オールスター感謝祭

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オールスター感謝祭
超豪華!クイズ決定版
ジャンルクイズバラエティ / 特別番組
放送時間毎年改編期土曜日 18:30 - 23:48(2009年秋現在)(318(5時間18)分)
放送期間1991年10月5日 - 現在(37回)
放送国 日本
制作局TBS
演出神尾祐輔
(総合演出、2007年秋 - )
プロデューサー安田淳
(CP、2008年秋 - )
出演者総合司会
島田紳助島崎和歌子
(共に1991年秋 - )
音声ステレオ放送
データ放送実施
エンディングRisky「My life is...」
1999年春 - )
外部リンク公式サイト

特記事項:
放送開始から2000年秋までの番組タイトルは『オールスター感謝祭'○○ 超豪華!クイズ決定版 この春・秋お待たせ特大号』(2000年秋は『20世紀最後の特大号』のサブタイトル、○○には放送年の西暦下2桁が入る)。

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オールスター感謝祭』(オールスターかんしゃさい)は、TBS系列(JNN)で1991年の秋から毎年、番組改編期である土曜日に年2回生放送される大型クイズバラエティ番組である。略称は「感謝祭」、英字表記は「ALL STAR THANKSGIVING FESTIVAL」(オール・スター・サンクスギビング・フェスティバル)。

1987年から1991年春まで放送されていた『クイズまるごと大集合』を大幅にリニューアルする形でスタートした。

正しい番組名は開始から2000年秋まで『オールスター感謝祭'○○ 超豪華!クイズ決定版 この春・秋お待たせ特大号』( - ちょうごうか!クイズけっていばん このはる・あきおまたせとくだいごう)という番組タイトルだったが、2001年春以降、『オールスター感謝祭'○○春・秋 超豪華!クイズ決定版』と短くなった。なお、上記の○○にはその年の西暦下2桁が入る(例:1991年秋→91、2000年→00、2009年→09)。ちなみに、2000年秋は『20世紀最後の特大号』(にじっせいきさいごのとくだいごう)のサブタイトルだった。

2006年春からハイビジョン制作双方向対応番組地上デジタル放送の双方向で番組に参加しクイズ成績をTBS側に送る視聴者は、送信に使用するデジタル受信機器(デジタルテレビなど)にLAN回線を接続する必要がある。

この記事は、下記のページに内容を分割しています。このテーマに関する情報については、それぞれのページをご参照ください。

目次

出演者

総合司会

放送開始当初より、以下の司会者である。また、それぞれのマイクの色も記述する。なお、マイクのスポンジは1995年春と2009年秋に各時期のTBSの音声機器更新に伴い、2度取り替えられている。なお、2004年春にスポンジの色が変わったがその時は音声機器更新はしていないため、色を変えただけの同じ形のスポンジである。

1991年秋のみピンマイク、1992年春から2003年秋は緑、2004年春から現在は青、2006年世界バレーのときのみ■黒(バレブーのデザイン)、2007年春のみ■黒(世界陸上)、2008年春ぬるぬる相撲の時のみ紫。また、紳助は1994年春 - 2002年春、2007年秋-現在はメガネを掛けている。
1991年秋のみピンマイク、1992年春から2003年秋はオレンジ、2004年春から現在は赤(2007年春のみ世界陸上)、2006年秋世界バレーのときのみ黄色(ヴァルくんのデザイン)。

リポーター

※いずれもTBSアナウンサー。以下は2009年秋の出演者

  • 出水麻衣(初出演は2006年秋で、回によって休憩タイムか野外担当かは異なる。2009年秋は野外競技及び控え室リポート担当)
  • 枡田絵理奈(2008年秋・2009年秋に休憩タイムを担当)
  • 江藤愛(初出演は2009年秋で、出水とともに野外競技を担当)
  • 田中みな実(初出演は2009年秋で、枡田とともに休憩タイムを、また出水とともに控え室リポートを担当)
実況
  • 初田啓介(赤坂マラソン・駅伝の実況を担当)
  • 伊藤隆佑(スタジオで行われる競技の実況を担当)

過去

これまでの代理司会者

紳助の代役
和歌子の代役

放送時間

当初の放送時間は、21:00 - 23:54(JST)の3時間。1992年秋に19:00開始の5時間になり、さらに1993年春から2008年春までは18:30開始の5時間18分(18:30 - 23:48)、2008年秋からは18:25開始の5時間23分(18:25~23:48、ただし一部地域のみ)となり現在に至る。現在の放送日は基本的に春は4月1日に近い土曜日、秋は10月1日に近い土曜日となっている。以前は土曜日が4月1日、秋は10月1日であってもその年によっては放送しないこともあった。初期の頃は春は4月初の土曜日、秋は10月初の土曜日に放送されていた。

かつては再放送もされており(一部地域のみ)、このときは、主にコーナーものを中心として3時間から3時間30分に再編集して(マラソン・休憩タイムが全てカットされる)春は6月上旬頃から夏休み期間の8月下旬頃までの間、秋は11月中旬頃から冬休み期間の1月上旬頃までの間に主に土曜日か日曜日の昼14:00-17:00または14:00-17:30の枠で再放送されていた。現時点では1992年春から2006年春まで毎回、再放送がされていたが、1991年秋と2006年秋以降は再放送はされていない。再放送の際にはほとんどの回で次回の新作の秋または春の宣伝(番宣)をし、一部の回ではクイズの募集も行われていた。

10年以上されていた再放送が突然終了した理由として、TBSテレビ全体の総合視聴率が2000年代に入ると低下してきており局への収入が以前よりも落ち込み、編集費用を削減するための狙いがあるとされる説や、以前に比べて各ピリオドのクイズ内容の中に4月期または10月期の新TBS系テレビドラマに関するクイズが増えてしまったため各時期のTBS系テレビドラマ終了間近の6月下旬から終了後の7月と8月、各時期のTBS系テレビドラマ終了間近の11月中旬から終了後の1月上旬に再放送できなくなってしまったとされる説や、現時点で再放送された回が最後となっている2006年春の放送からデータ連動放送が始まったため、再放送の際に一般視聴者から「何故今日の感謝祭はデータ連動放送を使ってクイズに参加できないのか?」という問い合わせが来るのを防止する目的があるという説などがある。歴史がある番組だけにファンは多く、現在でも再放送の要望は多い。

なお、基本的に当番組が放送される日は前番組(現在は『報道特集NEXT』と、地方局のローカルニュースなど)の放送時間が30分程度前倒しとなる。

番組概要

毎回200人(オープニングは最低176人、残りは途中参加)の有名芸能人が解答者として参加し、制限時間内(問題により5秒・10秒・15秒・30秒)の早押し多者択一クイズを展開する。このルールは『クイズ!当たって25%』を踏襲したものである。不正解の場合はその時点で失格となる他、各問の正解者の中で最も解答が遅かった人も失格となる。

元々『4・10月だヨ!全員集合』『テレビまるごと大集合』『クイズまるごと大集合』から続く、新番組の宣伝を兼ねた期末期首特番であるため、一連の連続ドラマ枠と関連する主な俳優女優も参加する。箱ドラマではパナソニック ドラマシアター(旧:ナショナル劇場)・水曜劇場木9ドラマ木10ドラマ(旧:カネボウ木曜劇場)・金9ドラマ金曜ドラマ(一時期FRIDAY DRAMAと題していた時期があった)・土8ドラマ日曜劇場(旧:東芝日曜劇場)、ほかに帯ドラマでは愛の劇場(旧:花王愛の劇場)・ドラマ30等が該当する。なお、この取り決めは毎年4月クールまたは10月クールに放送される一連の連続ドラマ枠と関連する主な俳優・女優に適用され、逆に毎年1月クールまたは7月クールに放送される一連の連続ドラマ枠と関連する主な俳優・女優には適用されない。しかし、ドラマ出演者が一切出演しない番組もあった。7月クールと10月クールの双方にまたがって放送される「水戸黄門(第40部)」など、一部例外もある。

問題の出題傾向としては、政治経済社会芸能音楽スポーツなど様々な分野におけるタイムリーな出来事をもとにしたものがほとんど(例えばオリンピックなどの大規模なスポーツ大会が最近に行なわれていればそれに関する問題が出る)で、正解を2択から6択から1つを選ぶ形式である(稀に正解が2つ以上ある問題も出題される)。また改編期ゆえ、番宣をかねて新番組をはじめTBS系の番組にちなんだ問題も多数出題される。また、時々芸能人が問題を制作することもあり、その場合制作者には問題制作料として3000円が贈られている。その他、予想問題や、番組イベントに絡んだ「100万円山分けクイズ」(数択から1つ選んで、予想的中者それぞれに100万円を頭分けした賞金を与える)というものもある。問題によっては、山分けされる賞金額が50万円や25万円の場合もある。

また、初期の頃は通常の4択問題が多かったが、解答画面等で映像・音楽を用いる問題が多く、解答者を引っかける形式の問題も多用するなど出題のバリエーションが多岐にわたっている。例えばMr.Childrenの「箒星」を流した後、「さて、ほうきを持っているのは誰でしょう?」と「天才バカボン」のキャラを4択でズームアウトする(この問題の場合、正解は普通に「レレレのおじさん」だったが、画面で別のキャラがほうきを持っていればそちらが正解)、『およげ!たいやきくん』の歌い出しの「まいにち、まいにち」という部分が流れて「さて、毎日新聞はどれでしょう」など、解答する段になってそれまでと直接関係ない引っかけ問題も多数出題されている。

基本ルール

クイズが適当なPeriod(ピリオド)に区切って何問か出題される。ピリオドの冒頭では解答者は全員、席で立ち上がり、各問題に誤答するか、正答した中でいちばん遅くボタンを押していた場合はその都度着席し脱落となる(予選落ち)。一問出題ごとに必ず一人は予選落ちが出るため、解答までのスピードも求められる。

解答するには、各参加者の前に置かれている「キーパッド」と呼ばれる1から6までのボタンと液晶画面がついた端末を問題毎に操作する。通常は4択で、正解が2つ以上ある問題は全ての正解を選んでいないと失格となる。また、一部の問題はキーパッドの回答ボタンではなくタッチパネル式の液晶画面を操作して回答することもある。このようなキーパッドをもちいた解答形式は、システムは異なるが過去に「ムーブテレビ進学塾」や「ブレインサバイバー」でも使用されていた。

全てのキーパッドはクイズを管理するコンピュータに接続され、参加者全員がどの選択肢をどのタイミングで押したかが100分の1秒単位で把握できるようになっており、司会者席でも見ることができる。

各ピリオドの最終問題(「ラスト問題」と呼ばれる)の正解者のうち一番早く押した人が、そのピリオドのチャンピオンとなり、賞金を獲得する。ただし、どこでラスト問題が出題されるかは解答者には伝えられず、解答時間終了後に鐘が鳴ることで初めてラスト問題であることが分かる。さらに各ピリオドの問題数は一問から十数問と幅が広いため、ラスト問題を当てることは事実上不可能といえる。おおよそ、解答者が10人台前後となるか、ピリオドがあまりに長くなりすぎる場合にラスト問題となることが多いため、ヤマをかけて、問題を見る前からキーパッドをたたく解答者もいる。また、2009年春の放送にて紳助が「ラスト問題のタイミングはあらかじめシステムに組み込まれており、作為的に鐘を鳴らしているわけではない」旨の説明を行っている。

ただし各競技イベントの結果予想などを1つのピリオドとする場合などは予選何組から決勝までわかるため、このような場合はラスト問題を当てることは可能である(むしろ考えすぎると確実に紳助に突っ込まれる)。選択肢も予めわかっているので(正答が予想できなくても)0.01秒を狙うのが基本となっている。

なお、ラスト問題でなくても、正解者が1人もしくは2人(「予選落ち」により残りが1人になる)の場合は、その問題でピリオドのチャンピオンが決定し、賞金を獲得する。正解者が0人となった場合、全員復活させて再スタートするか、ピリオドを終了させて賞金を次のピリオドに持ち込すかの処置を行う。

チャンピオン決定後、ボーナスクイズとして制限時間15秒(20秒の場合もある。最初期では制限時間が通常より倍の30秒の問題もあった。)の並べ替え問題(通常4択、最大6択。キーパッドの1から6のボタンがそれぞれAからFに対応している)がチャンピオンも含めた出場者全員に対して出題される。ここでチャンピオンが正解した場合は、更にボーナスを獲得できる。チャンピオンが不正解の場合は、その他の正解者にボーナス分が均等配分される。

これを放送時間の許す限り何回も繰り返し(ただしマラソンなどのミニイベントを行い番組に変化をつけている)、最終的に正解ポイントと早押しのトータル時間を元に総合順位が決定される。正解ポイントが最優先で、正解ポイントが同じ場合、解答所要時間のトータルが短い人に高い順位が与えられる。なお、解答所要時間は正解した問題のみのトータルである。

ピリオドごとの賞金

2009年以降の金額は以下の通り。かっこ内は2008年度までのもの。

  • チャンピオン決定:賞金15万円(25万円)
  • ボーナスクイズ正解:賞金15万円(25万円)

休憩明けの遅刻対策として、一時期の休憩直後のピリオドは、チャンピオン決定・ボーナスクイズ正解の賞金が共に50万円に設定されていた。遅刻者は第1問に間に合わないと予選落ちになるため、ボーナスクイズまでは解答できなくなる。現在この制度は消滅している(詳しくは後述)。

機械が故障したり、ラスト問題までに正解者が1人もいなくなったり、ボーナスクイズの正解者が1人もいなかった場合、与えられなかった賞金は「キャリーオーバー」となり、次のピリオドに持ち越しになる。数回に1回程度出現し、主に引っかけ問題などで途中で大幅に不正解、失格となったピリオドに多い。

キャリーオーバーとなった次回のピリオドのチャンピオン決定時・ボーナスクイズの賞金は倍付けされる。遅刻対策ピリオドまたはその直前でこの事態が発生すると75万円(基本賞金額が25万円のため、2009年春は45万円)になる可能性もあるが、発生した例はなかった。

山分けクイズやギャンブルタイムを除き、単一ピリオドで得られる賞金の最高額は30万円(2008年度までは50万円)であるが、遅刻対策ピリオドや2008年秋までのキャリーオーバー後のピリオドでは100万円(2009年春からは60万円)を得る可能性もある。ちなみにキャリーオーバーになった場合や、時間が押している中でのピリオドでは、ほとんど1問で終わることが多く、勘に全てを賭ける解答者も少なくない。

