把瑠都凱斗
| 把瑠都凱斗 | |
|---|---|
二次口に戻る把瑠都 | |
| 四股名 | 把瑠都 凱斗 |
| 本名 | カイド・ホーヴェルソン |
| 愛称 | カイド |
| 生年月日 | 1984年11月5日(25歳) |
| 出身 | |
| 身長 | 198cm |
| 体重 | 188kg |
| BMI | 45.14 |
| 所属部屋 | 三保ヶ関部屋 - 尾上部屋 |
| 得意技 | 左四つ、寄り、投げ |
| 成績 | |
| 現在の番付 | 西大関3 |
| 最高位 | 西大関3 |
| 生涯戦歴 | 288勝131敗57休(37場所) |
| 幕内戦歴 | 187勝115敗43休(23場所) |
| 優勝 | 十両優勝3回 幕下優勝1回 序二段優勝1回 序ノ口優勝1回 |
| 賞 | 殊勲賞1回、敢闘賞5回、技能賞1回 |
| データ | |
| 初土俵 | 2004年5月場所 |
| 入幕 | 2006年5月場所 |
| 趣味 | コイン集め、釣り、映画音楽鑑賞、パソコン |
| 備考 | |
| 2010年5月24日現在 | |
| |||||||||
| 基本情報 | |||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 代表国: | |||||||||
| 生年月日: | 1984年11月5日(25歳) | ||||||||
| 出生地: | |||||||||
| 身長: | 198cm | ||||||||
| 階級: | 男子無差別級 | ||||||||
| 引退: | 2004年 | ||||||||
| 2010年6月18日時点 | |||||||||
| 詳細戦績:Kaido Höövelson - JudoInside.com | |||||||||
把瑠都 凱斗(ばると かいと、1984年11月5日 - )は、エストニア・ソビエト社会主義共和国(現在のエストニア共和国)ラクヴェレ県エバベレ村出身で尾上部屋(入門時は三保ヶ関部屋)所属の現役大相撲力士。本名はカイド・ホーヴェルソン(Kaido Höövelson)。スウェーデン系エストニア人である。身長198cm、体重188kg、血液型A型。最高位は西大関3(2010年5月場所)。得意技は左四つ、寄り、投げ、吊り。
四股名は母国エストニアが面するバルト海から。凱斗の名は本名Kaido(カイト)の音に、日本で素晴らしいものをつかみ母国に凱旋してほしいという願いを込めた漢字をあてて、三保ヶ関親方が名づけた。史上初のエストニア出身力士・関取。
目次 |
取り口
巨躯強力を活かした豪快な相撲が魅力で、左四つの体勢からの寄り、投げ、吊りを得意とする。相撲界においても「怪力」と評される強い握力の持ち主であり、廻しを取った際の安定感は特筆すべきものがある。通常の力士からすれば規格外の懐の深さと腕の長さにより、肩越しの上手など多少無理な体勢でも攻めることが出来る。その懐の深さで、引き技もよく決まる。膝を負傷する前は優れたスピードとバランス感覚も持ち合わせ、土俵際の際どい場面での逆転もみせていたが、荒削りゆえの強引な相撲を指摘されることもあった。
膝の負傷後は、下半身の強化や相撲経験の深化によって、身体能力に任せるばかりではない正統派の四つ身の相撲を身につけてきている。また、徐々に突き押しにも磨きがかかり、2009年後半ごろより豪快なもろ手突きや突っ張りが見られるようになった。このもろ手突きは、曙と貴乃花のビデオを見て研究し身につけたものである[1]。また、突っ張りに関しては、元琴錦がかつての曙のようだと評している[2]。この突き押しが評価されて、大関昇進を決めた2010年3月場所では技能賞の栄誉にあずかるまでに至った。
