球が当たったことによる緊急登板であったが、好投を見せてお立ち台に上がった。この試合の勝利によって球団初の本拠地同一カード三連勝となった。
春先はロングリリーフをこなしていたが、交流戦途中から先発ローテーション入りし、交流戦中に3勝を挙げた。8月1日ロッテ戦では、3安打に抑え、1-0のスコアでプロ初完封を入団6年目で達成する。なお1-0での単独完封勝利は球団史上初であった。
援護に恵まれず勝ち星は伸び悩んだが、目立った大崩れをすることも無く、チーム随一の安定感で最終的に8勝を挙げた。シーズン終盤に規定投球回になんとか到達し、防御率リーグ10位の好成績を残した。
また被本塁打4本は、この年の規定投球回到達者の中では最少の数字であった。2008年シーズンは岩隈が201.2回を投げ、被本塁打3本という驚異的な数字を残しており、楽天から2年連続で最少被本塁打先発投手が誕生した事になる。
ちなみに、この年の援護率[1]は規定投球回数到達者の中で両リーグワーストの2.60を記録した(比較の対象として、規定投球回到達者でのチームトップの援護率は「強運」とうたわれた田中将大で4.86であった)。
2008年
岩隈久志田中将大に次ぐ先発3番手の投手としてシーズン通して投げ続け規定投球回に到達したものの、昨年のような安定感は見せられず、防御率を1点以上悪化させてしまった。
2桁勝利を賭けたシーズン最後の登板でも負け投手になってしまい、念願の2桁勝利はお預けとなってしまったが、チームの投手陣の頭数が不足する中(特にこのシーズンはリリーフが手薄だった)、ロングリリーフなども精力的にこなし、勝ち星としては1つ増やし9勝とした。
2009年
前年と同じく岩隈、田中に次ぐ3番手の投手として期待されていたが、シーズン初登板の試合で小久保裕紀が打ち上げたフライを鉄平が見失いタイムリーヒットになってしまうという不運から制球を乱してKOされる。以降の試合もこの出来事の影響か制球が定まらず、一時は先発からロングリリーフに降格されるが結局制球が安定せず2軍落ちしてしまった。2軍では防御率は悪くなかったものの、四球の多さが目立ち制球難は改善されなかった。結局このシーズンは勝ち星を挙げる事ができず、期待を大きく裏切ってしまう事になった。

人物・プレースタイル

  • ストレートの球速は年々上がっており、現在は、常時140キロ半ば計測する(最速149キロ)。変化球はスライダー、カーブ、フォーク、チェンジアップ、シュート、カットボールと一通りの球種を持っている。最大の持ち味であるタテに大きく割れるドロップカーブのキレは多くの球界関係者から絶賛され、全盛期の桑田真澄以上と評価する声も。スタミナも豊富で完投型のピッチャーである。ピッチングスタイルはストレートと110~120km/h弱のカーブを主体にフォークや90~100キロのチェンジアップ(自身はパラシュートボールと呼んでいる)を交える。
    以前はカーブに頼った投球が目立ったが徐々に他の球種の精度も上がってきており、多彩な変化球で攻める姿も見られるようになった。特にスライダーは、カーブがストライクゾーンに集まらない日等は投球の軸になることもある。ただしフォークは指が短く使いこなせないのでほとんど投げない。
  • かつてはコントロールが安定せず、また精神面の弱さも目立っており、四球病の原因とも言われていた。四死球から自滅する癖がなかなか抜けず、伸び悩んでいた。しかし2007年、前年のファーム落ちの際から「馬のように走った」という走りこみでの下半身強化が実を結び、フォームの安定感が増したことで制球力が向上した。これに伴いそれまで常にセットポジションから投げていたフォームをワインドアップに戻している。しかし精神面の弱さは相変わらずで、2009年の前述の不運なプレーによって安定していた制球が悪化。野村監督から「自信が無いなら野球選手を辞めろ」と言われてしまった。
  • 高校時代は遊撃手としても大成できるという評判もあったほどであり、打撃の評価も非常に高かった。現在でも機敏なフィールディングにその面影が見て取れる。
  • 祖父は熱狂的な近鉄ファンで、よくスタジアム(藤井寺球場・大阪球場・日生球場)へ一緒に行った。2001年9月26日の優勝決定試合も大阪ドームで見ていた。また、サッカーが大好きで、テレビ観戦も頻繁にする。お気に入りのリーグはオランダのエールディビジである[1]。また、仙台のJリーグチームベガルタ仙台のサポーターとして、シーズンオフにはユアテックスタジアム仙台に観戦に行っている。2008年12月10日に行われたジュビロ磐田とのJ1⇔J2入れ替え戦では、一般サポーターと共にスタジアムのスタンドから声援を送った事が一部スポーツ紙より報じられている。
  • 近鉄時代はドラフト1位と言うことで甘えのようなものがあったが、選手分配ドラフトでオリックスから指名されず、半ば戦力外のような評価だと思い目が覚めたという。
  • 理由は不明だが、前述の援護率の悪さが示す通り、朝井の登板する試合では打線が湿り、あるいは拙攻を繰り返して援護がもらえないということが多い。監督である野村克也も「ジンクスになっている」とグチをこぼすほどであった。
  • ものまねが得意ということで、幾度か公衆の前で披露している。楽天ファン感謝祭のエキシビジョンマッチでは、様々な打者のバッティングスタイルを真似て打席に立ち、ひとつの名物になっている。
  • 朝井がものまねを披露したバッター
2007年
リック・ショート
グレッグ・ラロッカ
2008年
リック・ショート
アレックス・ラミレス
小笠原道大
山崎武司
2009年
ターメル・スレッジ

詳細情報

年度別投手成績








































W
H
I
P
2003近鉄20000000------82.010200200000.001.50
200430000000------255.281100011446.351.59
2005楽天15101002500.28627760.071102803435045406.001.65
2006992002500.28623350.15523005423025223.931.69
200731172108801.500603144.1146440161074053503.121.29
2008292310091101.450662148.01651660371226081724.381.52
20091330000301.00014028.23741700253023216.591.88
通算:7年10262610213203.3961948439.0483371784213412212312094.281.51
  • 2009年度シーズン終了時

記録

投手成績

打撃成績

  • 初安打・初打点:2006年5月12日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、4回表に山本昌から中前適時打

背番号

  • 36(2002年 - )

脚注

  1. ^ ホームゲームプログラム 2007 vol.15 掲載

関連項目

外部

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