補足

マラソンなどのイベントに参加した人は、そのイベントの成績に応じて正解ポイントが加算される。以前はこの制度がなく、イベント参加組はその準備をするにあたり、解答できるチャンスが少なくなっていた。従って正解率も必然的に低くなる不公平が生じていたため、2003年の回からこの加算制度が導入された。また、過去にはスタジオ外の会場でイベントを行う際、移動のバス車内へキーパッドを持ち込み、解答した事があった。

地上デジタル放送の双方向で参加している視聴者も、クイズのルールはスタジオのタレントたちと同じである。予選落ちは、その視聴者が予選落ちしたタレントより解答時間が遅かった場合は同じく予選落ちとなる。また常時、前のピリオド終了時点の対タレント200人との順位がデータ放送を通じて個別に表示されている。ピリオド終了からしばらくすると、対タレント200人とのそのピリオド終了時点最新の順位と、参加している視聴者の前後2人のタレントの名前がデータ放送を通じて個別に通知される。

総合順位による賞品・賞金

最終総合順位のトップ10に入るとクイズやイベントで獲得した賞金とは別に賞金・賞品が出る。

2009年春現在の金額は以下の通り。かっこ内は2009年春のもの。かっこ書きがないものは金額に変更なし。

  • 優勝賞金200万円→総額300万円相当の豪華賞品 ※2008年は500万円相当の豪華賞品
  • 2位:賞金100万円➝50万円
  • 3位:賞金50万円➝40万円
  • 4位:賞金30万円
  • 5位:賞金20万円
  • 6位 - 10位:賞金10万円

これまでに総合優勝者に贈られた賞品は、個人戦開始時から1997年までは賞金200万円、1998年・秋は「新潟県湯沢のリゾートマンション1部屋」(1998年3月28日は3000万円、1998年10月3日は4800万円)、1999年春から2000年春までは豪華海外旅行か高級腕時計など4つから1つ、2000年秋から2003年春までは金貨300万円分、2003年秋、2004年春は総額600万円相当の賞品などと豪華なものが多いが、中にはちょっと変わった物が賞品になる事もあった。

2004年秋の感謝祭では、アテネオリンピックの開催年だったことにちなんで300万円分の純金を使った番組特製金メダルが賞品として出た。2005年春はプラズマテレビなどの家電セット・別荘・焼肉チェーン叙々苑食事券の中から1つ選べた。これは1999年春~2000年春の3回のシステムを1度戻った。2006年春では、30回記念にちなみ旅行30泊・高級中華料理30食・高級車とガソリン満タン30回から選べた。2007年春から2008年秋の3回は高級車や大型車が贈られた。2008年秋では上位3人に賞金に加え、北京オリンピックの開催年だったことにちなんでメダルも与えた。2009年春では300万円分のビックカメラのポイントが与えられた。2009年秋ではヤマダ電機から300万円分の家電製品が与えられた。

以前は、100位や150位などにメロンやマツタケ、毛ガニといった飛び賞が設けられていた。また最下位の人にもTBSのお楽しみ福袋や「一から勉強しなおせ」ということで地球儀や図鑑などの学習関係の賞品がもらえた。しかし、最下位になる人は大抵が裏番組出演や未成年等で遅刻・早退したケースであり、紳助も「これはやむを得ない」と言ったことがある。

2008年秋までに、TBSが出演者のギャラとは別に、「賞金」として贈った額は『約6億以上』と言われており、(トータルで)一番多く賞金を持ち帰った芸能人は薬丸裕英で、約1030万円持ち帰っている。他には岡江久美子白石美帆も多いことで知られている。

最初は200位から11位までの発表、2000年春は時間の都合でベスト10のみ発表、2001年春・2001年秋・2002年秋は100位から11位まで発表、2002年春・2003年春は50位から11位まで発表、2003年秋は150位から11位まで発表、2007年秋は190位から11位まで発表)する。 なお、1997年秋は賞金ランキングのため138位タイ(同額138位の63人は破産者)から4位までで、特別ボーナスをもらえるのは上位3名のため、そのまんま東は第4位賞金67万1228円で特別ボーナスを逃した。

その他

この番組独特のルールにより、他のクイズ番組ではよい成績を残せない芸能人がチャンピオンになることもある。最近の傾向としてヤマを張って問題が出題されたとたんにボタンを押したほうがチャンピオンになりやすいとも言われ、過去にも2秒台や7秒台でチャンピオンになることもあれば0秒台でも予選落ちすることもあった。過去最多の同時予選落ちは6人(2000年、ピリオド9、1問目)。そのため近年では自転車のツール・ド・フランスなどのように一発ピリオドチャンピオンを狙う出演者と冒険せずにこつこつ正解数を積み重ねて総合優勝を狙う出演者に2極化しつつある。

キーパッドは非常に水に弱く、一箇所の端末が水に濡れると、その濡れた端末だけではなくシステム全てがダウンしてしまう。実際にリハーサル中にこのトラブルが起き、1時間ほど進行がストップした事がある(後述するハプニングの項目も参照されたい)。その為スタジオ内には、飲み物を含めて液体の持ち込みを禁止している。

なお、18歳未満の出場者は労働基準法に基づき、ほとんどの場合22時までに退席する。それ以降は席にその人の写真パネルが置かれていた。なお、1996年秋(11回大会)の新山千春は退出しなかった。これは労働基準法が適用されないケースがあり、新山の場合はこのケースに該当すると推測される。同様のパネルは、他局の裏番組や他の仕事などで途中参加や途中退場となり、参加していない出場者全員に置かれる。なお最近は写真パネルは置かれておらず、参加していない出場者のみランプが一切光っていない仕組みになっている。

番組の最後では長時間視聴し続けた視聴者に「5時間半の長丁場 ありがとうございました(以前は長い間ご覧いただきありがとうございました)」といったお礼のテロップを出すのが恒例となっている。初期の頃は全体の終了後に、スタジオを退場する出場者の様子をバックに、出場者全員の賞金総額ランキングを順番に表示した後、このテロップが出る形になっていた。

特徴

出題ストップ

生放送ゆえに、コンピュータのトラブルで問題VTRが出遅れたり、問題が止まる、差し変わる、表示されないということが多々ある。以前はVTR等は通常のサブ送出だったので、VTR取り違えなど人的なエラーも発生していた。現在はコンピュータの処理能力向上により「問題機」と呼ばれる専用サーバーコンピュータから映像を送出している。

前述した通り出演者が解答に用いるキーパッドは水に弱く、もしその1つでも故障するとクイズ全体が止まり、スタジオ内どころか、デジタル放送の双方向による一般視聴者にまでクイズの解答ができなくなるおそれがあるため、飲食は隣のAスタジオですることになっている。紳助と和歌子が休憩時間の前に出場者に対し、「絶対に食べ物・飲み物はスタジオ内に持ち込まないで下さい」と告知する。橋田壽賀子を筆頭に『渡る世間は鬼ばかり』のメンバーが出場する際には、橋田が大量の弁当を持ち込むものの、水分を含むものは持ち込んでいない。2004年安田大サーカスHIROが、特例として1リットル入りのペットボトルのジュースを「10秒以内に」すべて飲むこと(自身のお笑いネタ)は許可された。また、2008年でも、髭男爵の2人がワインの入ったグラスを持ち込んでいた。過去には、放送中の1時間ほど問題が出ないというトラブルもあり、紳助はこの間フリートークで凌いだ。

なお、どうしてもクイズが進行不能に陥った非常事態に対応するため、出演者によるカラオケ大会用のセットが、いつでも使用・放送が可能な状態で放送中スタンバイされているとされていたが、2007年では用意のないことを紳助が番組内で語った。しかし後に2008年春直前の番組プロデューサーの安田淳によれば、カラオケ大会にしてもいいようにスタンバイはしてあるそうである[1]

カンニング

このクイズ形式の最大の欠点は「カンニングしやすい」ことである。後ろの人が優位になったり(ひな壇のため、前列のキーパッドの回答が見える)、隣のキーパットの回答が見えたり、周囲で答えを教えあうために正解者が1ヶ所に固まったり、逆に不正解を教えた人間の周り全員が座ってしまうことが多発したため、1996年からは監視カメラ(通称飯島愛カメラ)が導入された。近年はある程度のカンニングが容認されており(紳助曰く「芸能人はあくどいヤツが多い」ため)、教えあう声をマイクが拾う場合もある。そのため、おもに芸人の中に徒党を組む者が多く、上位層は芸人で占められる場合が多い。それと同時に、コンビ芸人が共に早押しワースト10に含まれ、最悪の場合ワースト1・2となるケースも多々見られた(紳助曰く「伝言ゲームが遅すぎた」)。しかし、2009年秋はある程度厳しくいくということで冒頭に紳助から注意があった。

出演チャンス

200人もの出演者がいることから、5時間半の放送中ずっとスタジオにいても殆ど顔が映ることなくエンディングを迎える出演者も少なくない。その為「わざと予選落ちをして(限りなく9.99秒に近いタイムで解答する)カメラに映ろうとする出演者」もおり、布川敏和は1回の放送で7回あえて予選落ちをしたという金字塔を打ち立てたことがある。

また、マラソンなどのミニゲームで出演チャンスを狙う出演者もいる。

休憩タイム

番組中には休憩タイムが15分間(10分・12分の回もあった)用意されている(第29回大会は約18分、第32回大会は約25分)。かつては「何分がいいか」というアンケートを取っていたこともあるが、その選択肢には「ずっと」というものもあった。休憩はミニマラソンの後になることが多い。

初期の頃(旧局舎、Gスタジオ時代)にはあるピリオドの後に休憩タイムが入るという告知が事前にあったことがある。この際にはそのピリオドで不正解や予選落ちした解答者がボーナスクイズに参加せずに先にスタジオを抜け出して休憩タイムに入ることもできた。参加した芸能人は、スタジオ外のロビーで食事を取ることが出来た。5時間となってから、放送中に休憩時間にとる軽食を4択キーパッドでアンケートを取り、ロッテリアのエビバーガーやアマンドサンドイッチ叙々苑の焼肉弁当等の出前を取る方式だった。しかし、視聴者による「アマンドいたずら電話事件」が起こった為、局自前で料理を提供するようになり、1995年頃から鮨などの高級料理が並ぶようになった。

その後、周富徳を筆頭に「周三兄弟」が出場している際には彼らが料理を振舞うようになり、後には道場六三郎佐野実などの有名料理人の特製料理が堪能できるスタイルとなった。現在でも、全国に名の知れた名店の料理が並んでいる。東国原英夫宮崎県知事就任後は宮崎県の特産品も出品され、東国原知事もレポーターと並んで紹介している。また第13回大会には、食べると賞金から5万円分を差し引く「キャッチ・キャビア・バー」(この事実は休憩タイム終了まで参加者には隠されており、また言い逃れ出来ない様に隠しカメラも設置)や、キックボクシングのリングを設置して、かつてTBSで放送されていた「YKKアワー キックボクシング中継」さながらに会場内でキックボクシングの試合を実施、出演者は観戦だけでなく任意で結果予想にも挑戦出来る(的中・外れによって、各自の賞金が増減)といった催し物、最近ではプリクラやオールスター感謝祭のゲーム等の娯楽設備も設置していた。

なお、休憩タイム中は番組宣伝が流れる。番組宣伝は、スタート当初はCM明けに放送され、その後、紳助が出演者とやり取りをする方式を採っていたが、1997年秋にはピリオド内で「記憶クイズ」として使用し、1998年春からは休憩タイム中でまとめて放送される様になった。近年は休憩タイム中に、携帯電話参加者への専用問題や番組宣伝中にも賞品が当たるプレゼントクイズが出題される様にもなっている。ただし、休憩タイムが終わっても戻ってくる人が少なく、その為前述の通り、対策として休憩タイム終了ブザーと同時に、すぐさまクイズ開始、数問しか出題されないにも関わらず賞金が50万円にアップしたピリオドを実施した事もあった。近年ではCMを挿入した後、中国雑技団などのサーカスからのスタートとなっている。多くのタレントが着席しているが、それでも開始後にまだ食事をしていたり、煙草を吸いながら雑談している出場者も見受けられる。演技中はスタジオに入ることが出来ないため、席に着き損ねた出場者はどこかで暇を潰さなければならない。

地上デジタル放送の双方向で参加している視聴者は、休憩開始時に番組開始時点から休憩開始時点までの成績を送信する。集計が終わり次第、休憩中にピリオド終了時点で通知される内容とともに、全国視聴者ランキングの中間順位がデータ放送を通じて個別に通知される。成績はいずれも休憩開始時点のものが通知される。

ニュース

番組が5時間半に拡大した1992年秋の回以降、番組中盤、休憩時の番組宣伝後に、JNNニュースが約3分間挿入されるようになった。通常、TBSでのニュースはNスタジオから放送されるが、この番組内でのみ、生放送中のBスタジオにキャスター(TBSアナウンサー)が登場し、そこから放送されていた(開始・終了時にスタジオの出演者たちが拍手をしていた)。但し、2006年以降の回はセットの大道具入れ替え作業を行う必要があるため、報道局Nスタジオから放送されるようになっている。2003年春もイラク戦争が当時の中心的ニュースのため、同様の措置が採られた。

1992年秋から1997年秋までは、土曜日の『JNNフラッシュニュース』を担当していた鈴木史朗がBスタジオに来てニュースを伝えていた。無表情な鈴木の登場とともに司会者席のバックの大画面に『JNNニュース』と大きく表示され、クイズで盛り上がっていたスタジオの空気が一変する様子は、番組の名物の一つだった。ただし、1993年秋のみ下村健一が担当し、ニュース終了後、下村が出演する『情報スペースJ』の番組PRをした。テロップはだしたが、フリップはなく、原稿の裏面に手書きで紹介した。出演している芸能人は雑談等でニュースを聞いていないことが多く、それを逆手にとって、ニュース終了直後のピリオド1問目に、ニュースを聞いていないと絶対に分からないクイズが出題されたことがある。

