アラビアのロレンス (映画)
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| アラビアのロレンス Lawrence of Arabia | |
|---|---|
ピーター・オトゥール演じるロレンス | |
| 監督 | デヴィッド・リーン |
| 製作 | サム・スピーゲル |
| 脚本 | ロバート・ボルト マイケル・ウィルソン |
| 出演者 | ピーター・オトゥール アレック・ギネス アンソニー・クイン |
| 音楽 | モーリス・ジャール |
| 撮影 | フレデリック・A・ヤング ニコラス・ローグ |
| 配給 | コロムビア映画 |
| 公開 | 1963年 |
| 上映時間 | 207分 |
| 製作国 | |
| 言語 | 英語 アラビア語 |
| allcinema | |
| キネマ旬報 | |
| allmovie | |
| IMDb | |
『アラビアのロレンス』(Lawrence of Arabia)は、1962年のイギリス映画。歴史映画。デーヴィッド・リーン監督、ピーター・オトゥール主演。
目次 |
概要
実在のイギリス陸軍将校のトマス・エドワード・ロレンスが率いた、オスマン帝国からのアラブ独立闘争(アラブ反乱)を描いた歴史映画であり、戦争映画である。日本での公開は1963年12月。
上映時間は227分。主人公の交通事故死で幕が開く衝撃的な冒頭から、彼が失意の内にアラビアを離れる余りに悲痛な終局までを、実に雄大に描く。その中でも、ロレンスがマッチの火を吹き消した後に砂漠に大きな太陽が昇る場面や、地平線の彼方の蜃気楼が次第に黒い人影となるまでの3分間、敵の要塞を陥落したロレンスが、ラクダに乗って夕日が照らす海岸を悠々と歩く場面、そして延々と続く広大な白い砂漠と地平線を背景にロレンスが跨ったラクダが駆ける場面等が名シーンとされている。
冒頭と休憩と終わりの黒画面に音楽が流れるところは、当時の映画では一般的であった 序曲、休憩、終曲である。 オリジナル版制作から実に四半世紀以上が経過した1988年に、再編集を行なって完全版が制作された。オリジナル版の上映時間は、207分だった。
注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。
ストーリー
1935年5月13日、バイクに跨りドライブ中の男が、向こうから走ってきた自転車を避けようとして道路の脇道に転落し、死亡した。男の名は、トマス・エドワード・ロレンス。ドーセット州モートンの教会で行なわれた葬式には沢山の人が参列し、銅像も建てられることになった。ロレンスを取材した新聞記者は「銅像を建てるに値するほど偉大な人物なのか?」と訝しがるが、教会の入り口である男が「ロレンスほど偉大な人物は居ない。私はロレンスをよく知っている。」と抗議する。果たしてロレンスとは何者なのか。舞台は1916年10月に遡る……。
イギリス陸軍エジプト基地勤務の情報部少尉のロレンスは、風変わりな男として知られていた。アラビア語やアラブ文化に詳しいことから、オスマン帝国からの独立闘争を指揮するマッカのシャリーフであるスンナ派のハーシム家のファイサルと会見してイギリスへの協力を取り付ける工作任務を受けることになり、アラビアへ渡った。初めは不慣れだったラクダも、見事に乗りこなせるようになった。案内役のアラブ人が井戸から水を汲んでロレンスに飲ませた。そこにアリという井戸の持ち主が現れ、無断で他部族の井戸水を盗んだとして案内人をいきなり銃で殺害する。アリはロレンスには罪はなく、砂漠を旅するのは大変だろうと案内人を買って出るが、ロレンスは断って一人で出発した。
ロレンスがヤンブーにあるアラブ人の基地に到着すると、基地はオスマン帝国軍の襲撃を受けており、フェイサルが懸命に指揮するもののアラブ人は全く反撃できなかった。フェイサルと面会したロレンスは、独立闘争への協力を約束する。ロレンスはヤンブー・マディーナとタブークの中間にある紅海北部の海岸の町アル・ワジュからアラブ人の勇者50人を率いてネフド砂漠を渡り、オスマン帝国軍が占拠する港湾都市アカバを内陸から攻撃する電撃作戦を立てた。アカバの砲台はアカバ湾(紅海)に向いており、内陸からの攻撃には無防備だった。
