ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー

ローシー
(ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー)
本名Giovanni Vittorio Rosi[1]
Giovanni Vittorio Rossi[2]
生年月日1867年10月18日
没年月日不詳年
出生地 イタリア ローマ[1]ミラノ[2]
死没地不詳
職業コレオグラファー演出家
ジャンルバレエオペラ

ローシージョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー(Giovanni Vittorio Rosi[1] / Rossi[2]1867年10月18日[1] - 没年不詳[1][2])は、イタリアコレオグラファー演出家である。浅草オペラの源流となる東京・内幸町帝国劇場歌劇部のオペラを指導し、わずか6年の滞在であるものの、日本のダンス界・オペラ界に深い影響を与えた[1][2]

日本では姓のみのローシーとして知られる。アルファベット表記は資料により「Rosi」[1]、「Rossi」[2]の両論がある。現代のイタリア語の日本語表記の通例では、前者はロージフランチェスコ・ロージほか)、後者はロッシパオロ・ロッシほか)であるが、ヘボンHepburn)の例に倣い従来日本で親しまれた「ローシー」で表記した。

目次

人物・来歴

1867年(慶応3年)10月18日、イタリアのローマ[1]あるいはミラノ[2]に生まれたとされる。

ミラノのスカラ座付属バレエ学校を卒業後、スカラ座に入団した[2]。イギリスに渡り、1901年(明治34年)以降、ロンドンミュージック・ホール等でコレオグラファーとして活動した[2]

1912年(大正元年)、帝国劇場に招かれて来日、同劇場の歌劇部のオペラ指導者に就任[1][2]ジャック・オッフェンバックの『天国と地獄』を上演[2]ジャコモ・プッチーニの『蝶々夫人』、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『魔笛』の日本初演を指導・演出した[1]。日本語訳は小林愛雄が行った。1915年(大正4年)2月1日、高木徳子がローシーの振付による『夢幻的バレエ』で国内デビューを果たしている[3]

当時の生徒には、田谷力三石井漠高田雅夫、原せい子(高田せい子)、清水金太郎原信子らがいた[1][2]。歌劇部は洋劇部と改称、1916年(大正5年)5月には解散となった[2]

小林愛雄も含めた帝国劇場洋劇部出身者を率いて、同年10月、赤坂に「ローヤル館」を創立、ジュゼッペ・ヴェルディの『椿姫』等を上演したが、興行的に失敗した[1][2]。1917年(大正6年)11月、原信子はローヤル館を去っている。1918年(大正7年)2月には、ローヤル館を解散、ローシーはアメリカに渡った。その後の消息は不明である[1][2]

没年・死没地は不詳である[1][2]

テキサス大資料

テキサス大学アーカイブ[1]は、彼のバレエ作品「クオバディス」関連資料を保存している。資料によると、姓はRosi。クオバディスは1904-05年に制作された。資料の中には原稿や楽譜に交じって映画「クオバディス」に関する1949年の新聞記事の切り抜きが入っている。テキサス大の調査によると、彼はローマ生まれで1904-08年にはロンドンのアルハンブラ劇場でバレエを担当、ロサンゼルスでも指導者として活動している。

関連事項

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