2006年春では、この順番と異なっており、サーカス→ニュース→休憩と逆の順番になっていた。また、2007年以降はニュース→マラソン→休憩の順番となっている。

2006年秋からは、普段放送される『JNNフラッシュニュース』そのものを番組内に内包して放送する形式を取り、TBSやMBSでは提供スポンサーの映像も挿入されたが、地方局によっては通常はスポンサーがついていても、この番組が放送されるときに限り、ノンスポンサーになっていることもある。通常、そのような地方局ではTBS・MBSなどと異なり、提供スポンサーの15秒CMを番組前後に流しているが、本番組内包時は15秒CMすら挿入できないためと推測される。スタジオはNスタジオからの放送となった。

2009年春では番組開始以来初めて中断ニュースの放送が無かった(なお、この年の3月30日~4月5日の「ハイパーバラエティーウィーク」対象番組の全てが途中にニュースの放送がなかった。3月30日の『SASUKE』も同様だった)。これはJNNが結成50周年を記念した事によるものである。

野球中継

番組初期には、番組内で野球中継が挿入されていた時期がある。

1992年秋は、セ・リーグでヤクルトスワローズ・阪神タイガース・広島カープ・読売巨人軍が優勝争いを繰り広げており、広島市民球場から広島VS巨人を随時放送。結果が出るたびにスタジオから拍手が沸き起こっていた(再放送の際にはカットされた)。

1993年秋はパ・リーグで西武ライオンズがリーグ優勝するかどうかを含めた3試合の野球中継が挿入されていた。

また、「どっちが勝つか」と言うのを山分けクイズで出題したことがある。

なお、再放送の際にはマラソン・休憩タイム同様、カットされた。

BGM・タイトルのロゴ

番組放送を開始した1991年第1回当初からの曲が現在でも使用されている。問題出題や早押しワースト10などの時のBGMと手書き風の番組タイトルロゴすべて当初からかわらず使用されている。その他のBGMの情報は#番組中に使用されているBGMを参照(※ただし、1992年春の第2回のみ、CM入りジングルと提供クレジット時のBGMはまったく異なるものが使用されていた。1992年秋の第3回から第1回のものに戻されている)。

早押しワースト10のものはテレビ朝日系『世界忍者戦ジライヤ劇伴より流用、各種ランキング発表時のものは宍戸留美「恋はマケテラレネーション」のインスト(同曲が主題歌のOVAKO世紀ビースト三獣士』劇伴)を使用している。

キャラクター

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番組キャラクターは開始した1991年から2001年までは毎回異なるCGキャラクターが登場していたが、2001年秋以降は「ピテカンブラザーズ」が使用されている(このキャラクターは後に紳助司会の同局レギュラークイズ番組「島田検定SUPER!!」でも使われていた)。

各回の放送日・チャンピオン・ピリオド数

西暦・季節放送年月日チャンピオン総ピリオド数全員復活キャリーオーバー
11991年1991年10月5日ニュース教養チーム#110ピリオドなしなし
21992年1992年4月4日TBSアナウンサーチーム#1なしなし
31992年秋1992年10月3日斉藤慶子13ピリオド#2第6ピリオド1回
41993年1993年4月3日中島啓江12ピリオドなしなし
51993年秋1993年10月9日麻木久仁子15ピリオド第7ピリオド1回
61994年1994年4月2日関根勤11ピリオドなしなし
71994年秋1994年10月1日そのまんま東14ピリオドなしなし
81995年1995年4月1日ヨネスケ16ピリオドなしなし
91995年秋1995年9月30日向井亜紀15ピリオドなしなし
101996年1996年3月30日辰巳琢郎第4ピリオドなし
111996年秋1996年10月5日野際陽子12ピリオドなしなし
121997年1997年3月29日そのまんま東13ピリオド第8ピリオド1回
131997年秋1997年10月4日東幹久18ピリオド第2ピリオドなし
141998年1998年3月28日三村マサカズ
バカルディ【現:さまぁ〜ず】)
13ピリオドなしなし
151998年秋1998年10月3日薬丸裕英15ピリオド第8ピリオドなし
161999年1999年3月27日原千晶17ピリオドなしなし
171999年秋1999年10月2日青島健太16ピリオド第10ピリオドなし
182000年2000年4月1日白石美帆10ピリオド第1ピリオドなし
192000年秋2000年10月7日松尾貴史11ピリオド第8ピリオド1回
202001年2001年3月31日辺見えみり15ピリオド第4ピリオド1回
212001年秋2001年10月6日菅広文
ロザン
14ピリオド#3第5ピリオド1回
222002年2002年3月30日岩崎ひろみ16ピリオドなしなし
232002年秋2002年9月28日中田喜子18ピリオドなしなし
242003年2003年3月29日磯野貴理子14ピリオドなしなし
252003年秋2003年9月27日ラサール石井13ピリオドなしなし
262004年2004年4月3日長谷川純
ジャニーズJr.
14ピリオドなしなし
272004年秋2004年10月2日渡辺正行13ピリオド第4ピリオド1回
282005年2005年4月2日谷川真理第4ピリオド1回
292005年秋2005年10月1日岡江久美子10ピリオドなしなし
302006年2006年4月1日山田雅人12ピリオドなしなし
312006年秋2006年9月30日水野裕子なしなし
322007年2007年3月31日蛍原徹
雨上がり決死隊
なしなし
332007年秋2007年9月29日石田純一10ピリオド第5ピリオドなし
342008年2008年3月29日品川祐
品川庄司
12ピリオドなしなし
352008年秋2008年9月27日浦田聖子11ピリオドなしなし
362009年2009年4月4日竹若元博
バッファロー吾郎
なしなし
372009年秋2009年10月3日山田親太朗8ピリオドなしなし
  • #1 1991年秋から1992年春はチーム対抗戦だった。
  • #2 1つの問題ブロックのピリオドは10ピリオド
  • #3 テロップでは13ピリオド

各種記録

  • ※放送で紳助は「6回予選落ち」と言っていたが、実際は最初の予選落ちは複数の解答者が予選落ちして、しかも布川以外の予選落ちした解答者にスポットが当たっていたためにカウントし忘れていた。
  • リポーター・解答者両方の立場で出演した出演者:小林麻耶(2007年秋まではTBSアナウンサーとして各種競技のリポーターを務めていたが、2009年春はTBSを退社しフリーになったこともあり、解答者として出演。総合2位の成績を残した)
  • ボーナスクイズ連続不正解(賞金倍増にならなかった):19ピリオド2009年春・2009年秋でのトータル)…1994年春、1995年春、2004年春もボーナスクイズ正解倍増は不在だった。

視聴率

開始当初は20%以上の高視聴率を叩き出し、絶頂期には30%を超えるなど、絶大な人気を持っている。現在でもTBSの春・秋の名物特番と化しており、20%前後と、高視聴率を叩き出している。そのため、他局もこの特番が放送される日にはより強力な番組を編成している。

歴代最高視聴率は、1994年秋の30.6%瞬間最高視聴率は同じ1994年、「赤坂5丁目ミニマラソン」でみのもんたが赤坂の町を走っていた瞬間で41.1%、1994年春から1995年秋の4回視聴率が25%から30%まで叩きだした。東海・関西地区では34%前後になるなど、特番としては驚異的な数字である。また、この1994年秋の5時間半の特番が30%を超え、他の特番も高視聴率だったため、当時低視聴率にあえいでいたTBSがこの週のみ視聴率3冠を獲得している。奇しくも旧演奏所からの放送最終週だった。

しかし最近ではマンネリ化ゆえか、2007年春では過去最低の15.3%を記録したが、2007年秋の感謝祭では、クイズを減らしてクイズ以外の企画を増やしたため、17.4%に視聴率が1年ぶりに上昇した。

なお、上記の視聴率はいずれも、関東地区、ビデオリサーチ調べ。

歴史・変遷

この番組は、「金曜テレビの星!」での特番後レギュラー化、わずか半年で終了した視聴者参加クイズ番組『クイズ!当たって25%』(1991年10月17日 - 1992年3月26日放送)が原点になっている。「クイズ100人に聞きました」等と同様、番組フォーマットを海外から購入しており、この番組フォーマットはイギリスのCelador Productionsが開発したものである。なお、感謝祭で用いられている「Ready Go!」や「Answer Check!」などのコールは、日本オリジナルのものである。

出題および解答のコンピュータシステム自体はTBS側が国内企業(テクノネット)に依頼し、日本仕様に独自開発したものである。選択ボタンの増加やタッチパネルの導入、複数解答・移動体通信での解答への対応など、随時バージョンアップされている。このクイズのシステムは、後の地上デジタル放送BSデジタル放送双方向サービスの基礎ともいえる。当番組も2006年に双方向サービスが現実のものとなって、一般視聴者もクイズ参加が楽しめるようになった。

1991年秋-1999年秋

  • 1991年6月28日、「金曜テレビの星!」にて前身番組「クイズ!当たって25%」が放送された。司会は島田紳助と草野仁
  • 1991年、初回が生放送された(1994年までは旧社屋Gスタジオで行われた)。
  • 1992年、地方局のアナウンサーが「JNNアナウンサーチーム」として参加した。好評で要望が高かったため、この回より本放送数ヵ月後に3時間または3時間半の再編集版の再放送がされるようになる。
  • 1992年秋、成績法が個人制に変わった。
  • 1993年、赤坂5丁目ミニマラソンがスタート。
  • 1994年秋、オープニングの司会者による挨拶がなくなり、いきなり冒頭から第1ピリオドが始まるようになる。(現在に至る)
  • 1995年春、放送スタジオが現社屋Bスタジオに変更。(上記同様)
  • 1995年秋、司会者席テーブルの中に初めて電光掲示板(LED表示機)が設置され、コーナー名や番組名がスクロールされている(例:「オールスター感謝祭95(95とは1995年のこと)」「オールスター感謝祭00(00とは2000年のこと)」、「オールスター感謝祭春」「オールスター感謝祭秋」、「赤坂5丁目ミニマラソン」など)。この電光掲示板(LED表示機)はセットが入れ替わった後でも2007年秋まで同じものが12年間使用されていた。
  • 1996年秋、カンニング対策として監視カメラ(飯島愛カメラ)が導入された。
  • 1997年秋、これまで4択までしか対応出来なかったキーパッドが、現行の2択から6択までに対応、液晶画面のタッチパネルで数字等も入力可能な仕様に変更される(それまでは4択固定だったため、2択の問題やイベントの参加のアンケートも4択表示で、3,4は選択肢がなかった。そのボタンを押した人が2,3人いた)。これに伴い、スタジオのボタンの色が「赤・緑・紫・」から「赤・青・黄・緑・オレンジ・ピンク」の順に変更された。これを記念して、特殊なシステム(100万円からの減額方式)での大会が行われた。この大会ではピリオドで不正解・予選落ち及びミニマラソンなどのイベントスタンバイ中でクイズに参加できない解答者の所持金が1問につき2万円減額され、所持金が0円になると以降のクイズに参加できないルールだった。またボーナスクイズがなかった(並べ替え問題は、通常の問題と併せてピリオド内で出題された)。ミニマラソンなどの賞金もイベントスタンバイ中の1問につき2万円減額が適用されているため、せっかく上位入賞しても実際もらえる賞金が相殺されるケースもあった。この回のみ総合成績も、正解数や解答速度ではなく、獲得賞金額によって順位付けされ、総合上位への賞金・賞品も、上位3名にボーナス賞金という名目で今回獲得した賞金に上乗せされる形を取った。「早押しワースト10」発表画面や紳助の絵などのCGがリニューアル。出演者のグループ名の文字がすべて表示できなかったものが表示できるようになる。それまでCM明けに放送された番宣スポットが、この回では「記憶力クイズ」として使われた。
  • 1997年、1度だけ大晦日に年末特番が放送された。通常とは異なり、150名参加・1チーム25名の6チーム対抗戦、イベントを殆ど行わない代わりにチーム同士で副賞争奪クイズを行う等、『クイズ!当たって25%』に近いフォーマットで行われた。第1問は、当日直前まで生放送で放送していた『嗚呼!バラ色の珍生!!』(日本テレビ系)の収録スタジオからオールスター感謝祭の収録スタジオまでの紳助の移動が午後9時2分(放送開始は午後9時)までに間に合うか否かを予想した。シンキングタイムのイラストCGはこの回のみ、この年の干支のウシと翌1998年の干支のトラが使われた。なお、そのまんま東がチャンピオンとなった。ラストは「ゴ〜ン」と除夜の鐘が鳴り響いて締め括った。
  • 1998年春、この回より番宣スポットは「休憩タイム」の中でまとめて放送される様になった。司会者席背景セットがこの回以降使いまわしになる(このセットは2007年秋まで使用、事実上の経費削減)。
  • 1999年春、和歌子が「Riskyデビュープロジェクト」参加のため(ドッキリ)、エイベックスに移動し司会から離れた。そのため、紳助が「一応、局アナの用意はしているが、生放送のハプニングということで」と安岡力也を代理司会に指名した。力也は約2ピリオド分を代行したが、司会をしている間は解答できないので、彼の指名でチャック・ウィルソンに交代。しかし、問題文をきちんと読めず、一部参加者と揉めそうになったため1ピリオドで交代、番組終了までTBSアナウンサー(当時)の進藤晶子が務めた。

