東京優駿

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東京優駿
(日本ダービー)
主催者日本中央競馬会
開催地東京競馬場
施行日2010年5月30日
格付けGI
1着賞金1億5000万円
距離芝2400m
出走条件サラブレッド系3歳牡馬牝馬(国際)
負担重量牡馬57kg、牝馬55kg
第1回施行日1932年4月24日
 Template‐ノート:競馬の競走 
2007年の東京優駿(ウオッカ)
2007年の東京優駿(ウオッカ
画像:Vodka(horse) 20070527R3.jpg
第74回東京優駿1着入線後、レースを台覧した皇太子に最敬礼する勝利騎手・四位洋文

東京優駿(とうきょうゆうしゅん)とは日本中央競馬会(JRA)東京競馬場2400mで施行する競馬重賞競走である。

目次

概要

一般的にはレース名の副称である日本ダービーの名で広く知られており、現在の日本の競馬においてその代名詞とも言える競走である。「競馬の祭典」という呼称もマスコミが広く用いている。

1932年昭和7年)にイギリスクラシック競走であるダービーステークスを範して創設された、日本で最も古くから同一条件で開催されている競走の一つで、毎年5月末頃に開催され、皐月賞菊花賞とともに三冠競走を構成する。

出走資格は3歳牡馬牝馬の競走馬だけに与えられ、去勢された馬は出走権がない。

日本の3歳(旧4歳)馬の代表決定戦であり、日本の全てのホースマンが憧れる最高の舞台である。騎手にとっては本競走を制すと晴れてダービージョッキーの仲間入りを果たすことができる。

1973年(昭和48年)までは日本国内の最高賞金額で、名実ともに日本最大最高の競走だった。[1]現在は、賞金額においては国際競走であるジャパンカップ、全ての馬に出走権のある有馬記念に次ぐ3番目となっている。格付においては、2010年から国際統一規格で最高格となるGIとなる予定である。

解説

条件

出走資格はサラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牡馬・牝馬の競走馬(総収得金額上位3頭又は青葉賞で優先出走権を得た外国産馬)及び優先出走権を得た地方所属の牡馬・牝馬の競走馬(最大8頭まで)、出走枠は18頭まで。ただし東京優駿優先出走権取得馬(最大9頭)が優先で出走でき、残りの枠(最低9枠)は収得賞金の金額上位馬が出走できるが同額の馬が複数いる場合は抽選で出走馬が決まる。

負担重量は定量で牡馬は57キロ、牝馬は55キロである。

2006年平成18年)において総額賞金は2億8600万円で1着賞金1億5000万円、2着賞金6000万円、3着賞金3800万円、4着賞金2300万円、5着賞金1500万円と定められている。1973年(昭和48年)までは本競走が日本競馬での最高賞金額であったが現在はジャパンカップ(1着賞金2億5000万円)、有馬記念(1着賞金1億8000万円)に次いで3番目に高い賞金額となっている。

当競走はGIに格付けされている。

正賞は内閣総理大臣賞日本馬主協会連合会会長賞・東京馬主協会賞。優勝騎手には朝日新聞社より優勝旗、また副賞として高級車が与えられ、レースで実際に使用したが東京競馬場の競馬博物館に永久保存・展示される。

名称

東京優駿大競走」の名称で創設され、「東京優駿競走」、「優駿競走」、という名称を経て「東京優駿」が現在の正式な名称となっており、副称として「(日本ダービー)」が付されている[2]

JRAが配布するレーシングプログラムや競馬新聞などでは1950年以降、「東京優駿(第~回日本ダービー)」または「東京優駿(日本ダービー)」と表記されている(日本のつかない「ダービー」と呼んでいた時期もあった)。一般の新聞では知名度の高い副称を前面に出し、「日本ダービー(東京優駿)」とも表記される。

勝馬投票券には、副称である「日本ダービー」のみが表記されている。

類似した名称の競走として、同時期に「東京ダービー」が南関東公営競馬大井競馬場で開催されている。

創設の経緯

日露戦争で内外の軍馬の性能差を痛感した政府によって国内では産馬育成が奨励されたが、1908年明治41年)に馬券の発売が禁止されると、馬産地は空前の大不況に見舞われた。大正中期より産馬業者から東京競馬倶楽部会長の安田伊左衛門に対し「イギリスクラシック競走であるダービーステークスのような高額賞金の大競走を設けて馬産の奨励をしてほしい」という意見があり、予てからの自身の構想と合致すると考えた安田は[3]、馬産の衰退を食い止める手段としてイギリスのエプソム競馬場のダービーステークスを範し、

  1. 4歳(現3歳)牡馬・牝馬の最高の能力試験であること。
  2. 競走距離が2400m、又は2400mに限り無く近いこと。
  3. (開催国で催される競馬の)最高の賞金額を設定すること。
  4. 2歳(現1歳)秋から4回の出走登録を出走資格の条件とすること。
  5. 負担重量は馬齢重量とすること。
  6. 施行時期は原則的に春季とすること。
  7. 以上1から6を満たす競走は国内において本競走のみとすること。

という7大原則のもと4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定の定量の重賞競走東京優駿大競走として創設することを1930年(昭和5年)4月24日に発表、初回登録が同年10月に行われた(牡92頭、牝76頭、計168頭)。第1回は1932年(昭和7年)4月24日目黒競馬場(旧・東京競馬場)の芝2400mで施行された。第1回の競走の模様は発走前の下見所の様子から本馬場入場、表彰式に至るまで、全国へラジオ中継された。

優勝馬の賞金は1万円、副賞として1500円相当の金杯のほか、付加賞13530円が与えられ、合計で2万5000円ほどとなった。従来の国内最高の賞金が連合二哩の6000円であったから、賞金の額も飛び抜けて破格であり、折からの好景気も相まって幼駒の取引価格が跳ね上がった。