延々と続く砂漠を夜間行軍中、ガシムという男が列に居ないことにロレンスは気付いた。「戻って助けに行く」と主張するロレンスに、「無茶だ」「死にに行くのか」とアリは抗議する。無謀にもロレンスは、ガシムを救うために一人で今来た道を戻るのだった。ロレンスはラクダにガシムを乗せて戻ってきた。アリをはじめアラブ人達はロレンスを賞賛し、白く美しいアラブ伝統の衣装を身に着けさせ、ロレンス1人だけのアラブ部族として認めたのであった。アカバ近くでアウダ・アブ・タイが率いるハウェイタット族と遭遇した。アウダはそれまでオスマン帝国軍に協力していたが、アラブ独立のためにロレンスと共にオスマン帝国軍と戦うことにする。しかし悲劇が起こる。ロレンス側の兵士がアウダ側の兵士を殺してしまった。殺したのはガシムだった。軍の統制と団結を保つため、ロレンスは苦渋の思いでガシムを拳銃で処刑した。
1917年7月6日にアラブ軍はアカバを奇襲し、オスマン帝国軍の大砲が全て海側に向いていたアカバはあっけなく陥落した。ロレンスはシナイ砂漠を横断してスエズ運河になんとか辿り着き、イギリス陸軍司令部に急行した。アカバ陥落と今後のヒジャーズ鉄道襲撃計画を司令部に報告し、スエズ運河などの攻撃に割くべきオスマン帝国軍の兵力が鉄道防衛に振り向けられて薄くなったら、イギリス軍が呼応してシリア・パレスチナまで反攻させるイギリス軍のための後方撹乱作戦のためである。ロレンス達がシナイ砂漠を横断中に、部下のアラブ人少年の一人ダウドが砂地獄に捕われて死なせてしまう。司令部に到着し、ロレンスはもう一人の部下のアラブ人少年Farrajと共に建物の中に入った。汚れたアラブの衣装を身に付けたロレンスを見て、周囲の軍人は驚きを隠せなかった。そしてロレンスがアカバ陥落を告げると、その場の誰もが驚愕した。満身創痍のロレンスは、司令部内のカフェでレモネードを2つ注文した。「アラブ人は外に出せ」という文句を無視して、少年にもレモネード[1]を御馳走したのだ。このロレンスの行動は、アラブ反乱がイギリス軍のための単なる後方撹乱作戦という位置づけなどではなく、アラブ人にアラブを与える聖戦であるという大儀の表明でもあった。
ロレンスは少佐に昇進した。イギリス陸軍からの兵器の補充を受けたアラブ軍は、オスマン帝国軍への更なる攻撃を開始する。オスマン帝国のヒジャーズ鉄道の線路に爆弾を仕掛けて機関車を爆破して猛襲するという戦法を展開した。この戦法は大成功を収め、ロレンスの活躍は新聞にも載って広く報道されるのだった。しかし三回目の鉄道襲撃で、爆弾を設置する時にアラブ人少年の部下Farrajが、懐に入れておいた信管を爆発させてしまった。止むを得ずロレンスは、アラブ人少年を苦しませないためにその場で拳銃で殺害し、鉄道爆破計画を中止した。
次にロレンスは現地の人の服を身に着けて現地人に化け、デラアに偵察に行った。心配するアリに対し、「私は透明人間だ」と意気揚々だったが、オスマン帝国軍に見つかり連行された。ロレンスは服を脱がされ、デラアを支配するオスマン帝国軍のベイ将軍の好色の餌食となってしまう。
エルサレムでロレンスはアレンビー将軍に辞表を出すが、イギリス陸軍はそれを受理せず、サイクス・ピコ協定を知らせた上で彼をアラビアに送り戻してダマスカス侵攻を指揮させる。ロレンスは、アラブ人にアラブを与えるという大儀の為にイギリス陸軍正規部隊より一足早くダマスカスに到着するためとはいえ、彼の部隊に金の為に動く殺人犯も加え、より攻撃的な部隊を編成して進軍する。ダマスカスへの進軍の途中、ロレンスの部隊はTafasの村を大量虐殺したばかりの退却中のオスマン帝国軍と遭遇し、Tafasに"No prisoners!"と復讐を懇願される。Tafasが単身でオスマン帝国軍に切り込み殺されたことをきっかけに、ロレンスの部隊は復讐の連鎖の深みにはまり込み大量虐殺を行ってしまう。
凄惨な戦闘の後、ロレンスの部隊は、イギリス陸軍正規部隊より一足早くダマスカスをオスマン帝国軍から解放することに成功するが、戦闘で精神的に荒廃したアラブ人の戦士達はアラブ国民会議でエゴをぶつけ合い始め、その結果、街に電力が不足し、火事は治まらず、病院はおざなりになってしまうのだった。アラブ民族会議に失望したロレンスは「砂漠など二度と見たくない。神にかけてだ。」と言い、アラビアを去ることを決意する。ロレンスのことを「敬愛しつつ恐れたが、彼自身も、自分を恐れていた」と語るアリに「アラブに生まれたということは辛い思いをしろということだ」とアウダは言う。その言葉はロレンスの中にある外へのジハードと内へのジハードの葛藤、復讐と寛容との心の戦いを言い当てていた[2]。病院の惨状により、イギリス軍の医療隊が病院にやってきてその中の一人の男が病院を見に来ていたロレンスをアラブ人と勘違いし、平手打ちにする。それはアリとアウダに代わってロレンスとアラブ民族会議を叱責するかのようだった。