2000年春-2009年秋

  • 2001年、番組サブタイトルから「この春(秋)お待たせ特大号」がとれる。
  • 2001年、1997年春から登場したこれまで毎回異なるCGキャラクターだった番組イメージキャラクターはこの回以降、ピテカンブラザーズに固定される。またこの回より、視聴者サービスの一環として携帯電話を通じ、一般視聴者もリアルタイムでクイズに参加できるようになった。開始当初は1,000人で、後に1万人、3万人に増えていった。ただし、参加するにはTBSの携帯サイトからの「予選クイズ」に参加し予選通過者が本放送に参加する。ルールは番組と違い予選落ちなし、不正解でも解答権は続行し、全ての問題に解答した。総正解数と解答時間を集計し優勝者には50万円、2位から10位と飛賞には賞品がプレゼントされた。イース社のイーステレッピのシステムが利用されている。
  • 2002年秋、「早押しワースト10」発表画面や紳助の絵などのCGが再リニューアル。番組エンディングの個人成績ランキングでこれまで200位→11位までを10名おきに名前が表示されてゆくのに2分かかっていたものが、1分に短縮された。その代わりにランキングが早くなったことから10名おきに1人の芸能人の顔を映していたのをやめている。
  • 2003年春、紳助がF1レース出走のため西川きよしが代理司会を担当した。またこの回は第2回(1992年春)以来、地方局アナウンサー(佐々木瞳TUYアナウンサーと中野知美TUFアナウンサー)が出場。一部の解答者がマラソンなどのイベント参加で順位が下がるデメリットを解消する為、参加および上位入賞すれば正解ポイントが加算するルールが追加された(F1(モトクロス・トライアスロン)、駅伝で優勝すれば10問分のポイント・マラソンで優勝すれば15問分のポイントが加算する)。
  • 2004年春、「ボウリング(イベント)」が開始された。
  • 2004年秋、TBS放送センター前が赤坂5丁目再開発計画(赤坂サカスプロジェクト)により空いていたことから紳助の要望で「モトクロス選手権(イベント)」が行われた。紳助は決勝戦にて参加をしたため、その間の代理司会を武田鉄矢が務めた。そのイベントで紳助は1位となり、司会者ながらも賞金20万円を獲得。後、司会に戻り、自分で企画して優勝することについて「大橋巨泉のゴルフコンペのようだった」と語った。この時の総合優勝者は渡辺正行。第1回から参加していた皆勤賞の渡辺は27回目の出場にして初めて総合優勝の栄冠を掴んだ。
  • 2005年春、前年11月に紳助が不祥事により謹慎し本大会の司会がどうなるかが注目されたが本年1月に復帰し、事なきを得る。解答者にアテネ五輪日本代表などスポーツ選手が多く参加。また、TBSテレビ開局50周年を記念し、TBSテレビの看板番組「風雲!たけし城」が復活した。2003年春からミニゲームポイント加算ルールを新設して初めてマラソン・駅伝に参加し、そこで獲得したポイントを利用した谷川真理が優勝した。
  • 2005年秋、オールスター感謝祭視聴者のすべてが携帯クイズに参加できる形式への変更に伴い、実質上の規模縮小(クイズ解答からイベント予想へ)。
  • 2006年春、地上デジタル放送のデータ放送およびワンセグ放送の双方向機能を利用して、より簡単に視聴者がクイズに参加できるようになった(この回で双方向を実施した放送局はTBS、テレビユー山形東北放送新潟放送静岡放送中部日本放送毎日放送の各局。なお、新聞のテレビ欄の記号では双方向の「双」ではなくデータ放送の「デ」の表記となっている。これは2006年秋以降も同様)。これに伴いスタジオの1/Aから4/Dのボタンの色が従来の「赤・青・黄・」からデジタル放送受信機のリモコンと同じ「青・赤・緑・」の順に変更された(6択問題はスタジオでは上記4つのボタンにさらにオレンジ・ピンクの5/Eと6/Fのボタンを、視聴者はリモコンの「1」から「6」の数字キーを使って解答する)。問題数と正解数、さらには解答秒数がカウントされるシステムになっている(一部機能はBS-iで放送されていた「TIME OVER」に準拠している)。どのボタンで解答するかは和歌子からの口頭ではなく、データ放送の字幕で伝えている。しかし、ボタンを連打しても早いタイムが出にくいのと、ピリオドの間にチャンネルを変えると正解数がリセットされるなどの不備もあった(これは他局の双方向番組の一部でも同様のケースがあった)。2006年秋以降もこの双方向サービスは行われている。なお、今回のマラソンと駅伝はTBSのカメラマンの他、JNN各局(HBCなど12局)の技術協力を元に各局スタッフも撮影に協力した。
  • 2006年秋、地上デジタル放送のデータ放送双方向機能にあわせ、クイズ画面上の1から6のアイコン色が青・赤・緑・黄・オレンジ・ピンク(の順)に変更(以前は、全アイコン色が青→水色→ピンク)。なお、双方向サービスは今回が初実施となった系列局は北海道放送、青森テレビテレビユー福島テレビ山梨北陸放送RKB毎日放送の各局である(IBC岩手放送チューリップテレビ信越放送山陰放送中国放送テレビ山口あいテレビテレビ高知は試験放送の段階だった〈本放送開始前日〉)。また、今回もTBS系列・JNN各局がオールスター感謝祭に協力する形となっている。その他、総合優勝での字幕(第○位 ○○万円獲得!)が写研系からDTP出力フォントへ変更となり、同番組および同局の生放送番組が以後DTP化する余韻を見せる。その改編時期スタートの番組からの出題、VTRひねりやその時期に限定開催されている観光地のイベント(東京ディズニーリゾート等)などからも出題するようになった。この回から1992年春より毎回、本放送数ヵ月後にされていた3時間または3時間半の再編集版の再放送をしなくなった。
  • 2007年春、ネット局全ての地上デジタル放送で視聴者の双方向参加が可能となり、今回もJNN系局の協力があった。また、携帯連動ゲーム「(番組中の「レディー・ゴー」の『ゴー』のかけ声にあわせて決定ボタンをクリックする)ぴったり☆レディーGO!」の開始に伴い、事実上の携帯電話でのクイズ(イベント予想)参加はなくなる。一方、「世界陸上2007大阪」に出場する選手がこの番組の為に来日した。なお、前回まで出場していた宮崎県知事東国原英夫(そのまんま東)も出場する予定だったが、インフルエンザを発症したため、放送当日の朝にキャンセルし、宮崎からの携帯電話での中継出演となった。また、番組字幕・テロップ(periodや企画ロゴなど)が同局の生放送番組に先駆けて写研文字(ゴナゴカールナカミンダ他)からDTP出力フォント(ニューロダンPopハッピネスカクミン、まるもじ他)へと大幅に変更された。これにより、4月22日より同局の制作する生放送番組にはDTP出力フォントが主となる。番組開始以来始めて、紳助を模した絵のCGが書かれている文字の4択問題画面がなかった。また、これまでは紳助を模した絵のCGが書かれていて4択の答えが文字で書かれているものが大半だったが、この回以降は映像または写真・絵の書かれている4択問題画面または文字だけであっても紳助を模した絵のCGがなく、下部に4択の答えが表示され上部にスタジオの出演者が映る問題画面ばかりとなった。
  • 2007年秋、携帯連動企画の見直しがされ、再びクイズ企画で「オールスター感謝祭★時間deクイズ!(感謝祭の歴史クイズ)」となった。また、今回より番組でのクイズが「クイズ作家による問題応募」に加え、TBS子ども向けサイト『ブーブ☆キッズ』からも「誰もがメールで気軽に問題を応募できる」ものとなった。なお、春での約束、宮崎県知事の東国原英夫もマラソンなどに出場した。ミニマラソンでは、ブーブ☆キッズの連動企画でつくられた子どもたちデザインによる応援グッズもお披露目された。この回で、写研文字(石井ゴシック)や(ミニマラソンなどで使われた)恒例ロゴが完全に消滅。ニューロダンがメインフォントで、LIVE(中継)はスランプが採用された。前回Popハッピネスを使っていたものがPOP体などに変更となった。中継系やマラソンなどのスタジオクイズ以外のコーナーで固定テロップが春以前よりもかなり多くなる。
  • 2008年春、赤坂再開発「赤坂サカス」の完成により、同関連企画が行われる。また、ブーブ☆キッズからのクイズ募集に加え、赤坂5丁目ミニマラソン・駅伝で使われる応援旗('07秋までジ〜ンとTBSのロゴ)も、一般より募集し、そのデザインが採用されることとなっている。携帯連動企画は、イベント予想の倍率つきクイズ「感謝祭ケータイダービー」と、赤坂サカスの完成を記念してサカス広場で3月28日3月29日に番組同様の4択クイズ企画「赤坂サカス感謝祭!クイズフェスティバル!2008」が実施。また、司会者席背景・司会者席テーブルは1998年春以来10年ぶりに変更された。なお司会者席テーブルに1995年秋から2007年秋まで12年にわたって変わらずに置かれていた従来3色のLED表示機もフルカラーLED表示機に変更された。解答者席テーブルも各枠ごとに色分けされていたものが、各枠各段ばらばらになり、ALLSTARなどと文字も書かれた。
  • 2008年秋、北京オリンピックの影響を受け、番組内で北京オリンピックを意識したイベントが行われた。また、テロップフォント・デザインが改められ、これまでのPopハッピネス、まるもじなどがタイプラボN+新ゴ(モリサワ)に変更された。前回大会の反省から、ローション企画が抑えめなものとなり、ぬるぬる相撲がこの回では姿を消した。
  • 2009年春、世界的な不況の煽りを受け、この番組でも賞金がややダウンし、ピリオドチャンピオン・ボーナスクイズは各15万円、総合成績では2位賞金が100万円から50万円に、3位賞金が50万円から40万円に、それぞれ減額された。減額されたことについて、早速第1ピリオド後に報告するとスタジオがブーイング。これには紳助から「わかりました。決めましょう。次回、秋にやる時には25万円に戻す代わりに150人になりますよ」と。和歌子からも「200人の芸能人が150人、そちらでよろしいでしょうか」と提案され、多数が難色を示したため、結局(次回、仮に賞金の減額状態が続いても)50人多い200人で行うとした。また、生放送中であることを示す「LIVE」が画面右端に随時出ていた(そのため、ランキングや問題、マラソンなどの顔ぶれを見る際に多少被ってしまった)。携帯連動企画では、オッズ(倍率)が廃され、番組内での予想問題が中心となった。ぬるぬる相撲が1年ぶりに復活した。2008年秋までは総合成績発表の際にテロップで上に「総合成績」、下に「発表」と表示されていたものが、「総合成績」の表示のみになる。
  • 2009年秋、前回のこの年の春に引き続き、ピリオドチャンピオン・ボーナスクイズは各15万円のまま。番組エンディングの個人成績ランキングの時に流れるBGMが2007年秋ぶりに変更され、総合成績でははじめてジャンジャンバリバリ出血大サービスが使用された。また、2007年春以来2年ぶりに紳助を模した絵のCGが書かれている文字の4択問題画面がなかった。ピリオド数は最少の8ピリオドになっていた。また、総合成績・エンディングの後にCMが入り、提供クレジット・エンドクレジットで終了した。1990年前期の体制に近かった。この回は後述するように出演者間でトラブルが発生するなど後味の悪い回となった。

番組で誕生した大会(企画)

赤坂5丁目ミニマラソン

赤坂5丁目ミニマラソン」を参照

赤坂5丁目ミニ駅伝

マラソンコースを使って行うこの駅伝大会。1995年にスタート。1周走って襷を繋ぐ。この駅伝とマラソンの両大会は、実況に初田啓介アナが担当している(過去には松下賢次アナ、林正浩アナ、鈴木史朗が実況を担当)。

開始当初は番組対抗だったが、1996年秋に2人1組の4番組の対抗戦となり、1998年秋には5人1組の2チームの対抗戦。一旦は消滅したが、2000年秋・2001年秋から2003年に復活した。復活当初は3人1組のAからDチームの対抗戦(各チームのキャプテンをマラソンの上位4名が務めた)、2003年秋から年齢別駅伝となり、当初は20代・30代・40代・50代の4チーム、2004年春は10代・20代・30代・40代・50代の5チーム、2004年秋は10代・20代男子・20代女子・30代・40代・50代の6チーム、2005年春からは10代20代(混合)・30代・40代・50代の4チームになった。ただチーム人数は2000年秋から変わらず3人1組になっている。2007年春は出身地別駅伝となり、「東日本A」・「東日本B」・「西日本」・「九州・沖縄」の4チームとなった。また、同(32)回大会では裏番組の兼ね合いなどから、感謝祭史上初の空撮を行った。駅伝が復活した年になかやまきんに君がリディアシモンを坂道で抜き去った場面が存在する。

大体のメンバーがマラソンに続いて参加している。ただし、マラソンで1位になった人は参加資格を得られない。ただし、2007年春は「天候への配慮」および「裏番組への対抗」に伴い、マラソンの前に駅伝を行った。

2007年秋は、ピリオド2の後に行った。今大会では東国原英夫が参戦。50代チームのアンカーとしてみごと1位を飾った。

短距離走→スプリンターズステークス

マラソンが苦手な芸能人を対象に行われた大会。1994年の第1回は、出場者への事前告知なしに、傾斜のきつい坂道「ハートブレイクヒル」を登る短距離走だったため、出場者からブーイングが起こった。1995年からはTBS旧社屋跡地にコースを造って行われた。その第1回に出場した相楽晴子は「後ろにお巡りさんがいないと走れない」と言ったため、春の大会では、警官の扮装をしたエキストラに追いかけられながら走ったが、結局レベルの高さに屈してしまい敗れる。1999年春からは舞台を大井競馬場に移し、ゲートの中からダートコース100mを疾走した。さらにタイム上位の選手8人は、サラブレッド的場文男騎手騎乗)と対決するレース、「人馬対決マイルチャンピオンシップ」に出場できた。なお2000年春はスプリンターズステークスを行わず、事前に選抜された選手8名で人馬対決マイルチャンピオンシップが行われている。2001年春以降は短距離走自体が開催されていない。

赤坂5丁目水泳大会

1994年から2000年春に、TBS放送センターの隣にある赤坂パークビルディングにあるスポーツクラブのプールを貸切り開催された、いわゆるアイドル水泳大会井上晴美梶原真弓等の女性が得意としていた。1995年には、当時54歳の川谷拓三も出場したが、その直後に死去した為、以後高齢者は余程の事が無い限り参加させないようになった。実況は小林豊アナ。

赤坂5丁目大サーカス・超人クイズ

休憩の次のピリオド前に行われるパフォーマンスショウ。1999年頃から開始。毎回有名サーカス団や雑技団を呼び、参加者の目の前で開催する「超人達のテクニック」に拍手喝采は必至。テクニックに圧巻され忘れられがちだが、このパフォーマンス自体もクイズの一つとなっており、パフォーマンス中の様々な部分がクイズとして出題される。