また、それまで日本国内では競走馬の年齢を出走資格に定めた競走の開催は限定的[4]であり、2歳(現1歳)からの定期的な登録を要件とする本競走の創設によって、国内における競走馬の生産、育成、競走と種馬(牡牝とも)選抜のサイクルに初めて明確な指針が与えられた。

意義

中央競馬が誇る八大競走の1競走で、皐月賞・菊花賞とで中央競馬の牡馬クラシック三冠競走を構成する。牡馬のクラシック三冠競走として皐月賞は「最もはやい馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と言われるのに対し、東京優駿は「最も幸運な馬が勝つ」という謳い文句がある。これは圧倒的な有力馬と目されていたものが、最大の目標であり世間の注目の集まる本競走において何らかのアクシデント[5]によって勝利を逃したり、出走を断念せざるを得ない事態[6]に見舞われる例が屡見られるのを象徴している[7]桜花賞・皐月賞のどちらかと近年新設されたNHKマイルカップを合わせて変則三冠競走と呼ばれることもある。

日本の競馬における本競走の位置づけは特別である。皐月賞や菊花賞など他の競走はスタンド改築などにより他の競馬場で代替開催されることはあるが、東京優駿は第3回に目黒の競馬場から現在の府中の東京競馬場への移転によるコース変更があっただけで他の競馬場での代替開催は一切行われたことがない。過去に東京競馬場のスタンド改修などがあった時にも時期をずらして施行されている。また、近年は東京競馬場の改修工事を東京優駿の開催は変更しない前提で日程を組んでいる。これは前述の7大原則の7の「以上1から6を満たす競走は国内において本競走のみとすること」に基づいているからである[8]

創設期には国内に比肩のない大競走であり、その後競走体系の整備が進むにつれて「二大競走」、「五大競走」、「八大競走」等と称されてきたが、常にその中核をなし、国内での最高賞金を誇っていた。後に、一年の活躍馬を集めて年末に行われる有馬記念や海外の活躍馬を招待して開催されるジャパンカップに賞金面では譲り、公式な格付においても専ら外国の馬[9]に対する出走制限を理由に国際統一規格に基づく格付から外れ、この格付上は国内の他の多くの競走よりも下位におかれるようになった(興行上は独自の格付であるJpnIとして名目上の最高格を維持した。2010年からは正式に国際規格に基づく最高格のGIと認定される見込みである。)。さらに近年、本競走を頂点とする従来の国内の競走体系から、様々な距離体系等の分野別のチャンピオンを選別する体系に遷移し、必ずしも全ての競走馬が本競走を目指すという状況ではない。しかしながら、しばしば、ある年の一年の競馬を端的に表す場合には有馬記念やジャパンカップの優勝馬や年度代表馬ではなく、その年の本競走の優勝馬が挙げられ[10]、日本競馬界の象徴であり最大級の目標であるという点については創設以来の価値を保っている。

主要な変遷

1932年(昭和7年)に目黒競馬場で第1回開催。1周1600mのコースを1周半した。

1934年(昭和9年)からは目黒競馬場の廃止により東京競馬場に施行場を変更。これ以後「東京競馬場2400m」の条件は現在まで1度も変更されていない。

1938年(昭和13年)からは前年の帝国競馬協会解散に伴う日本競馬会への移管により名称を東京優駿競走に変更、また日本競馬会による「4歳(現3歳)5大競走」の形成に伴い同年に新設された京都農林省賞典4歳呼馬阪神優駿牝馬1939年(昭和14年)に新設された横濱農林省賞典4歳呼馬中山4歳牝馬特別とともに日本のクラシック競走を確立するとともにイギリスのクラシック三冠競走を範して4歳(現3歳)のクラシック三冠競走も形成、クラシック三冠競走の第2戦として位置付けられ、また4歳(現3歳)の競走馬及び日本中のホースマンの憧れ及び目標となり競馬ファンからは「競馬の祭典」とも言われる大競走として位置付けられた。また、戦前は阪神優駿牝馬が秋の開催であったため牝馬の出走も多かった。

1944年(昭和19年)は太平洋戦争(戦時中)の影響で勝馬投票券の販売なしの競馬開催の中、能力検定競走として施行、1945年(昭和20年)・1946年(昭和21年)は太平洋戦争および終戦におけるアメリカ進駐軍の競馬場の占領により開催中止、1947年(昭和22年)からは前年の10月17日からの国営競馬再開に伴い他のクラシック競走(桜花賞・農林省賞典・優駿牝馬・農林省賞典4歳馬)と天皇賞(春・秋)とともに再開された。

1948年(昭和23年)からは名称を優駿競走に変更、1949年(昭和24年)からは日本競馬会の運営が独占禁止法に触れるとの声から日本競馬会の解散及び国営競馬へ移管した。

1950年(昭和25年)からは名称を現在の「東京優駿」に変更、また「日本ダービー」という副称も付けられ正式名称を超える競馬の代名詞ともいえる認知度に至った。

1953年(昭和28年)は本競走で初のNHKによるテレビ中継を行った。

1968年(昭和43年)は東京競馬場のスタンド改築工事による順延開催で7月7日に、また1972年(昭和47年)もストライキや流行性の馬インフルエンザの影響で7月9日に順延開催し両年の本競走は7月に施行されたことから「七夕ダービー」と呼ばれた。

1974年(昭和49年)からは競馬関係者による不祥事などから枠順抽選がマスコミに公開されるようになり、1984年(昭和59年)からはグレード制施行により最高位のGIに格付けされる。1993年平成5年)には徳仁親王小和田雅子の御結婚を祝い皇太子殿下御成婚奉祝の副称が付けられ、1995年(平成7年)からは指定競走となり、地方競馬所属の競走馬も出走可能になった。

