大関

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大関(おおぜき)は、大相撲の階級。 「大関取」が語源とされ、かつては力士の最高位だったが、現在では横綱に次ぐ地位。一般に「三役(力士)」というと、「大関・関脇小結」を指す。三役の最上位であり、制度上の特権も多く、関脇や小結とは区別して扱われることが多い。そのため三役を「関脇・小結」のみを指すこともある。

目次

概要

東西に最低1名ずつ常設され、空位となる場合には横綱力士が「横綱大関」としてその座を兼ねる。それも適わない時には、関脇や小結から繰上げで昇進をさせることになるが、その様な例は近年に無い[1]。江戸時代には大関に適した者が居ない時など看板大関といってただ大きくて見栄えがするというだけの理由で名前だけの大関にしたケースが多かった。

番付編成会議で大関昇進が決定すると、日本相撲協会から使者が派遣され、横綱とほぼ同様な「昇進伝達式」が行われる。新大関は、翌場所の番付発表を待たずに、この時から大関として扱われることになる。なお、大関昇進については、横綱昇進における横綱審議委員会の内規のような明文化された基準があるわけではない。マスコミの報道によると、「3場所連続で三役(関脇・小結)の地位にあって、その通算の勝ち星が33勝以上」というところが近年では大関昇進への基準の目安となっているといわれる[2]

昇進例

最近の例では、1999年平成11年)3月場所新大関・千代大海の直前3場所の成績は、9勝-10勝-13勝(優勝)の合計32勝13敗であった。当時は1994年(平成6年)3月の貴ノ浪武蔵丸の二人同時昇進以来、5年間新大関が誕生しておらず、また千秋楽で本割・決定戦と横綱若乃花に連勝して優勝した内容が、高く評価されたものと思われる。その前には、1985年昭和60年)9月場所新大関の大乃国の直前3場所は、9勝-10勝-12勝の合計31勝14敗だったが、それまで関脇の地位を連続6場所維持し成績も徐々に上回り、また将来性を期待されての昇進であった。さらに遡れば、1966年(昭和41年)9月場所新大関の北の冨士の直前3場所は、8勝-10勝-10勝の合計28勝17敗と、現在なら到底有り得ない甘過ぎる成績での昇進だったが、当時大関は豊山一人しかおらず、早く生きの良い大関誕生を願う相撲協会の思惑からでもあった。

昇進を見送られた例

1972年(昭和47年)3月場所、関脇で優勝した長谷川は、直前3場所は8勝-10勝-12勝の合計30勝15敗の成績を挙げ、当時の基準では大関は確実と思われていた。しかし同3月場所中に大関同士(前の山琴櫻)の対戦で、二人の大関に対し無気力相撲の指摘を受けたことなどにより、相撲協会は大関目前の長谷川に対し「もう1場所見てから」と慎重に判断、不運にも昇進は見送られることになった。次の長谷川の5月場所の成績は8勝7敗と勝ち越したが再度見送られ、翌7月場所は5勝10敗と負け越して平幕へ陥落、結局大関の地位を務めることなく引退となってしまった。

長谷川の例以降は、大関の資質が問題にされることはしばらくなかった。だが、1999年(平成11年)9月場所新大関の出島2000年(平成12年)7月場所新大関の雅山は、二人ともに昇進後、1度も優勝あるいは千秋楽まで優勝争いに絡んでおらず、さらにその後関脇の地位へ陥落したため、大関の安売りと皮肉られたことがあった。それを機に、大関昇進は単なる星数だけではなく、相撲内容も問うこととなった。特にその煽りを食らってしまったのが1度目の大関昇進の機会を逃した琴光喜と、2度目の大関昇進を目指した雅山である。