その巨躯からすれば当然ではあるが、四つ身の攻防において頭をつけることは極めて稀で、2010年1月場所の琴欧洲戦を頭をつけて勝利した際のインタビュー内で「今まで頭をつける相撲をとったことがなかった」と把瑠都本人が認めている。
来歴
入門前
柔道経験者であり、18歳の時、本人曰く「出場選手4人」とのことだが、柔道エストニアジュニア王者の栄冠に輝いた。早くに父を亡くし生活苦に喘いでいたこともあり、バーの警備員を務めていたこともあった[3]。また、その優しい性格と太り気味の体格からいじめを受けていたとされる[3][4]。
そのようなホーヴェルソン少年の相撲との出会いは12歳、小学6年生の時であった。相撲の国際的な普及を図る国際相撲連盟の理事夫妻がラクヴェレを訪れ相撲の指導を行った際、多くの子どもが初体験の相撲に戸惑う中、ホーヴェルソン少年だけは目を輝かせて相撲に取っていたという。後に把瑠都もこの日の事を、「何で裸になるんだろうと思ったけど、力と力の勝負が本当に楽しかった。今思えば、これも運命でしょう」と述懐している[5]。把瑠都はこの夫妻を今もなお日本の両親と慕い、大相撲への入門もこの夫妻と国際相撲連盟の会長の尽力があって実現した事であった[6]。
スピード出世
2004年5月場所初土俵。序ノ口・序二段と2場所連続で優勝するなどスピード出世で、2005年7月場所では西幕下6枚目で5勝2敗という成績で同部屋の白石(現・白乃波)と同時に十両昇進を果たした[7]。初土俵から所要8場所での新十両昇進は小錦と並ぶ史上3位タイ(当時)のスピード出世であった。
なお、その9月場所では、優勝した豊ノ島に唯一の黒星を付けている。翌11月場所は十両西4枚目に躍進し、史上最速の前相撲からの所要10場所での新入幕を十分狙える位置にあったが、場所初日に急性虫垂炎を発症し全休、翌2006年1月場所では幕下に陥落した。幕下では地力の違いを見せ、6番相撲を終えた時点で全勝が1人となる幸運も重なり、虫垂炎の手術時に施された全身麻酔の後遺症から思うように身体が動かない中、7人による優勝決定戦を制して幕下優勝、1場所で十両に復帰した。翌3月場所では北の富士以来43年ぶり4人目(本場所が15日制になってから)となる十両全勝優勝を果たし、史上2位タイとなる所要12場所での新入幕を決めた。この場所千秋楽の全勝優勝インタビューにて解説北の富士から(将来の目標について)「横綱、横綱」の声が出るなど、早くも横綱昇進を期待する声が上がった[8]。
怪我に苦しむ
新入幕の2006年5月場所は序盤で2敗を喫するも、そこから素質の高さを見せて勝ち進み13日目終了まで2敗をキープする。最終盤の2日間は、この場所優勝を争った関脇雅山と大関白鵬に連敗を喫したが、11勝4敗で優勝次点の成績をおさめ、自身初の三賞となる敢闘賞を受賞した。前相撲から13場所目での三賞受賞は栃東、琴欧州(現・琴欧洲)と並び史上最速である。またこの場所の千秋楽で三役揃踏を行ったが、新入幕でこれをつとめたのは1973年9月場所の大錦以来33年ぶり、史上2人目のことであった。また、前相撲から13場所目でのこれより三役出場も琴欧州を抜いて史上最短の記録である。このとき、あまりの出世の早さ(および独特の髪質)が影響して大銀杏が結えなかったため、ちょん髷姿で揃い踏みを行った。
2006年9月場所は東前頭筆頭まで進み三役昇進を期待されたが、上位陣に対して苦戦し、10日目の雅山との取組で左ひざを痛め、翌日から休場した。これ以降しばらく怪我に苦しむことになる。上位に対して攻め手が通じず、そこで安易な引き技を多用し、その際に鍛錬不足による下半身の弱さから無理な力が脚にかかり、負傷の原因となった。翌11月場所は稽古不十分ながら10勝を上げたものの、下半身の不安定さからたたらを踏む場面が多く、複数のテレビ・ラジオ解説者を嘆かせた。さらに2007年1月場所の琴奨菊との取組で左膝前十字靱帯を損傷し長期休場を余儀なくされ、5月場所では十両に陥落した。この場所で2度目の十両優勝を果たし、わずか1場所で幕内復帰を果たしたが、7月場所初日の土佐ノ海戦でまたも左膝を痛め2日目より休場。しかし、再度の十両陥落となった9月場所で他を寄せ付けず、3度目の十両優勝を果たす。11月場所は2度目の帰り入幕ながら前半戦から好成績をあげて優勝争いに加わり、敢闘賞受賞。それ以後は大きな怪我も無く、幕内に定着することになる。
上位定着・大関獲り
翌2008年1月場所では、15日間皆勤での負け越しを初めて経験した。しかし、同年の7月場所では、西前頭5枚目の番付で10勝5敗と二桁勝利をあげた。この場所では上位陣に負け越した力士が多かったために、翌9月場所では初の三役となる小結昇進を果たした。この場所は9日目を終えて2勝7敗と非常に危なかったが終盤奮起したか強さを発揮、残り6日間を全部勝って8勝7敗と見事勝ち越し、11月場所では関脇昇進を果たした。その場所も勝ち越して翌2009年1月場所は東関脇に昇進した。5月場所は大関以上に全敗し、自身最低の4勝11敗という成績で4場所連続で在位した関脇から陥落してしまった。そればかりでなく、千秋楽の千代大海戦での明らかなダイビングが無気力相撲であったとして、師匠を通じて注意処分を受けた[9]。西3枚目に下がった7月場所では序盤から好調で11勝4敗、三賞受賞はならなかったが来場所三役復帰を果たした。
大関獲りの話題が大きくなったのは2009年9月場所の事であった。この場所把瑠都は5大関全員に勝つという偉業を成し遂げるが、これは1986年の保志(後の横綱・北勝海)以来の事であった。優勝争いの方も、13日目まで2敗と両横綱を追走する立場だったが、14日目に鶴竜に敗れて3敗目となり優勝の可能性は消えた。それでも12勝3敗の成績で敢闘賞を受賞し一躍注目を浴びた。しかし、11月場所は脆さが出て9勝6敗と一桁の勝ち星に終わり、来場所は「かなりの大勝ではないと大関にはなれない」との声があった。[10]
大関昇進の望みもあった2010年1月場所では、7日目に白鵬にはじめて勝つ殊勲の星を挙げ、また白鵬の連勝を30で止めた。初優勝と大関昇進も期待されたが10日目に豊ノ島、11日目に朝青龍に敗れて3敗となってしまった。その後は千秋楽まで連勝を続け12勝3敗、初の殊勲賞を受賞した。また、直近3場所の勝ち星の合計が大関昇進の目安となる三役での33勝に達したものの、場所後は昇進の話題すら殆ど出ないままだった。次の3月場所を迎えるに当たり、審判部の友綱審判部長は、把瑠都の大関昇進に必要な星の目安が「13勝」であるとの認識を示したが、これは「三役3場所33勝」の基準を1勝上回る厳しい条件であった。[11]
その3月場所、把瑠都は場所前に左手親指のじん帯を損傷し、場所後の大関昇進は不安視されていた。しかし初日から、圧倒的に強い所と懐に入られる危ない所の両方を見せながらも、突き押しに著しい進境を見せて勝ち進んだ。11日目の白鵬との一番には何も出来ずに敗れたが、白鵬と千秋楽まで優勝争いを繰り広げた。優勝こそ逃したが大関以下の力士を全員破る14勝1敗の成績で終えて昇進基準を上回る成績を残し、場所後の大関昇進が確定的になった[12]。さらにこの場所は5度目の敢闘賞に加え、突き押しが評価されて初めての技能賞を受賞した。千秋楽の琴光喜との相撲は、立合いの突っ張りで相手を突き起こしておいて、右上手と左前褌を取って引き付け、一気に寄り切るという内容で、解説者の北の富士勝昭や元NHKアナウンサーで相撲評論家の杉山邦博[3]が技能賞に相応しいと太鼓判を押す内容であった。3月31日、大関に昇進した。伝達式での口上は「謹んでお受けいたします。稽古に精進して、 栄誉ある地位を汚さぬよう努力いたします。」であった。近年は伝達式の口上に四字熟語を用いる力士が多いが、把瑠都は「自分が理解していない言葉を使っても意味がない」という理由で四字熟語は用いなかった。
