クバーニ

クバーニ

クバーニの紋章。

画像:Ukraine-Kuban.png

     クバーニの地図(20世紀)。

クバーニにおけるウクライナ人の人口(1926年国勢調査による)。

     90-75%      75-50%      50-25%

     25-10%      10-5%      5-2%

クバーニウクライナ語:Кубаньクバーニロシア語:Кубаньクバーニ)は、ウクライナおよびロシアの歴史的地名である。クバーニ川流域から、現在のクラスノダール地方アディゲ共和国スターヴロポリ地方ロストフ州カラチャイ・チェルケス共和国に当たる地域を指す。日本語では、クバンクバニ、あるいはクバーニ地方などとも書かれる。

目次

概要

ビザンツ帝国500年から600年の頃に、初めてドニエプル地方からルーシ族が現れる。965年にはトムタラカンを占領し、トムタラカン公国を建国した。

山岳地方からカソーグ人がドニエプル川はナドニプリャーンシュチナ(現在のチェルカースィ州辺り)に移住し、現在のチェルカースィの基礎を築く。カソーグ人あるいはチェルカース人は現代のチェルケス人に近い種族で、古代のトムタラカンの住民の子孫であり、のちにコサックの原型となったと考えられている。

1792年には、黒海コサック軍がウクライナより移住した。クバーニは彼らによって開拓され、彼らはクバーニ・コサック軍を編成した。

1917年4月30日から5月3日にかけて、カテルィノダール(現在のクラスノダール)でコサックの集会が開かれ、コサック政府となるクバーニ軍ラーダ(議会)が結成された。

1918年2月16日には立法ラーダ(議会)がクバーニ人民共和国の建国を宣言した。数日後、議会によって「クバーニのウクライナとの連邦参加について」の決議が採択された。

1933年には、ホロドモールに見舞われた。クバーニにおける飢饉は、他のウクライナの民族的地域と同様過酷なものであった。これにより、これまでクバーニの主要な住民であったウクライナ人は壊滅的打撃を受けた。

主要な都市

名称は、現在のものに準拠する。

関連項目

この名称を持つものには、以下のようなものがある。

参考文献

  • (日本語) 『ポーランド・ウクライナ・バルト史 』/ 伊東孝之,井内敏夫,中井和夫. 山川出版社, 1998.12. (新版世界各国史 ; 20)

外部リンク



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