1995年(平成7年)までは5月最終週の日曜日の開催だったが1996年(平成8年)に高松宮杯(現・高松宮記念)がGIに格付けされ開催時期が優駿牝馬(オークス)の前週に繰り上げられたことに伴い、6月第1日曜に開催日を変更(それに伴って優駿牝馬(オークス)が5月最終日曜に繰り下げ)した。しかし2000年(平成12年)に高松宮記念の開催が3月最終日曜に再度繰り上げられたため、本競走の開催は元の5月最終週の日曜日に戻った。ただし、2003年(平成15年)からは6月1日が日曜日の場合に限り、5月最終日曜ではなく6月1日に開催されることになった。これまで12月27日までに開催されていた有馬記念28日に開催されることになり、全体の日程が繰り下がったためである。

2001年(平成13年)からは外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環により総収得賞金額上位2頭の外国産馬が出走可能になり、2005年(平成17年)からは青葉賞での優先出走権の取得を設けたことにより上位4頭に拡大され2006年(平成18年)はさらに上位5頭までに拡大された。これによりクロフネシンボリクリスエスといった後に日本を代表する外国産馬も出走したが2009年(平成21年)まで外国産馬の優勝馬は出ておらず、2002年(平成14年)にシンボリクリスエスが2着に入ったのが最高成績である。

2010年には国際競走となり、外国調教馬の出走が可能になる。それに伴い、2007年(平成19年)からJpnIで施行されていた格付けがGIに戻ることとなった。

現在の優勝レイの配色は赤色地に金色文字となっている。

歴史

年表

1932年の第1回東京優駿大競走(右・ワカタカ 左・オオツカヤマ)
1932年の第1回東京優駿大競走(右・ワカタカ 左・オオツカヤマ)
  • 1932年 - 目黒競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)牡馬・牝馬の別定の重賞競走「東京優駿大競走」として創設。
  • 1934年 - 施行場を東京競馬場の芝2400mに変更。
  • 1935年 - シアンモアが種牡馬として史上初の3連覇。
  • 1936年 - 単勝5番人気のトクマサが優勝、同競走史上初の単勝払戻し限度額200円の配当を記録。
  • 1937年 - ヒサトモが牝馬として史上初の制覇。2着サンダーランドも牝馬。
  • 1938年 - 名称を「東京優駿競走」に変更。
  • 1939年 - 中山4歳牝馬特別・横濱農林省賞典4歳呼馬・阪神優駿牝馬・京都農林省賞典4歳呼馬と共にクラシック競走体系を確立。
  • 1943年
    • クリフジが牝馬として2頭目の制覇。
    • クリフジ鞍上の前田長吉が、東京優駿史上最年少勝利記録となる20歳3ヶ月での勝利(2009年現在)。
  • 1944年 - 能力検定競走として施行(馬券発売なし・観客は少数の軍人と馬主など関係者200名ほどのみ)。
  • 1945年 - 太平洋戦争の戦況激化により中止。
  • 1946年 - アメリカ進駐軍の競馬場占領により中止。
  • 1947年 - マツミドリが優勝、父・カブトヤマ(1933年・第2回)との史上初の父仔制覇。
  • 1948年 - 名称を「優駿競走」に変更。
  • 1949年
    • 単勝19番人気のタチカゼが優勝、単勝5万5430円の史上最高額の払い戻しを記録。
    • 激しい大混戦のために競走中の馬群の各所で混乱が起き、競走後に騎乗した騎手全員が裁決室に呼び出されて戒告を受ける。
  • 1950年
    • 名称を「東京優駿」に変更。
    • 日本ダービーの副称が付く。
  • 1953年
    • 史上最多の33頭が出走する。なお出走登録は35頭で、当日2頭が出走を取り消した。またレース中に3頭が落馬した。
    • 日本放送協会(NHK)によるテレビ中継が始まる。
  • 1954年 - 元地方大井所属のゴールデンウエーブが中央競馬転厩馬として史上初の優勝、父:ミナミホマレに継ぐ史上2頭目の父子制覇。
  • 1956年 - 1コーナーで俗に言う「エンメイ事故」が起きる。馬主であった作家の吉川英治はエンメイの死と鞍上の阿部正太郎の騎手生命を絶たれる瀕死の重傷に大きなショックを受け、程なく競馬界から身を退く。
  • 1958年
  • 1960年
    • 前年の9月1日から日本競馬の計時方式の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
    • バリヤー式スタートによる発走は本年まで。
  • 1961年 - スターティングゲートの採用により出走可能頭数を32頭に設定する。
  • 1968年 - 東京競馬場の施設改修工事により、施行期日を7月7日に設定。
  • 1969年
  • 1971年 - ヒカルイマイ騎乗の田島良保が戦後最年少となる23歳7か月にて優勝騎手となる。
  • 1972年 - ストライキ及び流行性の馬インフルエンザによる関東地区中央競馬開催中止の影響により、施行期日が7月9日に順延。
  • 1974年
  • 1977年 - ラッキールーラが優勝し、管理調教師の尾形藤吉が、調教師として当競走最多の8勝目を記録。
  • 1983年 - メジロモンスニーの2着入線により初めて8枠の馬が連対する。
  • 1984年 - グレード制施行によりGIに格付けされる。
  • 1986年 - 出走可能頭数を28頭から24頭に削減する。
  • 1988年 - 馬名入りゼッケンが採用される(前年1987年秋よりジャパンカップ以外のGIにも馬名入りゼッケンの拡大を行うことによるもの)。
  • 1989年
  • 1990年
    • 出走可能頭数を22頭に変更。
    • 世界最高となる入場者数19万6571人を記録する[11]
  • 1991年
    • トウカイテイオーが優勝し、父:シンボリルドルフに継ぐ史上4頭目の父子制覇。同時に8枠初の優勝。
    • 出走可能頭数を20頭に変更。
    • 入場券が前売り販売のみとなる(前年の19万人動員をきっかけに入場者の混雑防止を図る観点から。その後他の主要GI競走でも行われた)。
      • その後2002年からは前売入場券を入手できなかった者でも開門30分を過ぎると一般入場券または回数入場券で入場できるようになったが、記念入場券の前売り制度自体は2006年まで続いた。
  • 1992年 - 出走可能頭数を現在の18頭に削減する。
  • 1993年 - 皇太子殿下御成婚奉祝の副称が当年のみ付く。
  • 1994年 - ゼッケンの縁に金糸の刺繍が施されるようになる。
  • 1995年 - 指定交流競走となり、地方所属馬にも門戸が開放される。
  • 1999年 - 武豊騎手として史上初の連覇。
  • 2001年
    • 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳牡馬・牝馬」から「3歳牡馬・牝馬」に変更。
    • 外国産馬の出走枠が制限付きで最大2頭まで出走可能となる。
  • 2002年
    • 当時の内閣総理大臣小泉純一郎が観戦。
    • 武豊が騎手として史上初の本競走3勝目。
    • この年より東京競馬第10競走として施行。
  • 2003年 - ミルコ・デムーロ外国人騎手として史上初の優勝。
  • 2004年
  • 2005年
    • 外国産馬の出走枠を最大4頭に拡大。
    • 武豊が騎手として史上初の本競走4勝目。
  • 2006年 - 外国産馬の出走枠を最大5頭に拡大。
  • 2007年
    • 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIに変更。
    • 外国産馬の出走枠を最大6頭に拡大。
    • 記念入場券の前売販売を廃止し(フジビュースタンドの完成にともない観覧スペースが十二分に取れたことによる)、当日発売のみになる。
    • 皇太子がレースを台覧。
    • 当時の内閣総理大臣安倍晋三が観戦。
    • ウオッカが牝馬として3頭目の制覇並びに、父:タニノギムレットに継ぐ史上5頭目の父子制覇にしてかつ史上初の父娘制覇。
  • 2008年
    • 外国産馬の出走枠を最大7頭に拡大。
    • 当年のみ、JRAプレミアムの対象レースとなる。
    • 四位洋文騎手として2人目の連覇を果たすと共に騎手として史上初めて牡馬、牝馬の両方で制覇。
  • 2009年
  • 2010年 - 国際競走として施行予定。実現すれば重賞格付け表記が2006年以来4年ぶりにGIに戻ることになる。