大関昇進後
新大関として出場の2010年5月場所、前半戦は初日から7連勝したものの、中日8日目の鶴竜に敗れて初黒星。9日目に勝ち越したものの、10日目から3連敗を喫するなど後半戦は失速、結局10勝5敗に留まった。
エピソード
人物
- 髪が細く、伸びも遅いブロンドヘアのコーカソイドであり、どのように大銀杏を結うのか注目されていた。初土俵から3年後の2007年5月場所で初めて大銀杏を結ったが、これはかつての兄弟子である三保ヶ関部屋の三浦の毛髪を使った付け毛であった。現在は髷を結うときの鬢付け油に黒い着色をしているため、ブロンドというより茶・黒に近い髪色キャラメルである。
- 外見から一部マスコミでは角界のディカプリオと呼ばれている。
- 趣味はコイン集めと釣り[13]。
- 語学に堪能で、入門の時点でエストニア語のみならず、ドイツ語、ロシア語、英語、仏語を話すことができた。
- 塩撒きパフォーマンスを行う北桜との対戦では、そのお株を奪うような大量の塩撒きを披露して館内を湧かせたり、出身地を「奄美大島」と答えたりと、極めて陽気で茶目っ気のある性格であり、部屋での人間関係も良好である。
- 2009年2月にロシア出身の2歳年上の女性と結婚した。
- 握力が右85kg、左93kgという怪力の持ち主。把瑠都本人の弁では「リンゴくらいなら簡単に握り潰せる」とのこと。BISTRO SMAPでは両手で裂くようにリンゴを割っていた。
- BISTRO SMAPに出演した時に「実は恐がり」と言った。注射も恐くて苦手らしい。
- 前述の通り脚の負傷が多いが、呼出の支えを借りて土俵を降りるような重傷を負っても、退場前に必ず一旦呼出に手を離させ自力で振り向き土俵に一礼してから退場する、負けても深々ときちんと一礼をする等、土俵態度への評価は高い。
- とても親孝行者としても知られている。遠く離れた日本で力士としての生活を選んだのは、今まで女手一つで兄弟3人を苦労して育ててきてくれた母親を助けたい一心だった。エストニアの関係者も、「日本に来る前に“家族を幸せにしたいから”と話していた」と明かしたという。
合い口
- NHKの新十両紹介のインタビューでもっとも対戦したい力士に琴欧洲を挙げた。理由は自分より背が高い力士であるためである。2006年7月場所9日目に初顔の取組が組まれ、がっぷり四つからの投げの打ち合いを制して初勝利を挙げた。2009年1月場所では敗れてこの場所初黒星を喫した。琴欧洲との対戦成績は4勝7敗(不戦敗1)になっている。
- 白鵬との取組は力の入る長い相撲になる事が多い。初顔から11連敗していたが、2010年1月場所に掬い投げで初勝利した。
- 朝青龍との取組もまた熱戦にはなるものの、結局9戦全敗で一度も勝てずに終わった。
- 高見盛には全戦全勝で、勝率で朝青龍、白鵬の両横綱を上回っている。
略歴
- 2002年
- エストニアジュニア柔道選手権準優勝、ユーロ・ジュニア相撲チャンピオンシップ大会準優勝、世界ジュニア相撲選手権大会2回戦敗退
- 2003年
- エストニアジュニア柔道選手権優勝
- 2004年
- 2005年
- 2006年
- 2007年
- 1月場所 - 3日目の琴奨菊戦で浴びせ倒された際に左膝負傷、翌日から途中休場(2勝2敗11休)
- 3月場所 - 怪我の回復が遅れて全休
- 5月場所 - 西十両11枚目に陥落、14勝1敗の圧倒的な成績を挙げて2度目の十両優勝
- 7月場所 - 再入幕(前頭14枚目)、初日の土佐ノ海戦で浴びせ倒された際に左膝を負傷し3日目から途中休場
