ディープスカイ

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ディープスカイ
2008年5月11日 東京競馬場
現役期間2007年2009年
英字表記Deep Sky
品種サラブレッド
性別
毛色栗毛
生誕2005年4月24日(5歳)
抹消日2009年8月30日
アグネスタキオン
アビ
母の父Chief's Crown
生国 日本北海道浦河町
生産笠松牧場
馬主深見敏男
調教師昆貢栗東
競走成績
生涯成績17戦5勝
獲得賞金6億4213万9000円
WTRR121 T/L(2008年)
120 T/I (2009年)
 Template‐ノート:競走馬 

ディープスカイは、日本競走馬である。2008年のNHKマイルカップ東京優駿(日本ダービー)等に優勝。同年のJRA賞最優秀3歳牡馬主戦騎手四位洋文馬名は馬主が使用する冠名「ディープ」(Deep)と、を意味する「スカイ」(Sky)の合成で、「澄み切った大空」という意味。

目次

経歴

2005年4月24日、北海道浦河町の笠松牧場に生まれる。父は2001年の皐月賞優勝馬アグネスタキオン、母アビは2003年に輸入されたイギリス産馬であり、本馬は日本における初仔であった。出生直後はそれほど目立つ馬ではなかったが、成長に従って堂々とした気性と頭の良さを買われ、牧場関係者の期待を受けた[1]。同年夏、馬主の深見敏男が購買。翌2006年5月に育成調教を始められると際立った動きを見せ始め、またこの頃には馬体も非常に優秀なものとなっていた[2]

競走年齢の2歳を迎えた2007年、競走名「ディープスカイ」と名付けられ、滋賀県栗東トレーニングセンターに入厩。当初の管理者調教師は山内研二であったが、事情により9月に昆貢の元へ転厩した[3]

戦績

2歳・3歳(2007年・2008年)

変則二冠

2007年10月に京都競馬場の新馬戦でデビュー。2番人気の支持を受けたが4着に終わる。以後も騎手を替えながら連戦したが、2歳時は4戦うち2着3回と勝ち切れなかった。翌2008年の初戦は9着と大敗。しかし2週後の3歳未勝利戦において、通算6戦目での初勝利を挙げた。

続く条件戦では2着、重賞初出走のアーリントンカップで3着と、後方から追い込んでは先頭に届かないレースを続ける。しかし3月29日に出走した毎日杯で四位洋文が初騎乗すると、ここでは追い込みが決まり、1番人気アドマイヤコマンドに2馬身半差で快勝。重賞初勝利を挙げた。本馬にはこの時点まで四位を含め7人の騎手が騎乗していたが、本競走以降は四位が主戦騎手として定着した。

4月には3歳クラシック初戦の皐月賞を控えたが、昆は同競走の回避を選択し、条件戦出走時から目標に据えていた[4]5月のNHKマイルカップへ向かった。当日は1番人気に支持されると、道中では後方2、3番手の位置から、最後の直線で馬場の内側を抜け出して優勝。GI級(JpnI)競走初勝利を飾った。この勝利は厩舎、馬主、生産者にとっても初めてのGI級競走勝利となった。レース後、四位は「是非、この馬でダービーに出たい」と昨年のウオッカに続く東京優駿連覇に意欲を示した。関係者間の協議の結果、中2週での東京優駿に出走が決定した。

当日は皐月賞優勝馬キャプテントゥーレの不在もあり、1番人気に支持される。レースでは後方内側で待機策を採ると、最後の直線では大外から13頭を次々に交わし、残り100m付近で先頭のスマイルジャックを捉えて優勝。2004年キングカメハメハ以来史上2頭目となる、NHKマイルカップ、東京優駿連覇の「変則二冠」を達成、同時に四位も武豊に次ぐ史上2人目のダービー連覇を達成した。

古馬との対戦

夏は休養のため放牧に出され、9月に帰厩。緒戦には神戸新聞杯菊花賞トライアル)に出走すると、追い込み一辺倒であった従来のレース運びとは異なり、中団から抜け出しての勝利を収めた。競走後、距離やコース適性などを考慮の結果、次走にはクラシック最後の一冠・菊花賞ではなく、古馬相手となる天皇賞(秋)への出走が選択された[5]戦後に天皇賞(秋)が3歳馬に開放されて以降、日本ダービー優勝馬が菊花賞を回避して天皇賞に向かうのは、史上初めての例であった。天皇賞(11月2日)では、牝馬の二強とされていたウオッカダイワスカーレットと対戦。戦前は「三強対決」と注目を集め、当日は両馬に次ぐ3番人気に支持された。レースでは前走と同じく中団からレースを進め、最後の直線で差し脚を見せたが、ウオッカ、ダイワスカーレットから僅差の3着に終わった(競走詳細は第138回天皇賞を参照)。