その他

大相撲 赤坂(Bスタ)場所
全盛期にはマラソン、水泳と並ぶ人気コーナー。1993年にスタート。当初は4人のトーナメント戦だったが、1994年秋からは事実上(横綱といわれる)チャック・ウィルソン藤原喜明のガチンコマッチになっていた(当時のコーナー名は「大相撲Gスタ場所」で、1995年からは「大相撲Bスタ場所」)。行司は、1994年秋までは蔵間龍也、蔵間の没後1995年春から1997年桂邦彦プロデューサーに交代。1998年頃からは一旦休止していたが、2006年春、土俵の上にローションが塗られた「ローション相撲」として復活した。このルールにより力の弱い人が強い人に勝つ可能性も出た他、幾多の名・珍勝負を生み出した。ただし、2008年春の大会で河本が右肋骨を骨折、2008年秋から「人間ハンマー投げ」に切り替えたが、2009年春には、ローション相撲が復活した。
赤坂5丁目バトルロイヤル
2007年春に行われた企画。ローションを塗った六角形のリングの上でズッコケながら戦う。最後まで滑落せずにリングに残った者が優勝。最初は格闘家に扮した芸人で勝負を行ってから本物のプロレスラーがガチンコで戦う形式をとった。結果は前者が武蔵丸に扮したはなわ、後者が佐々木健介。なお、番組の最後では優勝した蛍原徹と2位の原口あきまさがリングに上がらされズッコケながら勝者の弁を述べるのに使われた。
赤坂5丁目綱引き選手権
初登場は2001年春。当初は綱引きの女子世界チャンピオンである大分コスモレディースTCが登場し、芸能人やプロレスラーと戦ったが、「(プロレスラーを大勢入れても毎回タレントチームが負けているため)コスモレディースの勝ちがみえみえ」なことから、2004年秋はお笑い芸人「東」・「西」に分け戦った。
赤坂5丁目やけくそマラソン
1997年の大会及び1998年春の大会で実施。どちらとも番組最後のコーナーであり、番組終了10分前前後から番組終了にかけて行われた。コースは1997年秋・1998年春共に心臓破りの坂の頂上からスタートし坂を下り、スモールハットを折り返して坂を上がり、Bスタに戻るという形式。優勝賞金は50万円。男女別に3位まで賞金があり、4位以下の選手も番組終了までに帰ってくれば1万円がもらえた。出場資格で1997年秋は賞金がゼロになってしまった解答者、1998年春は賞金が1万円以下の解答者。
激走!300m自転車レース
予選4ブロック総勢16人が自転車に乗って走る。決勝進出者は4人。
赤坂5丁目一輪車・三輪車レース
自転車でなく一輪車や三輪車で行う。距離は130m。
赤坂5丁目大ジャンプクイズ
ダチョウ倶楽部上島竜兵は過去に2回賞金5万円を獲得している。
赤坂5丁目本物は誰だ!
2005年秋では5人の小学1年生のうちバック転とバク宙ができるのかを当てる。
2006年春では5人の小学生のうちBMXの世界チャンピオンを当てる。BMXの世界チャンピオンは人越えの大ジャンプを披露した。
2006年春では5人のハイパワー男性(1人だけ豚男性で、紳助が名前紹介時に他の4人が「筋肉を見せて下さい」と言っていたが、この豚男性のみ「腹を見せてください」と言っていた)のうちフライパン曲げの日本一は誰かを当てる。
2006年秋では6人のおばあちゃんの中から本物のプロボウラーを当てるクイズ。プロボウラーは94歳で、見事なストライクを披露した。
2007年春では6人の小学生のうち誰が車を跳び箱のようにして飛ぶか当てる。車は野々村真のベンツを使用した。
赤坂5丁目スターボウリング
2004年春の放送で出演者の救済処置として実施。山口もえ桂三枝西川きよしが登場し、1回ずつ行い、ストライクを出せば賞金があたり、ストライクを出せなかった場合は3つの部屋に入り、罰を受けるというものだった。同時に、山分けクイズも行った。結局、3人ともストライクを出せず、罰を受けることに。桂三枝と西川きよしは水が落ちる部屋に入り、水を浴びることになった(山口もえが入った部屋は枯葉が落ちた)。
赤坂5丁目F1グランプリ
2003年春秋・2004年春に行われた。女性限定のカートレース。コースはミニマラソンコースの一部を使用して行われ、各予選レース1位の選手が特別招待選手の出場する決勝戦に進出できた。特別招待選手は2003年春が司会の紳助、2003年秋が土屋圭市、2004年春が片山右京
赤坂5丁目モトクロス選手権
再開発工事に伴い土砂となっていた旧社屋跡地にて2004年秋、2005年春ともに開催。特製のモトクロスバイクに乗り特設コースを2周する形で行われた。このイベントは男女関係なく参加できたが、体重の軽い女性が有利で、特に岩佐真悠子は2回とも上位入賞を果たしている。なお、優勝は司会の紳助(2004年秋・シード)、保阪尚希(2005年春)。
風雲!たけし城
かつてのTBS人気番組「風雲!たけし城」が2005年、一夜限りで復活。「竜神池」と「ジブラルタル海峡」の2種目を当時の雰囲気そのままに再現した。攻撃軍隊長・谷隼人たけし軍団も登場した。成功・失敗関係なく参加ポイントやクリア賞金は無かった。
赤坂5丁目ミニトライアスロン
2005年秋にて、「水泳(ばた足)」・「マラソン(ミニマラソンに似たコース)」・「自転車(三輪車)」を組み合わせ行われたミニトライアスロン。赤坂5丁目ミニマラソンと同じコースを1周回る。下記の赤坂5丁目再開発により代わりとされたコーナー。なお、「斉藤慶太などによる不正(三輪車でこがなければならないところを、立って押して走った)があった」が、「説明不足だった」とし、不正としなかった。これとは違うスタイルだが、1998年に水泳→ミニマラソン→自転車の3人リレー方式でミニトライアスロンが開催されている。
赤坂5丁目カーリング選手権
2005年秋には氷の代わりにローションを撒いて滑りやすくした為お笑い要素が強かったが、2006年春にトリノオリンピックの再現として登場。製作スタッフが数日前から本格的に(水から凍らすなどして)コースを作ったため制作費が予想以上にかかったらしく、「100万円山分けクイズ」であるはずが「25万円山分けクイズ」に減額されていた。“カローリング”と呼ばれる陸上版のカーリングのようなものが用いられた回もある。
赤坂5丁目リュージュ選手権
上記カーリング同様、2006年春のトリノオリンピックの再現として登場。心臓破りの坂を利用し、ローラーの付いた特製そりで競った。滑る選手は女性限定。なかやまきんに君をはじめとする筋力自慢がリュージュを押す係として出場した。結局、リュージュの操作能力よりリュージュを押す人の力が重要視とされた。
赤坂5丁目世界バレーにチャレンジ
2006年春と秋に行われた。全日本バレーチームと芸能人選抜との対決で、芸能人チームがサーブ権(ただしサーブをするのは全日本バレーチームの選手)で1ポイントを先取できるかを競った。しかし本職の全日本バレーチームにかなうはずがなく、全日本バレーチームが賞金20万円を獲得している。
赤坂5丁目潜水ビーチフラッグス
赤坂の屋内プールで2006年秋に行われた。飛び込んで10m泳ぎ、そこからの潜水区間から潜水を開始、中央にある旗を最初にとった人が勝利。なお3人1組の3組で行われ、各々の勝者+田中雅美選手により決勝が行われた。決勝はそれぞれのコースに旗が置かれ、旗をとるのが速い順に当てるものだった。優勝者は田中雅美選手。
落ちこぼれ救済ボーナスキャッチ
2006年秋に行われた「番組終盤」にも関わらず獲得賞金0円の「落ちこぼれ芸人」を救済する目的で行われた企画。バナナマン日村勇紀パパイヤ鈴木里見浩太朗大和田獏の4名が参加した。里見は参加に意欲を見せるも、「大御所(芸歴51年)」との理由で紳助が参加を拒み、不参加に。ルールは、上から流れてくる「もの」を落とさずキャッチし、それを別箱に移すことができればコース毎の賞金(10万円、30万円、50万円)が与えられた。なお、コースによって、落ちてくるものは異なり、10万円(橙色)コースは『こんにゃく』・30万円(緑色)コースは『小魚(若アユ)30匹』・50万円(青色)コースは『大型ヘビ』。この間(前)には他の196人は落ちてくるものを言ってはならず、言った者は賞金没収という決まりだったが、結果として誰一人言わなかった。そして、この企画で他の196名には1人キャッチできたら「賞金1,000円」・2人キャッチできたら「賞金2,000円」・「3人(全員)がキャッチできたら賞金5,000円」が見ているだけでもらえた。結果は、日村がキャッチできなかったことから、196名には2,000円の配当となった。賞金0円だった里見は2,000円に、日村は企画に参加したものの賞金が与えられなかった。
ばんえい競馬赤坂記念
2007年春に開催。北海道の帯広で行われているばんえい競馬の競走馬4頭と騎手が赤坂に集結。新ドラマ対抗戦で行われ、2頭立てのレースを2回行った。コースはスモールハット前から心臓破りの坂を上がりきったところまで。勝敗は馬が引くそりの最後尾がゴールラインに先に到達したほうの勝ちとなる(ばんえい競馬の公式ルール)。中にはアスファルトでできたそりが擦れあい、火花を起こさせる馬もいた。実況は杉本清
赤坂5丁目ターザンビンゴ選手権
2007年春、2007年秋に施行。ターザンロープにつかまりながら番台(?)を目指すという、いわゆる人間ビンゴゲーム。
導入当初と現在のルールが一部異なっている。
オールスター200人知名度調査
2007年秋に登場。「『オールスターが200人というけど、本当に200人全員がオールスターなのか?』という疑問が寿司店経営・長谷川公彦さん(紳助の本名)からハガキで寄せられております」という紳助の言葉から誕生した。モニターに映った芸能人のフルネームを武田鉄矢泉ピン子西田敏行が答え、フルネームを言えなかった芸能人は外国人ボディカードに連れ去られオリに入り、そのまま赤坂5丁目ミニマラソン強制参加というルール。カンニング防止の為、このコーナーのみ解答者全員のネームプレートが裏面の番組タイトルロゴに変更されている。なお武田は大沢あかねAV女優蒼井そらと答え、会場が爆笑した。2008年春でも行われている。詳しくは無名芸能人犠牲者続出事件を参照。この企画は回答役に指名された大物芸能人は嫌々参加させられ、他の芸能人は何人当てるかを予想するクイズも行なった。
このコーナーは「島田紳助がオールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えますスペシャル!」(読売テレビ)の1コーナー「中継クイズ・私はだぁ〜れ?」と趣旨が非常に似ており、紳助がそのまま持ち込んだ企画と推測される。そちらの番組も同時期に放送されたが、本番組との内容の競合を避けるためか、お笑い芸人中心のキャスティングになった。
赤坂サカスdeオカン探す!!
2008年春に施行。新しく完成した赤坂サカス内にいる、4人の芸能人の母親を各々が連れてくる。ただし、以下のことをしなければならない。
1 スモールハットから正面玄関前の区間を、二人乗り自転車で移動。ただし自転車は、横に移動するものや、サドルがアップダウンするものなど4種異なる。
2 正面玄関から心臓破りの坂頂上までの間は、芸能人である息子が母親をおんぶする。
3 スタジオ内までは仲良く手をつないでゴールを目指す。
参加芸能人は原西孝幸FUJIWARA)、加藤歩(ザブングル)、はなわパッション屋良で、順に4位、3位、1位、2位。
ぬるぬる世界陸上
2009年春に初登場。ローションがまかれた直線16mのコースを先にゴールした人物が勝ちというルール。参加芸能人は
「予選A組」
宮迫博之雨上がり決死隊)、山崎邦正ウド鈴木出川哲朗
「予選B組」
小林恵美友近岩佐真悠子SHELLY
「予選C組」
ボビー・オロゴン日村勇紀バナナマン)、たむらけんじ小杉竜一ブラックマヨネーズ
「決勝」
宮迫博之、SHELLY、ボビー・オロゴン
である。ローションで滑って前に進むのが困難で、更に前にはSHELLYがいた事から、あえて宮迫とボビーが結託して彼女を追い抜こうとした。が、ボビーが彼女のお尻を突いてしまい、そのまま彼女が玉突き状態でゴール。紳助からも「お前がお尻突いたから、ボーンて行ってゴールしてもうたやないかい!」と嘆かれ、会場の爆笑を誘った。
2009年秋では前回大会が短距離走というより水泳みたいな感じになってしまった反省を踏まえ、距離を10mに短縮。傾斜も緩くしたがその代わり立ってゴールしなければならなくなった。立たずにゴールした場合は再び戻り、やり直す必要がある。(倒れこむ形になるのはセーフ。)試合形式も4人1レース×3レース行い、全て勝者を予想した者に賞金が与えられた。多数の参加者が苦戦する中、山田親太朗のみ一度も転ばずにゴールすることが出来た。

コール

200人もの人間を相手にクイズを進行させるため、時には一斉に物事を行ったり連絡したりするために、独特の言い回しが多数用いられる。なお、このコールは版権元であるCelador Productionsの番組フォーマットとは関係ない。

全員Stand Up!(-スタンダップ)
ピリオドを開始するときに宣言される。それと同時に、解答者のランプが一斉に点灯する。最近では別の仕事で未着となっている人物の座席は解答権を付与しないため、ランプが点灯しない。これは一時期、未着の人物のボタンを遅く押して予選落ちを逃れるという反則が見られるようになったためと推測される。
Ready Go!!(レディ・ゴー)
問題やアンケートの解答を開始するときに宣言される。初期は「Ready」と「Go!」の間に一拍間が入ったが、現在は繋げて言っている。"Ready"部は和歌子(最近は紳助または2人で行うこともある)が、"Go"部は2人でアナウンス。ドラマ「ビッグウイング」の中でも和歌子演じる丸岡玉子はこのコールを連発していた。
Answer Check!(アンサー・チェック)、正解はこちら。
回答時間が終了し、実際の回答分布を確認する際のもの。"Ready Go!!"と同じく、"Answer"部は和歌子が、"Check"部は2人でアナウンス(こちらも2人で行うこともある)。
まずはこちらをご覧(お聞き)ください。
絵(動画)の問題、音楽の問題をはじめるときの定例句。しかし、見聞きした内容が問題と直接関係ないオチがあることもしばしば。
この問題は、○秒でお答え下さい。
制限時間は通常10秒、ボーナスクイズは15秒だが、問題によっては5秒や20秒の場合があり、そのときに出題効果音の直後に何秒か宣言される。
この問題には、答えが○つあります。
4者2選択や5者3選択などの複数正解問題において宣言される。
正解者○○名、お手元のランプが付いている方、○○円お持ち帰り下さい。
ボーナスクイズをチャンピオンが失敗したときに山分けの獲得賞金額が宣言される。
鐘が鳴りました!
ピリオド最終問題を知らせる鐘が鳴った直後に宣言される。和歌子はよく「この問題がラスト問題となります。」と解説する。