琴光喜は、2001年(平成13年)9月場所から2002年(平成14年)1月場所までの3場所間、幕内上位の地位で34勝(13勝-9勝-12勝)したが、昇進を見送られた。それは、3場所前が前頭2枚目(13勝2敗で平幕優勝)だったこと、2場所前が9勝と1桁白星であったこと(平成以降に新大関昇進の力士はを除き全て2場所前は10勝以上)、また当時大関陣が4人もいたことが引っ掛かった。さらに大関取りの2002年1月場所で、3敗目を喫した内容があまりにも悪かったほか、自分より遥かに地位の低い相手(前頭8枚目の武雄山)に敗れた理由もあったといわれる。その次の場所、2002年(平成14年)3月場所の琴光喜は勝ち越したが8勝7敗に終わり、またその場所中に顎を骨折し翌5月場所は全休(公傷適用されず)、7月場所は平幕へ陥落となり大関昇進は一旦振り出しとなった。それから5年後の2007年(平成19年)になって、琴光喜は3月場所から7月場所の間、関脇の地位で3場所35勝(10勝-12勝-13勝)を挙げ、数字・内容共に非の打ち所の無い結果を残し、年6場所制以降で史上最年長の新大関昇進をようやく決めた。

雅山は、大関再昇進を目指した2006年(平成18年)7月場所で、3場所合計34勝(10勝-14勝-10勝)を全て三役の地位で挙げた。しかし、「あと1勝欲しかった(平成以降に新大関昇進した力士は直前場所で全て11勝以上しており、10勝止まりは印象が悪い)」のと、当時大関が既に5人いた理由等により、昇進を見送られている。また同じくこの7月場所は、大関(当時)白鵬が横綱にしてもおかしくない星をあげたが、「心太(ところてん)方式」(関脇→大関・大関→横綱への地位に押し出されるという意味の例え)に同時昇進とはならなかった。翌9月場所の雅山は勝ち越したが9勝6敗、11月場所は8勝7敗、翌2007年1月場所は5勝10敗と負け越し平幕へ陥落、結局大関復帰はならなかった。

大関昇進前3場所成績(平成以降)

  • 関:関脇、小:小結
  • 四股名は、それぞれ大関昇進時に名乗っていた当時の名前である。
昇進場所四股名3場所前2場所前直前場所3場所合計
1990年(平成2年)5月場所霧島一博小10勝5敗小11勝4敗△関13勝2敗◯34勝11敗
1992年(平成4年)7月場所曙太郎小13勝2敗△関8勝7敗関13勝2敗◎34勝11敗
1993年(平成5年)3月場所貴ノ花光司小14勝1敗◎関10勝5敗関11勝4敗35勝10敗
1993年(平成5年)9月場所若ノ花勝小14勝1敗◎関10勝5敗関13勝2敗◯37勝8敗
1994年(平成6年)3月場所貴ノ浪貞博関10勝5敗関12勝3敗△関13勝2敗△35勝10敗
武蔵丸光洋関8勝7敗関13勝2敗◯関12勝3敗33勝12敗
1999年(平成11年)3月場所千代大海龍二関9勝6敗関10勝5敗関13勝2敗◎32勝13敗
1999年(平成11年)9月場所出島武春小9勝6敗関11勝4敗関13勝2敗◎33勝12敗
2000年(平成12年)5月場所武双山正士小10勝5敗関13勝2敗◎関12勝3敗△35勝10敗
2000年(平成12年)7月場所雅山哲士小12勝3敗△関11勝4敗関11勝4敗34勝11敗
2000年(平成12年)9月場所魁皇博之小8勝7敗小14勝1敗◎関11勝4敗33勝12敗
2002年(平成14年)1月場所栃東大裕関10勝5敗関12勝3敗△関12勝3敗△34勝11敗
2002年(平成14年)9月場所朝青龍明徳関11勝4敗関11勝4敗△関12勝3敗△34勝11敗
2006年(平成18年)1月場所琴欧州勝紀小12勝3敗△関13勝2敗◯関11勝4敗△36勝9敗
2006年(平成18年)5月場所白鵬翔小9勝6敗関13勝2敗△関13勝2敗◯35勝10敗
2007年(平成19年)9月場所琴光喜啓司関10勝5敗関12勝3敗△関13勝2敗△35勝10敗
2009年(平成21年)1月場所日馬富士公平関10勝5敗関12勝3敗△関13勝2敗◯35勝10敗
  • ☆はのちに横綱。◎は優勝、◯は優勝同点、△は優勝次点。
  • 貴ノ花は関脇まで「貴花田」、大関昇進時に改名。昇進後11場所目の1994年11月場所に「貴乃花」へ改名。
  • 若ノ花は大関昇進3場所前まで「若花田」、2場所前に改名。昇進後8場所目の1994年11月場所に「若乃花」へ改名。
  • 貴ノ浪、武双山、栃東は初めて大関に昇進した時の成績。
  • 琴欧州は、大関昇進後6場所目の2006年11月場所に「琴欧洲」へ改名。
  • 日馬富士は関脇まで「安馬」、大関昇進時に改名。

陥落

かつては1場所で即陥落も制度上存在。実際に1場所で陥落した力士も存在する。2場所連続負け越しでの大関よりの降下は、1927年の東西合同以来の諸制度の確定の中で定着した(ただし、1929年(昭和4年)から1932年(昭和7年)までの2場所通算成績などで番付を編成していた時代には、必ずしもこの限りではない)。なお、戦前には大関からの陥落は必ず関脇になるとは限らず、小結まで落とされた例も存在する(千葉ヶ嵜俊治参照)。

しかし、1958年(昭和33年)に、年間6場所制度が実施された時には、2場所では厳しすぎるということで、3場所連続の負け越しで関脇に陥落としていた。ところが、それでは甘すぎるという批判の声(琴ヶ濱貞雄参照)もあって、1969年(昭和44年)7月場所より、「2場所連続で負け越した場合、関脇へ降格する。しかし、降格直後の場所で、10勝以上の勝ち星を挙げれば、大関に復帰できる」という現行の制度が施行された。

なお、公傷休場はこの場所数にはカウントされなかったが、本場所での負傷に対する公傷制度2003年(平成15年)11月場所を以て廃止された。

この制度で関脇から大関に復帰したのは4人(三重ノ海貴ノ浪武双山栃東)のみである。三重ノ海は後に横綱昇進を果たしており、栃東は唯一、2度の大関復帰を果たしている。貴ノ浪は1度大関に復帰したが、その後再び大関を陥落しており、2度の大関復帰はならなかった。復帰の場合は、新大関に昇進するのと同様に新番付発表を待たずに、大関復帰が決定した場所の直後から大関として扱われる。また、大関への再昇進伝達式は行われない。なお、魁傑は大関を陥落した翌場所に10勝を挙げられず、平幕に落ちた後、この制度の恩典にあずからずに大関に復帰しており、その際には再昇進伝達式が行われている。

あと1場所負け越せば関脇に降格する場合、角番(かどばん)と呼ぶ。その場所で8勝をあげ勝ち越せば、角番脱出となり大関に留まれる。また、2場所連続で負け越しても翌場所10勝以上をあげれば大関に復帰できるので、一旦大関になると2場所に1回の8勝で大関の地位を保つ事ができ、3場所に1回の10勝で関脇陥落後もすぐ大関の地位に返り咲く事ができる。一方、関脇以下は勝ち越さないと番付が維持されず、勝ち越しても確実に昇格の保障がなく、特に大関陣が不調の時期にはその厚遇ぶりが批判の的となることもあった。2000年代中葉のように大関昇進前の琴光喜、関脇陥落後の雅山、かつて大関候補者の若の里らのように、強い関脇が輩出しているとなおさらである。

また現行の制度だと、大関が8勝した後9・10勝に上積みするメリットは殆ど無いために(持ち給金が1円増えるだけ)、加えて負け越した場合には0~7勝の番付面の扱いも同じである(翌場所の大関としての順位に影響が有るぐらい)。ここ最近では特に千秋楽の取組前、前日14日目まで7勝7敗の成績の大関は、対戦相手が既に勝ち越し又は負け越し決定や、かつ優勝争いに絡んでいない大関らと対戦すると、大多数は勝利して8勝7敗と勝ち越すケースが多くなっている(そのため、週刊誌などで八百長疑惑が浮上することもある。アンサイクロペディアで「大関互助会」とあるのは、これを反映したもの)。

引退後

現役引退後、年寄として協会に残る場合は3年間、平年寄ではあるが委員待遇として扱われ、番付では「年寄」の上位に置かれる(序列は委員待遇の平年寄>持ち名跡で襲名した平年寄>借り名跡で襲名した平年寄)。また1997年5月1日以降は、年寄名跡を取得していなくても引退から3年間四股名のまま年寄として残ることができるようになった(この特典は、引退から3年以内に玉ノ井部屋継承を予定していた栃東が初めて利用)。

委員待遇の3年を経過すると主任(番付上は昇格となるが、収入は減る)になることが多いが、3年以内に審判委員に起用されるケース(魁傑、武双山など)もある。

記録

大関在位記録

順位四股名在位数在位期間在位期間成績
1位千代大海龍二65場所1999(平成11)年3月場所-2009(平成21)年11月場所↓515勝345敗115休 優勝2回
2位魁皇博之57場所2000(平成12)年9月場所-現役460勝280敗115休 優勝4回
3位貴ノ花利彰50場所1972(昭和47)年11月場所-1981(昭和56)年1月場所422勝285敗49休 優勝2回
4位北天佑勝彦44場所1983(昭和58)年7月場所-1990(平成2)年9月場所378勝245敗29休 優勝1回
5位小錦八十吉39場所1987(昭和62)年7月場所-1993(平成5)年11月場所↓345勝197敗43休 優勝3回
6位貴ノ浪貞博37場所1994(平成6)年3月場所-1999(平成11)年11月場所(35場所)↓340勝177敗8休 優勝2回
2000(平成12)年3月場所-2000(平成12)年5月場所(2場所)↓13勝17敗0休 優勝なし
7位朝潮太郎 (4代)36場所1983(昭和58)年5月場所-1989(平成元)年3月場所294勝203敗33休 優勝1回
8位豊山勝男34場所1963(昭和38)年3月場所-1968(昭和43)年9月場所301勝201敗8休 優勝なし
9位琴櫻傑將32場所1967(昭和42)年11月場所-1973(昭和48)年1月場所↑287勝159敗34休 優勝4回
武蔵丸光洋1994(平成6)年3月場所-1999(平成11)年5月場所↑353勝127敗0休 優勝5回
  • 在位期間の↑は横綱に昇進、↓は関脇に陥落。無印は大関の地位で引退。
  • 現役中の魁皇については、場所数・成績共に2010年(平成22年)1月場所終了時点でのもの。
  • 貴ノ花には大関在位中に「貴乃花」等への改名歴がある。
  • 貴ノ浪は在位35場所目の1999年(平成11年)11月場所で1度目の陥落、翌2000年(平成12年)1月場所に関脇で10勝を挙げ復帰。復帰後在位2場所目の2000年(平成12年)5月場所で2度目の陥落、大関在位合計は37場所。
  • 豊山の在位中と琴櫻の昇進時は当時「3場所連続負け越しで降格」の制度。1969年7月から現行制度。

短命大関

現行の制度上考えられる通算大関在位の最短は2場所だが、年6場所制となってからは下記の通りとなっている。

順位四股名在位数在位期間在位期間成績
1位大受久晃5場所1973(昭和48)年9月場所-1974(昭和49)年5月場所↓30勝32敗13休
2位増位山太志郎7場所1980(昭和55)年3月場所-1981(昭和56)年3月場所44勝44敗7休
3位雅山哲士8場所2000(平成12)年7月場所-2001(平成13)年9月場所↓57勝58敗5休
4位魁傑將晃9場所1975(昭和50)年3月場所-1975(昭和50)年11月場所(5場所)↓43勝32敗0休
1977(昭和52)年3月場所-1977(昭和52)年9月場所(4場所)↓27勝33敗0休
5位前の山太郎10場所1970(昭和45)年9月場所-1972(昭和47)年3月場所↓67勝56敗27休
6位出島武春12場所1999(平成11)年9月場所-2001(平成13)年7月場所↓100勝71敗9休
7位若羽黒朋明13場所1959(昭和34)年11月場所-1961(昭和36)年11月場所↓102勝78敗15休 優勝1回
8位霧島一博16場所1990(平成2)年5月場所-1992(平成4)年11月場所↓139勝76敗25休 優勝1回
9位旭國斗雄21場所1976(昭和51)年5月場所-1979(昭和54)年9月場所168勝122敗20休
10位栃光正之22場所1962(昭和37)年7月場所-1966(昭和41)年1月場所188勝131敗11休
琴風豪規1981(昭和56)年11月場所-1985(昭和60)年5月場所↓212勝110敗8休 優勝1回
  • 年6場所制の1958(昭和33)年以降の記録(現役大関を除く)。それ以前では、五ッ嶋の2場所(12勝13敗5休、関脇陥落)が昭和以降での最短記録であった。
  • 在位期間の↓は関脇に陥落。無印は大関の地位で引退。
  • 雅山は、現在も関脇以下の地位で現役中。
  • 魁傑は在位5場所目の1975年(昭和50年)11月場所で1度目の陥落。その後1977年(昭和52年)1月場所後に再昇進が決定。復帰後在位4場所目の1977年(昭和52年)9月場所で2度目の陥落、大関在位合計は9場所。
  • 前の山には大関在位中に「前乃山」からの改名歴がある。
  • 若羽黒と栃光の昇進・在位中は当時「3場所連続負け越しで降格」の制度。1969年7月から現行制度。

連続大関在位場所数の見方をすれば、貴ノ浪・武双山・栃東の3人が、2場所で陥落の最短記録を作っている。貴ノ浪は大関復活後に再陥落、武双山は陥落後直ぐに返り咲き、栃東は再大関で陥落するも直ぐ再々昇進を果たし、通算大関在位場所数ではそれぞれ貴ノ浪37場所、武双山27場所、栃東30場所(番付上は31場所)となっている。なお貴ノ浪は、連続大関在位場所数の長期でも短期でも、歴代ランキングに顔を出す珍記録も持っている。

横綱に昇進した力士の大関通過場所数については、こちらを参照。

大関(最高位)力士の通算幕内優勝回数記録

順位四股名優勝回数大関在位中
1位魁皇博之5回4回
2位清水川元吉3回2回
小錦八十吉3回
千代大海龍二2回
栃東大裕3回
5位豊國福馬2回2回
増位山大志郎1回
貴ノ花健士2回
魁傑将晃なし
琴風豪規1回
若嶋津六夫2回
北天佑勝彦1回
貴ノ浪貞博2回
  • 平成22年1月場所終了現在

魁皇の幕内優勝5回は、最高位が大関以下の力士の中では史上1位である。なお優勝を5回も経験すれば、昔なら皆全員横綱に昇進していた(中には照國北尾(のち双羽黒)など、優勝無しで横綱昇進した力士もいる)。しかし現在の横綱昇進基準では、大関の地位での「連続優勝」が原則となり、魁皇は大関時代に連続優勝を果たせず、不運にも横綱になれていない。

また若嶋津の優勝2回のうち1回は全勝優勝である。最高位大関以下の力士で全勝優勝を達成は、15日制のもとでは、他に時津山玉乃海(ともに最高位は関脇)。

横綱に昇進した力士で大関以下での優勝が多かったのは貴乃花で7回、うち5回が大関での優勝。他に武蔵丸が大関で5回優勝の最多タイ。彼ら以前では、玉錦が大関以下で5回、大関で4回の優勝、現在と番付編成の制度が違ったことなどにもよるが、大関で3連覇でも横綱を見送られるなど、約60年に渡って「大関以下」「大関」ともに最多記録保持者だった(大関での優勝については琴櫻に並ばれ、のちに魁皇もこれに続く)。

大関不在

番付面で「横綱」の地位が現れて以降で、「大関不在」となったことが2回ある。

1回目は、1903年(明治36年)1月場所に常陸山2代目梅ヶ谷の横綱同時昇進によるもので、1905年(明治38年)5月場所に国見山荒岩が同時昇進するまで5場所続いた。

2回目は1981年(昭和56年)9月場所。同年3月場所に増位山が引退、7月場所終了後に千代の富士も横綱に昇進したために生じたもの。同年9月場所で琴風が優勝、場所後大関昇進を果たして、1場所で解消された。

どちらの時も、横綱力士が大関を兼ねる「横綱大関」が置かれ、厳密な意味で「大関」の地位が番付から消えたことは、これまでにない。

5大関

翻って、番付上に大関が最も多く出揃ったのは5大関までで、2009年(平成21年)11月場所まででは13通りの例がある。

1947年(昭和22年)6月場所、汐ノ海の昇進で、前田山名寄岩佐賀ノ花東富士とともに、史上初めての5大関が実現した。小結で8勝2敗、関脇で11勝2敗と続けての昇進だったので、甘い昇進だったとは言えないが、過去の例に倣えば関脇に据え置かれただろう。優勝決定戦三賞制度等が導入された場所でもあり、戦後の荒廃期にどうにか客を呼ぼうとした興行政策であった一面は否めない。同場所で前田山が横綱に昇進し、この時は1場所限りで解消された。

