有銘兼久

有銘 兼久
東北楽天ゴールデンイーグルス #26
基本情報
国籍 日本
出身地日本の旗 沖縄県那覇市
生年月日1978年9月27日(31歳)
身長
体重
180cm
78kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り2001年 ドラフト3巡目
初出場2003年7月18日
年俸5,000万円(2009年)
経歴(括弧内は在籍年)

有銘 兼久(ありめ かねひさ、1978年9月27日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手投手)。

目次

プレースタイル

  • 球速は140km台中盤をコンスタントに記録する。投球フォームは躍動感のある独特なもので、球の出どころが分かりづらく、その特徴的なフォームとキレのあるスライダー(Kスタの球場アナウンスでは「レインボースライダー」とも言われる)とのコンビネーションを得意とする。
  • 持ち球はシュート、スライダー、フォークに加え、2006年チェンジアップを習得。同僚の山村宏樹から井川慶のチェンジアップの握りを教えてもらい、参考にして完成させたものだという。
  • 怪我に強く、ダルビッシュや田中に負けないほどのスタミナも備えている非常にタフな左腕である。楽天球団創設当初から4年間大きな離脱もなく(2軍落ちはあるが)毎年コンスタントに投球回数を稼いでいるほぼ唯一と言っていい投手。2006年には歴代2位の188球完投を成し遂げたり、2008年にはパの最多登板投手となるほど、調子のいいシーズンはほとんど酷使に近い扱われ方をされているのだが、全く怪我する気配がない。特に有銘のような横手投げに近いフォームのスライダー投手は一般に肘や腰を痛めやすい典型と言われているのだが、(近いタイプの投手で、怪我を心配されているもののやはり怪我が少なく実動登板が多い投手に岩瀬仁紀がいる)今のところその様子は見受けられていない。
  • 調子の波が激しい選手で、良い時はコースいっぱいへのキレのある変化球で凡打や三振が取れるのだが、悪い時にはストライクがほとんど入らずにフォアボールを出し即交代させられるという事もしばしばである。

来歴

プロ入り前

沖縄県立浦添商業高等学校を卒業後、温室エクステリアの製造・販売を手がける大仙(本社・愛知県豊橋市、野球部は同新城市が本拠)に入社。同社野球部の廃部に伴い、1999年九州三菱自動車へ移籍。翌年、帆足和幸と共に台頭し、帆足がプロ入りした2001年にはエースとなる。同年、チームは九州予選で敗退したが、日産自動車九州の補強選手となり、都市対抗野球に出場。都市対抗1回戦で前年度覇者の三菱ふそう川崎を相手に、先発として好投し勝利に貢献。2001年ドラフト大阪近鉄バファローズから3巡目指名を受け入団。

近鉄時代

2002年、1軍登録なし。2003年、プロ初登板。1軍で中継ぎ、ワンポイントとして起用された。しかし勝ち星はなく、2004年にはイニング数を上回る四球を与えるなど制球に苦しんだ。選手分配ドラフト東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。