オスマン帝国軍から解放されたアラビアは、もはやロレンスを必要とはしていなかった。フサイン=マクマホン協定を信じてイラク・シリア・アラビア半島を含む大アラブ王国を構想する老練な族長ファイサルにとって、白人のロレンスがアラブ反乱を指揮した事実は邪魔となっていた。また、サイクス・ピコ協定によりアラブをフランスとともに分割する方針を決めていたイギリス陸軍の将軍にとっても、大アラブ王国を支持し奔走するロレンスは政治的に邪魔な存在となっていたからである。ファイサルは「もうここには勇士は必要でなくなった。私達は協定を進めます。老人の仕事です。若者は戦う。戦いの長所は若者の長所、つまり勇気と未来への希望なのです。だが、老人は平和を作る。そして平和の短所は老人の短所、つまり不信と警戒心なのだ。そうに違いない。あなたに対する私の感謝の気持ちは計り知れない」と語りかけるが、去り行くロレンスにその言葉は虚しく響くばかりだった。
ロレンスはイギリス陸軍の英雄として大佐に昇進させられながらも、アラブ人としての大きな失意を胸に抱きながらアラビアから追放されるのだった。このとき、食堂でロレンスをイギリス陸軍の英雄として褒め称え握手を求めたのは、病院でアラブ人の不寛容に怒りロレンスを平手打ちにし、ロレンスの葬式の際に教会の入り口で記者に抗議する男だったのである。誰よりもアラビアを愛した男、ロレンスを乗せて走り去るロールスロイス。そしてそのロールスロイスを追い越していくバイク。始めのバイク事故のシーンの謎解きで、映画が終わる演出になっている。
- ^ レモネードの原料のレモンがアラビアを経由してヨーロッパへ伝えられたことから、このレモネードがアラビアを連想させている。
- ^ アラブ反乱を起こしたフサイン・イブン・アリーも死ぬ前に「私達の身に起こったこと、そしてこれから起こるであろうことは、私達の庇護者であり保護者であり、何世紀も盟主であったオスマン帝国に対して行なった罪、反逆に対する罰である」と語っており、アリーとアウダの発言に通じるところがある。
エピソード
映画では冒頭でバイク事故死させることでアラブ時代の自身との決別を描き、また映画の最後でロレンスの乗ったジープがバイクに抜き去られるシーンは、非アラブのトルコ人対アラブ人という民族対立の構図からスンナ派のハーシム家対ワッハーブ派のサウード家の部族間対立へと移り変わろうとする時代の流れに置いていかれようとするロレンス達のヒジャーズ王国を暗示していた。また、映画公開がスエズ運河を失った第二次中東戦争と第三次中東戦争・第四次中東戦争の間という中東の情勢が緊張した局面であったことから、アラビアに再び起きようとする現実の資源ナショナリズムという時代の流れ、すなわちソビエト連邦とエジプト・シリア・ヨルダンの行動と、米国がベトナム戦争直前の情勢緊張から中東まで手が回らないことによりイスラエルを失う可能性と、イギリスがオイルメジャーの利権を失う可能性を演出する極めて劇的な政治的メッセージを持つ仕掛けだった。
ロレンスは、ダマスカス攻撃後にロンドンに戻り、外務省や植民地省でアラブ処遇問題の解決に努めた。その後、イギリス陸軍戦車隊、航空隊を経て1935年に除隊するも、その後まもなく、1935年5月13日に、ブラフ・シューペリア社製のオートバイを運転中の交通事故で死亡した。このオートバイは「オートバイのロールスロイス」とも例えられる高級車である。ロレンスは、アラブ反乱時のイギリス首相デビッド・ロイド・ジョージの名前をとって、愛車に「ジョージ」というニックネームをつけていた。この愛車「ジョージ」が事故を起こすことも皮肉めいている。1936年、ロイド・ジョージはドイツ総統アドルフ・ヒトラーを評して「老人に信頼され、若者に理想視されるダイナミックな性格」と語ることになるからである。
アラブ反乱に関して「イギリスの三枚舌外交」と呼ばれる三つの協定、すなわちフサイン=マクマホン協定、サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言が結ばれ、一連の矛盾外交によって生じたパレスチナ問題や、現在も不自然な国境で分断されているクルド人問題などの遠因となったとも言われている。
ロレンスが所属するイギリスのカイロ領事はハーシム家を支援していたが、ジョン・フィルビーの所属したイギリスのインド総督府はワッハーブ派のサウード家を支援していた。アブドゥルアズィーズ・イブン=サウードはイギリスとの戦力差をわきまえており、反抗することはなかった。1920年にはそのイギリスの支援を背景にしてアブドゥルアズィーズは中部アラビアのリヤド周辺一帯のナジュドを支配下に置いた。