- 9月場所 - 十両陥落(西十両9枚目)、圧倒的な強さで3度目の十両優勝
- 11月場所 - 2度目の再入幕、13日目まで2敗で優勝争いに加わり11勝4敗の好成績を残し敢闘賞受賞(2回目)
- 2008年
- 1月場所 - 初の15日間皆勤での負け越し(7勝8敗)
- 3月場所 - 先場所の負け越しで番付を後退させたが、優勝次点の12勝3敗の好成績を挙げ敢闘賞受賞(3回目)
- 5月場所 - 2006年9月場所以来10場所ぶりに前頭筆頭まで番付を上げたが、上位の壁に跳ね返され初めての2桁負け越し(5勝10敗)
- 7月場所 - 西前頭5枚目、10勝5敗
- 9月場所 - 自身初の三役昇進(東小結)、8勝7敗
- 11月場所 - 新関脇(西関脇)、9勝6敗
- 2009年
- 2010年
- 1月場所 - 東関脇で12勝3敗、殊勲賞受賞(1回目)
- 3月場所 - 東関脇、千秋楽まで白鵬と優勝争いを繰り広げ優勝次点の14勝1敗、敢闘賞(5回目)と自身初の技能賞(1回目)を受賞
- 3月31日 - 理事会で大関昇進を満場一致で決定、外国出身力士としては8人目
- 5月場所 - 新大関。初日から7連勝するも、その後失速し10勝5敗。
主な成績
2010年5月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:288勝131敗57休(37場所)
- 幕内成績:187勝115敗43休
- 十両成績:54勝7敗14休(5場所)
- 幕内在位:23場所
- 大関在位:1場所
- 三役在位:9場所(関脇7場所、小結2場所)
各段優勝
- 十両優勝:3回(2006年3月場所、2007年5月場所、2007年9月場所)
- 幕下優勝:1回(2006年1月場所)
- 序二段優勝:1回(2004年9月場所)
- 序ノ口優勝:1回(2004年7月場所)
三賞・金星
- 三賞:7回
- 殊勲賞:1回(2010年1月場所)
- 敢闘賞:5回(2006年5月場所、2007年11月場所、2008年3月場所、2009年9月場所、2010年3月場所)
- 技能賞:1回(2010年3月場所)
- 金星:なし
場所別成績
| 一月場所 初場所(東京) | 三月場所 春場所(大阪) | 五月場所 夏場所(東京) | 七月場所 名古屋場所(愛知) | 九月場所 秋場所(東京) | 十一月場所 九州場所(福岡) | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004年 (平成16年) | x | x | (前相撲) | 東 序ノ口 #40 7–0 | 東 序二段 #30 7–0 | 西 三段目 #33 5–2 |
| 2005年 (平成17年) | 東 三段目 #6 6–1 | 西 幕下 #32 5–2 | 東 幕下 #22 6–1 | 西 幕下 #6 5–2 | 西 十両 #14 12–3 | 西 十両 #4 0–1–14 |
| 2006年 (平成18年) | 西 幕下 #3 6–1 | 東 十両 #11 15–0 | 西 前頭 #11 11–4 敢 | 西 前頭 #4 9–6 | 東 前頭 #1 4–7–4 | 西 前頭 #6 10–5 |
| 2007年 (平成19年) | 西 前頭 #3 2–2–11 | 西 前頭 #13 休場 0–0–15 | 西 十両 #11 14–1 | 東 前頭 #14 0–2–13 | 西 十両 #9 13–2 | 東 前頭 #16 11–4 敢 |
| 2008年 (平成20年) | 西 前頭 #6 7–8 | 東 前頭 #7 12–3 敢 | 西 前頭 #1 5–10 | 西 前頭 #5 10–5 | 東 小結 8–7 | 西 関脇 9–6 |
| 2009年 (平成21年) | 東 関脇 9–6 | 東 関脇 8–7 | 東 関脇 4–11 | 西 前頭 #3 11–4 | 東 小結 12–3 敢 | 東 関脇 9–6 |
| 2010年 (平成22年) | 東 関脇 12–3 殊 | 東 関脇 14–1 敢技 | 西 大関 #3 10–5 | x | x | x |
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 十両・幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 | ||||||
幕内対戦成績
2010年5月場所終了現在
| 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 豊真将 | 7 | 1 | 栃乃花 | 1 | 1 | 北勝力 | 7 | 3 | 北桜 | 1 | 1 |
| 片山 | 1 | 0 | 白露山 | 2 | 1 | 十文字 | 1 | 0 | 嘉風 | 2 | 0 |
| 春日王 | 1 | 0 | 普天王 | 4 | 1 | 玉乃島 | 3 | 2 | 岩木山 | 3 | 0 |
| 朝赤龍 | 4 | 5 | 雅山 | 9 | 5 | 白鵬 | 1 | 13 | 日馬富士 | 7 | 8 |
| 琴奨菊 | 8 | 6 | 旭天鵬 | 7 | 4 | 安美錦 | 8 | 3 | 琴光喜 | 6 | 6 |
| 琴欧洲 | 6 | 8(1) | 千代大海 | 7(1) | 5 | 玉春日 | 3 | 0 | 稀勢の里 | 10 | 2 |
| 栃乃洋 | 3 | 1 | 露鵬 | 1 | 5 | 栃東 | 1 | 1(1) | 朝青龍 | 0 | 9 |
| 豪風 | 2 | 3 | 出島 | 5 | 0 | 高見盛 | 5 | 0 | 豊ノ島 | 9 | 1 |
| 垣添 | 2 | 2 | 土佐ノ海 | 1 | 1 | 海鵬 | 1 | 1(1) | 春日錦 | 1 | 0 |
| 若麒麟 | 1 | 0 | 栃煌山 | 8 | 0 | 若ノ鵬 | 1 | 1 | 黒海 | 2 | 2 |
| 若の里 | 5 | 1 | 豊響 | 3 | 0 | 豪栄道 | 6 | 3 | 魁皇 | 5 | 5 |
| 鶴竜 | 7 | 3 | 時天空 | 2 | 0 | 栃ノ心 | 3 | 0 | 武州山 | 1 | 0 |
| 翔天狼 | 2 | 0 | 阿覧 | 1 | 0 | 北太樹 | 1 | 0 |
(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2010年3月31日現在、現役力士)
TV出演
- 2006年7月1日 - メレンゲの気持ち(日本テレビ)
- 2006年8月4日 -「元祖でぶや」(テレビ東京)に春日王、旭天鵬とともに出演。出演者の石塚英彦、パパイヤ鈴木、青木さやか、ふかわりょうとともに温泉、バーベキューなどを楽しんだ。
- 2007年1月4日 - どっちの料理ショーRETURNS2007 白いご飯と食べたい!究極のおかずが大激突スペシャル!!(読売テレビ)
- 2009年2月8日 - ジャンクSPORTS(フジテレビ)にスタジオゲストとして出演
- 2010年4月8日 - ビッグフィッシング(サンテレビ)
CM出演
脚注
関連項目
外部リンク
| 大相撲関取 | ||
|---|---|---|
| 東 | 番付 | 西 |
| 白鵬 | 横綱 | |
| 三役 | ||
| 日馬富士 | 琴光喜 | 大関 | 琴欧洲 | 魁皇 | 把瑠都 |
| 稀勢の里 | 関脇 | 安美錦 |
| 琴奨菊 | 小結 | 栃煌山 |
| 平幕 | ||