楽天時代

2005年
移籍後の初マウンドは、開幕2戦目のロッテ戦(千葉マリン)。2回から登板し連打を浴び2軍降格(試合は0-26で楽天が大敗)。1軍復帰後、前半戦は中継ぎで起用されていたが、7月17日日本ハム戦(札幌ドーム)で先発し、9回5安打無失点の好投。この後先発ローテーションに定着。7月31日西武戦でプロ初完封で初勝利(楽天球団初の完封勝利)。有銘自身、プロ入り初登板から続いていた9連敗を止めた。3勝10敗とはいえ4完投を記録し、夏場以降は安定感を見せた。
2006年
8月25日のロッテ戦(フルスタ宮城)で先発。延長12回・188球を投げきり、17奪三振1失点で好投(試合は引き分け)。188球完投は歴代2位の球数完投である(1位は、1998年に野口茂樹(中日)が記録した203球完投)。また1試合17奪三振も歴代2位の記録に並ぶ。ハワイ・ウインターリーグに同僚の朝井秀樹河田寿司らと共に参加。ホノルル・シャークスに所属し、リーグ最多勝タイの4勝、リーグ最多の48イニングを投げ、防御率はリーグ4位の2.63を記録。
2007年
開幕ローテーションに入り、4月3日の日本ハム戦(フルスタ宮城)でシーズン初勝利。これがこの年楽天先発左投手が挙げた唯一の白星となった。4月10日、西武戦(フルスタ宮城)で3イニング持たずにKOされ、以降は中継ぎでの起用が多くなった。6月8日、巨人戦(東京ドーム)で高橋尚成から中前安打を放ち、プロ初安打を記録。7月11日のソフトバンク戦(北九州)に先発して以降は、シーズン終了まで中継ぎとして登板。渡邉恒樹山村宏樹永井怜らと共に中継ぎを担い、チームの8月の勝ち越しに貢献。52試合に登板し、シーズン防御率は自己最高の4.17で、初めてシーズンを通して1軍に登録された。
2008年
開幕1軍は逃したものの、前年まで左のセットアッパーとして活躍した渡邉恒樹がヘルニアのため早々に戦線離脱したため、急遽左のセットアッパーを任された。抑えが不在と言う事もあり時々抑えを任され、5月7日のソフトバンク戦でプロ初セーブを記録。ワンポイントでの起用もあったが全体的に安定し、リーグ最多の66試合に登板し2勝2敗2S、防御率2.05、チーム最多の19ホールドポイントと好成績を残した。
2009年
開幕から主に中継ぎとして登板。6月7日の巨人戦では2007年7月11日以来となる先発登板し、3回無失点。25試合で防御率2.36という左の中継ぎとしての成績を評価され、監督推薦によりプロ入り8年目でオールスター戦に初選出。しかし、オールスター戦では1死しか奪えず3安打2四球を許し降板した。後半戦になると、制球力が悪化し、ワンポイントで登板したにも関わらず四球を与えてそのまま降板したり、更には打ち込まれるケースが増加。最終的には、前年を上回るチーム最多の20ホールドポイントを挙げたものの、防御率は5.15と大幅に悪化してしまった。

人物・エピソード

  • ドラフト指名の報告を受けた際は仕事中で得意先を回っていた。また、妻が次女を妊娠中だった。
  • 野村監督と出会って変わった点のひとつは、伸ばしていたひげをそるようになったこと。また、野球に取り組む上でのモットーは「いつでも全力をだす」こと。秋季キャンプでは、掛け声が他選手の1~2倍大きく、それに対して観客から拍手をもらっている。(河北新報 週刊イーグルス 2007年)
  • 浦添商高校卒の唯一のプロ野球選手。また、福岡ソフトバンクホークス新垣渚は、小学校時代の後輩にあたる。
  • 沖縄口(ウチナーグチ)で話す。トークや身振りが面白くトークショーでは人を集める。
  • 近鉄時代から毎年、春季キャンプ前は宮古島で自主トレーニングを行っている。
  • リリーフ転向時、自分は不向きだと思っていたが、集中力が長く続かない自分にとっては、リリーフの方が向いていると思うようになったと語っている。
  • オールスター出場時に1死しかとれず降板した際、近鉄時代の先輩の大村直之から言われ、ベンチで正座をした。

詳細情報

年度別投手成績








































W
H
I
P
2003近鉄181000030--.00011123.03171511260020207.832.00
2004142000030--.00013626.23112503192016155.062.10
2005楽天371241031002.231540125.0130154245883079725.181.38
200630122102604.25037786.29762803801046434.471.44
200752100001808.11141495.0103103538731049444.171.45
200866000022217.50017944.03321743451010102.051.14
200954000002320.00019443.23332728421025255.151.37
通算:6年27137620834551.1901951444.0458441891431373902452294.641.46
  • 2009年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 13(2002年 - 2004年)
  • 26(2005年 - )

個人記録

投手記録
打撃記録

登場曲

関連項目

有銘兼久


このページへのリンク: