崇仁親王妃百合子
| 崇仁親王妃 百合子 | |
|---|---|
| 三笠宮妃 | |
| 身位 | 親王妃 |
| 敬称 | 殿下 |
| お印 | 桐 |
| 出生 | 1923年6月4日(86歳) |
| 配偶者 | 三笠宮崇仁親王 |
| 子女 | 甯子内親王 寬仁親王 宜仁親王 容子内親王 憲仁親王 |
| 父親 | 高木正得 |
| 母親 | 高木邦子 |
| 役職 | 日本赤十字社名誉副総裁 母子愛育会総裁 民族衣裳文化普及協会名誉総裁 中宮寺奉賛会名誉総裁 他多数 |
| 日本の皇室 | |
崇仁親王妃百合子(たかひとしんのうひ ゆりこ、1923年6月4日 - )は、日本の皇族で、三笠宮崇仁親王の妃。旧名、高木百合子(たかぎ ゆりこ)。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。お印は桐(きり)。
2004年の高松宮妃喜久子の薨去に伴い、現在存命中の女性皇族の中では最年長者となった。
略歴
昭和16年(1941年)、女子学習院本科(現学習院女子中等科・高等科)を卒業。同年10月3日、納采の儀を経て婚約。1同年10月22日、結婚の儀。2年6ヵ月後の1944年 4月26日に第一女子・甯子内親王が生まれる。その後、寬仁親王、桂宮宜仁親王、容子内親王、高円宮憲仁親王が誕生。
皇室では、1991年より皇室会議の議員を務めたが、2007年9月より予備議員となった。
政府による正式表記(内閣告示や宮内庁告示など)では皇族に宮号が冠されることはない(「皇太子」を除く)ため、それらの告示が掲載される官報での表記は「崇仁親王妃百合子」とされ、「三笠宮」が冠されることはない。ただし、同じ政府による表記であってもホームページなど「国民一般へのわかりやすさ」が重視される場面では「三笠宮妃」の表記も用いられる。
宮内庁の発表(2007年7月10日)によると大腸癌が見つかり、同日、聖路加国際病院で摘出手術を受け、手術は無事成功して順調に回復中である。
家系
高木家は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、江戸時代は河内国丹南藩1万石の大名であった。母・邦子は入江為守子爵の娘で、弟に侍従長・エッセイストとして有名な入江相政がいる(百合子の叔父にあたる)。入江家は藤原北家の支流・冷泉家の流れを汲み、中世の大歌人藤原俊成や藤原定家を祖先とする歌道の家だった。
なお、父の高木正得は華族制度廃止に落魄し、昭和23年(1948年)7月8日、遺書を残して失踪、11月1日に東京都と山梨県の県境にある西多摩郡氷川町(現・奥多摩町)の七ツ石山の中で白骨死体となって発見された(周囲の状況から首つり自殺を遂げたものとされた)。遺書にはインフレ等による生活苦がつづられており、生活力の無い華族が一市民として敗戦後の混乱する社会に放り出されたことによる悲劇として世間の同情を誘ったという。
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