| 豊ノ島 | 豊真将 | 鶴竜 | 北太樹 | 岩木山 | 時天空 | 玉鷲 | 垣添 | 土佐豊 | 阿覧 | 猛虎浪 | 豪風 | 嘉風 | 栃乃洋 | 若荒雄 | 光龍 | 幕内前頭 | 雅山 | 栃ノ心 | 若の里 | 朝赤龍 | 白馬 | 黒海 | 旭天鵬 | 豊響 | 豪栄道 | 隠岐の海 | 德瀬川 | 木村山 | 高見盛 | 北勝力 | 霜鳳 | 玉乃島 |
| 十両 | ||
| 磋牙司 | 翔天狼 | 春日王 | 玉飛鳥 | 将司 | 安壮富士 | 豊桜 | 大道 | 春日錦 | 清瀬海 | 若天狼 | 松谷 | 霧の若 | 佐田の富士 | 十両 | 臥牙丸 | 琴春日 | 千代白鵬 | 蒼国来 | 武州山 | 土佐ノ海 | 徳真鵬 | 境澤 | 旭南海 | 星風 | 山本山 | 普天王 | 上林 | 海鵬 |
| 関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||
| 益荒海 | 寶智山 | 琉鵬 | 琴禮 | 芳東 | 十文字 | 白乃波 | 雷童 | 鳥羽の山 | 龍皇 | 里山 | 大翔湖 | 柳川 | 大翔山 | 双大竜 | 保志光 | 濵錦 | 出羽鳳 | 豊乃國 | 古市 | 大勇武 | 琴国 | 四ツ車 | 妙義龍 | 栃天晃 | 出羽の郷 | 栃不動 | 北勝国 | ||
| 歴代大関(昭和以降) | |
|---|---|
| 161代 - 180代 | 161代能代潟錦作 | 162代常陸岩英太郎 | 163代豊國福馬 | 164代玉錦三右エ門 | 165代武藏山武 | 166代清水川元吉 | 167代男女ノ川登三 | 168代双葉山定次 | 169代鏡岩善四郎 | 170代前田山英五郎 | 171代羽黒山政司 | 172代安藝ノ海節男 | 173代五ツ嶋奈良男 | 174代照國万蔵 | 175代名寄岩静男 | 176代佐賀ノ花勝巳 | 177代東冨士謹一 | 178代汐ノ海運右衛門 | 179代増位山大志郎 | 180代千代ノ山雅信 |
| 181代 - 200代 | 181代吉葉山潤之輔 | 182代鏡里喜代治 | 183代栃錦清隆 | 184代三根山隆司 | 185代大内山平吉 | 186代松登晟郎 | 187代若乃花勝治 | 188代朝汐太郎 | 189代琴ヶ濱貞雄 | 190代若羽黒朋明 | 191代柏戸剛 | 192代大鵬幸喜 | 193代北葉山英俊 | 194代佐田の山晋松 | 195代栃ノ海晃嘉 | 196代栃光正之 | 197代豊山勝男 | 198代北の富士勝昭 | 199代玉乃島正夫 | 200代琴櫻傑将 |
| 201代 - 220代 | 201代清國勝雄 | 202代前の山太郎 | 203代大麒麟將能 | 204代輪島大士 | 205代貴ノ花利彰 | 206代大受久晃 | 207代北の湖敏満 | 208代魁傑將晃 | 209代三重ノ海剛司 | 210代旭國斗雄 | 211代若三杉壽人 | 212代増位山太志郎 | 213代千代の富士貢 | 214代琴風豪規 | 215代隆の里俊英 | 216代若嶋津六夫 | 217代朝潮太郎 | 218代北天佑勝彦 | 219代大乃国康 | 220代北尾光司 |
| 221代 - 240代 | 221代北勝海信芳 | 222代小錦八十吉 | 223代旭富士正也 | 224代霧島一博 | 225代曙太郎 | 226代貴ノ花光司 | 227代若乃花勝 | 228代貴ノ浪貞博 | 229代武蔵丸光洋 | 230代千代大海龍二 | 231代出島武春 | 232代武双山正士 | 233代雅山哲士 | 234代魁皇博之 | 235代栃東大裕 | 236代朝青龍明徳 | 237代琴欧洲勝紀 | 238代白鵬翔 | 239代琴光喜啓司 | 240代日馬富士公平 |
| 241代 - | 241代把瑠都凱斗 |