番組中に使用されているBGM

現在使用される曲

番組オリジナル

全てどれも番組開始当初1991年から使用中。

  • Period開始時
  • 通常クイズ回答時
  • 通常クイズ正解表示(正解はこちら)時
  • 予選落ち者決定時
  • ボーナスクイズ回答時
  • ボーナスクイズ不正解(残念)時

流用

  • 番組説明時
    • 調査中 - 第1ピリオド終了後、総合成績の賞金・賞品紹介(2007年 -)、番組冒頭(2008年春-)
    • 調査中 - 総合優勝賞品紹介
    • 調査中 - 視聴者参加クイズ・企画説明
  • ジングル
  • 通常クイズ関係
    • 調査中 - 問題出題前のVTR
    • 渦まく妖気(『世界忍者戦ジライヤ』サントラ、ANIMEX 1200シリーズ51等 収録) - 予選落ち(早押しワースト10)公表時
    • 調査中 - チャンピオン決定(早押しトップ10)時
    • 調査中 - チャンピオン決定のファンファーレ(早押しトップ1公表)時
    • わたしのANDROIDくん(『究極超人あ〜る』イメージ・アルバム収録) - 全員復活時
  • ボーナスクイズ関係
    • 調査中 - 出題音
    • ファンファーレ2(『アッセンブル・インサート』サントラ、ANIMEX 1200シリーズ5等 収録)- ボーナスクイズチャンピオン正解(大正解)時
  • 山分けクイズ関係
  • 企画関係
    • ラブ・イズ・マケテラレネーションI〜アクション・インストゥルメンタル〜(『KO世紀ビースト三獣士』オリジナルサントラ収録)- アンケート参加者公表時、ショート版総合成績発表(2002年秋、2005年秋、2007年秋)使用。
    • ジャンジャンバリバリ出血大サービス(『実況おしゃべりパロディウス』ゲームBGM、サントラ収録) - ミニマラソン配当金紹介、過去中間成績発表にて。
    • FIGHTING MACHINE(新世紀GPXサイバーフォーミュラ11 サウンドトラック収録) - Replay時
    • 盆回り(『8時だョ!全員集合』(舞台入れ替えのテーマ)) - Bスタ内企画大道具出し入れ時(1994年秋~1995年春、2008年秋~)
    • GLORY(カシオペア、シングルCD・アルバムにて収録) - 企画説明(ハンディ紹介など)
    • 夢の飛行機(『ふしぎの海のナディア』オリジナルサントラ(vol.3)収録) - スピードもの(F1、ミニマラソンなど)インタビュー
  • スピードもの
    • RUSH A GO GO!(クラッシュギアNitroサウンドトラックVol.2収録) - モトクロス企画説明、ハンドボール選手入場
  • 赤坂5丁目 ミニ駅伝タイトルコール
  • ミニマラソン・駅伝時
  • サーカス企画(赤坂5丁目 超人クイズなど)
    • 調査中 - サーカス中のBGM
    • 調査中 - クイズ用サーカスのBGM
  • 休憩タイム(出演者・衣装などのテロップスクロール)時
  • 総合成績発表時
    • 調査中 - 200位から11位発表
    • 調査中 - 総合優勝者発表ファンファーレ(過去イカ天でも使用された)
  • エンディング
    • My life is...Risky、島崎和歌子20th anniversary BOX収録) - 番組エンディングテーマ
    • The Show Must Go On(Three Dog Night) - 感謝祭最終提供クレジット曲、5時間半の長丁場ありがとうございました。

過去使用された曲

  • ピテカンブラザーズオープニングBGM
  • 番組予告(番宣)
    • 互角の戦い(プリキュア・サウンド・セラピー!!収録) - 2005年秋予告〜トラブルver.〜
  • 番組説明時(~2006年)
    • LOVELY・HORROR(『優&魅衣(YOU&ME)』オリジナルサントラ収録) - 第1ピリオド終了後、総合成績の賞金・賞品紹介
  • 出演者紹介(オープニング後)時 (1992年
  • 通常問題時
    • ズッコケ・テーマ その1(ドラえもん☆音楽集) - 有名私立小学校受験問題出題(2007年春)
    • ルーンエンジェル隊、解決!(『ギャラクシーエンジェる〜ん』オリジナルサントラ収録) - 有名私立小学校受験問題解説(2007年春)
  • CM明け
  • Bスタジオ内企画大道具出し入れ時
    • Wave~Big Money!(『ドラマビッグマネー!』サウンドトラック収録) - Bスタ内企画大道具出し入れ時(2006年春~2007年秋)
  • スピードもの(F1、モトクロス)
    • TRUTH21c(T-SQUARE) - F1企画時
    • CHASER (T-SQUARE) - F1ゲストドライバー登場時
    • 猛攻(『テニスの王子様』サントラ3収録)- モトクロス企画時
    • SMILE FOR YOU(古川もとあき) - スピードもの紹介時
  • 企画時の効果音
    • 大魔法峠 インストゥルメンタル(『大魔法峠―サウンドトラックの章』 収録) - その他イベント中音楽(2006年秋・アシカショー、2007年春・スーパー小学生など)
    • われらのダイナ(ウルトラマンダイナオリジナル・サウンドトラック等収録)- その他イベント中音楽(2006年秋 潜水ビーチフラッグス)
    • 宇宙で恋は☆るるんルーン(『ギャラクシーエンジェる〜ん』オリジナルサントラ収録) - 過去(2007年春・棒高跳びクイズ、2007年秋・ターザンビンゴ選手権)タイトルコール時。
    • (『セクシーパロディウス』ゲームBGM)- 過去(ソフトボールチャレンジなどで)、ゲームに失敗した場合。
    • ドラえもんのテーマ(『ドラえもん』ドラえもん☆音楽集) - 過去(2007年春・ターザンビンゴ、(2007年秋)などで)企画説明時。
  • マラソン選手入場時(かつてマラソンが4人で行われていたとき、スタジオがスタート地点だったため)
    • ロッキーのテーマ(映画『ロッキー』より)
  • 大相撲赤坂場所(ぬるぬる相撲)
    • ふれ太鼓 - 試合開始時(太鼓)
    • 逆転(『NARUTO -ナルト-』オリジナルサントラ収録) - 選手入場
    • 調査中 - 審判入場(蔵間龍也時代)
    • 『風雲!たけし城』のテーマ - 審判入場(桂邦彦時代 - 彼がプロデューサーだった)
  • 格闘系の企画
    • BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY(布袋寅泰) - バトルロイヤル(格闘家試合)時
    • サンライズ(スタンハンセンのテーマ) - バトルロイヤル(ものまね・お笑い試合)時
    • 調査中 - 入場時
  • 総合成績発表時
  • エンディング
    • 調査中 - 番組エンディング曲(2007年春番組説明と同じ)。この番組のプロトタイプ版「当たって25%」のオープニングから使われているもの。

オープニング映像

  • 1991年 音楽室
  • 1992年 ゴルフ
  • 1992年秋 恐竜
  • 1993年春 滝のお水
  • 1993年秋 ドライブ
  • 1994年春 不眠
  • 1994年秋 テレビゲーム[2]
  • 1995年春 学芸会
  • 1995年秋 水泳
  • 1996年春 花見の宴会
  • 1996年秋 勉強運動
  • 1997年春 夕方の海
  • 1997年秋 遊園地
  • 1998年春 ラスベガス
  • 1998年秋 カートレース
  • 1999年春 怪獣
  • 1999年秋 サンバ
  • 2000年春 宇宙旅行
  • 2000年秋 クイズ対決
  • 2001年春 野球
  • 2001年秋 マジックショー
  • 2002年春 運動会
  • 2002年秋 サッカー
  • 2003年春 F1
  • 2003年秋 100mマラソン
  • 2004年春 聖火
  • 2004年秋 柔道
  • 2005年春 風雲!たけし城
  • 2005年秋 スケート
  • 2006年春 サッカー
  • 2006年秋 バレーボール
  • 2007年春 ハンマー投げ
  • 2007年秋 ビリーズブートキャンプ
  • 2008年春 オリンピック
  • 2008年秋 聖火の点火
  • 2009年春 花咲爺さん[3]


これまでの絵

  • 1997年:この回以前なし
  • 1998年:海
  • 1998年 - 1999年:サンバ
  • 2000年:宇宙飛行士
  • 2000年:クイズ対決
  • 2001年:野球選手
  • 2001年:3人の顔
  • 2002年:行列
  • 2002年:顔(たくさん、2つ)(2つの絵 1,3,5,7,9・2,4,6,8,10 司会者席は1,3,5,7,9)
  • 2003年:F1
  • 2003年:ひらめき顔(びっくり!、マラソン)(2つの絵 1,3,5,7,9・2,4,6,8,10 司会者席は2,4,6,8,10)
  • 2004年:炎(オリンピック、火事)(2つの絵 2002年と同じ)
  • 2004年:ダンス(日本語、英語)(2つの絵 2003年と同じ)
  • 2005年:星空
  • 2005年:携帯電話(黄色、赤、黒)(3つの絵 1,4,7,10・2,5,6,9・3,8 司会者席は2,5,6,9)
  • 2006年:放送30回記念達成(オレンジ、水色、黄緑)(3つの絵 1,4,7,10・2,5,8、3,6,9 司会者席は1,4,7,10)
  • 2006年:ハート(黄色、緑、ピンク)(3つの絵 2005年と同じ、司会者席は2006年と同じ)
  • 2007年:爆発ドーン!(黄色&赤、ピンク&緑、水色&黄色)(3つの絵 2006年と同じ、司会者席は2006年と同じ)
  • 2007年:七色の虹(青、ピンク、黄緑、水色、黄色)(5つの絵 1,10・2,9・3,8・4,7・5,6 司会者席は5,6)
  • 2008年春:この回以降なし

歴代のセット・ボタンの色などの変遷

  • 1991年秋から1994年秋までは赤坂旧社屋Gスタジオ、1995年春以降赤坂現社屋Bスタジオである。
  • 全セットともに、司会者席の手前側に200名の解答者席がある。
  • 司会者席背景の上部にはワイドスクリーンのモニターがあり、その左右にも若干小さいモニターがある。
  • 2008年春にセットの大幅リニューアルを行い、今まで解答者席の絵に書かれていた番組タイトルの英字表記「ALL STAR THANKSGIVING FESTIVAL」が解答者席テーブルなどに散りばめられたデザインとなっている。

司会者席背景

  • 1991年秋 - 1997年秋 背景デザインが毎回違う。
  • 1998年春 - 2007年秋 マイナーチェンジは何度か行われているものの、ほぼ同じデザイン。司会者席背景上部ワイドスクリーンのモニターの下に小型モニターが数台設置される。後にその小型モニター数台とワイドスクリーンのモニターの間に横向きの7色に光っているランプが設置される。
  • 2008年春 - 現行デザイン。司会者席背景上部ワイドスクリーンのモニターの下の全モニターが一新し8台設置され、横向きの7色に光っているランプは撤去された。

司会者席テーブル

  • 1991年秋 - 1997年秋 毎回違うもの。1992年春・秋はテーブルに司会者用のマイクがついていた。1995年秋よりLED表示機を設置。
  • 1998年春 - 2007年秋 ほぼ同じ。
  • 2008年春 - 現行 LED表示機がフルカラーになる。

解答者席テーブル

以前は横8列に並んでいて各1枠は25名ずつだったが、現在は横何列かは1枠ごとにばらつきがあり、1枠ごとの人数は何名か決まっていない。また以前は8枠だったが1995年春以降はBスタジオとなり旧社屋Gスタジオより広くなったことから10枠まである。2007年秋までは1枠ごとに色が分かれていた。

解答者名札

  • 開始当初は出演している番組がある出演者は右に出演番組、左に名前と表記、出演番組がないものは名前のみ表記した。
    • 出演番組が多い(特に3番組以上)出演者は出演番組のない出演者より横長になっていて、場合によっては出演番組のない出演者の倍近くの札を掲げた出演者もいた。
  • 近年はコンビやグループで組んでる場合は一番左にグループ名を表記している。
  • 1998年春の回より、名札の枠の色が金色から青に変更され、若干名札が長くなり名前表記の下のスペースが広くなった。
  • 2007年秋の回は名札たてが加わり、名札が取り外し出来るようになった。かつて「知名度調査」を行う際は名札をひっくり返すことが出来るようになった。名札の裏面は番組ロゴが表記された。

ボタンの色

  • 1991年 - 1997年赤・緑・紫・
  • 1997年秋 - 2005年秋:赤・青・黄・緑・オレンジ・ピンク
    • コンピューターシステムの更新に伴う変更。
  • 2006年春 - :青・赤・緑・黄・オレンジ・ピンク
    • 地上デジタル放送に伴う変更。
    ※地上デジタル放送の双方向参加の視聴者は、4択はカラーボタンの「、6択は数字キーの「1・2・3・4・5・6」

クイズ出題時、早押しワースト10、紳助を模した絵のCGなどの映像

  • 1991年秋 - 1997年春:(初代)
  • 1997年秋 - 2002年春:(2代目)
    • 上記2つ共に出題時のカウントダウンの数字は斜体の黒字で、バック部分は偶数の数字の時はピンク、奇数は水色という風に交互に変わる演出だった。また、問題によっては表示される「Q」と「A」はインパクトフォントで「Q」のバックカラーは水色、「A」はピンクという表示だった。基本的に表示位置は画面左下。早押しワースト10などのランキング映像は初代は数字は黄色の文字で解答者の名前は水色をバックに白文字({{{2}}}{{{2}}})、2代目は白文字の数字で、解答者名は青をバックに黄色の文字であり({{{2}}}{{{2}}})、解答者の名前が左から右へとタイピング風に表示された。
  • 2002年秋 - 現在:(3代目)
    • 出題時のカウントダウン部分は赤い板の様なものの窓に表示され、白い数字をバックに黒というものだった。但し、数字のフォントはデジタル風に変わっていおり、カウント中の数字がダイヤル風の演出に変更された。「Q」は白文字に水色の縁取り、「A」は白文字にピンクの縁取りという表示で、フォントも一新。早押しワースト10などのランキング映像は2代目とフォントは同様だが、解答者名の部分は青いパネルになっており、パネルが表返しする演出になった。これにより、表示が早くなった。