ロレンス達が建国に貢献したスンナ派のハーシム家によるヒジャーズ王国は、ナジュドのスルタンとなったアブドゥルアズィーズ・イブン=サウードに侵攻され、わずか9年(1916年 - 1925年)で終わりを告げてワッハーブ派のサウード家によるKingdom of Hejaz and Nejd (1926年–1932年)を経て、サウジアラビア (「サウード家によるアラビアの王国」の意味)が1932年に成立する。
キャスト
- トーマス・エドワード・ロレンス - ピーター・オトゥール
- ファイサル王子(ヒジャーズ王国の創始者フサイン国王の三男。1920年にダマスカスのアラブ民族会議により、シリア・アラブ王国の初代国王に選ばれ、後にイラク王国の初代国王となる) - アレック・ギネス
- ハウェイタット族のアウダ・アブ・タイ(Auda ibu Tayi) - アンソニー・クイン
- ハリト族の“シャリーフ・アリ”(Sherif Ali ibn el Kharishは架空の人物で、ハリト族も架空の部族である。) - オマー・シャリフ
- アレンビー将軍(Edmund Allenby) - ジャック・ホーキンス
- ジャクソン・ベントリー新聞記者(Jackson Bentleyは架空の人物で、Lowell Thomasをモデルにしている。) - アーサー・ケネディ
- ブライトン大佐(Harry Brightonは架空の人物。) - アンソニー・クェイル
- ベイ将軍 - ホセ・フェラー
- ドライデン顧問(Mr. Drydenは架空の人物で、Robert BoltとDavid George Hogarthの二人がモデルになっている。) - クロード・レインズ
スタッフ
- 監督 - デーヴィッド・リーン
- 原作 - トマス・エドワード・ロレンス『智恵の七柱』(完訳版が平凡社東洋文庫で全5巻、2008年-)
- 脚色 - ロバート・ボルト
マイケル・ウィルソン(赤狩りにより公開当時からクレジットされていなかったが、名誉回復し完全版からクレジットに追加された。)
- 音楽 - 作曲:モーリス・ジャール、編曲:ジェラルド・シュルマン
- 撮影 - フレデリック・A・ヤング、スキーツ・ケリー、ニコラス・ローグ、ピーター・ニューブルック
- 美術 - ジョン・ボックス
- 衣装 - フィリス・ダルトン
- 製作 - サム・スピーゲル
- 配給 - コロムビア映画
受賞
| 受賞 | 人物 | |
| 作品賞 | サム・スピーゲル | |
| 監督賞 | デヴィッド・リーン | |
| 撮影賞 | F・A・ヤング | |
| 編集賞 | アン・V・コーテス | |
| 美術賞 | ジョン・ボックス ジョン・ストール ダリオ・シモーニ | |
| 作曲賞 | モーリス・ジャール | |
| 録音賞 | ジョン・コックス | |
| ノミネート | ||
| 主演男優賞 | ピーター・オトゥール | |
| 助演男優賞 | オマー・シャリフ | |
| 脚色賞 | ロバート・ボルト | |
| 受賞 | 人物 |
| 作品賞 | サム・スピーゲル |
| 監督賞 | デヴィッド・リーン |
| 助演男優賞 | オマー・シャリフ |
| 撮影賞 | F・A・ヤング |
| 受賞 | 人物 | |
| 作品賞総合部門/国内部門 | サム・スピーゲル | |
| 男優賞国内部門 | ピーター・オトゥール | |
| 脚本賞 | ロバート・ボルト | |
| ノミネート | ||
| 男優賞国外部門 | オマー・シャリフ | |
日本語吹き替え版の声優
| アカデミー賞作品賞: 受賞作 (1961-1980) |
|---|
| 1961: ウエスト・サイド物語 | 1962: アラビアのロレンス | 1963: トム・ジョーンズの華麗な冒険 | 1964: マイ・フェア・レディ | 1965: サウンド・オブ・ミュージック | 1966: わが命つきるとも | 1967: 夜の大捜査線 | 1968: オリバー! | 1969: 真夜中のカーボーイ | 1970: パットン大戦車軍団 | 1971: フレンチ・コネクション | 1972: ゴッドファーザー | 1973: スティング | 1974: ゴッドファーザーPARTII | 1975: カッコーの巣の上で | 1976: ロッキー | 1977: アニー・ホール | 1978: ディア・ハンター | 1979: クレイマー、クレイマー | 1980: 普通の人々 |
| 全リスト | 受賞作 (1927-1940) | 受賞作 (1941-1960) | 受賞作 (1981-2000) | 受賞作 (2001- ) |
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