歴代優勝馬

回数開催日優勝馬性齢勝時計優勝騎手管理調教師馬主
第1回1932年4月24日ワカタカ牡32:45 2/5函館孫作東原玉造乾鼎一
第2回1933年4月23日カブトヤマ牡32:41 0/5大久保房松前川道平
第3回1934年4月22日フレーモア牡32:45 2/5大久保亀治尾形景造土田荘助
第4回1935年4月29日ガヴアナー牡32:42 1/5井川為男布施季三高橋錬逸
第5回1936年4月29日トクマサ牡32:42 1/5伊藤正四郎尾形景造山中清兵衛
第6回1937年4月29日ヒサトモ牝32:33 3/5中島時一宮崎信太郎
第7回1938年5月29日スゲヌマ牡32:33 2/5中村  広千明賢治
第8回1939年5月28日クモハタ牡32:36 1/5阿部正太郎田中和一郎加藤雄策
第9回1940年6月2日イエリユウ牡32:34 2/5末吉清石門虎吉石田一
第10回1941年5月18日セントライト牡32:40 1/5小西喜蔵田中和一郎加藤雄策
第11回1942年5月24日ミナミホマレ牡32:33 0/5佐藤邦雄東原玉造池得次
第12回1943年6月6日クリフジ牝32:31 4/5前田長吉尾形景造栗林友二
第13回1944年6月18日カイソウ牡32:39 1/5橋本輝雄久保田金造有松鉄三
第14回1947年6月8日マツミドリ牡32:35 0/5田中康三茂木為二郎松末博光
第15回1948年6月6日ミハルオー牡32:33 2/5新屋幸吉上村大治郎石川了吉
第16回1949年6月5日タチカゼ牡32:33 4/5近藤武夫伊藤勝吉熊谷八郎
第17回1950年6月11日クモノハナ牡32:44 2/5橋本輝雄鈴木勝太郎北竹清剛
第18回1951年6月3日トキノミノル牡32:31 1/5岩下密政田中和一郎永田雅一
第19回1952年5月25日クリノハナ牡32:31 4/5八木沢勝美尾形藤吉栗林友二
第20回1953年5月24日ボストニアン牡32:34 3/5蛯名武五郎増本勇岡本治一
第21回1954年5月23日ゴールデンウエーブ牡32:34 4/5岩下密政藤本冨良川俣欣也
第22回1955年5月29日オートキツ牡32:36 3/5二本柳俊夫大久保房松川口鷲太郎
第23回1956年6月3日ハクチカラ牡32:36 1/5保田隆芳尾形藤吉西博
第24回1957年5月26日ヒカルメイジ牡32:31 0/5蛯名武五郎藤本冨良新田松江
第25回1958年5月25日ダイゴホマレ牡32:31 1/5伊藤竹男久保田金造醍醐幸右衛門
第26回1959年5月24日コマツヒカリ牡32:38 1/5古山良司大久保房松小松重雄
第27回1960年5月29日コダマ牡32:30.7栗田勝武田文吾伊藤由五郎
第28回1961年5月28日ハクシヨウ牡32:30.2保田隆芳尾形藤吉西博
第29回1962年5月27日フエアーウイン牡32:31.2高橋英夫松山吉三郎溝本儀三男
第30回1963年5月26日メイズイ牡32:28.7森安重勝尾形藤吉千明康
第31回1964年5月31日シンザン牡32:28.8栗田勝武田文吾橋元幸吉
第32回1965年5月30日キーストン牡32:37.5山本正司松田由太郎伊藤由五郎
第33回1966年5月29日テイトオー牡32:31.1清水久雄増本勇北村平三郎
第34回1967年5月14日アサデンコウ牡32:30.9増沢末夫藤本冨良手塚栄一
第35回1968年7月7日タニノハローモア牡32:31.1宮本悳戸山為夫谷水信夫
第36回1969年5月25日ダイシンボルガード牡32:35.1大崎昭一柴田寛高橋金次
第37回1970年5月24日タニノムーティエ牡32:30.0安田伊佐夫島崎宏谷水信夫
第38回1971年6月13日ヒカルイマイ牡32:31.6田島良保谷八郎鞆岡達雄
第39回1972年7月9日ロングエース牡32:28.6武邦彦松田由太郎中井長一
第40回1973年5月27日タケホープ牡32:27.8嶋田功稲葉幸夫近藤たけ
第41回1974年5月26日コーネルランサー牡32:27.4中島啓之勝又忠久保谷唯三
第42回1975年5月25日カブラヤオー牡32:28.0菅原泰夫茂木為二郎加藤よし子
第43回1976年5月30日クライムカイザー牡32:27.6加賀武見佐藤嘉秋(有)三登
第44回1977年5月29日ラッキールーラ牡32:28.7伊藤正徳尾形藤吉吉原貞敏
第45回1978年5月28日サクラショウリ牡32:27.8小島太久保田彦之(株)さくらコマース
第46回1979年5月27日カツラノハイセイコ牡32:27.3松本善登庄野穂積桂土地(株)
第47回1980年5月25日オペックホース牡32:27.8郷原洋行佐藤勇ホース産業(株)
第48回1981年5月31日カツトップエース牡32:28.5大崎昭一菊池一雄勝本正男
第49回1982年5月30日バンブーアトラス牡32:26.5岩元市三布施正竹田辰一
第50回1983年5月29日ミスターシービー牡32:29.5吉永正人松山康久千明牧場
第51回1984年5月27日シンボリルドルフ牡32:29.3岡部幸雄野平祐二シンボリ牧場
第52回1985年5月26日シリウスシンボリ牡32:31.0加藤和宏二本柳俊夫和田共弘
第53回1986年5月25日ダイナガリバー牡32:28.9増沢末夫松山吉三郎(有)社台レースホース
第54回1987年5月31日メリーナイス牡32:27.8根本康広橋本輝雄浦房子
第55回1988年5月29日サクラチヨノオー牡32:26.3小島太境勝太郎(株)さくらコマース
第56回1989年5月28日ウィナーズサークル牡32:28.8郷原洋行松山康久栗山博
第57回1990年5月27日アイネスフウジン牡32:25.3中野栄治加藤修甫小林正明
第58回1991年5月26日トウカイテイオー牡32:25.9安田隆行松元省一内村正則
第59回1992年5月31日ミホノブルボン牡32:27.8小島貞博戸山為夫(株)ミホノインターナショナル
第60回1993年5月30日ウイニングチケット牡32:25.5柴田政人伊藤雄二太田美實
第61回1994年5月29日ナリタブライアン牡32:25.7南井克巳大久保正陽山路秀則
第62回1995年5月28日タヤスツヨシ牡32:27.3小島貞博鶴留明雄横瀬寛一
第63回1996年6月2日フサイチコンコルド牡32:26.1藤田伸二小林稔関口房朗
第64回1997年6月1日サニーブライアン牡32:25.9大西直宏中尾銑治宮崎守保
第65回1998年6月7日スペシャルウィーク牡32:25.8武豊白井寿昭臼田浩義
第66回1999年6月6日アドマイヤベガ牡32:25.3武豊橋田満近藤利一
第67回2000年5月28日アグネスフライト牡32:26.2河内洋長浜博之渡辺孝男
第68回2001年5月27日ジャングルポケット牡32:27.0角田晃一渡辺栄齊藤四方司
第69回2002年5月26日タニノギムレット牡32:26.2武豊松田国英谷水雄三
第70回2003年6月1日ネオユニヴァース牡32:28.5M.デムーロ瀬戸口勉(有)社台レースホース
第71回2004年5月30日キングカメハメハ牡32:23.3安藤勝己松田国英金子真人
第72回2005年5月29日ディープインパクト牡32:23.3武豊池江泰郎金子真人
第73回2006年5月28日メイショウサムソン牡32:27.9石橋守瀬戸口勉松本好雄
第74回2007年5月27日ウオッカ牝32:24.5四位洋文角居勝彦谷水雄三
第75回2008年6月1日ディープスカイ牡32:26.7四位洋文昆貢深見敏男
第76回2009年5月31日ロジユニヴァース牡32:33.7横山典弘萩原清久米田正明

東京優駿の記録

  • レースレコード - 2:23.3(第71回優勝馬キングカメハメハ・第72回優勝馬ディープインパクト)
  • 2着との最大着差 - 8馬身(第10回優勝馬セントライト・第22回優勝馬オートキツ)
  • 最高出走数 - 33頭(第20回)
  • 単勝最高支持率 - 73.4%(第72回ディープインパクト・単勝1.1倍)
  • 単勝最低支持率勝利 - 72票(第16回優勝馬タチカゼ・単勝554.3倍・19番人気)
  • 東京競馬場の1日の総入場者数 - 19万6571人(競馬の総入場者数世界最高記録・第57回)
  • 東京競馬場の1競走の勝馬投票券最高売上げ - 567億8692万400円(第57回)
  • 最多勝利調教師 - 尾形藤吉(旧名・景造) 8勝(第3・5・12・19・23・28・30・44回)
  • 最多勝利騎手 - 武豊 4勝(第65・66・69・72回)
  • 最年少勝利騎手 - 前田長吉 20歳3ヶ月(第12回)
  • 連覇騎手 - 武豊(第65・66回)、四位洋文(第74・75回) それぞれ2連覇
  • 最多勝利種牡馬 - トウルヌソル 6勝(第1回ワカタカ、第5回トクマサ、第6回ヒサトモ、第8回クモハタ、第9回イエリユウ、第12回クリフジ)、サンデーサイレンス 6勝(第62回タヤスツヨシ、第65回スペシャルウィーク、第66回アドマイヤベガ、第67回アグネスフライト、第70回ネオユニヴァース、第72回ディープインパクト)

史上初あれこれ

  • 無敗のダービー馬 フレーモア(第3回)
  • 牝馬 ヒサトモ(第6回)
  • 父持込馬 カイソウ(第13回)
  • 2勝した騎手 橋本輝雄(第13・17回)
  • 公営出身馬 ゴールデンウエーブ(第21回)
  • 持込馬 ヒカルメイジ(第24回)
  • 1競走の勝馬投票券売上げ100億円初突破 118億7436万円(第41回)
  • 父子騎手による制覇
    • 父:中島時一(第6回 ヒサトモ)/子:中島啓之(第41回 コーネルランサー)
  • 芦毛馬 ウィナーズサークル(第56回)
  • 連覇した騎手 武豊(第65・66回)
  • 3勝以上した騎手 武豊(第65・66・69・72回)
  • 外国人騎手による制覇 ミルコ・デムーロ(第70回)
  • 所有馬が連覇した馬主 金子真人(第71・72回)[12]
  • 牡馬・牝馬の両方で制覇した騎手 四位洋文(第74・75回)

父仔制覇

ダービー馬はダービー馬から(生まれる)」と言う競馬界での格言があるが、東京優駿父仔優勝は6組が達成している。

父馬名優勝回仔馬名優勝回
1組目カブトヤマ第2回マツミドリ第14回
2組目ミナミホマレ第11回ゴールデンウエーブ第21回
3組目ミナミホマレ第11回ダイゴホマレ第25回
4組目シンボリルドルフ第51回トウカイテイオー第58回
5組目タニノギムレット第69回ウオッカ第74回
6組目ネオユニヴァース第70回ロジユニヴァース第76回

1~4、6組目は息子との組み合わせだが5組目のタニノギムレット - ウオッカはとの組み合わせであり、この組み合わせは史上初のことである。
また4組目のシンボリルドルフとトウカイテイオーはともにデビュー以来無敗での東京優駿制覇であり、皐月賞と併せてデビュー以来無敗での春のクラシック二冠制覇である。

東京優駿に出走して敗れた馬の産駒が東京優駿を制しているのは

父馬名出走回着順仔馬名優勝回
トサミドリ第16回7着コマツヒカリ第26回
ハイセイコー第40回3着カツラノハイセイコ第46回
トウショウボーイ第43回2着ミスターシービー第50回

の3組ある。他にも東京優駿不出走の日本調教馬が父として産駒が東京優駿を制した例として、

父馬名仔馬名優勝回
マルゼンスキーサクラチヨノオー第55回
アグネスタキオンディープスカイ第75回

がある(日本で未出走の馬は除く)。

兄弟制覇

過去に2組の兄弟制覇の例がある。以下は母馬から見た兄弟に限る。

兄馬名優勝回弟馬名優勝回母馬名
1組目カブトヤマ第2回ガヴアナー第4回アストラル
2組目ヒカルメイジ第24回コマツヒカリ第26回イサベリーン

なお、1組目のカブトヤマとガヴアナーは父馬も同じ全兄弟である。

デビューから無敗制覇

過去に10頭がデビューから無敗で東京優駿を制覇しているが、ガヴアナー、トキノミノルは東京優駿後は不出走。クリフジは11戦無敗を保った。

優勝回馬名東京優駿
終了時の成績
生涯成績
1第3回フレーモア3戦3勝13戦7勝
2第4回ガヴアナー3戦3勝3戦3勝
3第12回クリフジ3戦3勝11戦11勝
4第18回トキノミノル10戦10勝10戦10勝
5第27回コダマ7戦7勝17戦12勝
6第51回シンボリルドルフ6戦6勝16戦13勝
7第58回トウカイテイオー6戦6勝12戦9勝
8第59回ミホノブルボン6戦6勝8戦7勝
9第63回フサイチコンコルド3戦3勝5戦3勝
10第72回ディープインパクト5戦5勝14戦12勝

騎手の父子制覇

優勝回優勝回
1組目中島時一第6回(ヒサトモ)中島啓之第41回(コーネルランサー)
2組目伊藤正四郎第5回(トクマサ)伊藤正徳第44回(ラッキールーラ)
3組目武邦彦第39回(ロングエース)武豊第65回(スペシャルウィーク)、第66回(アドマイヤベガ)、
第69回(タニノギムレット)、第72回(ディープインパクト)

本競走からの菊花賞の制覇

日本の牡馬二冠馬を参照。

トライアル競走

以下は東京優駿の優先出走権の得られる競走。

競走名格付施行競馬場施行距離備考
皐月賞GI中山競馬場芝2000m牡馬牝馬限定・国際競走
青葉賞GII東京競馬場芝2400m国際競走
プリンシパルステークスOP東京競馬場芝2000m指定競走

皐月賞は4着まで(内国産馬、外国産馬問わず)、青葉賞は2着までの牡馬、牝馬(内国産馬、外国産馬問わず)、プリンシパルステークスは優勝馬の牡馬、牝馬(外国産馬はプリンシパルステークスに出走できない)に優先出走権が与えられる。ただし未勝利馬(収得賞金が0の馬)には出走権はないが、未出走馬および未勝利馬も出走できる青葉賞で2着になれば未勝利のまま本競走に出走できる(この場合、収得賞金は1100万円になる)。2009年までは青葉賞は3着、プリンシパルステークスは2着までが優先出走権を得られた。

地方馬は上記の競走で優先出走権を得た馬のほか、京都新聞杯(GII 京都競馬場芝2200m)の2着までに入った馬のみ出走できる。

エピソード

  • 最年少勝利騎手は第12回を優勝した前田長吉の20歳3か月。日本中央競馬会成立以後に限ると、第38回を優勝した田島良保の23歳7か月。
  • 長年ダービーの最多勝利ジョッキーは2勝が大多数で連覇達成もなかなかできない状態だったが1998年に初優勝を達成した武豊騎手が1999年に史上初の2連覇、2002年に新記録の通算3勝目(2005年に4勝に伸ばしこれが現状のレースレコード)を達成した。なお連覇は2008年まで武豊と四位洋文(2007、2008年)しか達成していない。
  • フルゲートが20頭台後半(1970年代で概ね28頭。多い年は30頭を超すこともあった)であった1990年頃まではテレビによく映るからとの理由で距離がもたないと分かりながらも大逃げを打つテレビ馬と呼ばれる馬が存在した。そのため東京優駿は概ねハイペースとなった。また、その頃まで第1コーナーに入る時点での10番手以内は「ダービーポジション」と呼ばれ、大外枠(8枠)は勝てないという至極真っ当なジンクスもあった。そのジンクスが破られたのはフルゲートが20頭となった1991年で、この年の勝ち馬トウカイテイオーの枠番は8枠20番だった(1992年からは馬番連勝複式勝馬投票券の導入に伴う法令上の都合から出走頭数制限がなされ、最大18頭までの出走となる)。
  • 本競走の優勝馬の中にはその後故障による早期引退や成績不振に喘いでいる馬が多いのに対し(グレード制導入の1984年以降の勝ち馬で古馬になってからもGI競走を制したのはシンボリルドルフ(1984年)・トウカイテイオー(1991年)・スペシャルウィーク(1998年)・ディープインパクト(2005年)・メイショウサムソン(2006年)・ウオッカ(2007年)の6頭のみ[13])、2着入賞馬はその後1着馬以上に活躍・出世するケースが近年顕著になってきている。1984-2007年の2着入賞馬24頭のうち実に14頭がその後GI競走を制しており、さらにその内のメジロライアン(1990年)・ライスシャワー(1992年)・ビワハヤヒデ(1993年)・ジェニュイン(1995年)・シルクジャスティス(1997年)[14]ダンツフレーム(2001年)・シンボリクリスエス(2002年)・ゼンノロブロイ(2003年)・ハーツクライ(2004年)の9頭が古馬GI競走を制している[15][16]
  • 優勝馬の血統面に関してもかなり由緒の高い一面がありトニービンの初年度産駒がクラシック世代に到達した1993年以降、1996年のフサイチコンコルドと2004年のキングカメハメハ以外は三大種牡馬(サンデーサイレンス・トニービン・ブライアンズタイム)の直仔・孫が優勝している。2003年のダービーではサンデーサイレンス系(直仔または孫)の馬が掲示板を独占することとなった。 
  • 例年、東京優駿のファンファーレ、表彰式の演奏は陸上自衛隊中央音楽隊が担当している(他にもジャパンカップや年度にもよるが有馬記念でも同様に演奏を担当している場合がある)。なお、ファンファーレは競走の出走可能頭数と同じ18人で演奏する。
  • 中央競馬の3歳クラシック競走ではゼッケンは紺地に黄色の数字のものを使用するが、本競走に限り「伝統ある競走」という意味合いから一般競走と同様の白地に黒の数字のものを用いる。ただし一般競走のそれと異なり、金糸による縁取りが1994年から施されている。また馬番の下に記載されるものはスタンド側から見えるものについては馬名、内馬場側から見えるものについては第○○回日本ダービーの表示である。なお、その他のGI競走で使用されるゼッケンは紺地に白色の数字を用いたものである。また、馬名が併記されるようになったのは1988年以降である(それまでは馬名入りゼッケンはジャパンカップ(1983年の第3回より使用)のみであった)。
  • 競走馬輸送を行う日本馬匹輸送自動車は馬運車に東京優駿の歴代優勝馬の名前をつけている(最近は名前が足りなくなり顕彰馬の名前をつけているものもある)。
  • 中央競馬ではほとんどのGI競走は第11競走で施行される[17]が、東京優駿当日は全体の競走数ならびにメインとなる本競走の競走番号が他の競走と異なる[18]。1989〜2001年までは当日は全部で10競走で東京優駿は第9競走で行われていた。2002年からは全体で1競走増加し当日は11競走行われ、東京優駿は第10競走で行われていた。2006年からは東京優駿当日についても全体で12競走行われるようになり、最終12競走に目黒記念薄暮競走として実施するようになったが、東京優駿は2005年までと同様第10競走で行われる。通常の日程と勘違いして勝馬投票券を第11競走のものを購入してしまう観客も度々見られる。購入の際には注意が必要である。また馬券を発売している施設では注意喚起の放送が繰り返される。
  • 2005年までの段階でデビュー戦を小倉競馬場で迎えた競走馬が東京優駿を制した例は無かったが、2006年の本競走においてメイショウサムソンが小倉デビューの競走馬として史上初めて優勝した。
  • 2009年現在、クラシック競走で唯一連覇した調教師がいない。本競走を8勝した尾形藤吉でさえ成し得なかった。
  • 2006年12月、1997年にサニーブライアンで制した大西直宏が騎手を引退したことにより美浦トレーニングセンターに所属する現役ダービージョッキーが不在になる事態となり[19]、2009年に横山典弘ロジユニヴァースで勝つまで続いた。横山の勝利まで美浦トレーニングセンター、またそれ以前の関東圏の競馬場に厩舎が所属していた時代も含めて関東圏に籍を置く現役ダービージョッキーが不在になるという事態は日本近代競馬のクラシック路線の成立後、史上初の事態であった。