次走には、陣営が天皇賞前から「秋の最大目標」と明言していたジャパンカップに出走。ウオッカを抑え1番人気に支持された。レースがスローペースで推移する中、四位は折り合いを重視し、ディープスカイは中団からやや後方の12-13番手を進んだ。最後の直線では出走馬中で最速となる上がり3ハロン33秒8の末脚を使いウオッカを捉えたものの、早めに先頭に立ったスクリーンヒーローに及ばず2着に敗れた。

年末のグランプリ競走有馬記念は回避し、この競走を最後にシーズンを終える。当年のJPNサラブレッドランキングでは、3歳馬として歴代4位タイとなる121ポンド(芝Lコラム)の評価で首位に据えられ、ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングでも総合33位に付けた。翌1月には最優秀3歳牡馬に満票(300票)で選出。授賞式の席上で、昆が来春のローテーションと、春のGI勝利を前提とした来秋のフランス凱旋門賞への出走プランを明かした[6]

4歳以降(2009年~)

厩舎内で調整が続けられたのち、翌2009年は4月5日大阪杯から復帰。GI優勝馬6頭が集った中で、単勝オッズ1.6倍という圧倒的1番人気に支持された。しかし好位から直線で一旦抜け出したものの、終始ディープスカイをマークしていたドリームジャーニーにゴール前で差され、クビ差の2着となった。

勝利が凱旋門賞出走条件の一部であった安田記念(6月11日)では、前年度代表馬に選出されていたウオッカに次ぐ2番人気となる。レースは中団を追走、直線では残り400m過ぎで一団の馬群から抜け出し先頭に立ったが、残り200m地点で馬群を捌いて抜け出したウオッカに一気に交わされ、2着に終わった。続いて出走した春のグランプリ競走宝塚記念では、ウオッカの回避により単勝支持率50%を超える圧倒的な1番人気となった(最終オッズは1.6倍)。レースは道中中団を追走し、直線入り口から外をついてドリームジャーニーと並んで追い込むも、同馬に競り負け、さらに先行策から粘ったサクラメガワンダーも捉えきれず3着に敗れた。安田記念と宝塚記念、どちらの勝利も成らなかったことを受け、予定されていた凱旋門賞出走のプランも白紙撤回された。

宝塚記念後は、北海道のファンタストクラブへ放牧[7]に出された。その後、秋初戦に予定されていた毎日王冠に向け、8月8日函館競馬場に入厩したが[8]移動する2日ほど前にファンタストクラブから左前脚に熱を持っているとの報告を受けていた[8]8月12日超音波検査を行った結果、損傷率11%の左前浅屈腱炎が判明[8]。全治は9-12か月で復帰は不可能でなかったものの[8]、当年6月22日に急逝していた父アグネスタキオンの後継種牡馬としての期待も大きいことから、競走生活からの引退、種牡馬入りが発表された[7][8][9]。8月30日付で競走馬登録が抹消され、同日札幌競馬場引退式が執り行われた[10][11]。現在は発表[10]の通りダーレー・ジャパン・スタリオン・コンプレックスに繋養されている。

競走成績

年月日競馬場競走名


オッズ
(人気)
着順騎手
距離(馬場)タイム
上り3F
時計
勝ち馬/(2着馬)
200710.8京都2歳新馬8662.8(2人)4着松田大作55芝1400m(良)1:24.4(35.5)0.8エーシンフォワード
11.4京都2歳未勝利10788.6(5人)2着武豊55芝1600m(良)1:35.4(35.2)0.1ロードバリオス
11.24東京2歳未勝利177145.3(3人)2着武豊55芝1800m(良)1:49.4(34.6)0.2ピサノエミレーツ
12.6中京2歳未勝利16472.5(1人)2着野元昭嘉55芝1800m(良)1:49.6(35.9)0.1マイサイドキック
20081.13京都3歳未勝利167134.6(1人)9着藤田伸二56芝2000m(稍)2:05.6(35.9)0.9マゼラン
1.26京都3歳未勝利14456.6(4人)1着藤田伸二56芝1800m(良)1:50.9(35.6)-0.2(シャイニングデイ)
2.17東京3歳500万下16476.2(3人)2着津村明秀56芝1600m(良)1:36.7(33.4)0.0コウヨウマリーン
3.1阪神アーリントンCJpnIII123336.3(10人)3着幸英明56芝1600m(良)1:34.9(34.1)0.3ダンツキッスイ
3.29阪神毎日杯JpnIII14228.7(6人)1着四位洋文56芝1800m(良)1:46.0(34.8)-0.4アドマイヤコマンド
5.11東京NHKマイルCJpnI18594.3(1人)1着四位洋文57芝1600m(稍)1:34.2(33.9)-0.3ブラックシェル
6.1東京東京優駿JpnI18113.6(1人)1着四位洋文57芝2400m(良)2:26.7(34.2)-0.2スマイルジャック
9.28阪神神戸新聞杯JpnII18112.0(1人)1着四位洋文56芝2400m(良)2:25.3(35.1)-0.0(ブラックシェル)
11.2東京天皇賞(秋)GI17124.1(3人)3着四位洋文56芝2000m(良)1:57.2(34.5)0.0ウオッカ
11.30東京ジャパンCGI17593.4(1人)2着四位洋文55芝2400m(良)2:25.6(33.8)0.1スクリーンヒーロー
20094.5阪神大阪杯GII128111.6(1人)2着四位洋文59芝2000m(良)1:59.7(34.2)0.0ドリームジャーニー
6.7東京安田記念GI18363.7(2人)2着四位洋文58芝1600m(良)1:33.6(35.5)0.1ウオッカ
6.28阪神宝塚記念GI147111.6(1人)3着四位洋文58芝2200m(良)2:11.6(34.8)0.3ドリームジャーニー

特徴

初勝利まで6戦という成績は、東京優駿優勝馬としては1950年のクモノハナ(8戦)に次ぐ遅い記録である。昆によれば、入厩時のディープスカイは「新馬とか特別戦を勝っている馬に比べると、完成度でかなり劣る馬」だった[12]。しかし初勝利を挙げた頃から状態が向上し[3]、春にはNHKマイルカップ、東京優駿を連覇するに至った。毎日杯から騎乗した四位は、「かれこれ26-27年馬に乗ってきたけど、2ヶ月の間でこんなに強くなった馬に、人生で初めて出会いました」と述べている[13]

ゆったりとしたコースレイアウトを持つ東京競馬場を得意とし、同場では7戦2勝・2着4回・3着1回と高い安定感を保った。昆も「あの馬の脚質を最大限に活かせて、少々の不利も跳ね返してくれるのは東京のコースかな」と語っている[4]。皐月賞を回避した背景にも、小回りの中山競馬場は向かないだろうという予測があった[14]。またこの回避に関しては、ディープスカイの前年に皐月賞、NHKマイルカップ、東京優駿を皆勤した昆の管理馬ローレルゲレイロが、結局ひとつも勝つことができなかったことも大きく影響していた[3]

気性

レースでは騎手の意に反して前に行きたがる面も見せたが、四位は「本質的には折り合いに不安のあるタイプではない」と述べている[13]。日常生活では穏やかな馬であり、ダービーの後に四位が厩舎を訪れた際には、馬房の中で寝転がったままで四位の手からニンジンを口にしたという。悍の強いサラブレッドとしては珍しい行動であり、四位は「牧場の人が大切にしてくれたんでしょう。だから人間のことを信頼しているんですよ。こんな馬は初めて」と語っている[13]

血統表

ディープスカイ血統 サンデーサイレンス系Bold Ruler 5×5×5=9.38%、Miss Carmie 5×4=9.38%)

アグネスタキオン
1998 栗毛
*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
HaloHail to Reason
Cosmah
Wishing WellUnderstanding
Mountain Flower
アグネスフローラ
1987 鹿毛
*ロイヤルスキー
Royal Ski
Raja Baba
Coz o'Nijinsky
アグネスレディー*リマンド
イコマエイカン

*アビ
Abi
1995 栗毛
Chief's Crown
1982 鹿毛
DanzigNorthern Dancer
Pas de Nom
Six CrownsSecretariat
Chris Evert
Carmelized
1990
Key to the MintGraustark
Key Bridge
CarmelizeCornish Prince
Miss Carmie F-No.23-b

父については同馬の項を参照のこと。母はイギリスで5戦1勝。叔父にウニオンレネン(ドイツ2000ギニー)などドイツで重賞4勝を挙げたロイヤルドラゴン。4代母ミスカーミーの牝系からは数々の活躍馬が出ており、同牝系に属する馬にケンタッキーダービー優勝牝馬ウイニングカラーズニューヨーク牝馬三冠を制したクリスエヴァート、宝塚記念とジャパンカップの優勝馬タップダンスシチーなどがいる。母の父チーフズクラウンもこの牝系に属しており、近親に当たる。

脚注

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参考文献

  • 優駿』2008年7月号(日本中央競馬会、2008年)
  • 『優駿』2009年2月号(日本中央競馬会、2009年)

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