問題選択肢の色

以下の色は背景色で、数字・英字はすべて白。ただし、初期は数字に○に囲まれていなかった。

  • 1991年秋 - 1997年春:
  • 1997年秋 - 2002年春:水色
  • 2002年秋 - 2006年春:ピンク
  • 2006年秋 - 現在:青・赤・緑・黄色・オレンジ・ピンク(123456の順、ABCDEFも同様)

ハプニング・出来事など

徳光和夫着ぐるみ出演

1991年の第1回放送の休憩タイム中、出演者に飲み物を提供している1体のぬいぐるみの姿があった。しかし、その直後のピリオドの1問目にそのぬいぐるみが現れ、「このぬいぐるみの中に入っているのは誰でしょう?」という問題が出題された。中に入っていたのはつい直前まで裏番組(テレビ東京徳光のTVコロンブス」)に生出演していた徳光和夫で、出演者たちはまさかの登場に驚いた表情だった。次の第2回でも徳光は休憩タイム中にセットの中にメイクをして隠れており、その後に「徳光さんはどこにいるでしょう?」という問題が出された。

タモリ生電話

1991年、秋の記念すべき第1回放送の途中で、タモリがTBSのスタジオに突然電話をかけてくるという演出があった(第2回まで)。毎回スタジオの紳助が「次回は出演してくださいね」とコメントしたが、未だにタモリはこの番組に出演していない。

「アマンド」いたずら電話事件

第3回(1992年)には放送時間が5時間に拡大して長丁場となり、初めて休憩タイムに食事が提供されることになった。スタジオ200人からキーパッドで4択の希望を募り(選択肢は(ロッテリアの)ハンバーガー、サンドイッチ、(叙々苑の)焼肉弁当、食べたくない)、それぞれの数を集計し、出前を発注。サンドイッチについては当時のTBSの近所にあった洋菓子店・アマンドに全部で62個発注した。

しかしそのアンケート後の注文電話後に、心ない一部の視聴者が番組関係者を名乗ってアマンド赤坂店に「すいません。100個追加」という悪質ないたずら電話をしたため、配達が大幅に遅れ、合計162個発注してしまった。結局放送終了後の打ち上げはサンドイッチだらけになってしまったという。

アマンドに電話した際、紳助曰く「生放送で(出前を)止めようと言ったんですよ!」と話した。

この事件が起きたため、この回のみで出前発注は取りやめ、第4回からは局側で食事を提供するビュッフェスタイルに変更した。

放送禁止FAX

第4回(1993年)からは、出演者の身内などからの応援FAXを募集する企画が行われたが、この時に放送できない内容のものが送られてきたことが上岡龍太郎の指摘で発覚した。紳助は「放送できないものをFAXで送ってきてはいけません。バカモノ!」と笑いながら怒って会場の笑いを誘っていた。

松任谷由実0円

同じく第4回(1993年)、この日出演予定だった高木美保が欠席し、紳助が「ヒマな芸能人来てください!(ただしAランクに限る)」と呼びかけたところ、なんと松任谷由実が来るという情報が飛び込んできた。これには紳助だけでなくスタッフも大喜びだったが、のちにこれは「ガセネタ」であることが判明した。また番組終了後に流れた賞金ランキングのテロップには『松任谷由実 0円』と入っていた。

ジミー大西狙撃事件

第6回(1994年)に行われたミニマラソンで、ジミー大西は「皮膚呼吸をするんです」と言って海パン1丁で、また顔の前に1万円札を吊るすという格好で走ったが、沿道の観客がジミーをエアガンで射撃するという事件が起こった。折り返しでジミーがスタジオに戻ってきた際、ジミーの訴えで発覚し、紳助は「エアガンでジミーを撃つのはやめてください!」と観客に注意した。

テレビで放送されたため、地元の警視庁赤坂警察署が捜査に乗り出すという一大事になり、次の回では沿道警備が強化(コース上に100人以上の警備員・TBSスタッフを配置した)され、そしてその後警備上の理由等により、TBSの敷地内からなるべく出ないで済むコースに変更された。現在も沿道には沢山の観客が詰め掛け、旗を振って応援しているが、毎回、警察や警備スタッフなどによる厳重警戒が行われている。

また2005年春の大会でアテネオリンピックマラソン銅メダリストのバンデルレイ・デ・リマがミニマラソンにゲスト出場した際に、紳助は「唯一起きた事件はジミー大西がエアガンで撃たれたことです」と発言した。

飯島愛カンニング退場

第11回(1996年)の大会で、飯島愛はピリオド問題でチャンピオンに輝き、紳助と和歌子を驚かせた。ところがその直後のボーナスクイズで彼女は解答中に「何番? 何番? 誰かこの答えは?」と大声で答えを聞いており、ガンマイクはその一部始終をきっちりとらえていたため、紳助は「レッドカード! 15分間退場!」と退場を宣告。飯島愛は退場ボックスに一時間投獄された。春の大会でもカンニングをし、それが監視カメラ(通称・飯島愛カメラ)に映っていたため、紳助曰く、向こう1年間TBSからの出演料を30%カットされたという。

現在は「出場芸能人は小汚いやつばかりなので、ある程度のカンニングは認める」とされており、答えをマイクが拾う場合がある。むしろ出場芸能人に関する問題が出題され、その出演者のみ正解し周りの人間が不正解となると、紳助からチームワークの悪さを指摘されることがある。

コンピュータトラブル

  • 第18回(2000年4月1日放送)は、TBSがTBSエンタテインメント(現TBSテレビ)など分社化後初めての回の放送だった。放送開始から1時間ほど2005年2006年2008年の放送での紳助のコメントによると約40分2007年では2時間ほど問題が出ないというトラブルが起こった。紳助はこの1時間を出演者とのフリートークで凌いだ。非常時のカラオケ大会の準備に入ったほどの緊急事態だったらしい。また、この回は「ボウリングでパーフェクトゲームを達成できるか!?」という、柳葉敏郎川上麻衣子村田雄浩ガダルカナル・タカの4人が順番に投げてパーフェクトゲームを目指す企画を行い、水泳大会などの中継などでトラブル中の時間をつないだ。その後コンピュータは復活しクイズを再開。その後もう1度調子が悪くなり、直った直後に行った5問程度の正解記録が消去されてしまった。1時間のブランクがあったためにスタッフロールが流れる番組終了間近まで延々クイズとなり、ランキングも上位10人の表彰が巻きで行われたのみに留まった。この回の優勝賞品はラスベガス旅行・高級時計などで、通常は「優勝したら何がほしいか」のアンケートをキーパッドで押すことになっているが、機械の故障により指で何番が欲しいか選んで、紳助がそれを写真に撮るということになった。紳助曰く「デジタル時代にこんなアナログなこともいいじゃないですか」とのこと。この回の優勝者白石美帆はラスベガス旅行と100万円を手にした。
  • 第30回大会(2006年)では、コンピュータトラブルでクイズが開始されなくなったというハプニングが発生した時、紳助がこの事件を話題にし「今、慌ててはいかんのです」と会場を盛り上がらせていた。また、第31回(2006年)でもこのことを語っていた。
  • 第33回大会(2007年)では、クイズ解答中に異様な音が響いた。最初の5秒はその異様な音がしたが、すぐに全く音がしなくなった。この異常事態にはスタジオが少し騒然となり紳助が「皆さん方、ひょっとしたらやってしまいましたよ。トラブルですよ!この番組15年やってますけど過去に2時間位みんなでトークしたこともあったんですよ」と言い、前列の回答者にインタビューする光景が見られた。 なおその後もコンピュータートラブルが起きるたびにこのネタ(第18回大会)を紳助は話題にする。

的場文男騎手落馬

第19回(2000年)の人馬対決(人間8人のリレーと競走馬のレースでどちらが早くゴールできるか競走。距離は1604m)でのこと。

人馬対決自体は第16回(1999年)から行われており、それまでの対戦成績は人間の2勝1敗だった。最初人間がスタートし、2分45秒後に競走馬・ベルモントルビーがスタートしたが、直後に馬がつまずいて的場文男騎手が不安定な体勢となり、結果落馬してしまった。その後、騎手を乗せずにダートを全力疾走する馬が映りスタジオは騒然。司会の紳助はすかさず「レースをやめろ! 危ない!」と叫び続けた。人はコースの内側を走ることになり、的場騎手も含めてけが人は誰もいなかったので一安心していた。

この対決では騎手が落馬したことで人の勝ちということになり、それに賭けた63人に100万円が山分けされた(馬に賭けた人は119人)。表彰式をすぐにやりたかったが、まだ走り続けている馬を止めるための時間を待ち、的場騎手は海保知里アナにコメントを求められたところ「今まで人間相手に2連敗して、『人間にも勝てないのに実際のレースで勝てるのか』とやじられてきたが、今回『人間相手に落馬して、実際のレースで落馬せずにいられるのか』なんてやじられてしまいます。ファンの方々にはふがいないところを見せて申し訳ないです」と笑いを取った。

三田村邦彦顔面キャッチ

第22回(2002年)、新企画として「赤坂五丁目スーパーボールキャッチ」なるものが登場、飛んでくるスーパーボールを受け止めるだけで賞金がもらえるとして、三田村邦彦山崎邦正パンチ佐藤が名乗りを挙げた。

しかし実際は野球の軟球を使い、プロ仕様の豪速球ピッチングマシン(球速170km/h)、マシンとの距離はリトルリーグの14メートルという危険な状態で、ボールが三田村の顔面の目の辺りを直撃。キャッチャーマスクをはめてはいたものの、ボールはマスクの格子の間に食い込むようにして目に当たった。結果重傷には至らなかったものの、三田村は大事をとって番組途中棄権となった。

この顔面キャッチは、「立派にスーパーボールをキャッチした」と見なされ、三田村には賞金が贈られた。このハプニングで番組中に紳助、和歌子が視聴者に謝罪した。なお、山崎邦正とパンチ佐藤もチャレンジし、山崎は失敗し、パンチは1球目を取れなかったものの2球目を見事にキャッチした。

スケートリンク中止・人間カーリング

第29回(2005年)ではスタジオ内に巨大スケートリンクを設置し史上最大と題した企画を行う予定が直前になって諸事情により中止され、スケートリンクは一切使用しない「人間カーリング」へと変更された。変更が直前のため番組開始のオープニングCGは、スケートリンクを意識した物となっていた。その人間カーリングでは、滑りをよくするためローションを使用。武蔵が、カーリング役のなかやまきんに君を救おうとするが、武蔵は頭を強く打ったとされる(リプレイが入ったため見ることができなかった)。また、出川哲朗も頭を強打するなど、大混乱となってしまった。

サーカスリアル転落

第29回(2005年)の赤坂5丁目 大サーカスは、世界最高峰『中国雑伎団』を迎え、大型ブランコを用いたサーカスを披露することとなった。始まってまもなく、雑伎団の一人が、「ブランコ台からロープへの飛び移り」に失敗。下には落下防止のネットが張られていたものの、勢いを受け止めきれずにフロアに衝突。後に、別角度から見ていた紳助は「リアルに『ゴン』という音がした」と言い、メンバーのケガが心配されたが、問題はなかった。第30回(2006年)大会では、このことが取り上げられ、紳助は「問題はなく、元気なようだ」と説明した。