地方競馬の「ダービー」

ダービー (競馬)#東アジアのダービーを参照。

ダービーフェスティバル

東京優駿の開催気運を盛り上げるために1983年から毎年開かれている日本中央競馬会主催のイベントである。

毎年、東京優駿が開催される週(原則5月最終日曜日)の月曜日に東京都内で開かれるこのイベントでは、その年の東京優駿に出走が予定されている注目馬の騎手や競馬愛好家のタレント、新聞・放送マスコミに携わる競馬ジャーナリストが一堂に会し東京優駿のレース展望会や騎手インタビュー、クイズ大会などで盛り上がっている。なお2005年度は主催者の都合により都内ではこのイベントは行わずに、東京競馬場内でのサービスの拡充に費やした。

またダービーを題材にしたイベントが主としてダービーウィークの平日を中心に全国各地で展開されており、新潟市において「ダービーフェスティバル(西暦年数)」が新潟競馬場新潟放送の共催で毎年行われる。なお、現在イベントの形で残っているダービーフェスティバルはこの新潟で行われているものだけである。2005年度は2004年の有馬記念フェスティバルを受けて新潟でも元JRA職員で格闘家の小川直也が招かれた。

その他

  • 東京優駿開催に因んで1988年より同競走開催日を「ダービーデー」と称し、東京優駿制覇騎手のみが騎乗出来るダービージョッキーズステークスと東京優駿優勝馬の産駒のみが出走できるダービースタリオンズステークス(ともに準オープン)という競走が開催されていたがともに出走対象が激減していたために現在は廃止された。
  • 現在の中央競馬では草木の名前を冠した競走は3歳(あるいは2歳)馬限定で行われるが、本競走の前に行われる「むらさき賞」に限っては例外で4歳以上の競走として施行される。
  • 発走前に国歌独唱が行われる。

脚注

  1. ^ 1961年の主要大レースの賞金は東京優駿700万円。天皇賞、有馬記念、菊花賞が500万円。皐月賞優駿牝馬が400万円。桜花賞中山大障害が300万円。宝塚記念が200万円。安田記念が150万円。
  2. ^ 公式な名称には付されていないものの、1932年の設立当初より「日本ダービー」と呼ばれ、後述のラジオ中継でも終始「日本ダービー」と称されている。
  3. ^ 安田は明治の競馬創設期より日本ダービー開催の構想を抱いており、1923年(大正12年)の競馬法発布の頃から本競走の開催を企図したが、当時は国内の有力な競走馬生産牧場が宮内省の下総御料牧場と三菱財閥の小岩井農場に限られており、他の民間の有力牧場が育つまで時期を待っていた。
  4. ^ 「新馬」と「古馬」の区別は馬齢ではなく出走経験の有無に拠っていた。
  5. ^ 多い年では30頭を超す出走頭数があり、有力でも他馬が邪魔になったり、抽選で外側や内側の発走枠となると大きな不利を被った。
  6. ^ 1934年、前年の優勝馬を相手に前走でレコード勝ちした3戦無敗のミラクルユートピアが本競走当日の朝に脱臼し、引退となった。
  7. ^ ほかにも、1935年のガヴァナーや1951年のトキノミノルは本競走優勝後に急逝している。もちろん実際には、本競走に限らずこうしたアクシデントは常に起きているが、こうしたフレーズができるほど本レースが特別に世間一般の耳目を集める顕れである。
  8. ^ このため、1968年(スタンド改修による開催延期)と1972年馬インフルエンザ蔓延で関東での開催が一時中止になったうえに厩務員ストライキも行われた為)に関しては本来の5月に皐月賞が行われ、ダービーは7月に開催時期を延期しており「七夕ダービー」といわれる。
  9. ^ 時期によって異なるが、日本国外で種付され日本国内で出産された馬、日本国外で生産された馬、日本国外で調教された馬が制限の対象となってきた。
  10. ^ 単に、有馬記念やジャパンカップ、年度代表馬は同じ馬が複数年に名が出る可能性があるのに対し、本競走の優勝馬は必ず毎年変わるという、実際上の利便性によるという事情もある。
  11. ^ JRAの競馬場においては再入場する際には新たに入場券が必要となること(地方競馬では再入場する際は退場時に再入場券を取得すれば新たに入場券を購入する必要はない)、また東京優駿発走前に退場したものも少なからずいるため東京優駿発走時に19万人が競馬場に滞留していたわけではないことに留意すべきである。
  12. ^ 「実質的な」と形容詞をつけると第51・52回の和田共弘・シンボリ牧場がある。
  13. ^ ダイナガリバー(1986年)とナリタブライアン(1994年)はその後のGI制覇が3歳(旧4歳)時の制覇のみで古馬になってからのGI制覇はない(ダイナガリバーは有馬記念、ナリタブライアンは菊花賞と有馬記念)。
  14. ^ ただし、シルクジャスティスは3歳(旧4歳)時に古馬GI競走(有馬記念)を制しているが古馬になってからのGI制覇はない。
  15. ^ レオダーバン(1991年)・ダンスインザダーク(1996年)・ナリタトップロード(1999年)・エアシャカール(2000年)・アサクサキングス(2007年)はその後菊花賞を制したが古馬GIを制していない(2008年シーズン終了時点でアサクサキングスは現役)。
  16. ^ 1997年と2003年は3着馬もGI競走を制している(メジロブライト(1997年)は1998年の天皇賞(春)、ザッツザプレンティ(2003年)は同年の菊花賞)。
  17. ^ 1日の競走数が12にほぼ固定されるようになった1998年以降。
  18. ^ 他にジャパンカップ(例年第10競走だが2004年は第11競走)と有馬記念(1988年から2007年まで第9競走だったが2008年からは第10競走)開催日は競走数が少ない。
  19. ^ 1998年以降2008年まで11年連続で栗東トレーニングセンター所属の騎手(2003年優勝M.デムーロも優勝時は関西から参戦)が勝利した。大西直宏以前は1993年の柴田政人

関連項目


参考文献

  • 『日本競馬史』 日本中央競馬会、1969年。
  • 長森貞夫 『安田伊佐衛門翁傳』 日本競馬舎、1948年。

東京優駿


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