昭和において同じ顔触れで最も長く続いた5大関時代は、北葉山佐田の山栃ノ海栃光豊山による6場所。1963年(昭和38年)3月場所に豊山が昇進してから翌年1月まで栃ノ海が横綱に昇進するまで続いた。

1986年(昭和61年)1月場所から1987年(昭和62年)7月場所までは、若嶋津朝潮北天佑大乃国北尾北勝海小錦という7人によって、10場所にわたって5大関時代が続いた。

この間、「6大関」が誕生する可能性もあったが、北勝海(昇進前は保志)が大関になると同時に北尾が横綱へ(横綱昇進後は双羽黒)、小錦が大関になると同時に北勝海が横綱へ、というように、結果的にところてん式の同時昇進が続いた事もあって「6大関」は実現しなかった。ここに名を連ねた7人のうち3人が横綱に昇進、残る4人も大関在位中に優勝を経験し、横綱寸前まで行った力士である(但し、5大関時代には引退間近で、成績が芳しくなかった力士もいる)。「大関の大安売り」と揶揄されることも多い5大関時代だが、この7人はいずれも大関の名にふさわしい成績を残している。

平成時代に入ってからは、最初が2000年(平成12年)11月場所から2001年(平成13年)7月場所までの千代大海出島武双山雅山魁皇による5場所、2番目が2002年(平成14年)9月場所から2003年(平成15年)1月場所までの千代大海、武双山、魁皇、栃東朝青龍による3場所、3番目が2006年(平成18年)5月場所から2007年(平成19年)5月場所までの、千代大海、魁皇、栃東、琴欧洲白鵬による7場所(同じ顔ぶれによる5大関としては史上最長)がある。

平成時代の最初の例は、2001年9月場所に出島が、翌11月場所に雅山が相次いで関脇に陥落し、一気に3大関になった。二番目の例は、2003年1月場所後に朝青龍が第68代横綱に昇進したことで解消された。三番目の例は、2007年5月場所直前に栃東が引退したこと(そのため、実質的には6場所の5大関となる)、同場所後に白鵬が横綱に昇進したことで3大関となった。

最近では2008年11月場所後に日馬富士(昇進前は安馬)が大関昇進を決め、翌2009年(平成21年)1月場所から2009年11月場所まで千代大海、魁皇、琴欧洲、琴光喜、日馬富士の5大関が、平成時代4番目の例として6場所続いていた。2010年(平成22年)1月場所は千代大海が関脇に陥落する事となり、4大関となった。

新大関の優勝

四股名新大関場所成 績備 考
鳳谷五郎1913年(大正2年)1月場所7勝1分1預1休1休は相手力士休場
栃木山守也1917年(大正6年)5月場所9勝1預(大潮()は優勝同点者(決定戦制度なし)
双葉山定次1937年(昭和12年)1月場所11戦全勝当時は1場所11日制
千代の山雅信1949年(昭和24年)10月場所13勝2敗
若羽黒朋明1959年(昭和34年)11月場所13勝2敗
清國勝雄1969年(昭和44年)7月場所12勝3敗(○藤ノ川()は優勝決定戦
栃東大裕2002年(平成14年)1月場所13勝2敗(○千代大海()は優勝決定戦
白鵬翔2006年(平成18年)5月場所14勝1敗(○雅山()は優勝決定戦
  • ☆はのちに横綱。

代数

横綱のそれほど知られてはいないが、記録をたどれる最初の大関である雪見山を初代として、昇進順に代数がふられる場合もある(同時昇進の場合は先に引退または横綱に昇進または関脇に陥落した方が先代になる)。例えば寛政の無類力士雷電は76代大関、平成の日馬富士は240代大関となる。しかしこのなかには、横綱に昇進した者(例えば、白鵬は238代大関)や、実際に相撲をとらなかった看板大関も含まれていて、一般にはあまり用いられない。また、番付等が現存しないので確かめようがないものの、初代 谷風梶之助など、雪見山以前にも大関がいたことは確実であるため、こういったカウントに疑問を持つ者もいる。

関連


脚注

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大関


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