西川周作
関連キーワードで検索
関連キーワードで検索
| |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | |||||||
| 愛称 | シュウ、周作 | ||||||
| カタカナ | ニシカワ シュウサク | ||||||
| ラテン文字 | NISHIKAWA Shusaku | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1986年6月18日(24歳) | ||||||
| 出身地 | 大分県宇佐市 | ||||||
| 身長 | 183cm | ||||||
| 体重 | 79kg | ||||||
| 血液型 | AB | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | サンフレッチェ広島 | ||||||
| ポジション | GK | ||||||
| 背番号 | 21 | ||||||
| 利き足 | 左足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
| |||||||
| 代表歴 2 | |||||||
| |||||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年12月9日現在。 2. 2009年10月8日現在。 ■テンプレート(Template‐ノート:サッカー選手ノート ■解説)■サッカー選手pj | |||||||
西川 周作(にしかわ しゅうさく、1986年6月18日 - )は大分県宇佐市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはGK。愛称はシュウ。既婚者。
目次 |
来歴
U-15から大分の下部組織で育ち、頭角をあらわす。2003年にはU-18日本代表に初選出され、松井謙弥、山本海人らとのポジション争いを制して年代別代表の正GKに定着。2005年6月にオランダで開催されたワールドユースでは、全4試合に先発出場した。
2005年からは大分のトップに昇格。当初は江角浩司の控えだったが、ワールドユースから帰国直後の7月12日、対横浜F・マリノス戦で初先発を果たすと、以降1試合を除いて全試合に出場。高卒1年目から正GKの座を奪取した。
2006年8月31日のアジアカップ最終予選、サウジアラビア戦(9月3日)、イエメン戦(9月6日)のメンバーとしてA代表に初選出。初出場は叶わなかったものの、川口能活・楢崎正剛の後継者として注目度は高まった。しかし、同年11月18日の対ヴァンフォーレ甲府戦で、左ひざ靭帯損傷で全治3ヶ月の重傷を負い、残りのシーズンを棒に振る。翌2007年3月10日の対ジュビロ磐田戦で復帰したが、その後も細かい負傷での離脱が目立ち、この時期はベテランGKの下川誠吾と激しいポジション争いを繰り広げていた。
2008年7月14日には北京オリンピック代表に選出されたが、7月20日の対磐田戦で判定に異議を唱えたとして警告を受けたことに関し、自身のブログで、累積警告を解消するためわざとイエローカードをもらったという意味の文を記載した。Jリーグの羽生英之事務局長は、「サッカー界の信頼を損なう行為であり、Jリーグ規約にも反する」と述べ、裁定委員会が開かれる可能性を示唆した[1][2](その後厳重注意という処分が下った)。
2009年10月8日のアジアカップ最終予選・香港戦にフル出場し、初選出から3年越しの代表デビューを果たした。またこのシーズンは、レギュラー定着後初めて怪我なくシーズンを過ごし、自身初のリーグ全試合フル出場も達成した。しかし、この年の大分は大不振に陥り、西川の奮戦も実らずJ2降格が決定。更にシーズン終盤には、巨額の債務超過をはじめとする深刻な経営危機が発覚し、西川をはじめとする主力選手を引き留めることは財政面で不可能となった。同年オフ、いくつかのオファーの中から、サンフレッチェ広島へ完全移籍。背番号はルーキー時代以来となる「21」に決まった。
評価・特徴
その反応の素早さはもちろんだが、西川の持ち味は正確なフィードボールを蹴れる点。そもそもは右利きだったというが、蹴るうちに左の方が精度が高くなったという左足が彼の利き足になっている。チャンス時に見せる弾道の低いライナー性のキックは、それだけでアシストにつながりうる強力な武器となっている。また、デビュー戦で見せたゴール前でのフリーキックも彼の武器の一つであり、ユース時代には通算7ゴールをあげている(ただしデビュー戦以降フリーキックは蹴っていない)。
将来の日本代表の守護神として大きな期待を受けている選手であるが、怪我が比較的多いのが欠点である。
人物・エピソード
大分生まれの大分育ちで、中学年代から大分トリニータの下部組織に在籍していたことから、トリニータへの愛着は非常に強く、サポーターからも象徴的な選手の一人として愛されていた。トリニータの経営危機により移籍せざるを得なくなった際も、最後まで残留と迷い、移籍を決断した際も「いつか必ず大分に戻ってきたい」というコメントを残している。
所属クラブ
ユース経歴
- 宇佐市立四日市南小学校
- 宇佐FC
- 1999年 - 2001年 大分トリニータU-15
- 2002年 - 2004年 大分トリニータU-18
プロ経歴
個人成績
利用者:Bcjp/t/fbp国内表 top 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2005||大分||21||J1||21||0||1||0||2||0||24||0 |- |2006||大分||1||J1||30||0||5||0||1||0||36||0 |- |2007||大分||1||J1||11||0||2||0||2||0||15||0 |- |2008||大分||1||J1||22||0||5||0||0||0||27||0 |- |2009||大分||1||J1||34||0||3||0||1||0||38||0 |- |2010||広島||21||J1|||||||||||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算始118||0||16||0||6||0||140||0 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算終118||0||16||0||6||0||140||0 |}
利用者:Bcjp/t/fbp国際表 top 利用者:Bcjp/t/fbp国際表 th |2010||広島||21|||| |- !通算!!colspan="2"|AFC ||| |}
個人タイトル
出場大会
代表歴
- U-18日本代表(2003年)
- U-19日本代表(2004年)
- U-20日本代表(2005年)
- FIFAワールドユース選手権オランダ大会 4試合5失点
- U-21日本代表(2006年)
- U-22日本代表(2007年)
- 北京オリンピックサッカーアジア予選 2次・最終予選 5試合0失点
- U-23日本代表(2008年)
- 日本代表(2006年-)
試合数
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2009 | 1 | 0 |
| 通算 | 1 | 0 |
関連項目
脚注
- ^ 2008年7月22日付 YOMIURI ONLINE 反町JのGK・西川、磐田戦での警告「わざともらった」
- ^ 2008年7月22日付 日刊スポーツ 大分GK西川「わざとイエローもらった」
外部リンク
| サンフレッチェ広島 - 2010 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| スタッフ | 監督 ペトロヴィッチ | コーチ 横内昭展 | コーチ 片野坂知宏 | コーチ・通訳 杉浦大輔 | GKコーチ 望月一頼 | ||||||||||||
| 選手 |
| ||||||||||||
| 関連項目 | 前身 | スタジアム | 練習場 | 代表者 | マスコット | 下部組織 | 選手一覧 | ||||||||||||
| 日本代表 - 2008 北京オリンピック サッカー競技 | |
|---|---|
1 西川周作 | 2 細貝萌 | 3 吉田麻也 | 4 水本裕貴 | 5 長友佑都 | 6 森重真人 | 7 内田篤人 | 8 本田圭佑 | 9 豊田陽平 | 10 梶山陽平 | 11 岡崎慎司 | 12 谷口博之 | 13 安田理大 | 14 香川真司 | 15 森本貴幸 | 16 本田拓也 | 17 李忠成 | 18 山本海人 | 監督 反町康治 | |
カテゴリ: 日本のサッカー選手 | サッカー日本代表選手 | オリンピックサッカー日本代表選手 | 大分トリニータの選手 | サンフレッチェ広島の選手 | 大分県出身の人物 | 1986年生 | 存命人物