ローション相撲で『ヌルヌル』転倒 とラストの表彰式での洗礼

  • 第30回大会(2006年春)では、第一試合で山崎邦正の右肋骨付近に安田大サーカスHIROのひじが入ったため、会場が一瞬硬直したが山崎本人は無事だった。なおこのあと山崎は行司の西川きよしに保険を勧められた。また表彰時、アシスタントが紳助に賞金を渡そうとする際、フロアに付いたローションによって転倒(その後、土俵に強制的に上がらされた際に再度転倒)。
  • 第31回大会(2006年)では、佐々木健介北斗晶の夫婦対決で勝った北斗が西川きよしに抱きつき、きよしは頭を強く打った。怒ったきよしは、企画を提案した紳助に「企画したのはおまえやろ!」と発言。さらに、「企画はおもしろいが、土俵が硬い」、「こんな硬いところ危ない」などとスタッフにクレーム。表彰式で1位の永田裕志に目録を渡そうとしたきよしが「企画したヤツもこっちに来い」と言い、紳助を無理やり土俵へ引っ張り出した(この時、和歌子は紳助を土俵に押していた)。紳助は派手に何度も転倒して脇腹のあたりを強打し、スーツもローションまみれになってしまった。後に、カメラマンもローションで滑ってコケてしまった。休憩明け、紳助は「衣装が無くなっていた」との理由で、私服(上半身黒ジャージ、ジーパン)に着替えて司会を行っていた。
  • 第32回大会(2007年)では、ラストの表彰式で、紳助だけではなく和歌子までもが土俵へ引っ張り出されてしまいローションまみれになった。和歌子は激怒し、カンニング竹山の「ねえさんを隠せ」の号令と共に、参加した芸人があられもない姿を隠すなどの行動に対して「隠さなくたっていいじゃない!」とかれた声で叫んでいた。今回も休憩明けでは紳助は私服のジャージ、和歌子はスタッフ用ジャンパーに着替えるという羽目になった。後半では六角形のリングにローションを撒かれた「赤坂バトルロイヤル」を実施していて、優勝者の雨上がり決死隊の蛍原徹と2位の原口あきまさもリングに上がった。
  • 第33回大会(2007年)では、河本準一2007年に続き2連覇を達成。更に特別参加の小川直也も倒した。今回から前述の「着替え」を考慮してか、番組終盤に執り行われるようになった。力水(ローション)が少なく、スタッフは出場者から「力水もっと」と言われる始末。さらに、再び紳助が西川きよしによって土俵に巻き込まれ、3度目のローションまみれとなってしまったが、紳助はそのまま司会・きよしも行司の格好のまま解答席にもどった。また、総合優勝を飾った石田純一もエンディングでローションまみれとなった(石田は背広姿で、「これ新しいやつなんだけど」とつぶやいていた)。
    なお、小川は登場後、お馴染みの「3・2・1・ハッスル!ハッスル!」をコール。負けじと河本も「ヒー・フー・ミー、ヌルット!ヌルット!」とコール。これ以降、河本の時の声はローション競技の名物となった。
  • 第34回大会(2008年)では、河本準一が3連覇の筆頭候補として挙げられていたこと、前回大会決勝で河本に敗れた小川直也がリベンジを所望したことから「芸人チーム(岩尾望たむらけんじ矢部太郎、HIRO、河本準一)対プロレスラーチーム(AKIRA獣神サンダー・ライガー越中詩郎、佐々木健介、小川直也)」の団体戦形式となった(表記は対戦順)。芸人チームの1勝3敗で迎えた大将戦(河本対小川)の試合、組み合った後に同時にバランスを崩し同体となったため再度取り直し、河本が小川の足を引っかける形でリベンジを阻止する。だが放送後、河本が取り直し前の同体となった際に、肋骨を骨折するという全治4週間の怪我を負っていたことが発覚、TBS側が反省の意を示すという結果となった。なお、この時も例年のように紳助や西川きよし、優勝者の品川祐もローション相撲の土俵に引きずり込まれている(最終ピリオドは和歌子一人で担当)。
  • 第35回大会(2008年秋)では相撲が消滅、代わって人間ハンマー投げに切り替え、さらにバレーボールのコートにも芸能人チームのみ第2セットからハンデとしてローションがまかれた(女子選抜チームにもローションを蒔く予定だったが、選手の負傷を招くため蒔かなかった。)。ローション相撲のかわりに出したコーナーだが、人間ハンマー投げは「投げる際にハンマー役が踏み切って飛んだ場合はやり直し(あくまで投げる前の回転の勢いを重視する)」と言うルールをどう判定するのか曖昧だった。バレーボールもボールやコートが公式試合と違う事で予想に反し第一セットを芸能人チームが取るも、その後ローションの影響でグダグダが続くなど一部のファンには「バレーボールは両方ローションで芸人VS芸人にすべきだった」「相撲の方が良かった」など不評だった。
  • 第36回大会(2009年春)ではファンから要望が強かった相撲が復活。芸人チーム(上島竜兵、HIRO、大島美幸春日俊彰、河本準一)と格闘家チーム(佐々木健介、澤田敦士、北斗晶、中西学、小川直也)に分かれての対戦となった。途中、森三中大島美幸北斗晶の対戦で、北斗晶が足が滑り敗れた直後、乱闘のような騒ぎになり、その際に北斗晶が大島美幸のまわしを降ろそうしたためにタオルが投げ込まれたが、CM後治まった。河本と小川の試合では、またしても河本が小川の足を引っかける形で勝利。その後、河本と小川が睨み合った。また、この回に総合優勝したバッファロー吾郎竹若元博は、自ら土俵に上がりローションまみれになった。紳助は例年のように土俵に上がらなかったため、ローションまみれにはならなかった。
    • また、この回では芸能人がローションまみれになって斜面つきのコースを走る「ぬるぬる世界陸上」も行なわれた。その企画でブラックマヨネーズ小杉竜一バナナマン日村勇紀にズボンを引っ張られ、お尻を出してしまいスタッフがタオルを数枚隠した。その後、小杉の尻をたむらけんじに向けたら屁をこいてしまった。

アシカ居座り

第31回(2006年)の大会では、ペナルティヒデよみうりランドアシカ・BANくんと「サッカーボールのリフティングを何回できるか」という問題が出題され、スタジオの中央実演させようとしたが、アシカが芸をする意志をなくしており、たった2回で終わってしまった。そして、コーナー終了後もアシカは調教師にさえ従わずスタジオから一向に退く気配がなく、次の企画にも支障が出る事態に。司会者の2人が、次のピリオドに行くときの「全員Stand UP!」の声を小さくするなど、通常と変わった光景も見られた。結局問題出題中に檻(おり)が登場し、それに追われ逃げスタジオから姿を消すことになった。

無名芸能人犠牲者続出

金メダリスト参加ドタキャン

第35回(2008年秋)では北京五輪マラソン金メダリストのサムエル・ワンジルがこの番組でもおなじみのエリック・ワイナイナ、箱根駅伝や実業団駅伝で活躍しているステファン・マヤカとの3人で史上最強ケニアチームとして駅伝に参加の予定だったが、スタッフが空港まで迎えに行ったところワンジルが乗っているはずの飛行機から降りてこず不参加となった。このため駅伝はワイナイナが2回走ることになった。不参加の理由は第36回(2009年春)で発表ということだったが、結局語られることはなかった。

なお、余談だがこの3人は日本にとても関係が深い(ワンジル=仙台育英学園高等学校→元トヨタ自動車九州・ワイナイナ=コニカミノルタ・マヤカ=山梨学院大学日立電線と日本の実業団で活躍している)。

松本竜助の死

2006年4月1日、紳助の元相方・松本竜助脳内出血で逝去。奇しくもこの日はメモリアル・第30回記念大会の放送日・生放送で、紳助は本番前にインタビューを受け、涙ながらに竜助との思い出を語った。涙に暮れる紳助に、オール巨人西川のりおらが紳助に「紳ちゃん、出来るよな?あんたプロやもんな?」との激励の言葉をかけ、紳助は悲しみを押し殺して5時間半の長丁場の放送を乗り切った[4]。ちなみに竜助は1992年秋の第3回大会の感謝祭に出場しており、紳助が「お会いするの久しぶりですね。」と聞いた後に竜助が「こんな形で会えるとは思えませんでした。」と返し、その後紳助は「元気でした?」と聞き、竜助が「元気でした。」と答える軽いやりとりがあった。

大爆笑ギャグ

第36回(2009年春)の赤坂5丁目ミニマラソンでアメリカから衛星中継でアースマラソンに挑戦中の間寛平がスターターを務めたが、その時寛平はまぶたに「へ」の字を描いており、紳助から「兄さん、その目はどないしたん?」と突っ込まれ「虫にかまれてん~」とギャグをかまし、スタジオの出演者とスタッフだけではなくマラソンに出場したタレントまでも大爆笑した。しかし紳助は「久しぶりのテレビ出演で目ェ描く!?」「兄さん、あきれて物言えんわ!」と突っ込みを入れた。

紳助と東京03のトラブル

第37回(2009年秋)でシルク・ドゥ・ソレイユの演技中、司会の島田紳助らが東京03の解答席にまで詰め寄る場面が映った[5]。この後、東京03はうつむき加減で座ったままで、番組終了までクイズに参加することはなかった。このことを番組視聴者が出演していたオール巨人の公式ブログのコメント欄に書き込み、巨人はそれに答える形で翌日付けのブログで実際にトラブルがあったことを認めている。「その後の若手との打ち上げでは、少し怒った後紳助は握手をした」とあるため、一応の収拾はついている模様。だがこの書き込みが、一部から「紳助を擁護している」などの批判を受け、ブログは炎上。後日コメント欄が閉鎖されてしまう[5]。その後、トラブルの内容については様々な憶測が飛び交った[5]。東京03は『踊る!さんま御殿!!』出演時に「(出演者の人数が多いので挨拶に行くのは逆に失礼だと思い)本番前に挨拶に行かなかったため」と明かした。しかし、同番組司会者の明石家さんまは、東京03の気遣いを紳助が誤解していた部分もあったとして、「互いに誤解して起きたことだから、仕方ない」とフォローした[6]。さらに、ビートたけしもこの件にコメントを発した[7]

小池徹平が途中帰宅

同じく第37回の感謝祭では小池徹平が高熱をおして出演したが、途中で帰宅することとなった。番組中では紳助がインフルエンザではないという説明を行ったが、のちにインフルエンザであることが判明した。一方で直前に新型インフルエンザに感染したことがわかった安田大サーカスは出演に待ったがかかったのに対し小池は出演できたため、番組の管理体制に疑問がもたれることとなった。

その他のエピソード

  • 第3回(1992年秋)で途中入りした山中すみかが突然カメラの前で「すいません、席がわからないです。」と言っていた。紳助は「誰やこいつ?」と誰か乱入してきたのかと思って思わず蹴り上げようと思ったという。
  • 同じく第3回(1992年秋)、ピリオドの途中で西川のりおの機嫌が「非常に悪い」状態だったらしく、紳助は「紳士にクイズをやってください」と注意した。
  • 第9回(1995年秋)、当時フロアディレクターであり現在は感謝祭プロデューサーのTBS社員の江藤俊久が司会の紳助・和歌子にカンペで指示を出す際に間違えてしまう。紳助・和歌子がすぐに進行表と違うことに気づき、2人が同時に「違うよ」と言う。江藤は「私が間違えました!すみません!」とすぐさま謝罪し、紳助は当時フロアディレクターの江藤のもとへ「おもしろい奴だな」と思ったのか、笑顔で「江藤!」とマイクをむけて近くへ寄っていった。このとき、音響スタッフがたまたま見つけたのかミス時のBGMをならしていた。江藤はこの後、打ち上げの際に「あんなミスしちゃって・・・終わったな(クビになるな・・・)」と思ったが、紳助によほど気に入られたのか「ようやったで!」と激動されたと社員研修の本等で語っている。
  • 第14回(1998年春)では視聴者が優勝者を予想する企画が行われた。優勝者に投票した人の中から抽選で50人が海外旅行がプレゼントされるというルールだったが、この日優勝した三村マサカズに投票したのはたった1人だった。従って抽選無しで当選者決定となった。
  • 第15回(1998年秋)でも同様の企画が行われたが、集計作業が番組終了時点で95%の段階だった為、急遽、紳助から上岡に打診した為3日後に放送された「おサイフいっぱいクイズ!QQQのQ」の中で当選者の発表を行った。
  • 上岡龍太郎2000年3月で芸能界を引退するまで、必ず一番前の席に座り紳助を見守っていたという。 紳助はその上岡の姿勢に感動し、「気持ち良く司会が出来る」と語っている。 番組が終わった後は必ず上岡から「完璧でした、見事でした」との言葉をもらっていたとの事。
  • 一時期のOPの時、問題の途中でCMに入ってしまったことがあった。このときはCM明け時に正解はどれだったか和歌子が視聴者に伝えていたが、伝えていないこともあった。
  • 第35回(2008年秋)に出演した髭男爵山田ルイ53世がボーナスクイズにチャレンジしたが、小道具である飲み物の入ったワイングラスを持ち込んでいた事から紳助に注意を受け、その場で飲み干した。またクイズで正解となったものの、それが誤りだった事が判明。紳助は「50万円でしたが、25万円(に減額)。さらに飲み物の持ち込みで20万円罰金で奴は5万円となりました」と報告した。なお、髭男爵の2人は「ミニマラソン」出場へ抜けていた為、本人が居ない状況での報告だった。司会者2人が謝り、周囲からは笑い声や拍手が起きた。ちなみに、ボーナスクイズでの正解間違いは第35回が初めてである。第19回(2000年秋)の放送でボーナスクイズで石田純一が正解間違いを指摘したが、意見を無視し有効となっていた。
  • また、第35回(2008年秋)ではこの時のテーマに音楽も入っていると言う事で、3組の大物歌手が出演した。しかし、実際に本物として出演したのはglobeだけで、残りの2組は宇多田ヒカルミラクルひかる)と小田和正(オフコース小田)のモノマネタレントだった(なお、()はものまねした人)。この2組が出演した際は、徐々に芸能人達が異変に気付きスタジオの雰囲気が微妙になった為、紳助は「普段TVに出て無いからです!」などとしきりに本物であるとアピールする発言をして、globeの演奏前にはこれを逆手にとって小室哲哉KEIKOに似せた別人がわずかに登場する演出をした。また、紳助が司会を務めるフジテレビ系「クイズ!ヘキサゴンII」から作られたユニット、一発屋2008の4人とコーラスであるPaboのメンバーのスザンヌが自らの曲である「天下無敵の一発屋」をフルコーラスで披露した(Paboの他メンバー2人は等身大パネルで対応)。ちなみに「ヘキサゴン」含め一発屋2008が初めてヘキサゴンソングをフルコーラスで披露したユニットとなった。
  • 第36回(2009年春)は、「チャンネル☆ロック!」が前週3月28日に終了した為、14:00~17:00の3時間枠で「事前プレ特番」を放送した。この日は北朝鮮によるミサイル発射実験が予想されており、臨時ニュースなどで放送時間の短縮・放送休止になる可能性があったが無事に放送された。
    • また、この回では番組開始5分前にプレ番組として「もうすぐ感謝祭」が18時25分からTBSと一部の系列局で放送されており、前回と同様にスペシャルゲストとして郷ひろみがヒット曲メドレーを披露した。また、「ヘキサゴン」より生まれた矢口真里「青春 僕」とAIR BAND「青春 俺」のジョイント版「青春 僕 vs 俺」を、本家の番組に先駆けて披露した(アンガールズについては等身大パネルで対応)。
  • また、第37回(2009年秋)では特別番組(CBCスペシャルドラマ)やスポーツ中継(東レパン・パシフィック・テニス)の関係上、前述のプレ特番も放送はなかった。ただし、「もうすぐ感謝祭」は放送された。
  • 2009年秋ではプラカードやフリップ等を持つ女性アシスタント数人がローライズ風の格好をして「ALL STAR」と上部に記されている下着を着用していたが番組オリジナルの特注品で市販される予定はない。

主題歌

『My life is...』(作詞: 秋元康 作曲: 織田哲郎 発売: avex trax 歌手: Risky

開始当初から1998年までは番組の主題歌が無く全てBGMだったため、1999年の放送で番組開始早々に主題歌のCDを完成させようという企画が行われた。紳助から「お前です!」と指名された歌い手は一緒に司会を行っている和歌子だった。事前に和歌子本人には織田無道だと知らせており番組進行のリハーサルも全て通しで行われていたが、番組開始後にドッキリを敢行。この事は紳助とスタッフ含め知らなかったのは和歌子本人と出演者だけだった。キーパッドによる200人アンケートで即時芸名を決めた。(候補にあったもう一つの芸名はThanksgiving Day(感謝祭))そのままエイベックスへ向かい、ジャケット撮影やレコーディングなどを行って番組終了前に完成、エンディングで『My life is...』を生披露した。この曲は、現在もエンディングテーマとして使用されている。

尚、この回の和歌子の代理司会については前述

ゲーム

※この他、携帯電話でもアプリを使ったゲームが存在する。

スタッフ

過去のスタッフ

関連項目・番組

脚注・出典

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外部リンク

以下はファンサイトなど。

オールスター感謝祭


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