人道に対する罪
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人道に対する罪(じんどうにたいするつみ、英: crime against humanity、仏: crime contre l'humanité)は、「国家もしくは集団によって一般の国民に対してなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為」として第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判に初めて適用され、その後、BC級戦犯(横浜やマニラなど世界49カ所の軍事法廷)に適用された犯罪概念。現在ではジェノサイド、戦争犯罪とともに「国際法上の犯罪」(crimes de droit des gens) を構成する。戦時、平時に拘わらない。
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解説
アルメニア人虐殺問題に対する1915年の英仏露共同宣言中でその概念が初めて登場した。また、第一次世界大戦の戦勝国である日本を含む連合国 (第一次世界大戦)は、ドイツを人道に対する罪により裁こうとしたが、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の逃亡と、その亡命受け入れ国オランダによる身柄引渡し拒否により実現しなかった。そのため、第二次世界大戦中に慣習国際法上確立していなかったとの主張がある。第二次世界大戦において、連合国 (第二次世界大戦) は当時のジュネーヴ条約等では戦争犯罪人と同じ国籍を有する被害者を保護できないと考え、人道に対する罪を個人の戦争犯罪として定義した。これに対しては、法の不遡及の原則に反するとの批判もあった[1]。
1993年、国連安全保障理事会が設置した旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷では「国際又は非国際武力紛争において犯された人道に対する罪」として規定し、「一般住民に対して行われた、殺人、殲滅、奴隷化、強制移送、拷問、強姦、政治的・宗教的理由による迫害などが人道に対する罪に該当する」としている。
また、国際刑事裁判では1994年のルワンダ国際戦犯法廷においても人道に対する罪を処罰対象にしている。
1998年にはローマ会議において、国際刑事裁判所規程(ローマ規程)が採択され、署名期限までに139カ国により署名が行われた。その後、批准国数の要件が満たされ、2002年7月1日、オランダのハーグにて常設の国際刑事裁判所(ICC)が動き出すこととなった。そして、国際刑事裁判所規程第7条[2]に基づき、現在、人道に対する罪(規程では「人道に対する犯罪」)はこの裁判所の管轄事項となっている。
ジェノサイド条約の集団殺害罪とは構成要件を異にする。すなわち客体は「一般人たる文民」であり、また意図に関する要件(集団の全部または一部を破壊する意図)はない。(ジェノサイドの項目も参照のこと。)
人道に対する罪に関する主な事件・出来事
- 東欧におけるポグロム
- アルメニア人虐殺問題
- ナチスのT4作戦
- 1933年 - 1945年 ドイツ(ナチス)によるユダヤ人、ポーランド人その他に対する行為(大量殺害など)。
- 1931年 - 1945年 日本軍による同国籍の住民や捕獲された者に対する行為(殺害など)[3]。
- 1942年 花岡事件(強制労働など)[4]。
- 1941年 - 1945年 アメリカ合衆国における日系人に対する行為(強制収容)。
- 1932年 - 1933年 ソ連によるウクライナ人のホロドモール。
- ソ連による沿海州の高麗人・ドイツ東部(東プロイセン、シュレジエン等の旧ドイツ領。東ドイツではない)のドイツ人、チェチェン人などの西トルキスタン諸国への強制移住。
- 1948年 - 1950年 イスラエルによるパレスチナ住民(アラブ人)に対する行為。
- 1950年 - 現在 中華人民共和国によるチベット他少数民族に対する行為。(労働改造所への強制収容、漢族との通婚の強制など)
- 1950年 - 韓国政府による市民への虐殺事件(保導連盟事件)。
- 1962年 - 1970年 ベトナムにおけるアメリカによる化学兵器の使用。
- 1966年 南アフリカにおけるアパルトヘイト政策によるネグロイドに対する行為。
- 1974年 ルーマニア政府による敵対住民に対する迫害。
- 1975年 - 1979年 カンボジアにおけるポル・ポトによる住民に対する行為。
- 1988年 イラクにおけるサッダーム・フセインによるクルド人に対する行為。
- 1991年 - 1999年 旧ユーゴスラビアにおける敵対住民に対する行為。
- 1994年 ルワンダにおけるフツ族によるツチ族に対する行為。
- 1996年 - 2001年 アフガニスタンにおけるターリバーンによる敵対住民に対する行為。
- 2006年12月30日 サッダーム・フセインが、この罪により、国家元首の経験者としては初めて死刑に処せられた。
